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私の歩んだ半生  作者: 白黒赤
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幼少期

1984年、東京で背の小さな両親たちから私が産まれた。

母曰く、よく笑い滅多に泣かない子だったそうだ。

家庭としては、お金持ちというわけでもなく、貧乏というわけでもない、中の上だと思う。

大手会社の営業職部長の父と看護師の母だった。


2人から子供は3人産まれ、全員男であり私は次男だった。


幼稚園児の時は凄いモテたのが今でも記憶にある。

ちなみに今は不細工でモテないのだがね。

すくすくと育ち、東京の幼稚園を卒業する時に人生の岐路にたった。

父の仕事の関係で転校する事になったのだ。


岐路と言っても、子供が選択できる内容でも無かったので、悲しい思いをしながら今まで仲良かった人と別れ、群馬に行く事になったのだ。


小学1、2年生を過ごした後、また父の仕事の都合で群馬内で転校をした。

その転校時に貰ったマフラーはもう無いが、嬉しかった感情が今でも思いだせる。


小学3、4年生を別の小学校に通い、また父の都合で転勤となり東京に戻ってきた。

転校時に、近くの駄菓子屋のおばぁちゃんがカードダスの機械からキラカードを抜いて私にくれたのを今でも忘れない。


そして、小学5、6年生は東京の小学校に行く事になった。


小学校を3つも行くとは思っていなかった。。

東京では、すぐにいじめられた。

背が小さい事や群馬から来たというだけの事でだ。


“一回、いちご”の発音がおかしかったからだ。

いちごの”い”のところのイントネーションが群馬だと高いのだ。

この年齢になるとそんなのでいじめの対象になるの?と疑問が生じるところではあるが、子供というのはそういうものだろう。


小学5年生からは、ずっと東京に住んでいる。


その5年生の時に私は初恋をした。

上手く書けなくて申し訳ないです。

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