最終話だけ読む ~批判とは~
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まだまだ頑張っていらっしゃるようで、それならば――と偉そうではあるが読んでみようと……失礼ながら最終話だけを…一番テンションが落ち着いていらっしゃるように感じたのです。
で、批判云々、なろうは作者を守るスタイルだから人気?サイトになった――みたいな話だが、読めば読むほど、『批判』というものを悪として捉えている奴しかないって書いてあるようにしか読めなかった。
批判ってさ、良いことも悪いことも……なろうでいうなら良かったこと・気になったことがセットになって書いていなければならないだろうと思う。
褒めるだけなら勿論のことそれは批判ではないし、良いことがなくて気になることしか書かれてなければ、それもまた批判でないと思う。
作品をよく読んで、良し悪しを見つけ、伝え、一言の部分に読者の雑談…というか「これからも続きが楽しみです」とか「ええ!あの後はどうなっちゃう?気になりますぅ更新されるのが待ち遠しいわ」とか、ほんとに読者的な感想を書くのではないかと、情けないながら今、これを書いて気づいた。
批判したいなら、良いも悪いもセットで。ただただ「面白いわ〜」なら一言へ――って、そうマニュアルにも、だから書いているんだ。
と、思う。
『批判』って言葉を悪にしないでくれ――
昔話に花を咲かせたいのか、『批判』について語りたいのか…感想欄は昔話で盛り上がっているように見えるが、それが作者さんの伝えたいことだったんだろうか?
最終話の、特にまとめが言いたかったのだろうと思われるが、ただただ同じことを少しずつ言葉を変えて何度となく繰り返し繰り返し書いてあるだけのように思う。
長い、短いってことはなろうのマニュアルにもある通り責めるべきではないと思うし、自分自身、そんなこと関係ないと思っているが、書かれてある内容にもよるだろう?
やっぱり、文章の組み立て、何を伝えるか、何が伝わって欲しいか――勢い、テンション、ノリも大事かもしれないが冷静に客観的に自分の文章を見れなければいけないんだろうと、いい勉強になった。
そこには年齢も、また職業もなく、『伝えたい』という想いが伝わっているか。物語のどこか抽象的ではなくエッセーというかたちならば、作者は自分の伝えたいことを伝えられるように書かなければなあ…なんて。
良いも悪い(気になる)ことも十二分に吟味されているようには見えず、結論を出している話は真面目に聞けるもんでもないだろう。…まあ、全部を読んでいないやつが言うな!って話だが、それは批判について語っているより、一方寄りのお豆腐メンタル教に過ぎないのではなかろうか。




