レビューを“書く”
エッセーランキングを見る――
そこからエッセー作者のマイページ、またご自慢らしい“書いた”レビューを覗かせていただく……
うん。
レビューも書かん自分があれやこれやと言える立場ではないんだろうけれども、レビューを“書く”という行為は『ただ書く』だけでいいのだろうか?と、そのユーザーさんを見て失礼ながら思うのである。
ハッキリと申せば、“回数”の問題か?…いや、“中身”の問題だと思う。その方の書かれたレビュー読んで、そのレビューされた作品を「あ!面白そう読んでみようかな」と思うかどうか……私は思わなかったよ。すみません。
魅力あるレビューってなんだろう?
魅力あるレビューだと思わないレビュアーの書き方に、評価出来るものはあるだろうか?
レビューに対して、『気軽に書く』考え方と『ここぞのとき!』な考え方の二種類があると思っているが、そのエッセー作者さんユーザーさんは前者だ。
でも、その気軽さが、軽薄であるように見えてならない。…結構、酷い言い方になりますが…しかし、『レビューを書かれる』って作者にとってとても大事なことだろう?
感想とは違う、数字でもない、“言葉”にして他者が自分の作品を「これは読んで間違いなし!」とオススメするのだから。勿論、個人的な趣味の範囲であるけれど、“言葉”で相手の心に訴えかけねばならないのだ。
まあ、無料のサイトで真面目にすんなよ〜と思われるかもしれないが、レビューによって押し上げられ、ランキングを駆け上がり、書籍化に通じる一歩になるかもしれない可能性があるなら、レビューを親身に、真剣に、書くべきだと思ってしまうのは間違いだろうか?
もっと毒吐いてしまうなら……
つまらないレビューを読んで、作品を読んでみようなんて思わない。むしろ、逆効果ではないの? 陳腐な言葉でオススメされてもオススメされた作品が可哀想だと思う。
やたらと『読みやすいです』と書かれすぎな…左を見ても右を見てもそればっかりなレビューのどこに価値があるのか――というか『読みやすい』ってなんだよ?とレビューされた作品よりも書かれたレビューの中に幾度も綴られる言葉の意味が知りたい。
レビューは回数じゃない。
いくら書こうと、代わり映えもしない魅力もない、宛てた作品に寄り添ってないだろうと思えるレビュアーのレビューについて語られる言葉なぞ、
欲しくはない。
レビューって…なんだろう。
ランキングの上位にいらっしゃるが、作者がそう評価しているのか、読者が評価しているのか、“お友達”か?
すっごい失礼なことを書いたが、レビューは『ここぞのとき!』に書かれてこそだと思う人間からしたら、そのエッセー作者レビュアーさんの言葉は、「こんなに書いたんだよ凄いでしょ!ほめて!」にしか見えないのである。
凄いのはレビュアーではない、“書く”ことに努力し続けている作者の方だ。
そのエッセー作者の書かれた多くのレビューを見てみればいい。どれか心惹かれるレビューがあるかどうか、読者は判断すればいいのだ。
その結果の、あのランキングであり、まさかのレビューが書かれてあるというなら「なろうのレビューは見る価値なし」――と、私の中ではそんな位置付けになるのであります。
…どちらがいいのか、どういう扱いがいいのか、紹介文のみのなろうレビューは……と考えると気軽でいいんだろうと思うこともあるが、あのレビューをもらっても自分なら嬉しくない。
が!ランキングを見て思うのは、
『なろう作者は“書かれた”という行為さえあれば満足なんだろう、例えそのレビューを読んだ読者にどう思われていようが…』
罪づくりだね、レビューってさ。
…いや、もっと言えば、レビューが書かれた作品すらどうでもいいや〜と興味すら持たない。(私の個人的な意見なので他の読者がどう思っているかは知りません)




