感情と群青の
二週間近く更新せずにすみません。
その青年は図書館でひたすらに本を漁っていた。
知識を貪欲に掻き集める為に。
何かに駆り立てられるかのように本を漁っていた。
隣の椅子も机も占領して本を積み上げている。本来ならば注意されるであろうその行為を誰も咎めないのは、その青年が放つ異常な焦燥と野心に満ちた目のせいなのだろう——
◆
——.........クソムカつく。
この言葉が延々と僕の頭の中のグルグル掻き乱す。その度に手の届かない脳髄を掻きむしりたくなる衝動に襲われる。
教会以来あの酒場でアイツの顔を一週間ぶりに見た。周りの事を気にしてないと言わんばかりのマイペースぶり。あっちの落ちこぼれチームの馬鹿そうで威厳の欠片もないリーダーも困惑していた。
僕はあの時ずっと睨みつけていたってのに、一言も話しかけてもくれなかった。一瞥もくれやしなかった。
眼中に無い。
そう言われているようで、アイツは僕の自尊心を更に抉った。
苛立ちは僕を惨めにさせた。体の内側が煉獄にでもなったかのように、はち切れんばかりの熱を帯びている。その粘質で穢らしい渾沌とした感情の熱が今にも噴き出しそうになる。
そう言えば、ユウジと協会で一緒だった戦士の......誰だっけ?
まあ誰かはどうでもいいけど、ソイツは劣等感に苛まれて店を出てった。正直気持ちが良かった。
クソ愉快で、思わず口を隠した。
あの時、手の奥では自分でも信じられないほどに口角が歪んでいた事だろう。
しかし心の底からは嗤えなかった。
何故か。
アイツだ。全部アイツのせいだ。アイツは僕の一歩先を行く。
【奇跡】を習得した早さも。
未だに出来ない【奇跡】の重ね掛けも。
応用力も。
魔力量でさえも。
なにもかも。
高位の神官サマは僕に見向きもしなかった。アイツを褒めて褒めて褒めるばかりで結局最後に見てくれたのは神官の最終試験だけだった。
腑が煮えくり返る程の屈辱だ。
——僕は勝ち組の筈だ。
そう何度も僕は必死に僕に言い聞かせる。
勇士入りしてから一週間でオークを鏖殺し、将来の英雄足り得るかもしれないパーティに居る勝ち組なのだと。
だけど、そう思う度に不安駆られる。
自分はこのパーティに相応しい実力を持っているのか。
アイツと僕との実力の差を見たらユウジはどう思うのか。
もしかしたらパーティから戦力外扱いされてしまうんじゃないか。
そんな不安が僕の周りを鎌首もたげて、今か今かと首を舐め回すようにじっとりとした視線を送っている。
まるで死神だ。
だから、完膚無きまでに見下してやる。
その矜恃をズタズタに引き裂いてやる。
自分が少しばかり歪んでいるのは認めよう。.........だが。
そうすれば、僕の存在を、力を、威を、証明出来るのだから。
そして僕がお前を超えた時——
——僕を、恐れ、戦け
「ユウリぃ......」
シュンヤは低く、低く。呻くようにその怨嗟を零した。
◆
「むぅ......?」
「ん?どうしたんだ?」
勇士団・青光の街支部、西棟図書館の二階。ここは主に戦争の資料や戦術、その記録を本へと大量に残してある。この世界の戦いの歴史だ。
因みに一階は、動植物、魔物の生態、異種族の図鑑やら神話などの冒険譚が殆どだ。
階段を登りきり、本を漁り始めていた所だった。
「なんか呼ばれた気がした」
「ふーん。知り合い?」
「むぅ、かもしれない。多分、これは聴いたことある音だったと思う」
「えぇ...声じゃなくて音って判断するの?」
「だめ?」
「だめじゃないけどちょっと...」
「そうかな」
「そうだと思うよ」
「わかった」
「うん...」
少し、緊張が解れる。
いつもは緊張なんてしないのに、何故だか胸の下がモヤモヤと焦れったい熱に侵されているみたいで落ち着かない。
じくじくと体の芯で熱が蠢いて擽ったくて。
なんだか、抵牾かしい。
喉は渇くし、顔は赤くなって腫れているような気がする。腫れているせいで顔が必然的に無表情になってしまう。
別に恋愛感情とかでは無いけど、可愛い女の子と二人きりという状況がこれ程までに精神的に負担をかけるとは思わなかった。
多分、あれだ。
『シシュンキ』とか、『セイシュン』ってヤツだ。
その言葉の響きはなんだか懐かしくて、何とも言えない甘酸っぱいものがあったけど、酔った先輩が下品が過ぎる言葉と共に併用してた為台無しになった。
所謂、多感な時期。なのだろう。つい男女の関係に敏感になってしまうアレなんだ。
今まで生きてきた記憶は無いというのに、何故だかそういった行為は知識として頭に刻まれている。少し想像してまた顔に熱が溜まるのを感じる。
別に、今までユウリをそういう目で見てた訳じゃない。断じて。
今まで一緒に生活をしてきて思ったのは、ユウリはほっとけない、って事だ。
見た目よりも言動が幼い気もするし、すぐに騙されてしまいそうな雰囲気がある。なんというか...ほわほわしてる。
これは...娘を案ずる父親の気持ち、というヤツなのかもしれない。
俺はこの顔の火照りの理由を脳内で解析して冷めさせようとする。
その、なんか。恥ずかしいから。
「はぁ...」
少なくともそんな事を意識しているのは俺だけだろう。隣のユウリを横目で見てそう感じる。余計恥ずかしい気持ちになった。
俺は溜息をついて、別の棚の本を引き抜く。
と、棚越しに男と目が合った。
「わっ」
普通目が合っただけで声なんか出ない。それだけ剣呑な目をこちらに向けていたからだ。
でも理由はそれだけじゃない、顔見知りだったからでもある。
それに気まずさも相俟って声が出た。
確か...酒場で見掛けた...
「こ、こんにちは...」
「ああ、こんにちは」
先程の様子は何処吹く風か、と言いたくなるような爽やかな返し。
まるで別人のような態度だ。見間違いでもしたのだろうか。
「やあ、...ユウリじゃないか。酒場で見掛けたよ。相変わらずって感じだね」
「え........................................................................あ、シュンヤ」
「あはは、二週間一緒に神官の訓練受けてたってのにもう僕忘れかけられてたのか......マジか...」
爽やかで気持ちの良い整った顔の青年は、いつも通りのユウリにガックリとした反応を見せながら微妙な笑みを浮かべている。
ちょっと悲しそうで、諦めの入ったような笑いだ。
「えとー、ユウジのパーティにいた」
「神官のシュンヤだ。ごめん、同期とは言っても全員の名前を憶えてる訳じゃ無いから君の名前も頼むよ」
「一応パーティリーダーしてる暗殺者のヒロキ...です」
「同期なんだ、もっと砕けていいよ。そっちの方がお互いやりやすいだろう」
「え、あっハイ。っじゃなくてうん。」
「くくく、緊張し過ぎだよ」
口元に手を当て、堪えるように笑うシュンヤ。
ほっとけ、慣れてないんだよ。
「凄い本の量で...だな。何かの調べ物?」
「そうだね、調べ物。秘密だけど。で、君達は...デートだったりするの?」
「デっ......!?」
いきなりの言葉に思考が混乱する。
デート。デート!?そんな訳...いや、この年頃の男女が二人で出掛けてる時点で確かにデートに見えるかもしれない。もしかしたらそうかもしれない。いや、これは最早デートなんじゃね——
自分でも良く分からない言い訳を一瞬で考えつく。
「いやぁ...どう、でしょうねぇ...?ははは」
ユウリを横目でチラチラ確認しながら言葉を返す。ちょっと期待してしまうのは男の性だから仕様がない...と思う。
「違う」
キッパリ一刀両断。...まぁ、何となく分かってはいたけども。
でもほんのちょっとは期待してた自分もいた訳で。
ちょっと悲しい。ちょっとね。
「...そっかー。じゃ、何用なのさ」
「...何しに来たんだっけ?」
「なんで忘れてんの!?」
やっぱりどっか抜けてんなぁ。
「まぁ、僕も余計な詮索はしないよ」
「え...あ、うん。ありがとう」
詮索してくれても良かったのに...乗ってくれるとは思えないが。
「ところでさ、君等のパーティって小鬼狩ってるんだろ?ゴブリンってどんな感じなんだ?実物見た事無くてさぁ...なんて言うか実感湧かないんだよね。オークの時もそうだったんだけど」
驚いた。
俺達のパーティなんて気にも留めてないと思っていた事と、ゴブリンやオーク、異種族に対する認識の不一致。
チグハグとした心の違和感は他の出現者も感じている、少なくともシュンヤは。その事に親近感が湧く。
「やっぱりそうだよな!実感湧かないよな!!俺も教えるからオークの事も教えて貰っていい!?」
「えっ、う、うん...?」
◆
カイトとシュウの二人は街の外れを歩いていた。
今は昼前、何故このような微妙な時間帯に暇を持て余すような事をしているのかというと、酒場には誰も居なかった為だ。
朝に酒場に居るような勇士は大体酔い潰れているのが殆どで、録に話が聞けなかった。
詰まるところ聞き込みは夕方でないと出来ない訳で、愚策だった。
カイトとシュウ、ユウリとヒロキの四人パーティは今まで休みを取らずにゴブリンを狩り続けている。
それだけ狩らないと黒字にならない位にゴブリンはすこぶる効率が悪い。
その為、総じて街の地理に疎い。知っている場所と言えば指の本数で数えられる位には疎い。
勇士団の支部に、兵舎。鍛冶屋の密集してる区域に、個人の職業の教会。それに酒場だ。
とても少ない。
だからこそこの機会を使って散策をしていた。
「なァ、シュウ」
「なんだ?」
「お前って【盾打】と【回復】以外にも引き出しあるンだろ?なんで使わねェんだ?」
カイトがそう聞いたのはシュウの動きが只々、単調な気がしたからだ。
単調とは言っても、基本に忠実で、対処方法の教科書通りという意味での単調だ。別に悪い意味では無い。無駄を少なくしようと徹底していて、無機質。
『個性が無い』戦いだ。
斬り掛かる際に自分で考えた痛々しい技名を叫ぶ以外、シュウにこれといった欠点は少なかった。
だが、その戦い方は余裕が散見するのだ。
「...切り札、と言えば多少は格好良く聞こえるかもしれないがな。使うべき時が来ないだけだ。それにリスクが大きい。貴様も【剛体】を使っていないではないか」
シュウの尊大に見える様で、似非が滲み出ている痛々しい口調にも慣れたようにカイトは返す。
「ハッ、もっとマシな冗談は言えねェのか。ゴブリン相手に【剛体】なんざ馬鹿のする事だぜ?技の相性が悪過ぎる」
見合った技を見合った敵に繰り出す。それ以外はどんなに工夫しても悪手な事には変わりない。
「それと同じなのだ。」
「...ってー事は『死者還し』系統と見た。どうだ?」
「...秘密だ。輪廻転生の理はユウリの方が詳しいだろうな。不死者は人類の枠から見れば輪廻を妨げる錆にしかならん呪いの塊だ。無論我も心得てはいるがユウリの方が上だな。神官ならば【解呪】という奇跡には詳しい筈だ」
「半分当たッてはいたワケだな。...にしてもよォ、不死者か。勇士で言えば『黒星』に位置してそうな連中だな」
勇士の中で犯罪行為に手を染めている者は『黒星』呼称されている。所謂ブラックリストだ。不死者は人類から見れば『黒星』そのものだった。だからカイトはそう称した。
「そうだな......そういった憐れな魂を救うのが、我の様な聖職者なのだろう」
二人は棚田のようになっている街をぐるりと回るのを避け、街中を真っ直ぐ進んでようやく頂上へ辿り着く。
振り返れば、街を一望出来る広場へと出ていた。
「うォっ...すっげェな」
「本当だ。これは凄いな」
二人の目に映ったのは、人々の映る生きた街並み、行商人やパンを持ち駆けていく街娘。無邪気な子供達の声。
勇士団の物見櫓もここと比べると低い。
そして街よりも先の景色には、光に照らされ金のように眩く光る草木だった。
心地良い風が吹き、二人の顔を涼やかに撫でる。その度に瞬きをしてしまう。それを勿体無いと何とか開けてやろうと目を酷使している。
「カイト、裏側も見に行かないか」
「そうだな、街の裏側は見た事が無ェ」
後ろを振り向くと、影に濡れた小路のような階段を見つけた。前の大通りとは大違いだ。
二人は一列になってその小路を歩いて行く。影の所為によるものか、少し肌寒くて身震いをする。辺りは先程とは全くの真逆で、怖いぐらいに閑静だ。自分の足音がコツリコツリと聞こえる。冷たい雰囲気がひたすらに漂っている。
そして、その小路にもゴールが訪れる。
視界が、開ける。
「こりゃア......墓場か?」
「恐らく...そうだろう」
一面の草原には、等間隔に白い石が機械的に幾つも幾つも並べられていた。何百、いや何千と。
その奥には時計塔のようなデザインの白くて大きな建物が建てられていた。煙突が付いており、頼りない煙が風に飛ばされ雲散霧消し爽やかな穹へと溶け込んでいく。
夥しい程の勇士や人々の生きた欠片。残骸。その証がこの草原に現れていた。
二人は言葉を交わすことも無く、建物へと歩き出す。
すると向こうの建物から男が現れる。目は泣き腫らしていて、足取りは重い。手には白い箱。大事そうに抱えている。よろよろとしていて、終いには道に倒れ啜り泣く。
「うっ...うぅぅ...!」
「大丈夫...か?」
居た堪れなくなったシュウは声を掛ける。カイトは気まずくなって腕を組み、虚空を見つめている。
「なわけ...あるかよ...」
「そうか、すまない。...その箱は?」
「.........遺骨だ...彼女の...なぁ、アンタ信じられるか?これが人間だったんだ...ついこの前まで話もしたしセックスもしてたんだ...なのに...なのに...こんなにも小さくなってる」
「...っ」
男は独白するかのように語る。その悲しみと理不尽を。
火葬した骨を集め、箱に詰める。
そして人間は気付く。命の儚さを。居なくなった人間は還らないのだと。
余りにも小さくなった彼女をシュウは見つめる。
「祈りを......祈らせてくれないか 我は...聖騎士なんだ」
「...............あぁ」
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墓の前で跪き、聖句を述べた。
命が還るようにと。悪いものに魅入られる事無く、輪廻へと。いつかきっとまた巡り会うようにと。
去り際、男は「ありがとう。」そう言って涙を堪えて無理に笑った。
「シュウ、俺等もいつかああなんのか?」
「それは、まぁ人間だからな。仕方の無い事だとは...思う。」
「俺達が思ってるよりもよォ、この世界って厳しいな」
いつか死ぬ。いずれ死ぬ。
今でなくとも、命あるものは死ぬ。その事から目を背けていた事に気付いた。だからシュウは負け惜しみのように言い放つ。
「...だからこそ、今を精一杯生き抜いてやろうじゃないか。」
「あァ」
最後の相槌は、風に溶けるように、消えた。