八十分間異世界半周②
砂漠が見えた。どこまでも広がっているかのように思える。
竜は速度をゆるめない。むしろ、より速くなっていないか。
やっぱりそうだ。
高度は下がっていってるのに、全然スピードが落ちない。
「き、霧彦くん」
音根が涙目で俺を見てきた。だがしかし、俺にはどうすることもできない。
「衝撃に備えてくださーい」
どうしろって言うんだ、クソ。
シホタース山脈に着陸したときとはくらべものにならないほどの衝撃だった。縦に、大きく、激しく、揺れた。危機的状況に至り、俺と音根は抱き合うしかなかった。人間の本能がそうさせるのだった。この抱擁は決して愛情の発露ではない。そう、自分に言い聞かせる。
音根の体温が伝わってくる。皮膚が震えているのが分かる。俺と音根は、互いの心音を感じ取れるほど密着していた。
揺れはもう収まっていた。
「キシシ。いつまでそうしてるの?」
俺は音根の肩を素早くつかんで、体から体を引き離した。
「悪い」
「う、ううん」
しゃぼん玉のドームの表面には、着陸の際に舞い上がった砂が付着していて、外の様子がよくわからない。
エルーが指を鳴らすと、しゃぼん玉はガラスのように固くなり、砂は水のように流れ落ちていった。
竜は砂漠のオアシスに尻をつけていた。
「もしかして、今、出してるのか?」
「うん、出してるね、うんち」
なんでも、オアシスの水には浄化作用があるらしく、どれだけ巨大なうんこだろうが、半日も経たないうちに分解してしまうのだと言う。
「ああああの、わ、私も、ト、トイレ行ってきていい?」
声はしりすぼみになっていった。
エルーは微笑し、うなずき、指を鳴らした。ガラス張りのドームが消え、音根は竜を降りて行った。
俺は音根が歩いて行った方に背を向け、座り直した。
「紳士だね」
「変態じゃないだけだ」
砂漠の夜は寒かった。もう一枚、いや二枚はおりたいぐらいだ。
竜のうんこってどのぐらいでかいのだろうか。そんなことを考えていたら、エルーの声がした。
「霧彦は音根のことが好きなの?」
さりげない尋ね方だった。
俺は音根のことが好きだ。その気持ちは、本当だと思う。
――いいや、違うね。お前は人を愛せない。
そんなことはないはずだ。俺は音根のことが好きだ。
――ならなぜ告白しない?
それは、それは、つまりそれはだな、つまり。
言葉が出て来ない。
――教えてやる。それはお前がよく知っているからだ。女は裏切るということを。お前の母親がそうだっただろう? お前を捨ててどこかへ行っただろう?
違う。
音根は俺の母親じゃない。
――同じだ。なるほど、確かに、客観的に見て、あの娘はお前にほれているのかもしれない。だが、いつか裏切るぞ。
そんなことには、ならない、かもしれない。
――なるかもしれないなら同じことだ。仮にお前が音根と愛を確かめ合い、恋人になったとして、そこにあるのは、いつ破滅が訪れるのだろうという心配だけだ。音根の愛情が冷めてしまうそのときを、いつも怯えながら暮らしていくことになるんだぞ。
俺は、内に潜むもう一人の自分に完全に言い負けた。
それでも俺は音根が好きなのだ。
いつまでたっても答えない俺をみかねて、エルーが苦笑した。
「何か言ってよ」
「好きだ」
「え? 私のことが? もうっ。困るよー」
「バカ言え。音根のことが、だ」
「はいはい。ていうか、なんとなく察しはついてたし」
エルーは俺の方を見ようとはしなかった。目を合わせない方が話しやすいこともあるのだ。
「リトルエルフは好きになった相手に好きって言うんだけど、人間は?」
「言う奴もいる」
「霧彦は?」
「まだ言ってない」
「もったいない。音根もきっと霧彦のこと好きだよ。奇跡だよ、こんなの」
出た。奇跡。エルーはやたらとこの単語を口にする。
「だって考えても見てよ、まず霧彦と音根が同じ年に生まれたのが奇跡でしょ、で、高校で出会えたのが奇跡、さらにさらに、兄妹になったことも奇跡だし、お互いのことを好きになれたのは、もっと奇跡。今の二人は奇跡の連続の延長線上にいるんだよ。つまり全部まとめて奇跡ってこと。分かってる?」
うんざりした。
「奇跡奇跡うるさいぞ。奇跡はな、滅多に起こらないから奇跡なんだよ」
エルーは目を閉じ、やれやれと言った感じで、首を横に振った。
「きっと霧彦もいつか気づくよ。奇跡なんて、けっこう簡単に、いつでもありとあらゆる場所で、それこそ、日常のふとした瞬間に、ふとした場所で、起きるものなんだって。あ、音根が帰って来たよ」
尾を登ってくる音根に俺は手を貸した。
竜は一声鳴いて、再び空へと飛び立った。オアシスの透きとおった水の中に太くてどでかいうんこを残して。




