ある部活の顧問になった日
春、卒業や入学シーズン。
そして、会社や学校、学園では、組織変更される。
その余波を食った職員がいる。
「鉄道研究部の顧問がいないからお願いできないか?」
声をかけられたのは、まだこの学園に入ってきてから3年しかたってない、有沢裕子であった。
当然ながら、鉄道の知識なんてない。
「わたしにつとまるのでしょうか?」
有沢は教頭にたずねた。
有沢は、この学校にはいってきるときに、この学園の校風が気に入って入ってきた。
学園というだけあって、他の公立校などとは雰囲気がちがった。
ただ、なんでそんなところに鉄道研究部なんていうオタク部活があるのだろうか。
それはさておき、有沢の問いに教頭はあいまいな答えを言って去ってしまった。
有沢は鉄道研究部の顧問に自動的になってしまった。
四月、始業式も終り、有沢はひとクラスの担任をもった。
そして、数日後、鉄道研究部の最初の活動があった。
教室内には数人しかいなかった。
去年までは有沢は聖歌隊の副顧問をやっていた。
それからみると、鉄道研究部は小さい。
そして、部活が始まった。
まずは、部長があいさつした。
有沢は部長にすら、あっていなかった。
たぶん、部長は職員室にきたのだろうが、始業式から忙しかったからであろう、一度も会うことはなかった。
新入部員は、2人はいてきたようだった。
そして、いきなり、部長が有沢にこんなことを言ってきた。
「先生、毎年恒例なのですが、これから、町の廃線跡を散策するのですが…」
いきなりこのとでびっくりした。
そして、職員室に行って、教頭に外出することを伝えた。
学校の校門に行き、鉄道研究部の部員と合流して、学校の裏の方向に行った。
行く途中部長に、「どこにあるの?」と聞いた。
部長によれば、この赤谷町には、昔、裏にある山を越えて隣町まで鉄道があったという。
鉄道の名前は赤谷鉄道といったそうだ。
道を進んでいくと、傾斜地についた。
一見、ふつうにどこでもある傾斜地である。
でも、そこには一つの登山道みたいなものがあった。
その隣には、場には似合わないほどのレンガで組まれた構造物があった。
「これが、赤谷鉄道の遺構です。」
部長は、新入部員にそういった。
そして、そこにおばあさんが来た。
有沢は部長におばあさんのことについて聞いた。
部長は、「毎年、赤谷線のことについておはなししてもらう方です。」
と答えた。
おばあさんは部員達に赤谷線の話をした。
そして、話が終わると、20分の自由散策時間となった。
しかし、新入部員の二人は、登山道を登ったところで遊んでいた。
有沢は、じっと、登山道の入り口で待っていた。
ふと見ると、新入部員の二人の姿が見えなくなった。
そのとき、大きな怒鳴り声が聞こえた。
有沢が急いで登山道を少しのぼると、一人のおじさんと、あの新入部員の二人がいた。
「ここの木を切るな。」
おじさんはそう怒ると、枝切りののこぎりをもってどこかへと行ってしまった。
どうやら、この二人は、ふざけてそこらへんに落ちていた木の枝を切ってしまったらしい。
そして、二人を下に連れて行って、有沢はそこで部長や他の部員の帰りを待っていた。
数分後、部長たちが戻ってきた。
部長に先ほどのことを話した。
それが終わると、さっさと学校に帰った。
学校に帰ってから、部長だけを残し、あとを帰らせた。
さっきの二人のことについて話すために机を向かい合わせた。
有沢は話し始めた。
「さっきのことなんだけど、もしもこういうことが続くなら、部を解散するよ。私だって、この部活の顧問になりたくて来たわけじゃないの。」
自分の思いをすべて話してしまった。
それを聞いていた部長は、少し間をおいて話した。
「有沢先生には、大変、ご迷惑をかけたと思います。僕は部長として、もっとしっかりするべきでした。この部活があるのは有沢先生のおかげだということを肝に銘じて、部長として責任を持って、やりとげます。」
「いや、そこまで言わなくても…。」
「いや、この部活は、廃部の危機だったんですから…。」
部長の話に一瞬、耳を疑った。
そして、部長は話を続けた。
「この部活の前の顧問は、やっぱり、有沢先生と同じく、鉄道に興味を持っていなかった先生でした。」
「ああ、山科先生だったわね」
「はい、しかし、山科先生は、自分が興味がないからって、部活に積極的じゃなくて、なかなか活動できませんでした。ぼくは、やりたいことがたくさんあったのです…。」
「なるほどね…。」
「それで、ある日、山科先生とけんかして、山科先生は、顧問をおりてしまいました。」
部長の話は続いた。
「それから、僕の苦労が始まりました。この学校には、鉄道に興味を持っている先生が少ないのです。しかも、鉄道に興味を持っている先生方も、他の部活がいそがしくて、とても鉄道研究部の顧問にはなってくれそうにありません。そして、教頭先生にお願いして、有沢先生にお願いしたのです。ですから、やめないでください。」
そう言われた有沢は、困ってしまった。
自分は、鉄道に興味がない。
そして、今回の部活では、山科先生と同じように、あまりにも非協力的だった。
自分は、山科先生と同じことを繰り返してはいけないと思った。
自分は、子供が好きだから教師になった。
できるだけ、子供には怒りたくなかった。
特に、自分が悪いのに、生徒を怒ることはいやだった。
「わかったわ。」
有沢は、このとき、ようやく、鉄道研究部の顧問になったのである。
その後、有沢先生は、数年間、鉄道研究部の顧問を務めたとか…。
微妙なストーリかもしれませんが、感想をお待ちしています。




