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私の歩んだ半生  作者: 白黒赤
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死刑囚と考えて平常心を保つ

短編エッセイでもいいかなと思ったのだが、関連としてこちらに投稿する。

今回の話は、恐怖について。

読者諸君も一度は感じた事があるだろう。


恐怖と言っても様々ではあるが、今回は”死”に対しての恐怖の話をしようと思う。


ここまで読んでくれている諸君には、わかって貰えると思うが、私は幾度と無く恐怖を体験したのだ。今もそうだったりする。


・エイズかもしれません。


・転移してる可能性があります。


・手術で最悪死にます。


・悪性の細胞が飛び散っている場合は、最手術する可能性があります。


・再発する可能性があります。


ざっとこんなところだろう。

で、どのように影のようにくっついてくる恐怖から身を守っていたかというと、、


サブタイトルに行き着くわけだ。


ちなみに周りには、こう言われた。

なったものはしょうがないよ。

色々悩んでも意味ないよ。

考えても病気が治るわけじゃないのだから。


正論だ!間違いなくその通りなのだ!

だが、なかなか割り切れるものではないのだ。

頭の片隅に恐怖が住み着いてしまっているのだ。


話を戻すが、恐怖をやわらげるために考えたのが”なりきり死刑囚”だ。


死刑囚は、いつ死刑宣告されるかわからない。

その日はいきなりくるのだ。


そう考えていたら、例え不治の病だったとしても、医者から見放されたとしても、次の日すぐに死ぬわけではない。治るかもしれないという希望もあるのだ。


恐怖がやわらいだのだった。


勿論、死刑囚と比較したりする事自体、頭がおかしいクレイジー野郎と思われてもしょうがないかもしれない。


もし恐怖に陥ったら試してみてくれ。

効果は少しはあると思う。

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