純文学さん
またも純文学についてだが、今日こそ私が常日頃から不思議に思っていることの答えが出るのかと、わくわくしながら純文学についてのエッセーを読んだ。
……は?
だった。
すごく申し訳ないが、「純文学がなんたるか、明確な答えはない」だった。笑った。
だって、そしたらなんで純文学に投稿されている作品らに「お前らは純文学じゃない」なんて言えんのか?
謎が深まった。
まあ、誰が読んでも理解出来る作品が大衆文学で、理解出来ないのが純文学だとあったのは、“何故か”なるほどなと思ったけども。
正直、その文だけあればいいような…
純文学らしいものすら、読んだ人間によって決められるなら、作者は作品だせんだろう。異世界か現代か、それで区別出来るもんならいいけれど、芸術性があるなんてわかるかよ。
第一、「私の作品は芸術である!」なんて思って投稿している作者さんっていんのか?
というか、誰が読んでも理解出来る――それすら勝手に他人が決めてしまうもので、屁理屈言っているかもしれないけれど、わからん人がいたら純文学へ行ってもいいってことだろう。
そもそも、純文学なんぞ、作者自身の問答の晒し文みたいなもんだろう。
簡単に言うなら、例え主人公がいようとも自分の中の天使と悪魔のやり取り――それを手っ取り早く書けるのが『生と死』なもんだろう。
純さんがこういう行動したら、文ちゃんがあんな行動し、どうして純さんそうしたのか、文ちゃんはどうしてそうしたのか…
……意味がわからない説明だけれども、要するに人間の行動の意味を探る、そんなもんだと思う。そうだと思って、純文学にお邪魔して作品を投稿しているが…
ま、何が言いたいかっていうと、純文学純文学って人の作品にケチをつける人ほど「この人ちゃんと説明出来ないのかな?」と思ってしまうって話。
で、感想欄にて「そうそう」と頷いている人を見ると、きっと同じなんだろうなってこと。
うん。
それから、自分は大した感想が書けるわけでもないけど、感想を書くときはより気をつけようと思った。
…ブーメランな愚痴だけどね。




