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八十分間異世界半周  作者: 仙葉康大
第六章
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雲は無慈悲な夜の帝王

 クラスの人たちとバスに乗るときはいつも、どうしようもない息苦しさを覚えたものだった。二つ並んだ座席に誰と座ればいいのか。運よく先生以外の誰かと一緒に座れても何を話せばいいのか。話す話題があったとしても、私の声はどのみち何度もつっかえる。


 バスは地獄の乗り物だった。


 しかし今日の私は、何の不安も抱かずにバスに乗り込むことができた。二つ並んだ座席だって怖くない。隣人も怖くない。今、隣に座っているのは、友達と呼んでもいいかもしれない存在なのだ。


「なあに?」


 その横顔を見つめていると、佐藤さくらちゃんが首を傾げるようにして私の顔を覗き込んできた。


「え、い、いや、な、なんでもないよ、さ、さくらちゃん」


 佐藤さくらちゃん。深入くんのおかげでいじめが終わって、その後、一緒にお昼ご飯を食べようと声をかけてくれた三人のうちの一人だ。一つ前の座席には、鈴木すみれちゃんと山田八重(やまだやえ)ちゃんもいる。


「ねえ、音根ちゃん」

「な、ななに?」

「私たちさ、そろそろ次のステップに進んでみない?」


 私は目をしばたたかせた。

 さくらちゃんは余裕のある顔つきで、私の手を握ってきた。温かかった。


「もう音根って呼んでもいいよね?」

「う、うん。もももちろん」

「じゃあ、私のことも」


 さくらちゃんは私の耳に触れそうなぐらい近くに唇を寄せ、ささやいた。


「さくらって呼んで」


 名前の呼び捨て。

 私は身震いした。


 さくらちゃんとさくらでは、きっと何かが決定的に違う。その何かはおそらく人間の言葉で語り切れるような代物ではない。


 これまで誰のことも呼び捨てにしてこなかった私だから、いざ、初めてできた友達を呼び捨てにしようとすると、身がすくむし、のどが乾く。


 それでも言うのだった。


「さ、さくら」


 そのとき、「ちゃん」は死んだ。私が殺したのだった。


「なあに? 音根」

「さくら」

「音根」


 私とさくらは「ちゃん」を殺した者同士、共犯者の笑みを浮かべて、バスに揺られていた。保険会社のビルやこじんまりとした郵便局や地方銀行の支店が車窓を過ぎて行く。街中を抜け出るまでにあと何分ぐらいかかるだろうか。


 このたびの林間学校で使わせてもらう施設は、市のはずれの孤豊山こほうざん、その中腹にある。


 予定では昼前に到着することになっている。


 さくらと虫よけ対策について話をしていると、前の座席の二人も話に入ってきた。すみれちゃんと八重ちゃんは、私とさくらが互いのことを呼び捨てにしているのに気付いた途端、ずるいと私たちを糾弾した。


「ずるいずるいずるい。私も音根に呼び捨てにされたいのよー」とすみれ。

「同じく」と八重。


 バスが街を抜けるまでの間に、私は三人のことを数えきれないほど呼び捨てにした。三人も私のことを、数えきれないほど呼び捨てにした。


 ふと、深入くんはどうしているだろうかと気になった。自分でもおかしいと思う。こんなふうに誰かのことがふと突然唐突に気になるなんて。


 前の座席に深入くんの姿は見えない。私は通路の方に少しだけ顔を出し、後ろの座席のいずれかに座っているであろう彼を探した。


 いた。

 かなり後ろの方、でも最後列ではない。

 窓にもたれかかるようにしてライトノベルを読んでいる。


「あ、音根、深入くんのこと見てる」

「え、いや、えと」


 まずい。この流れはすごくまずい。さくらとすみれと八重は、恋する乙女以上に瞳をきらめかせ、私の恋愛をひとときの娯楽として消費しようとしているのだった。


「二人って付き合ってるの?」


 私はかぶりを振った。


「告白は?」

「ま、まだ」

「したらいいのに。せっかく両想いなんだから」

「え? りょ、両想い?」


 私が混乱していると、すみれは(あき)れたというような顔をした。


「もうしっかりしてよ。ひねくれもので孤立主義で他人に興味を示さずラノベばかり読んでる深入くんが、矢面に立って誰かを助けるなんてこと、普通、あり得ないんだよ」

「で、ででもあり得たよ?」


 ひねくれもので孤立主義でラノベばかり読んでいる深入くんは、私を助けてくれた。スクールカースト上位の女子と直接口論し、彼女たちの口を、私へのからかいを、封じ込めてくれた。


「だから、それってつまりそういうことでしょ。ていうか、一つ屋根の下で暮らしてるんだから、奴が音根に好意を抱いていることを指し示すようなサインとか素振りとかあったんじゃないの?」


 あの夜のことが思い出された。ラノベを借りに行って、本棚の前で一人泣いていると、深入くんは私を抱きしめてくれた。あれは、あの抱擁は、深入くんの好意の具現化なのだろうか。それとも家族に対する親愛だろうか。あるいは、異性を抱きしめたいという思春期特有の気の迷いか、はたまた、泣いている馬鹿な小娘を慰めてやろうという、慈悲の心か。私にはどれが本当か、分からなかった。


 でも、すごく気持ちよかったなあ。


「音根、顔が赤い」


 八重の指摘に、私は自身の頬に手を当てた。熱い。頬が熱い。私は熱い。発熱反応を伴うような恋を、私はしているんだ。


 車窓に映る木々と木の葉と木漏れ日が、一体となって自然というものを投げかけてくる。


 バスはすでに山を登り始めていた。


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