…同情心を擽られ――ないよ?
なんでだろ?
エッセーランキングを見て、まあ、上位にいらっしゃるので読んでみたんです。……で、寝かせたんです。で、また読んで、慰めばかりの感想欄を覗いて寝かせて、またまた読んで寝かせて、今日改めて本文と感想欄を見て、
どこに同情する箇所があるんだろう??
と首をひねる。
ワナビ心を揺さぶる詐欺にあったという話だが、何度読んでみたところでよく見かける『同じ穴の貉』発言くらいにしか思わない。読者(ほぼ作者で読者の方)は、どうやって同情心を捻り出して来たのかと引くほどの思いになるのである。
だって――
エッセー作者もまたその詐欺行為した人間と同等なことをしているじゃない。
その方の堂々たる告白文かもしれないが、それは他の作者へ向けた『ワナビを襲う詐欺がある』という注意喚起の元、自分自身がそれにまんまとはまり、大して面白くもない作品に賛辞を贈ってしまった……という反省文であるならいざ知らず、「詐欺師を信じて“嘘のレビュー”をしてしまった、あいつのせいで今――騙されてとても辛い…」と書いてある。
……私には、何が言いたいのかわからない作品だった。もしかしたら言葉足らずの文章なのかもしれない。けれども、読了後は『あいつのせいで〜』しか感じられない。
作者は、“そんな読者で作者”でしかない。
ほんとに書籍化したいのに!とか、ワナビの夢を弄びやがって!とか、本気はあるが誠実さはないんだろう。魔が差した――なんてこともない、それすらわかっていないんじゃないだろうかと思ってしまう。
編集者に紹介されないんだと騙されて悔しいのか、
疑問ばかりの相手の作品についつい甘い言葉に誘われて嘘の感想を書いてしまったことが悔やまれるのか、
どう読んでも私には前者にしか見えなかった。だから、同情すら生まれなかったし、慰めの感想を書いている読者の気持ちがわからない。
どうか他の人は詐欺に引っ掛からないようにと心配しているが、その心配もまたどちらなのか……と大いにひねくれ者の感情だけは擽ってくる作品でした。
もっと言えば、その方に“良い”感想を送れば、“良い”もの…いやいやそれ以上のヨイショが送り返される。
ふと、以前にランキングに載っていた“レビューは作者同士の馴れ合いの場だ”風のエッセーを思い出した。
感想しかりレビューしかり、結局そうやっておべっかで作り上げられているランキングなんだと、そういう一部がいるんだと、ただ明らかになっただけの話だ。
やっぱり、馴れ合い評価が積み重なってんのかな…
このエッセー作者さんだけの話だけれども、どこかで作者同士は“健全だ”と信じていたんだが、評価なんてクソも同然――
はて?自分が評価する意味があるのかないのか。
嘘をつかれた心の傷の責任の擦り付けするのが作者の役目か?アホな誘いに乗らず、否、アホな誘いがあるなし依然に“正しい言葉”を書くことが大事ではなかろうか。
評価の正当性を失わせているのは、作者で読者なユーザーがほとんどなのかもしれない。
まずは作者が作者へ『本当のことを言える関係性』にすれば、受け継がれ続けている「毒者がいじめるわ(泣」なんてエッセーもなくなるだろう…かも。作者同士で質の高い感想し合えばいいんだよ、感想欄とはそういう場なんだって雰囲気を放てばいいと思う。
ま、そうしたら読み専が書き辛くなるかもしれんが、「一言感想はやめてよ!」って嘆く作者にはいいだろうし、もしかしたら長文を書いてくれるかもしれない。……が、「読者うぜーw」なんて作者もいるから、なんにも変わらないかも……
ただ、相互のあま〜いあま〜いクズ誘いに引っ掛かる作者がいなくなるかもしれない。「私達は真面目にやっているんだ!」という自負心が嘘を見破ってくれるはずだ。
そう信じたい。
同じ作者として、どちらに対しても『嘘を書くなよ』の一言である。そして、感想欄でご立派な慰めの言葉を吐く同じ作者としては、『嘘くせー上っ面な言葉を並べんな』と言いたい。
同情とは、一切悪事をしていないにもかかわらず理不尽な対応をされて疲れ切っている人間にするもんだ――と思っているが、そんな人間に掛ける言葉はあまりに少なく、いい歳になってきた今でも戸惑うことばかりだ。
と、すると…
同情って言葉の意味は、“安っぽい”がちょうどいいのかもしれない。懐かしの「金をくれ!」がやたらと心に響く今日この頃だ。




