『お前が一番偉そうだよ』と言ってやりたい
エッセーランキングを見る。いつものように…そしたら「うわっ…」て思う作品を見つけてしまった。その作品の作者名をみたら前回書いたやつの作者さんだった。……納得。作品の中身云々よりも作者さんの性格が凄えなって思った。
私は、人のことをとやかく言えるほど優しい人間でもないし、だからといって凄い底意地の悪い害虫とも思ってない。そこそこ平凡でありつつ口が悪くて、重箱の隅をつつくメンドーな人間ではあるけれど、
『“仲間”だと口にしながら、そのお仲間を万人が見るだろう、勿論、本人も見るかもしれない場所へ、つらつらと悪口を綴って正義ぶる』
そんなやつは嫌いだね。「私はまとも」なんて語っているから余計に虫唾が走る。
誰がどうで誰がどうとか本人たちが自分たちだとわかる書き方をしなくても、『人への伝え方、創作活動をする上で一番は相手を敬うこと思いやること』――それを伝える書き方だってあるじゃないかと思うんだ。
学生のときにさ、「私達は親友ぅ〜!」なんてアピールしまくってたくせにグループ内の一人がいないときは「あいつムカつく」とか陰口叩いてるのを散々見てきたよ。(そんな仲間もいない自分だったけど…)やってることが同じだな、って。そこから無視したりなんだりイジメになって、何故か仲間じゃない私まで対象にされてさ……
いや〜…若いね。
よっぽど人間関係で困ってんだろうことはわかるけど、やってることが正しいとは思えない。公開処刑じゃん。散々不満をぶちまけられた相手が精神的に大人じゃない限り、関係が拗れるんじゃないの?と、読んでいるこちらが心配してしまうわ。そんなこと当人同士で話合えよ。しかも、ぶち撒けられた相手と喧嘩しているのが作者さん本人じゃないという……
“人間関係について”とか、エッセーでは“創作仲間との関係の築き方”とか、それでいいんじゃなかったんかと思わずにはいられない。特定の誰かさんを出して、しかも仲間だと宣う図々しくも押し付けがましく、仲間とも思ってないだろ?と突っ込みたくなるような話は、ただの陰口なだけじゃん。
わざわざ投稿する姑息な正義――
そう見えて仕方がないのであるが、“創作仲間との絆”が何を基準にしてるかなんだろう。ボロクソ言われているその人は「基礎的なこと(所詮書き方作法とか?)くらいちゃんとしろ!」なんだろうし、作者さんや喧嘩相手になった人はなあなあな緩い関係が良しとしているんだろうし…
話し合っても、どうにもならんならそれはもう価値観の問題なんだろうと思う。
何に重きをおいて創作活動しているのか、曲げられない信念、妥協出来ないものがぶつかってしゃーないっていうんなら、お互い恨みつらみもなくお別れするしかない。
それも出来ない、自分の主張を相手に押し付けたいっていうなら、そもそもエッセーで作者さんが語っていること自体、自分を省みろよな話だろうと思う。
「君の言い方がすごくキツく感じてしまうんだ…」
それを相手に伝えるだけでいいんじゃなかろうか? 「は?」なんて喧嘩腰で言い返されたら、お別れを考えるだけだ。価値観の違いの別れ話なんて世の中ごまんとありますから、性格の不一致――それだけ。悪口を言うことじゃない。




