自由を宣う作者
作者が作者に「自由に書けばいいじゃん」と書いているのを目にしたんですよ。どこで――は伏せておきますが、その内容がなろうルールなんて関係ない、好きに思うままに書けばいいというような……
そして、別のところで読者には自由はない、って書いている。読んだらああすればいい、こうするべきなんじゃないかと読む自由、読んだ後の自由を束縛していると感じられる言葉を紡いでいる。
そりゃ、「こうしてくれればいいな」って想いはいっぱいあると思う。でも、それは読者にしたってそうだろう。
作者の不満も、読者の不満も、けれどよくよく…いやちゃんとなろうのルールを互いに読めばいいだけの話だ。
きっと、読んだけどするっと通り過ぎちゃうことがある自分と同じような人もいるだろう。読んだけど、脳内変換または独自解釈のススメで進化しちゃう人もいるだろう。
けどね、自由ってことが何を土台にして存在しているか忘れたらいかんと思う。自由は無法地帯とは違う。いや、無法地帯だって思っていたら恐らく弾き出されるか無視される。自由は常識で縛られ、常識は多数決で決められ、多数決はときに残酷だ。
何やってもいい、ルールを無視して好きにやればいいって言葉は、人に言うもんじゃない。相手に好かれたいからとか、相手にもう自分の作品読んでもらえなくなったら…評価してもらえなくなったら、感想もレビューもしてくれなくなってお気に入りユーザーも外されちゃったら……
そんな関係性のお気に入りではありませんか?
書くのが好きだから、書いているんじゃないんですか?
読むのが好きだから、読んでいるんじゃないんですか?
そのために、なろうというサイトの自由を作者読者両方が知っておくべきことではなかろうか。




