たったひとつの冴えた呼びかた③
斜面を登り、とある丘の頂に到着した。私の身長と同じぐらいの大きさの石碑があった。
「ここはマコンの丘と言ってな。ちょっと特別な停留所なのじゃ」
「何か乗り物が来ると考えていいのか?」
「もちろんじゃ。ただし、きっとお前さんたちは腰を抜かす。せめて気は失わんでおくれ」
何が来るんだろう。
長老様が石碑に触れた。すると、蛇のような文様が浮かび上がり、紫色に光り始めた。
「あー、もしもし」
「こちら管制塔。何用でしょうか?」
と石碑から声がした。
「一頭頼みたいのじゃが」
「かしこまりました。指名なさいますか?」
「シックザークを。ガイドはエルーで頼みますじゃ」
「承知しました。すぐにそちらへうかがわせます。しばしお待ちを」
長老様が手を離した途端、石碑は光るのをやめた。
「もうちっと待っておくれ」
「何から何まですまない」
「いいのじゃよ。世界の入り口がある東の果ての森、そこにすむ種族として当然のことをしとるだけじゃからのう。わしらリトルエルフの民はな、お前さんたちのような異界からの客人を送り返すために存在しておるようなものなのじゃよ」
それでも、私も深入くんもお礼を言わずにはいられなかった。
草の匂い立つ丘にたたずみ、乗り物が来るのを待つ。
セルリアンブルーの空に浮かんでいるいくつかの雲、それらを蹴散らすように何かが、大きく黒い何かが飛んできた。
瞬く間にそれは丘を掠るように通り過ぎ、また戻ってきた。
妖精たちが歓声を上げている。
深入くんが呟く。
「流石の俺も、実物を見るのは初めてだ」
私も、空を見上げ、硬直していた。
漆黒の翼、鱗に覆われた体表、鋭利な爪、蛇のような目に剥き出しの牙。
長老様が呼んだ乗り物、今、私たちの頭上を旋回しているそれは、竜だった。
丘を潰してしまわないよう、竜はゆっくりと着地した。それでも私たちは地震のような揺れを感じた。
竜の鼻先に何かがきらめいた。と思ったら、その光は私たちのもとへ降りてきた。いや、光じゃない。妖精だ。羽が黄金色に輝いている。翠玉のような瞳が、私をとらえた。
「大変お待たせしました、お客様」
他の妖精たちは手を打ち鳴らしたり、飛び跳ねたりの大喝采である。
「エルー姉ちゃん」
「エルーさーん」
「エルー様ー」
誰もかれもが興奮している中、長老様だけは秘境の湖のように静かである。
エルーという名のその妖精は、ブロンドの髪をなびかせつつ、手を振りつつ、あちらへとこちらへと飛び回っている。
「みんな、久しぶりっ。元気してたー?」
くだけた口調になった。おそらくこのエルーという妖精もクビリの森出身なのだ。
「長老様もまだ死んでないんだね。奇跡だね」
「減らず口は相変わらずじゃのう、エルーよ」
それから長老様は、私たちのことを話した。
「オッケー。じゃあこの二人を西の果て、ナハテの海まで連れて行けばいいんだね」
「しっかり頼むぞ。何と言ってもこれはわしらリトルエルフの責務なのじゃからな」
「はいはい。この世界一かわいいエルーちゃんにお任せあれ。じゃあ、さっそく出発しちゃうから、二人とも乗っちゃってー」
「あれにどうやって乗れと?」
深入くんの顔が引きつっている。
「そもそも安全なのか? 俺はまだ死にたくないぞ」
「大丈夫。竜空便での事故なんて、ここ十年で二、三件しか起きてないし、私もシックバークも超優秀だから、事故なんて起きようがないのでーす。尾からご乗竜願いまーす」
両の足で立ち、その背を空へと伸ばしていた竜が、その大きなおなかを地面につけた。私たちが登りやすいように体勢を変えてくれたのだ。
竜の尾は太く、人が通れるだけの幅は充分にあったが、それでも初めてのことなので、私と深入くんは腰を低くし、手をつきながら登って行った。
ようやく竜の背にたどり着くと、そこにはエルーさんがいて、高らかにアナウンスした。
「ご乗竜ありがとうございます。この便は東の果てから西の果てへの特別特急便となっております。竜の名はシックバーク。客室は、リトルエルフのエルーが務めさせていただきます」
「ちょっと待て。客室とか言ってるが部屋なんてどこにもないし、このまま離陸したら俺たちは振り落とされて確実に死ぬぞ」
「お客様ー、心配性ですねー。大丈夫ですよ。客室は今からおつくりします」
エルーさんがウィンクし、指を鳴らした。
何も起こらない。
「何も起こらないぞ」
「せっかちは損ですよ」
どこからともなく風に乗って来たのは、数えきれないほどのしゃぼん玉だった。竜の背へと降り注いだしゃぼん玉たちは、決して割れず、むしろくっつき合い、一つの大きなドームを形作った。
しゃぼん玉ごしに見上げる空は、微妙に虹色が溶けだしていて、率直に言って、きれいだった。
「これ、割れないのか?」
深入くんはどこまでいっても現実的なことしか言わない。
「心配無用です。これでも私、特級ドラゴンガイドなんですよ。特級ですよ特級。って言っても分からないんですよねー。うーん、つまりですね、あなたがたは何の心配もしなくていいし、無料で私とシックザークに運んでもらえるなんてとってもとても幸運なんですよ。奇跡的と言ってもいいですね」
そこまで言って、一息つくと、エルーさんはよく通る声でアナウンスした。
「アテンションプリーズ。これより当竜は離陸いたします。若干の揺れが予想されます。気分が悪くなったお客様、すぐに手をお挙げください。それでは、奇跡的に出発いたします」
竜が動き出した。前足を丘から離し、立ち上がりかけたところで、私と深入くんは竜の背中をお尻の方へと転げ落ちていった。が、しゃぼん玉のドームが柔らかく受け止めてくれたので、空中へ放り出されることはなかった。
翼がおおらかにはためく。竜の足が丘を離れた。
私たちは転げまわりながらも、手を振る妖精たちに手を振り返した。
丘がみるみるうちに小さくなっていく。
感謝は尽きない。
空は青い。




