読者の不自由 5~健気な読者~
エッセーランキングを見る。
うん、おなじみの評価等についてのことだったが、読者は今年でも“読む”自由、“感じる”自由を手に入れられないだろうと思った。
どうして、作者――読者へ評価等についてあーしてこーしてとエッセーにて綴る作者は、自分の価値観を読者に押し付けてくるんだろうか? そうじゃないっ!て言われるかもしれないが、どう読んでも一読者の私には勝手な言い分に見えてしまう。人のことは言えませんが…
しかし、まあ、作者であって読者でもあるのですが、読み手から目も当てられない罵詈雑言やスパム攻撃、アリもしない不正疑惑をかけらたなんてことじゃない限り、あなたの作品を時間を使って読んだ読者に文句をつけるのは間違いではないだろうか。
それに、そのエッセーの感想欄に書かれた“良い”感想も含め、何故、自分が面白い、上手いと思ったものに対して他者も同じ気持ちにならないんだと疑問を抱くことに疑問を感じる。応援するのも、宣伝するのもいいだろう。けれど、「面白い作品には評価してよ!」は、ない。面白いものに読者は評価してるよ。ブクマ外さないよ、きっと。
それでも納得出来ない気持ちは、一体どこからやってくるのか?
読者のせいじゃない。でも読者が『私が面白いと思う作品(自身の作品)』を評価してくれないから――だから、作者同士の相互評価になってしまうって話なのかもしれないが…
まずエッセーのタイトル&あらすじと中身が違うじゃないの。
読まれやすい、燃えやすい、不正潔癖症候群の読者を寄せるためのかなどうかわからないが、タイトル詐欺(…言い過ぎか?)の作品作者の言葉に「そうだね」と素直に首を縦に出来ない。気になる。なんだ、ただ目立ちに来たのか…くらい。タイトルにつられ、「どんなに素晴らしい相互評価を語っているんだろう」と開いたら……
真逆じゃねーか!
て、思ったさ。
ランキングに載っているってことは評価されたからだが、そのエッセーを読んで「マイナス評価も出来ればいいのに…」となろうアンケートを見たくらいだ。…でも、質問が多すぎてゲンナリして途中放棄した。
タイトルはそうでなければいけなかったんだろうか?
あらすじは違っても良かったんじゃなかろうか?
純粋に『評価を入れる人の少なさにより、結果、作者同士の馴れ合いが増え、相互評価という不正へと発展してしまうのだろう…その行為を防ぐために僕たちが出来ること』なーんて、切実な気持ちを盛り込まれた素直なタイトルであったら――
そんなだから、評価点入れようって思う読者が少ないんじゃん?
相互評価で不正する作者と何が違うんだろうか。…いや、そもそもエッセーに対して真剣に考えた自分が馬鹿だったのかもしれない。感想欄にて皮肉だって書いてあったのも見たけれども…それならそれでケチョンケチョンにしてくれたほうが私には素直に読めた作品だった。
操られる読者のなんて健気なこと……




