う〜ん…とバトンで思うこと
ここ最近、活動報告にてまたよくバトンを見かけるね。一時期、いつだったかな……色んな種類内容のバトンだらけになったときよりは可愛いものだろうけど、まあ…何が言いたいかってバトンだらけになったら新着活報も面白くなくなるなあ、て話。
でも、一部?のグループみたいな仲間内のことなんだろうと思うと、流行りに流行ったときを思い出せば、コミュニティが小さくなってんのかなとも思ったり。
ただ、勝手に好きにやってればいいことなんだろうけど、バトンってチェーンメールだよな…?と思えば、ふと規約に書かれている文章を思い出してしまったのである。悪質じゃないからいいのかなあ?とも、でも、チェーンメールはサーバーに負荷がかかるとかかからないとか。
なんにせよ、うーん、自分には一切合切関係ない話だけどね。
※追記※
しかし…けれども…思うわけですよ、やっぱり。うん。誰もふと「あれ?」と疑問に思うことはないんだろう、と。
ネズミ講とは違うんだけどね。前に友人がなってしまってね、手当たり次第に売りつけてくる、笑顔が嘘くさくなった、話し方も気味が悪く、口を開けば商品の話で「こさじも知り合いに言ってみて? 一緒にやらない? 良いものしか扱ってないから、紹介してくれた分だけ相応にお金が返ってくるよ」なんてね…
子供時分には友達と遊びで不幸の手紙なり、チェーンメールなり、何人に回してとかで同じグループ内の人に回して友達の絆みたいなのを確認しあわなければいけなかったり…
よくさ、よくでもないか? 何かあったときのため毒者や粘着さん防止でかな、他の理由もあるでしょうけどお気に入りユーザを非公開にしているけど、何ら意味のないことやってんなって。バレバレじゃねーのかな?って。面倒臭い人間ってどこまでも面倒臭いんだよ、と思うのだけど……それとも面倒なことを押し付け合ってんのかなあなんて。
チェーンメールでやってたけども、時間かかるんだよね。しかも、受験の時に回されて来てさ…邪魔してんのかとムカついた記憶がある。
でも、回さないと煩いでしょ? 会ったときには表面は繕ってっけど裏に回ったらあーだこーだ言われるでしょ。負の感情しかないから、「○人に回して」ってフレーズを見ると嫌悪しちゃうのかな〜
みんながやっている、みんなやっているから大丈夫、みんなだってやってんじゃん、と自分がやっていることに時々「ホントに大丈夫なのかな?」と疑問を持つことは大事なのかもしれない。
赤信号、みんなで渡れば怖くない――なんて自分なら一人で勝手に死んでろと思っちゃうけどね。
誰一人として疑問に思わず、運営に聞かず、安全な道であると信じて疑わない。少しこわいくらいの仲間意識は、ネットもリアルも同じだなあ。
うーん、やってみなけりゃわからない部分もあるんだろうけど、やってみて原因はハッキリみえないけどモヤっとしたら辞めたらいいだろうし、何も思わなければやり続ければいいだろうし。
一回目は自分の判断のため。二回目以降は他人が判断…いや他人に判断されていくだけだろうと思うのである。
そんな大袈裟な〜な話かもしれないけど、『みんなやってるから大丈夫』っていう言い訳は判断を鈍らせるあまりにも甘い言葉であるってことは理解しておかなければいけない大事なことなのではないだろうかと、改めて感じたのであります。




