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くさくさっと清々と  作者: こさじ
● 草は生えない肥溜めです
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 そうかなぁ…



 エッセーで珍しいな、と思って、詩について書かれた作品を見た。


 絵と詩の関係性のところだけは、う〜んと疑問に思った。


 絵が詩のライバルであるには、絵に曖昧さを含ませてはならない――具象画ならば、それであると言えると思う。


 最近、絵日記のように詩と絵を一緒に書いているが、具象画…まあ風景である絵と、風景を思い浮かべて書いた詩はそれぞれ独立しているから説明をつけなくてもいいけれど、抽象画と心情では正直交わらない。しかも、どちらも行き過ぎてしまえば対立し合うことも、また呼応すらしない。……ように思う。


 だから、関係性を持たせるために抽象画と心情、また風景と心情、抽象画と情景そして物語では、どこか似通うものか詩の一部に絵を説明するものを少なからず入れないと、ライバルにすらなれない。


 それに、いくら作者が「コレだよ」と示しても、読み手がそう感じなければ、絵と詩が合致していなければ意味不明な二つの押し付け合いになってしまうと思う。


 でも、出来ればなんの説明もなく言葉を綴り、思うがままで描きたいけれど……難しいもんだと初めてやってみて心底思う。


 時々、自分自身納得出来るものもあるけれど、大抵、どこか悩む。描いた絵すら伝わるものかどうか、何かに見えるものになっているのか、言葉と対等であるのかどうか……


 ライバル――ってどういうのだろうと思う。


 お互いを牽制し合うものとしてなのか、呼応する…高め合うもの同士での言い方なのか……そこがちょっとわからなかった。私の頭の問題かもしれないけれども。


 絵一つとっても、語る詩と同じで書き方、表現は色々あると思うのです。絵という一括で纏めたものと、詩を比べるのは立っている場所が違うようで少々モヤモヤとした気分になるのでありました。


 そんな愚痴。


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