北の森攻略⑥:強襲
真夜中の森は昼のそれと比べると、底知れぬ不安を煽る。
鬱蒼としていた森は闇を孕み、蒼黒となる。その暗色と森の得体の知れない蠢きは探索者を心を絡め取るかのように蝕む。だが、今だけは味方だ。
黒い外套を纏い、闇に埋れ駆ける。影すら遺さず溶け込む。
そして見えてくるのは五目岩だ。
松明の明かりがふたつ。良くよく観察をしてみると見えてくるのは四つの小鬼の影だった。
「手筈通りに」
今は使わない荷物を置いて、必要な物を取り出し即座に二手に別れて行動する。
岩の真横から近付き、カイトは小石を投げる。
「ガ...?」
その内の一匹が物音に寄って歩き、岩の影を覗き見た瞬間に、
「ッ——!...」
ゴブリンの纏ったボロ布と皮の装備を引っ張り、そのまま短剣で心臓をぞぶりと一突きする。口を抑え声すら出させない。
「...!?」
それを見ていた二匹が咄嗟に声を上げようとするが、一匹は既に消えていた。【音無】で近付かれ、いつの間にか暗闇に引き摺り込まれて既に殺害されていたからだった。
「シッ!」
「ガッ——...!」
残りの一匹が混乱している所を見逃さず、背後から刺突剣で頭蓋骨の後部に存在する孔へ差し込み、脳味噌を掻き回す。ゴブリンは異種族だが亜人種に位置する為、体の構造は人間と良く似ている。
そしてそれは二秒とかからずゴブリンを絶命させる。
動揺し、怯え逃げ出そうと最後の一匹が足掻くがそれをもう一人が許さない。
「やらせぬぞっ」
「グぶ...ッ」
片手剣を背後から一刺し。胸から剣を生やさせる。
「上手くいったな」
「ここで上手くいかなかッたらこの後なンざ無理な話だと思うぜ」
「それもそうだが」
「総員、ないす」
ゴブリンの纏ったボロ布を使って武器にべっとりと付着した赤黒い血を拭き取ると、死体は使うので一匹分を袋に詰める。次いでに武器も拝借させてもらう。
「見張りが死んだのにバレるのは甘く見積もって数時間だと思う。夜に奇襲をした事が無かったからな、奴等は確実に油断してる」
「うん、これを逃したら次に攻める時には対策される。ぜったいに今回できめる。」
「オ、オウ...?」
「妙にやる気だな、ユウリ」
「一昨日な、めっちゃ美味そう肉料理店見っけてさ。これが終わったら奢るって言ったらこの調子」
「あー、納得したぜ」
「んふっ」
ふんすっ、と胸を張ってここぞとばかりにやる気を出すユウリに「毎回本気出せよ」と心の中で悪態をついたが、この重要な場面で力を尽くしてくれるのなら問題は無い。
「それは我の分も含まれているのか」
「馬鹿言え割り勘だろが」
「器の小さい男め」
「そんな余裕無いんだよ。武器の整備もあるし...って、そんな事考えてる暇無いな」
シュウはニヤニヤしながら俺を見ている気がする。何故だか分からないがイラッとした。
とにかく、今は作戦の方が重要なので意識をそちらに傾ける。
奇襲は電光石火だ。仕掛けられたと相手側が気付いた時には、もう立て直せないような状態に追い込まねばならない。
そう考えて、俺は五目岩を越えて集落方面へ駆け出した。
◆
「集落にいる見張りは全部で十三匹。正面の南、川方面の東を見張ってる。山側の北と西には見張り台あるけど、サボってる。」
「まァ、概ね予想通りだわな」
集落手前に到着し、更に調査。一刻とかかり報告を終える。
分かったことは見張りの数と、手薄になっている部分。そこから予め考えていた作戦をぶつける。
山側に見張り台があるのにも関わらずサボっているのは、ゴブリンの性か。悪戯好きで嫉妬深く残忍。その上快楽に身を委ねたがる、種として下等な生物。
見張りは閨で複数と情事に浸っているのかもな、と俺は今から殺す存在を貶め、嘲る。そうでも言い聞かせないとやってられない、というのもあるが。
図鑑にはボロクソに書いてあったが、例外は存在する。特殊な個体、つまりボブやシャーマンは勤勉らしい。
だが、リーダーがいくら有能だろうと働かない奴は働かない。
「なら作戦βだ。強襲するぞ」
「んン???」
「違うっつーの。...第二作戦だろが」
「むぅ、シュウは理系なのかもしれない」
「いやこれはイキった文系だろユウリ」
「ほう、言うじゃないか」
場を和ませたいのか何なのかはよく分からないが、また少しイラつく。
戦いの前だからだろうか。
少し、昂っている。
冷静を装ってみるがすぐにボロが出る。心音はいつも以上に疾い。
大体、ベータとか理系だの文系だの...
——あ、また思い出せないヤツだ
思考に靄がかかる、気持ちの悪い感覚だ。
知っていて当然、常識である筈と思っていた物事が分からなくなるというのは非常に、気持ちが悪い。不快だ。
勉強して覚えた単語がテスト中ギリギリ出てこないような感覚が続く、と言えばわかり易いかもしれない。
「シュウ、少し静かにしろ。カイト、作戦通りに頼む」
「オウよ、任せとけ」
「悪い、多分一番リスクあると思うけど」
「リスクの無い奴なんていねェよ。全員が全員首に縄括ッてんだ。それに俺が一番適任なだけだろ?」
それはそうだ。適任な事は分かっている。でも、心では分かっているが分からない事だってある。
......いや、分かりたく無いだけかもしれないな。『カタチ』だけでも取り繕いたいんだ、俺は。
「そんじゃ行ってくッから」
◆
暗闇から、奇妙な音が流れる。
夜の見張りなんぞクソ喰らえ、と考えていた小鬼はその異常を何処ぞの獣同士の咀嚼音だと勝手に解釈した。
一部の他の同族は、ある日を境に何故だか真面目だ。自分だけが取り残されているような焦燥感に駆られ、今日は見張りに入ったのだ。
山側の連中は今頃肉の快楽を貪っている頃だろう、そう考えていると。奇怪な音は大きく、大きく膨らんできた。
ずるっ、ずるっ...。
ぐちち、ぐちゃくぢゃ。ずちち
めちめちめきき。
音が近づいてくる。
そう気付いたのはそれから間も無くだった。これは明らかに『異質』だ。
見張りの小屋から顔を出し、確認する。
肉と血と。骨をちぎり折りながら晦冥よりちらちらと金属に松明の光が反射し始め、輪郭が浮かび上がり姿を現す。
夜に彷徨う幽鬼の如き鎧。
...としか形容せざる得ない様相だ。
鉄錆の付いた板金装備には更に血が飛び散り鉄臭くし、それだけではなく皮の下の黄色い脂肪までもがべっとりと血とともに化粧している。時間が経過しているのか、漂う死臭も半端なものでは無い。
片手には血塗れた長剣、もう片方の手には小鬼の太腿までの脚、丸ごと一本。足元には放り投げた首が、頭蓋骨を開けっぴろげに晒している。
頭鎧からは表情を読み取ることが出来ず、ただただ未知と恐怖だけが一帯に蔓延る。
現にその場にいた七匹が動けては居なかった。
「ガ...っ...っ」
その血濡れの幽鬼は瞬きの間に移動し、窓から出た首を切り落とした。
そして雑嚢からある玉を取り出し二つの小屋に投げ入れる。その直後に黒色の煙が小屋の中を満たし、咳や嘔吐の音が聞こえ、沈黙する。
更に棒立ちしていた一匹の首をはねようと間合いを詰めるが、意識が戻ったように反射的に避けられる。
「畜生め、やっぱ最悪の役目かもしんねェわ」
呼吸と動作、そして演出によって可能にする【狂威】。威圧により相手の動作を止めさせる技だ。勿論、格上には通用しない。それがすんでのところで解けた。
だが結果は上々。正面の見張りをほぼ壊滅に追い込んだ。他三人が自分より先に上手い事やっている筈だから、東の小鬼を殺しつつ雄々しき小鬼を討つ。
◆
俺とシュウが襲撃するのは西の山側にある四つの連なったボロ小屋だ。
ユウリはまた別の要所の襲撃を担当する。
「ユウリ、そっちは任せた。シュウ、良いな。」
「分かっている」
「りょー」
そう返事をして、一気に斜面を降る。木の根と落ち葉と砂利を踏み分け体のバランスを取りつつ、直前で跳び小屋の窓から一気に突入する。
「......う」
「分かってはいたが、見たくないものだ...なッ!!!」
淫行による煮詰まったような匂いに思わず噎せる。この小屋は小鬼の苗床だ。
目の前には三匹の雌小鬼に複数の小鬼が盛って腰を振っていた。
無論最初に狙ったのにも理由はある。狩人のヤマジ曰く、「雌は確実に仕留めろ。」との事だ。
小鬼の雌は数が少なく生命力が強い。毒煙では仕留めきれない可能性があるのと、雌を抑えてしまえば繁殖する事も無くなる。
単体で散り散りになった小鬼など雑魚も雑魚、畑仕事をしている農夫ですら退ける事が出来るレベルだ。
俺は毒付きのナイフを投擲し、雌の喉笛に命中させる。シュウは片手剣で所構わず滅多斬り。
この狭い空間では避ける事もままならず何処かしら致命傷を負う。相手は裸で装備を一つも付けていない。一方的に斬りつけ屍を築く。
「ゴふっ...」
「ゲる」
一通り終わり次の小屋へ毒煙玉を投げ入れる。四つの小屋は半分繋がっているため、一個投げ入れればそれで事足りる。
毒煙玉はケイ先輩から入手したシロモノで、盗賊の協会で仕入れられるものらしい。
粘膜に入ると、皮膚は爛れ、目玉は溶ろけ、舌と喉も焼かれて惨たらしい軀と化す。
「ァ゛っ...ァ゛ー!!!」
確かこの小屋は子供部屋でもあったと思う。中からは高い音域の悲痛で苦しそうな声が途切れ途切れに聞こえてくる。
...やめだ、そういう事を考えるのは。
「......」
同情するな。
して何になる。
相手が良心を望む筈が無いのだから。
それは殺す相手に対しての侮辱だ。
生への背徳だ。
迷うな、殺せ。
それが報いるという事だ。
だっけ。先生の教訓は。
脳内で何回も何回も反芻する。いつだってそうだ。自分の心にだって嘘をつく。
別に、悪い事じゃない。
それが強さだと思うから。
俺の無意識は静かに繊細に研ぎ澄まされていく。
「......シュウ、三匹向かって来てる!頼む!」
「準備は任せたぞ!何とか持ち堪えてみせる!!」
シュウは襲撃者に備え、片手剣と大釘付きの円盾を使い、角で待ち構える。
盗賊特製の毒煙玉は高価だ。もう品切れ、なら代用品を使えば良い。
雑嚢から瓶を取り出す。瓶には細い縄が伸びており、中の液体に浸かっている。
これらの成す役目は導火線と瓦斯厘。
つまり『火炎瓶』だ。
燧石を取り出し、打ち付け火花を起こして導火線に着火する。
と、そのタイミングでユウリが駆け付けてくる。
「おわった!後は投げ入れるだけ!」
「分かった!ユウリは通常の小鬼の小屋に投げ込め!余ればホブにぶつけろ!」
「りょー!」
ホブより通常の小鬼を優先するのにも意味がある。
一個体の強さはこちらの人数で分散出来るが、集団・群となると不可能だ。物量で潰される。まともにぶつかれば勝機は無い。ましてや飛び道具まで使う。
よって、ホブは後回し。
これもシュウとカイトが聞いてきたケイ先輩のアドバイスだ。
だが、例外というのは必ず存在する。あの小鬼の呪術師は必ず仕留めねばならない。
俺は着火した火炎瓶を一本掴み、奴がいる祠へ走り出す。三十メートルも無い。
祭壇の手前で大きく振りかぶり、投擲。火炎瓶は美しい放物線を描き、『壁』を超え、祠の中で視線的にけたたましく燃え上がる。
燃え揺らぐ炎中には影がもがいている。命中だ。
「良し、やった、よっしゃ!」
炎が燃え広がる事は無い。ユウリが【光の加護】の壁で覆ったからだ。
燃え死ななくとも、酸欠でやられる筈だ。
そう確信し、振り返ると集落は真っ赤に燃えていた。幾つもの火炎瓶が炸裂し、火だるまになった小鬼が断末魔を上げながら小屋から飛び出し踠き死んでいく。
「ギャ゛アアア゛!!っ!!っ...ッ!!!」
「ォ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛——ッッッッッ!!!!!!!!」
その中で、ようやく目を覚ました雄々しき小鬼が小屋を破壊しながら出てくる。
二匹だ。二匹しかいない。恐らく川方面の見張りに駆り出されているのかもしれない。
「カイトぉ!!一匹頼む!!!」
「無茶言うなァ!!勿論殺るに決まってんだろ!!!!!」
カイトは既に対峙している。
相手の武器は石造りの巨大な両刃斧。
冬でも無いのに、ホブは口から白い吐息を荒々に吐いている。
「ユウリ!状況を見て俺とシュウかカイトに加勢しろ!!」
「分かってる!!」
シュウの所へ駆け出す。道中、小鬼の斬死体がいくつか転がっていたので安心する。
「シュウ!!」
「ヒロキ...チェンジだチェンジ。我とて休息させろ」
駆け付けると、そこには腕と頭から血を流してるシュウがいた。目の前にはホブゴブリンだ。
危ねぇ、ギリギリだったか。
「...三十秒で復帰しろ。【回復】はあるよな」
「あ、ああ。」
「暗殺者が正面から戦士を受けるってのも...先生はなんて言うかな。」
ホブゴブリンはゆっくりと大木のような棍棒を振り翳す。当たれば即死、中途半端でも重傷、追撃で即死。
「...こ、来いよ」
「ゴォ゛ォ゛オ゛オ゛オ゛——ッッッッッ!!!!!!!!」
恐え。
小便チビったかもしれない。
でも、ここが——
——踏ん張りどころだ...!!!
俺はホブゴブリンに挑む。
来週に更新する予定です。