読者の我が儘~嫌われるよりコワイこと~
好きなジャンル、嫌いなジャンル。好きな展開、嫌いな展開。小説を読む上で、その日その時の気分にもよったりしますが好き嫌いはあるもの。
でも、個人的ことですが……
この作者さんだから全作品好きとか、この作者さんだから全作品嫌いって滅多なことでは思わない。私の場合、まずタイトルがあって、あらすじがあって、キーワードがあるので、作者さんに目を向けるのは第二第三それ以下なものだから、そうそう簡単に特定の作者への感情はない。あるのは、その日その時書かれた作品の内容が一番でその日その時の作者がいるってこと――上手く説明出来ませんが……例え同じ作者が書いた数々の作品であっても、それぞれに作者がいる…その時の作者が作者である……というかなんというか…
作品の数あるだけ、その時の気持ちで書いた作者がいる
そう思っているのであります。――けど、どの作品をとってみても垣間見える、いや、作品以上に前に出てくる作者が苦手です。特にエッセーだと、まんま書いた人が見えるだろうと思うのですが、本文また感想返し含め「この人ほんとうに感想に書かれたことわかってんのかな? いつまでこの返しでいくんだろう」と、斜め上行く発言や他者の意見を受け入れろとまではないが「人の話をよく聞けよ(読めよ)」と呆れてしまう作者さんは弾きます。名前を一番に見ます。例え興味惹かれるタイトルであろうと、またあの苦行が訪れる、理解に苦しむ文章が存在しているのかと思うとサーっとスクロールして画面から消えてもらう。
一つの作品には一人の作者がいる――
しかし、「こいつ嫌いなんだけど、今度は何を語っていやがんだ?」もなく…いやよいやよもなくしてしまった作者は、“まだ評価されていません”、“まだ感想を書かれていません”のオンパレードになってしまうんだろうな。
現に、あんなに燃えたのに二度目の着火は失敗している――そんなエッセー作者さんがいるのでね。燃えやすい作品書いたからでなくて、矛盾もいいとこ斜め上を自分勝手にも程があることを書いたのが原因なんだろう。辛うじて感想等、反応している読者もおりますが、よっぽどボランティア精神に溢れているのでしょう。
一言で言えば、意見の交換を求めているくせに交換もクソもない作者はメンドーで関わりたくないのだ。感想も書かない読むだけの読者である私すらそう思うのですから、関わっても自分のためにもならなかった優しい読者は二度と反応してはくれないんだろう。当初の作品と比べて寂しいほどの感想欄ですもん……
ふと、エッセージャンルの新作を漁っていたらその作者さんを見つけまして、評価点も感想の数も雲泥の差だったので、読者に捨てられた(恐らく)作者の末路を目の当たりにしたのであります。
彼は、どう思っているんだろう?
読者を色んな意味で蔑ろにすると、しっぺ返しを喰らうんだ。もっと言えば、エッセーは賭けに近いのかもしれない。なんて…




