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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

汝焉んぞ地獄に行けん

作者: どっすん丼

 目が覚めたら、世界が一変していた。


 そんな突拍子もない経験はないだろうか。私には、あった。


 かつて私は、今の私とは明確に違っていた。時代も、容姿も、なにもかも。

 グローバル社会、未来のネコ型ロボットもそう遠くない将来の話であったころ。私は一大学生として、長すぎる休暇を謳歌していた。


 ――今日は楽しかった。明日も、いっぱい遊びたいな。


 友達と遊び、帰宅した後、心地よい疲労感に包まれながら目を閉じた私は、そこで“おしまい”だ。


 次に目を開き、“はじまった”のは、シーシャ・トラザークという人間の、新しい人生だった。


 ――私がプレイしていた国造りゲームに登場する、ヴォレス帝国とかいう国の一市民としての、人生だった。


 どうやら世界は戦争真っただ中。小国同士の小競り合いに、大国同士のにらみ合い、内紛、反社会的組織の衝突、思想侵略、ありとあらゆる闘争が起こっていた。

 まったくもってゲーム通り。知っているNPC国家が、セオリー通りに消えていく。ゲームと違うのは、ラスボスポジションであるヴォレス帝国の宿敵、“プレイヤー”の国家が、存在しないこと。


 正直、生まれ変わってからしばらくは鬱になりかけた。この世界、ゲーム通りなら世界中古今東西どこもかしこも、戦争、戦争、戦争中ということになる。

 難民は発生するし、民間人は銃持ってるし、賊とかめっちゃ出るし。


 しかしそうすると、ヴォレス帝国に生まれたのは不幸中の幸いであったと、私は気づいた。

 ここは、ラスボスの国。ここは、主人公の居ない世界。


 軍事に極振りしつつも、他国を侵略することによって資源も潤う我らが帝国は、治安もいいし飢餓もない。

 つまりこの国は勝ち馬なのだ。私は、世界的に見て、比較的安全な国家に生まれたということになる。

 軍事極振りだけど。


 閑話休題。


 徴兵は全国民平等に。あら、教育までつけてくれるなんて、キャー素敵―……。

 なんとこの国――ヴォレス帝国には、とっても素晴らしいことに、男女差別なんて存在しない。兵役経験率は驚異の八割越えである。乾いた笑いが出ちゃうね。


 この国に生まれたものは、病弱なもの、高額な納税を行えるもの以外、男女問わず、すべて軍学校へと入学し、身分も財力もへったくれもなく、実にシステマチックに開発系、脳筋系、暗躍系に振り分けられる。

 ある一定までは同じ教育をし、適性の見られる方へと進学するというシステムになっているのだ。


 かくいう私は、魂の祖国特有のエアーリーディング能力、そして差別的視線が一切存在しない点が評価され、諜報系統の高等学校へと、国の支援付きで進むことになった(なお拒否権はない)。


 成績はそれなりに良かった。1から10まである諜報部隊のうち、私が配属されたのは6番。他国への密偵を担う重大な役割だった。

 名誉なことらしいのだが、これがもう、全くやる気が出ない。人を殺す機会が少ない仕事だったのはラッキーといえるが、休みとかいう概念が存在しない部署だった。


 ……まあ、楽な仕事ではあったのだが。

 持ち前の適応能力(異世界転生以上のショッキングな事件とかこの世に存在しない)と、人種差別の色眼鏡を持たない私は、潜入先に溶け込むのが得意だった。


 劣っているとか、優れているとか、そんなのはどうでもいい。

 肌の色とか、発音の仕方とか、部族的な気質とか、そんなの私には関係ないのだから。


 あるがままに見ればいい。相手のカタチに合わせて、頷いて、笑って、こんなの、日常生活と全く同じだ。

 五十代の中年男性は、二十代の女であった私にとっての宇宙人みたいなものであり、また、同年代の他の人間だって、毎日彼氏のことを考えたりとか、全然私と違うのだから。

 気に入らないからって、表に出して悟らせたりしたら、角が立つ。そんなのマナー違反だろう。……いや、うちの国過剰すぎるらしいけど、コレ。


 宇宙人のことなんて、理解しなくていい。理解するのではなくて、ただ、“そう”であるのだと知れればいい。無二の友になる訳ではないのだから、その人の極めて私的な部分の――触れてほしくない部分の、ほんの輪郭だけでも読み取れれば、後はもう、どうでもいい。

 その人の悩みも、傷も、どんなものなのかなんて知らなくてもいい。触れれば痛いところの、位置だけわかればいいんだから。


 その上、ヴォレス人としての誇りを持たない私には、滲み出る他人種への嫌悪も、母国への愛も存在しない。長期任務の際は、もはや旅行気分でお土産なんかを持って帰っていたりする余裕だってあった。


 多分、世界中で戦争の勃発するこの異世界において、もっとも自身に合ったポジションなのではないか、と密かに満足している。


 なんせ、我が国はラスボス国家だ。戦争が起ころうと、私の主たる滞在先である首都には影響は殆どなく。前線に粗末な装備で放り出されることもない。


 金にも困らず、まあ、それなりにいい人生だなー、とか。思ったり、思わなかったり。




 任務を請けるとき、私たち諜報部隊は絶対にマンツーマンで、それぞれの部隊を司る准尉から受け取ることになっている。

 よって、呼び出しがあった場合は、すぐさまに駆け付け、お手洗いでため息と憂鬱な気持ちを完全に落とし切ったあと、帝国の軍人らしく背筋をキリッとして、胸に誇りを抱いてます! ってな顔で参上する必要があった。


 「任務の前に、確認することがある。シーシャ・トラザーク特技兵。先立っての、アルタイル皇国の話は聞いているか」


 「っは、私が耳に挟んだところによると、ジロイ丘陵の遺跡の付近へと、王城をしのぐ建造物、そして城下町が突如出現したとか」


 まるで一夜城である。酔っぱらいの戯言を信じるわけにはいかないが、なんと立派な尾ひれをお持ちのその噂によれば、城下町には数千人の人間が住んでいたとか、いないとか。ウケる。


 「その噂は、真実だ」


 「……っは?」


 「シーシャ・トラザーク特技兵、貴様に任務を与える。これは隣国であるアルタイル皇国との、国家間における友好関係の変遷の布石ともなりかねん、重要な任務である」


 「っへ?」


 「しかと拝命しろ。中佐殿よりのご命令である」


 ――アルタイル皇国に出現した謎の都市へと潜入し、その情報を持ち帰るのだ。




 旅支度を整えながら、うんざりとため息を吐く。


 アルタイル皇国、と言われて、真っ先に浮かんだのは、一昨年に同盟を結ぶ前に情報の洗い出しを、と第6部隊総出で、かわるがわる潜入した調査任務――の帰りに買った、綺麗な飴玉くらいのものだ。

 瓶詰の飴玉と一緒に、近くの鉱山から取れるという、ガラスみたいな赤とか緑とかのキラキラした石がもらえたんだっけ……。そんなものぐらいしか思いつかないくらい、あそこは平和だった。


 「さいあく……」


 身支度を終えて、ヴォレスの首都から馬車を捕まえる。ガッタンゴットン揺られ、なんだか泣きそうになりながら空を見上げた。


 『国家間における友好関係の変遷』ってそれ、戦争起こるかもってことじゃん。なんでそんな重い任務を私が……しかも、中佐からて。

 しかも、単独て。


 「うおおおおん……帰りたいよお。お仕事やだよお」


 これでさ、これで、本当に軍事態勢を皇国が用意してたらさ。私、死んじゃうんじゃないか? 侵入者だー! であえであえー!! みたいな。

 一夜で街づくりとか、尋常じゃないってそんなの。とんでもシティーじゃん。魔法だよ、魔法。ファンタジー!


 現実逃避が止まらないのを、無理やりに軌道修正する。仕事をしくじったら死ぬし、仕方ないね、是非もないね……。

 とりあえず、一夜シティーを遠めに見て、関所の構造を確認。もしも人の出入りが激しくてガバガバなら、金払って普通に滞在して、人口とか人種を見た後に一時帰還、とか。


 これでいくかあ……。




 大きな扉、白亜の壁。

 ジロイの丘には芝生と花が咲いていて、まるでおとぎ話の世界のようだ。ここだけ、戦争とは切り離された、平和そのものの光景が広がっている。


 壁の上には櫓のようなものがあるが、大砲を積んでいる様子もない。人力で矢でも放つのだろうか?


 しげしげと、関所の順番待ちの列に並びながら、観察していると、前のおばさんが話しかけてきた。


 「アンタ旅人かい? ここには来たことなさそうな顔、してるけど」


 「そうなんですよ。ここの噂を聞いちゃって、つい気になってしまって」


 「なるほどねえ。私はアルタイルのド田舎出身なんだけどね、ここは本当にいい街らしいよ。国皇様からのお触書がきたくらいだからね」


 「っえ、ここは国皇様も認めてらっしゃるってことですか? 国の一部、ってこと?」


 「どうもそうみたいだねえ。私以外にも、ほら、いっぱいいるだろう。戦禍に近い村の人間は、ここに引っ越すようにって仰せなのさ。しかも、馬車も金も、大盤振る舞いで、びっくりしたよ」


 おばさんが言うには、なんとこの街を見学する機会を設けてもらった上に、街の住民がプレゼンをしにきたらしい。

 新都市プロジェクトか何かなのだろうか? ここは確かに戦場からは遠いが、ウチと戦争が始まったら、ちょうど中間地点のど真ん中になっちゃうんですが。


 しかし、軍事都市にするには、ちょっと農民が多すぎる。それに、土着の民も多かったろうに、なぜ異論もなくこんなところまで来たのだろう。畑も、家も、森も。金がもらえるとはいえ、そうやすやすとは捨てられないだろうに。


 「国皇様がなにを考えてるのか、私にはわからないけどねえ。お金をわざわざ払ってくれるなんて……。……でも、構わないさ。私もそうだけど――一度でも見学に来たやつは、きっとみんなここに住みたいって思うんだ」


 「ええ、なんでですか?」


 「ふふん、それは見てのお楽しみだよ」


 おばさんは微笑んで、先に関所を通ってしまった。

 私も続いて入り、無事入国を許可される。ビザ擬きを発行されたが、その異様に上質な紙の、“とある文様”を見た途端、思わず白目を向いてしまう。


 そこに刻印されているシンボルには――ひどく見覚えがあったのだ。


 「こ、れ……」


 茫洋としながら歩いていく。真っ白で分厚い壁の中を抜けて、関所の屋根の影を出ると、まぶしい日差しが目に刺さる。

 思わず目を細めて、視線を下げる。そこから、顔を上げるまで、少し時間がかかってしまった。


 なんせ、あまりに信じられないような、“ある可能性”が、頭に浮かんで止まなかったので。


 「あ、は、はは……」


 ――そこには、青い風船が空に浮かんでいた。

 不思議と飛び上がっていかず、中空でふわふわと漂う風船は、街に大量に放たれていた。幻想的な風景を前にして、しかし私の口からは、思わず変な笑いが漏れる。


 記憶違いでなければ、その風船――“高位魔法”『アラートバルーン』には、敵正反応が現れた場合に耳障りな音をたてながら、真っ赤に色を変える効果があった。


 ――そこには、毛玉のような尻尾を持つウサギが居た。

 真っ白な体毛がふかふかで、丸みのあるボディーは今にも顔を埋めたくなるほどに魅力的だ。鼻をひくつかせて、張り巡らされた水路に顔を突っ込んだりしている。


 私が知っている限りでは、あれは『ポータルラビット』という魔獣である。番を抱いた者と、任意で位相を交換することが出来るワープ要員だ。


 ――そこには、そこには、そこには!!


 いい匂いのするパン屋さん。結構安い宿屋。雑貨屋も、武器屋も、本屋も!

 どこもかしこも、一目見てわかる異常があった。


 ――まじもんの“魔法”が、当たり前みたいに陳列されていたのだ。


 だが、目新しくはない。なんならレアでもない。私にとってそれはかつて見慣れたもの(・・・・・・・・・)だった。


 殆ど放心状態のままに宿を取った私は、その天井にビザを翳して鼻を啜る。

 なんで? この世界に魔法とかいう要素、あった? ないよね? なんでこんなことになるの?


 大してよくない頭でも、今後起こるとんでもない波乱が、たやすく想像できる。

 緩やかな技術の発展も、一切の心構えも、何もない。妄想ですら考えたことのないような“異質”が、“異常”が――突然にこの世界にやってきたのだ。


 ああ、神様。あなたはもしかして、人間のことを蟻とかそんな感じに見てるんでしょうか? あなたはたぶん、巣に熱湯とか流し込んじゃうタイプのお方なのでしょうね。


 科学一本、いまだに飛行機だって飛ばせないような、この戦争と闘争に満ちた世界に。

 不用意にも、魔法という名の劇薬をぶち込んで、アンタは一体何を望むんだ。


 「なんなの、マジで。どんなクロスオーバーなワケ?」


 なーにが戦争だよ! こんなもん勝てるわけないだろいい加減にしろ!


 有名なゲーム会社のロゴが隅に描かれたビザを床にたたきつけて、私は涙目になって、たちまちに亡命を決意した。


 せめて自社クロスオーバーにしろや!! なんでメーカー違うんだよ!?




 二週間ほど滞在したあと、私は本国へと帰還した。それから、報告書を出して、速攻で叱責を受けたし、五日間自室謹慎させられた。魔法なんぞあるわけなかろう、とのことだった。


 しかしこの謹慎、悪くない。今後の予定と合致していて私はとてもハッピーである。謹慎期間を利用し、私は身辺整理を始めた。

 大量にため込んでいたお土産の箱を全部つぶして、まとめて、あと食べ物をゴミ袋に詰める。酒は『ご自由に』と書いた箱に入れて廊下へ。

 あとは、謹慎が明けたら家族をなんとか説得して、一緒に国を出る。これで完璧である。


 准尉は私が発狂し、心神喪失状態にあると思ったらしく、今度は小手調べなしで、六番隊の成績トップスリーを派遣した。四番目の人間は別の国に潜伏中で、五番目は私だから、かなりの力の入れようが伺えるというものである。


 部屋が空っぽになったのを見渡し、満足げにうなずく。圧倒的立つ鳥跡を濁さず感。

 謹慎は今日で終わりだ。准尉の秘書が私を呼びに来たら、ついでに除隊願いを提出してこんな泥船から逃げ出してやる。


 「……あんな核爆弾みたいなのが来ちゃった世界で、安全な船があるとも思えんがねえ」


 嫌になっちまうぜまったく、とふざけながら黄昏て、ポケットからビザを取り出す。

 こんなのでも、元の世界での思い出の一つになるだろう。ううむ、まさかあの大手企業が、異世界に進出するなんてなあ。たまげたなあ……。


 例の城下町で、衝動的に購入したビー玉は、中にキラキラ光る武骨な石が入っている。一昨年に買った飴玉の瓶と一緒に入れて眺めると、手のひら大の瓶は、飴玉を透過する紫の光で照らされた。


 「きれーだな……」


 これも魔法なのだろうか。ぼんやりとそれを眺めていた私の耳に、ノックの音が響く。


 「シーシャ・トラザーク特技兵、准尉殿がお呼びです」




 久しぶりに会った准尉はやけにやつれていた。さもありなん、魔法なんて信じられないだろうなあ。心中お察しします。私も某大規模ゲームメーカーのロゴ見たときはたまげましたよ。


 「シーシャ・トラザーク特技兵、貴様に任務を与える」


 「恐れながら准尉殿、それよりもまず、こちらを受け取ってください」


 いやなんの任務だよ。こちとら心神喪失状態にある可哀そうな兵士だぞ? オ? などと心の中でメンチを切りつつ、除隊願いを提出する。


 「私にはもはや……兵士としての勤めを果たし、陛下のお役に立てる自信がありません。どうか、お願いします」


 明日には他国に亡命する予定である。巻いてこうぜ! ハリーアップ!


 顔だけは殊勝な私を前にして、なんと准尉は、そのくたびれ果てた顔に笑みを浮かべた。どちらかというと、心神喪失状態にあるのは、准尉のように見えた。


 「……私もだよ、トラザーク。私はこの国の一国民として……恥ずべき人間だ。この紙を受け取る資格を、私はもう持っていない」


 除隊願いを隅から隅まで読んだ准尉は、無言で席を立った。何を言いたいのかがわからず、私は彼の動きを無言で見守る。

 この執務室の隣には、上官をもてなすための客間があった。時には上官も作戦に口を出すから、合理的とも言える立地である。


 が、このタイミングで、彼が客間の扉に手をかける理由がわからない。


 じわじわとした嫌な予感がせりあがってくる。スポンジを潰すように、不安がじゅぷじゅぷと零れる。


 血の、臭いがする。


 「――え?」


 目を見開いて、私は硬直する。そこには、三つの血だまりがあった。


 見間違えもしない、私と同じ軍服を着た、同じ部隊の人間である。顔も肉体も、ほとんど原型を留めていなかったが、ドッグタグがご丁寧に血だまりの前に並べられていた。


 五日前に、例の城下町へ潜入したはずの、第六部隊の精鋭だった。


 「……優秀な兵を、三人も無駄にしてしまった」


 沈鬱な面持ちで、准尉が血だまりの方へと足を進める。私もそれを追って進む。

 なぜ、彼らは死んだのだろうか。たったの五日、たったの……。


 私よりも、よほど人に溶け込むのが上手かった彼らが、なぜ殺されてしまったのか、皆目見当もつかない。魔法とは、かくも恐ろしきものだったのか。ならば、私の生還は、何かの奇跡だったのかもしれない。


 ますます、除隊願いを握りしめる。准尉はそれを見て、苦笑した。

 彼の視線の先には、見覚えのない誰かの後ろ姿があった。血の臭いに混ざって香るのは、薫り高いアッサム。その人物は、濃い緑の軍服を着ていた。


 「今回の失態を以て、私は任を終える。今後は、このお方が第六部隊を指揮することとなった」


 恭しく、准尉は彼の方を示した。私はすぐさま敬礼をし、胸を張った。


 「――やあ。私はコルト・クロイツァー中佐だ。君は、シーシャ・トラザーク特技兵で間違いないかい」


 「っは、そうでございます!」


 「その手に持っているものは、何かな?」


 「っは、先の一件において、私は陛下の兵としての役割を全うするという自信を喪失してしまいました! つきましては、軍部よりの除隊を願う書類でございます!」


 中佐といえば、まさに雲の上の人物。生きている間に会えるやつ、貴族ぐらいじゃね? とか噂の、まさかよ佐官クラスである。


 なんでこんな小隊を佐官が指揮するんだよ! などと戸惑いつつも除隊願いを出す。

 それを一通り読んだ中佐は、柔和な笑みを崩さずに、私の方をゆっくりと見た。


 「シーシャ・トラザーク特技兵、君は、この書類を……いつ用意したのかな?」


 ギ、ギクゥ……!


 この男、鋭い。冷や汗が背を伝っていく。

 何を隠そうこの私。いくら勝ち馬国家だからって、いつプレイヤーが現れるかわかったもんじゃないという理由で、部屋に常に除隊願いを三つストックしていたのである。


 あれを書いたのは多分四年前であるし、なぜわかったのかわからんが、とにもかくにも、正直に言うわけにはいかない。

 まごつきながら、任務を帰還してからすぐに書いた、と言うと、中佐はにこやかに、懐から何やら時計を取り出した。


 「見てごらん。秒針が逆に回り始めたね」


 めっちゃ見覚えあるやつ! めっっちゃ見覚えあるやつうううう!!


 あれ、アレじゃん。マジックアイテムじゃん!! 貿易相手国と会議とかする時に、相手が――嘘ついてるかどうか、画面の右上で教えてくれるやつじゃん!!


 「これは魔道具というらしくてね。時が逆を刻み始めたら、相手が嘘を吐いているらしい。君は今、嘘を吐いたようだね」


 「……そ、れは……っ」


 なんでそんなもの持ってるんだなんで今私に使うんだ!!

 脂汗をかく私を見て、中佐は嘆息して指を鳴らした。


 准尉はそれに従って、私からは陰になって見えない、中佐を挟んで反対側のソファーから、ずた袋を持ってくる。


 それはところどころ血に染まっており、動いていることから、中の何かはまだ生きていることが伺えた。

 戦々恐々としながらそれをじっと見ていると、中佐は微笑んだままに懐中時計を机に置く。


 それから、真っ白な手袋が汚れるのも気にせず、手ずからそのずた袋をほどいていく。


 「こんなことは、本当はしたくないんだよ」


 するり、と紐がほどけていく。


 「だが、君は優秀な兵士で……それでいて残念なことに、愛国心が少々欠けているようだ」


 しゅる、と袋の口が緩く空いた。


 彼の手が、袋の中に突っ込まれる。手探りで何かを掴んだ彼は、私に見やすいように袋の口を傾けた。


 「……任務を、続行して欲しい。私の望みは、それだけだ」


 目が、こちらを見ていた。


 ひとつの眼球が、うつろに。涙すら零さずに、空いた眼窩からダラダラと血を漏らしながら、無感動にこちらを見ている。

 眼球は動かない。ただ、時折瞬くので、まだ彼が――私の弟が生きていることが、辛うじて察せられた。


 頬を、中佐に無遠慮に掴まれて、きっと痛いだろうに。弟は、何も言わない。

 私も、何も言わない。何も、言えない。


 「…………」


 「シーシャ君。君、聞こえているかい」


 指先が不随意に跳ねた。咄嗟に、体に染みついた動きが敬礼をしようとしたが、歯を食いしばって止める。

 まだ九歳の弟が、死体のように私を見る。両親の無事を聞こうとして、私はかすれた声を二、三音吐いた。何度か唇を舐めて、少しだけ、まともな声が出るようになった。


 「父と……母、は」


 「上官の言葉には返事をしなさい、シーシャ君」


 ぴしゃりと言い切られた言葉は、軍学校時代何度も言われたものだった。中佐は、ほんの少しいら立っている様子だった。

 彼は特に、現状に愉悦を感じていない。話を、スピーディーに進めたいと思っているようだ。


 私はそこまでわかっていながら、頷くことが出来ない。頷いたら――頷いて、弟が解放されたら、本当に、終わってしまいそうだった。


 ただ生きているだけで、こんな不幸が起こるなんて、信じたくなかった。

 私のせいで、家族が傷つけられたのだと、認めてしまいそうだった。


 「弟、が……なにか、しました、か……。わたし、が、なにか、粗相を……」


 「シーシャ・トラザーク。聞いているのかい。私は、任務を続行しろと、言っているんだけれど」


 中佐は顔を歪めて、弟の眼窩に指を突っ込んだ。途端、この世のものとは思えない悲鳴が上がる。まだ、軍学校にも入っていない幼い弟に、痛みの耐性なんて、あるはずがない。

 代わってやりたい――目の前が暗くなった。私は前後も左右も関係なく、半ば無意識に、切にそう思って――思ってしまったや否や、獣のように中佐へととびかかった。


 ふうふうと荒い息が聞こえる。自分のものとは思えない呼吸音だ。後頭部に冷たい感触がする。ごつごつしていて痛いが、たぶんこれは銃口だろう。

 准尉は冷静に、私に銃を突き付けている。中佐は、私に胸倉を掴まれながらも、平静を崩さない。


 「最後に、もう一度だけ言おう。シーシャ・トラザーク特技兵」


 ――家族の命が惜しければ、私に従え。


 「……ッ、了解、致しました! 拝命させていただきます!!」


 私が悲鳴のように叫ぶなり、弟は中佐の手から解放された。

 慌てて駆け寄った私を見て、弟は初めて泣いた。すすり泣きながら、私の体に顔を擦り付け、言葉を発さずにただ泣いた。


 それに応えようと、私は弟の体を抱き上げ、冷え切った体を何度も撫でた。私の手もまた冷えていたが、こんなものくらべものにはならない。弟の溌剌とした青い目は、永遠に一つになってしまったのだ。


 ――私の、せいで!


 私は泣きそうになりながら中佐を振り返った。そこには准尉が並び立っており、中佐と何やら話をしている。

 疲弊し、心はいまだにしぼんでいるが、私は言わねばならない。私が生き延びたのは、おそらくただの偶然だろうと。だから、私が死んだあとは、どうか家族のことはもう放っておいてくれ、と。


 そう思い立ち上がった私の目の前で、中佐は准尉の肩をたたき、何かをねぎらっている様子だった。

 准尉は感涙しながら、笑みを浮かべる。


 そして――おもむろに、先ほど私に突き付けていた銃を持ち上げて――。


 パンッ!!


 「……は?」


 弟は、私の腕の中で肩を跳ねさせた。その目をふさいでやれなかったことを私は後悔しながら、目の前で起こった信じられない出来事を、ただ口を開けて見ていることしか出来ない。


 「――この場で起こったことは、誰にも知られてはならない」


 クロイツァーは、死体の横に立ちながら、静かな声で告げた。

 先ほど口の中に銃を突っ込んで、自決した准尉の血肉と脳漿に塗れながら、クロイツァーは私を見ていた。


 「六番隊は、諜報部隊の要だ。戦前において、もっとも重要な役割を果たす」


 「……それが、どうしたと……言うのですか」

 

 「その存在が、明るみに出ることは許されない」


 「そのようなこと……准尉殿も、重々承知であったはずです」


 「彼は失態を犯した」


 クロイツァーは、床の四つに増えた死体を見下ろした。


 「今回の皇国の異変において、君を中心に、第六部隊には帝国の命運を分ける最重要任務に就いてもらうことになる」


 クロイツァーは、至極真摯なまなざしで、私へと告げる。


 「これより、現第六部隊は解体され、第零部隊として再編制される。そして、その存在を知るのは、私と、その隊員のみであるのが望ましい」


 ――は? それって、つまり……。


 「君という存在は、今日を以て部隊ごと葬られる。君が生きているのを知っているのは、准尉殿が死んだ今、私と君だけだ」


 「な……!! 待ってください!! それでは、私の家族はどうなるのですか!? お、弟を、どうなさるおつもりなのですか!?」


 目撃者を殺すというのなら、この子はどうなるのだ。今、ここで話を聞いてしまっている弟は、どうなるのだ。

 もしも殺すというのなら、地の果てまでも逃げてやる。私が死んでも、弟は死なせない。


 ぎろりと睨みつける私を見て、クロイツァーはこともなげに言った。


 「逃げる君を追い詰めるのは、私には不可能だ。だけれど、君の両親を軍法会議にかけることは出来る」


 「なっ……」


 「安心したまえ。彼らは部隊については知らないから、純粋な意味での人質さ。私の望みは先ほども言った通り、任務の遂行だけだ。陛下の民を無闇に殺したりはしたくない」


 その言葉を聞いて、なお私は体を強張らせていた。

 私は強く弟を抱きしめた。両親が無知な人質ならば、きっと彼らは私が死んだ後も、放っておかれるだろう。人質は意味をなくし、ただの市民に戻るだろう。


 だけど、この子は、なんだ?


 私がもしも死んでしまったなら――弟は、どうなる?


 クロイツァーと、所属する隊員のみが知る零番隊の情報を、今ここに居た弟は持っているのだ。

 私が生きている間は、人質としての価値があるだろう。だが、万一私が死んでも、弟が解放されることはない。


 弟は――情報漏洩の可能性のある、ただの危険因子へとなり下がってしまう。


 「――もしも君が家族を大切に思うのならば、生きたまえ」


 クロイツァーは淡々とした口調で、まるでチェスの試合でチェックメイトを告げる時のように、優雅に手を伸ばした。

 その手が掴んだのは、先程卓上に置いた懐中時計だった。


 「どんな凄惨な目に遭おうとも、どんな拷問を受けようとも。君は戻ってくるんだ。必ず――情報を、持ち帰れ」


 「――ッ!!」


 「それが国家の――そして陛下の為となる」


 ぐ、と握った拳を見ても、クロイツァーは何も言わなかった。

 血が滲まんばかりに固めたが、それでも、彼は避けることも、憶することもなかった。あまつさえ、受け入れるように、わざわざ私の方へと体を向け、手を広げさえした。


 何かを誘っているのか。挑発なのか。私の思考はぐつぐつと煮詰まって、拳に力だけが無為にかけられる。

 不意に、おびえたように私に身を預けていた弟が、すっと一度、歯を食いしばる私の顔を見上げて、そろそろと私の手に、その小さな手を重ねた。


 宥めるように、優しく撫でたあと、弟は私にぎゅっと縋った。

 言葉を発さなくなったこの子が何を考えているのか、私は想像すら出来なかった。だが、痛いくらいの思いやりを、その仕草から確かに感じ取ることは出来た。


 ――国家のためとか、陛下のためとかクソ食らえだ。


 クロイツァーが、陛下のためにすべてを犠牲にするような忠心者であるのと同じように、私だってそうだ。

 弟と家族と、私。それだけでいい。


 それだけのために、生き抜いてやる。


 「了解、致しました……ッ!! 必ずや、生きて戻ると、誓いましょう……!」


 クロイツァーはなんの感慨もなく懐中時計を確認し、無言でそれを懐にしまった。


 「よろしい。ではシーシャ君。君の退室を許可しよう」


 私は苦労しながらも手から力を抜いた。そして弟の体を抱えなおし、クロイツァーに背を向ける。

 この子を手当てしてやらなければ。早く、こんな血なまぐさい部屋から、出してやらないと。


 退室の直前、半身になって振り返る。


 「この私のことを、努々お忘れなきよう。貴方のなさったことを、常に噛み締めるのがよろしいかと」


 「もちろんだ。地獄に落ちる覚悟など、とうにできているよ」


 「――地獄? ……勘違いをしているのでは? 私は、ただの一時でさえ隙をお見せしていただければ、必ずや――地獄の業火に焼かれるよりも先に、その喉元に食らいついてご覧に入れます。次の生などあり得ぬほどに。もう、生きるのは、嫌だというほどに」


 その苦痛を味わう覚悟をお願いします。あまりすぐに絶えてしまわれたら、詰まらないので。



☆ どうしてお前が地獄に行けるようなことがあろうか――! いや、ない。(反語)

どっすん丼先生の次回作にご期待ください。


魔法都市の領主が、実は(クロスオーバー先ゲームの)プレイヤーで、忍び込んで様子を伺っていた”私”の前で「うおおおおおおん!! もう無理! いやだー!! 誰か代わって! マージむり!!」とか言い出すのを天井裏から見守る話になる予定だった。


なんだかんだで親交を持った後、精神的に疲弊しすぎた領主プレイヤーが

「何処もかしこも戦争ばっかり。農村焼いたりとかさ、なんか悪いことしたの、その人たち。してないよね。そんなに、魔法が欲しいって?」

「魔法があればどの国だって簡単に滅ぼせるのにさ。ばからしい。……戦争だって、本当はなくせる」

「世界征服、しようよ」「そうしたら戦争なんてなくなる。誰も魔法に逆らえないんだもん」

「全部、私たちの国にしよう」


「……シーシャ、一緒に来てくれる?」

とか闇落ちしだすし、弟を人質に取られてるから領主プレイヤーを裏切ってしまう泥沼。

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