小さな社会
学校は社会の縮図だって、たま〜に耳にすることがあるのですが“なろう”も小さな?…やや広め?な社会なのだなぁとね。
まあ一番最初に人間関係を学ぶのはお家ですが、お家の役割はなろうにないと思うので、相互お気に入りユーザー間で世渡りを学ぶもんなんだろう。ついでにツイッターは所詮は“ツイッター”なんだ。
前は、作者と読者の関係は『地下アイドル』っぽいものだと思っていたけれど、学校のようなもんだと思い直す。だって、見えないもん。
どれだけ『本当に』熱狂しているか、どれだけ『本当の』人なのかわかりませんから……オフ会を頻繁にしているとかならわかりませんが、それでも“全員”ではないでしょう。ファンだという人間を「あの人見たことある」なんてわからない。
言葉がほぼ全てになるのなら、自分の発言でどれだけ他人とやっていけるのか、どれだけ自分の言葉は影響力があるのか……
ごまをすればするほど、持ち上げれば持ち上げただけ、言葉に対する依存度、そして甘い優しさを説けば説くだけ、相互お気に入りユーザー若しくは新たにそうなるユーザーの信頼という名の依存度は高くなり、高くなり過ぎた仲間意識は面白いほどに発揮されるんだろう。
ますますボッチでいいや。
操る側には絶対なれないが、操られる側に十二分になれる可能性大なので、創作したり愚痴ったりするのは好きだが、なろうでの人間関係の交流は怖い。
そうなると、『お気に入りユーザーは“一読者”』と思っておけばいいのかもしれません。簡単に評価してくれる相手――といえば失礼になるかもしれませんが、しかし、身近な相手から票を貰うにはある程度ヨイショなり優しくなければならないでしょうから。
そして、自分の世界が広がった――社会に飛び出したんなら、尚更、他人に気を遣わねばならなくなる。
面白い話ではありませんが、会社の待遇に嫌気がさして文句を伝えたとしても、上司の怒りが違う人へも飛び火する。もっと言うなら、イジメを受けて訴えてもますます酷いことになる――
所詮、そんなもんだ。
けれど、仲間だっていう人がいるなら、仲間相手には誠実でなければ……自分は正当なことをしていると証言してくれる相手には、相談はあれど悪意を振り撒いてそれに引き摺り込んではならない、と私は思うのであります。
清廉潔白であるには難しいかもしれないが、誰の悪口を言ってはいけないんだ。“狡猾に”相談する、それだけだ。嫌な言い方だけど、
強かに生きろ――
と言いたい。操る側になるのではなくてね。
ま、聞き上手ないい子ちゃんでいられるかどうかなんだろうと思う。




