前夜
おそく、なった
「んぁ?奇襲ゥ?」
少し酒の入ってしまっている盗賊のケイ先輩は、既に頬をほんのりと蒸気させている。
シュウは先輩という事もあって、いつもの口調を丁寧語に変えている。カイトは後輩口調だ。
「そうッス。ざっと百匹のゴブリンの寝込みを襲うつもりなんスけど」
「ハンっ、んな事自分で調べろ大マヌケ!...って言いたいとこだがよ、人に相談するだけ見込みはあるぜぇ。見込みだけはな。大抵の馬鹿は見栄張って突っ込んでコロっと逝っちまうもんだ。...俺らの世代っつーか同期はポンポン死んでいったからなぁ、今は手で数えられる位にしか残ってねぇ」
ケイは気分を良くしたように麦酒を役者のように煽る。その度に燻んだ青髪が揺れる。
豪快に体を反りながら呑んでいるため、ジョッキは殆ど垂直だ。喉仏がギョロギョロと目玉の様に動き、最後の一滴も余さず呑み終えてジョッキをドンッ!とテーブルに叩き置く。
「...ゲフッ。良いぜ、教えてやる。だがタダで教えてやるつもりは無ぇ。親しき仲にもなんとやら、勇士としての義理を示せや。」
ケイ先輩はだらし無いように見えて、肝心な所は押さえている。だからこそやり手の盗賊として勇士内でも一目置かれている。五年先輩の彼は既にこの若さでベテランに相当する『三等星』に位置する程だ。
「い.......いくらッスか」
「そうだな......酒だ。」
「え?」
「今日の分の酒奢って」
「え?」
「お願い♡」
と、カイトとシュウは思っていたのだが前言撤回。只の呑んだくれだった。
「ヤマジィーーー!!お前もこっち来い!」
「おまっ、飲み始めてまだ三十分も経ってないだろが!どんだけ酔ってんだバカ!今日こそは女の子の一人や二人お持ち帰るって息巻いてたのは誰だよバカ!...ったくマリに顔向け出来ねーわ」
「バカバカうるせぇバカ!!てめぇもなぁ、狩人ならコイツらに奇襲を伝授してやれや!...へっへっへ。よォし、次飲む時はお前らン所の女子を紹介しろよ?ユウリちゃん」
「絶対に駄目です。...大丈夫なのか?」
「あー、どうだろうな?」
何はともあれ、誰も経験した事の無い職業の話を聞ける事にはありつく事に成功する。
盗賊に狩人、その職業は名前通り真っ向勝負をしない。捻くれた、斜め上を行く意表を突くような戦いをする。戦士との戦いに比べると真逆も真逆。戦士は『勝負をして勝つ』というのならば、『勝負をする前に勝つ』というのがそういった職業だ。
良く言えば頭脳、技巧派。
悪く言えば狡賢い卑怯者。
「でもよ、信頼はしてンだろ?」
「...それもそうだな。」
二人はその職業についてどう思っているかというと前者だ。
ヒロキが暗殺者というのもあるが、この『トラリキア』で真っ直ぐに、正直に生きるというのは不可能に近い。弱きを助け強きを挫く、そんな綺麗事が罷り通る程甘くは無い。
何故なら、弱いから。
だからこそ。弱いからこそ強く在ろうと努力し工夫し、強かに生きる。その姿勢を誰が責めようか。それは、現在進行形で困難に直面している二人にとって尊敬に値した。
「なんだよお前ら?コイツはともかく俺は信頼してくれよ。お前らの事は兄弟みたいなモンだからな、酒は一杯分だけで良い。...で、ちょっとは聞いていたんだが小鬼百匹だと?正気か?」
ヤマジがそう聞くのは無理も無い話だ。新人がゴブリン百匹に挑むというのはそれだけ無謀に聞こえるだろう。
いくら最下級クラスの危険度とはいえ、そこそこの技量を持っていたとしても物量で嬲り殺される。
肩を撃ち抜かれ、腕や脚をもがれ。終いには目玉を食われて脳を潰され、全ては見るも無惨な軀と化すだろう。
それを打開する為に話を聞きに来たのだが。
「...正気ッス。結構大規模に膨らんでいるっぽくて集落も形成されてるっスね。そろそろ周辺の村やこの街に被害が出るかもしれないと」
「マジかよ...そりゃ近々討伐隊が組まれるかもしれないな。確かにそいつはヤバいが......お前らが狩場にしてるとこってアレだよな。『寄らずの森』だよな」
初めて聞く単語に二人は驚く。北の森にそんな名前が付いていたとは思いにもよらなかったからだ。
故意か無知か、あのオカマ職員ですら一言も話はしていない。
「『寄らずの森』、そんな風に呼ばれているんですか?初耳ですよ」
「あー...、俺も詳しくは知らないんだけどな、古参の連中が一切近付かないし喋りもしないんだ。不気味がって俺も他の奴らも近付きやしない。だから『寄らずの森』なんだ」
商人のケイタの話していた理由とほぼ同様の内容をヤマジは話す。中堅所の勇士が手を出さない理由はそこにあった。
「マジすか...見た所別に変哲の無い森だと思うんスけど」
「そうなのか?そうならそれに越した事は無いんだが」
「いーや俺は何かしらあると思うぜヤマジ?あの気の良い耄碌ジジイ共が全員顔を顰めっ面するんだ。まぁ、何かしらあるんじゃねーの」
「じゃあなんで勇士支部のオカマ職員、あそこ勧めたんですかね?」
「そうなんスよ。」
「オカマ...レイラの事か。アイツが勧めたのか?ったく何考えてんのか分かんねぇ野郎だ。やべっ、野郎って言ったら殺される」
「レイラちゃんか。多分寄らずの森の事は承知してる筈なんだけどなぁ、もしかしたら何か知ってる上で勧めてる可能性もあるしれないな」
「レ、レイラって言うんスかあの人...」
「うぷ」
二人は思わず顔を見合わせて、レイラという名前と顔を一致させる。全く噛み合わず一瞬混乱するがオカマだからそうなのだろうと無言で通じあった。
シュウは少し吐き気を催したが。
「わぁ、面白そうな話をしているのね。ふふっ」
「あ?...なんだよチヒロかよ」
「お、チーちゃんなんか用か?」
と、喋っていると新たな客が話に割り込んで来る。ケイ先輩のパーティに在籍している魔法使いのチヒロだ。
「あれ?二人だけなのかしら、ヒロ君とユウリちゃんは?」
「ども、チヒロさん。二人は図書館で奇襲やら戦術やら調べに行ってるところなんですよ」
チヒロはそう言いながら席へ柔らかに座る。紫黒色のドレスじみた格好は、胸の上部分が大きくはだけていて何とも艶かしい。
その動作の一つ一つが妖艶で、男の目線が絶えることは無い。現に座った瞬間に胸がふよん、と擬音がついたかのような錯覚すら覚えて、二人はスッと顔を逸らす。
図らずとも赤面してしまうからだ。
「そうなのシュウ君?それは残念。ふーん...あ、もしかしてデートかしら!」
「はは、いやどうっスかね」
「いや、そりゃねーだろチヒロ。臆病者と不思議ちゃんコンビでそんな雰囲気になるとは思えねーなぁ。くはははっ」
「黙りなさい、呑んだくれのたらし。そんなんだから女の子の一人も囲えないのよ」
「...チッ、うっせーよ年増が」
「あ?」
「美人っつったんだよ色ボケ」
ケイ先輩は半ば投げやりになって引いた言葉を掛けたと思えば、ボールを星球にして言葉を返す。
「はぁ...呆れた。減らず口はいつになっても治らないのね、あの頃から」
「おい、そろそろ止めとけ。.........キャッチボールはボールでしろって話だ全く。」
「え、と。大丈夫なんですか?」
「いつものこった気にすんな」
そこにヤマジ先輩が割り込みその場を諌める。二人にとっては日常茶飯事な会話らしいが、傍から見ると痴話喧嘩にしか見えない。ヤマジ先輩は仲裁役らしい。
「でだ、話を戻すぞ。お前らがどうやって奇襲をするか、だ。出来れば俺達も参加してやりたい。...でも立場上、協会のしきたり化している事柄に介入する度胸は俺には無い。パーティの予定もあるし我儘は言えない。お前ら次第だ」
「そだそだ。余計な事を考えてっと出来る綱渡りも出来なくなる。」
「どの口が言ってんのよ」
「うっせ」
ケイ先輩は麦酒を一煽りしてから引き締まった顔で正面を見据え、不敵な笑みを見せる。
「ゴブリン百匹か...正直に言っておくが、下手しなくても死ぬぜ。平地での正面衝突だったらな。ただ奇襲、ってんなら勝機は十分にある」
「そうだな、ケイの言う通りだ。地形と周辺環境、集落の配置さえ分かればこっちのモンだ。大半は無傷で潰せる」
二人は自信に満ちた目で語らう。
「じゃ、ちっとまぁ酒の肴にでもしながら相談してやろうじゃねーの」
◆
「長話しちゃったなー、シュンヤには悪い事したな」
「そうだね。それよりもお腹空いた」
「ちょ唐突だな。でもさ、ちょっとは気にならない?ユウリ帰り際睨まれてた気がしたんだけど」
「そうなの?気にしてなかった。シュンヤにはあんまり興味無いから」
「...そか」
少し、寒い風が首元を撫でた気がした。
ユウリは他人への興味が極端に思える。未だに、というかまだ三週間程しか生活していないが、『ユウリ』という女の子を掴みきれていない感覚が俺にはある。シュウやカイトも深い所までは分かっている訳じゃないが、ある程度は分かる。
ユウリは、自由奔放で口数が少なくて、食べる事が好き。他人をあんまり見ていない感じ。興味が無くなればパーティから居なくなってしまうんじゃないか。そんな危うさがある。...ような気がする。
少なくとも俺は。
そんな気がしたから、つい聞いてしまう。
「ユウリ...はさ、なんでパーティに入ろうと思ったの?」
「私は...入っちゃダメだった?」
「いや違う違う!そうじゃなくて、見ず知らずの俺に付いてきてくれたのかなって」
——ああもう、質問ヘタクソか俺は。
「ヒロキから見て、私も知らない人だと思う」
「そ...だね」
「うん」
「ごめん変な事聞いて」
「うん」
「......」
変な掛け合いが続く。ユウリの「うん」は抑揚が少なくてあまり感情が読み取れない。それでも次に喋ってくれたのは向こうからだった。
「別に、深い意味があったわけじゃないけど、安心する...からかな」
「安...心か。」
それもそうだ。考えてみれば簡単な話かもしれない。目が覚めたら見知らぬ世界に空虚な記憶。
ひとりぼっちで心許ない状態で、同じ様な境遇の連中とパーティを組む。独りで居るよりは何倍も安心出来るだろう。
「うん。それとなんかね、あったかい感じがしたから」
あったかい、ね。
あったかいかぁ。今の俺はどうなんだろう。少なくとも、三週間前と比べると大分変わったと思う。
判断力は上がったし、罪の意識は薄れ始めている感覚がある。どちらかと言えば冷たいんじゃなかろうか。
「それは今も?」
「うん!」
「そか」
——ますます、分からない。
でもまあ、『そのままでも良いんじゃないかな』とも、俺は思った。
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先輩勇士との五人での相談を終えて、二人はお暇をしようと立ち上がる。先輩三人組はもう既にベロンベロンに酔っていて、他のパーティメンバーに背負われていた。
その中で一番酔いの激しいと思われたケイ先輩が言葉をかけてきた。
「シュウ、カイト」
「はい」
「なんスか?ケイ先輩」
「次は俺が奢るから」
「......」
「うぷっ、おっ、おええぇえ!!」
ケイはそう叫ぶと、背負ってくれていた僧侶のレグルスの頭に吐瀉物をぶっかける。仏頂面の彼は静かに怒っていたが何も言わなかった。
それは、ケイの言いたい事は分かっていたからだった。
最初、何が言いたかったのか分からなかった二人だが、ようやくその言葉の意味を汲み取る。
「絶対に奢らせます」
「四人分ッスよ」
二人は笑顔でそう言うと、店を後にした。
最高の先輩だな、と思いながら。
◆
暗い夜。いつものように街から離れれば離れる程に晦冥が広がる。
草原は夜風と共に音を立て、凪ぐ。
その音に紛れて俺達は駆ける。
準備はした。
覚悟もした。
後はやるだけだ。
俺はリーダーとしての号令を掛ける。
「行くぞ」
その一言で決まった。
一週間後に更新予定です