上達の味 ※↑続編
なろうの読者って優しい人が多いと思う。作者で読者でなくとも、前回感想を書いたとあるエッセイの感想欄を覗いてつくづく思った。
「そうだよね」というほぼそんな感想が書かれてあった。だが、『共感』という部分を抜き、作品として見た場合におかしいなあと唸ってしまうところがあると思うんだ。
…思ってばっかで理解力が低いのかもしれないけれども、あの作品を前半後半にわけると意味がわからんのです。
前半は“本を読まないレベルの低い読者はハッキリ思ったこと言っちまう”、後半は突如出てきた“理論について”。……ただ、一体いつその理論を語ったのか? もしやあらすじか?…いや違う。
言葉足らずなんだろうか?
でも、それを読み解くなろう読者。
作者の言いたいことは最後のまとめの部分だろう。そこまで辿り着くのに頭を悩ます私。
なろう読者の感想を書く大半は空気を読み解く優しさと、溢れ出る共感で出来ている。
けれど、そこには作者のレベルを上げる言葉はあるのか――?
時々思うこと。
なろう愛を語る作品の感想欄には、『作品』として見ている人はいないんじゃなかろうか、と。作者にとって、どのジャンルを書くにしても“書く”練習、もしくは自分のレベルを上げるために文章を組み立てているのでは?
読者は優しさを履き違え、勘違いし、作者は飴だけを貰い続ける。
上達――それはどんな意味が込められているんだろう? きっと最高にうまいハズなのに。




