防波堤
ニュースを見ていて時々思うんだ。
怖い思いをしたのに、命の大事さを忘れてしまうんだなって。
設計ミスで22センチ防波堤が高くなったって…怒れる人は、どの部分に怒っているんだろうと思う。
ミスを隠したままで市民に黙って工事を進めようとしていたのかな? 詳しい部分は知らんけども、“もしも”のときにその22センチのおかげで守られたら――なんてね。
低くミスられるより、まだ高くて良かったんじゃないのか?と思うのは、自分がニュースだけで知る土地に住んでいるからだろうけれども、街頭に並ぶ募金箱の数を知る分、怒れる市民を疑問に思う。
何に対して、イラつくのかな?
ミスりましたで、誠心誠意の詫びを入れられなかったのかなぁ…命よりも大事なものってなんだろうな……22センチ分高く造られた金の問題だろか。
失礼だけれど、命はそれよりもっと尊いもんだと私は思う。
外観が悪くなるとか昔ながらの風景がとか、反対する人がいたけれど、“もしも”のときになったらその人だけ死ねばいいと思う。
生きるかどうかの経験なんて、身近な人が犠牲になってしまった・自身が死ぬかもしれない!って目に遭ってない限り、結局は自分が生き残りゃ他の人のことなどどうでもいいんだろう。自分さえ助かりゃいいんだから、自分の思いさえ叶えばいいんだ。
教訓なんて、自分勝手な人間にはない。
自分勝手な人間は、自分の利益しか考えない。
そんな人間に限って、まあ、よく吠える。
ただ目立ちたいだけじゃないか、私はみんなの気持ちを思って代表者として立ったのです――みんな私と同じ意見なのだ!
人の命はよく軽く見られがちである。
お前のために生きているのではないのに。




