私小説とエッセイ
私の中では、私小説とエッセイは別物だ。
私小説の作り込まれた言葉の羅列と、エッセイで書かれた(一応)本音の言葉とでは、読み手に違う印象を与えると思うから。私小説は実体験を元に描いた物語で、エッセイはリアル。
私小説こそ、あの謎のジャンル純文学にいるべきじゃないのか?と、とあるランキングにあった私小説を読んで思った。
それに、エッセイでは実体験を綴ったらそこから見える何か――自分の考えや思ったことを書いてこそのはず。物語になれば、確かに作者の思いが詰まっているけれど、『主人公』がクッションになって読み手に考えさせる要素が非現実…曖昧…というか。どこか上の空、『物語の中』な気遣いがある。
まあ、私はそう思ってますってだけの話ですがね。
私小説とエッセイを分けて欲しいです。キーワードに書いている人は別に「ああそうなんだね」で、読む前にきりかえられるが私小説だけど何もキーワードに書かれていないのは、何故か受け入れられないのだ。頭の問題かな? 私の頭は弱ってきたのかな……
自分がおかしいんだろうと思う。
けど、リアルな自分がいないものはエッセイではないんじゃなかろうか? それに、私小説とキーワードにあっても「あのときの私は〜」とか「私が何歳のときの話〜」とか、今現在のことでも過去のことでもその作品の中に自分がいなけりゃ私小説でもない、ただの作り話、お伽話、エッセイとは程遠いものなのではないだろうか。
一つ歳をとると、若さとひきかえに頑固さがレベルアップする。柔軟でありたいと思うが、なんでも受け入れるということは、大して興味もないどうでもいいことなんだろう……きっと。




