それ故の刹那
気分が悪い。いやそれ以上に具合が悪い。ここしばらく、こんなにも持病が牙を剥いてくることはなかったので、目眩というヤツとも久しぶりの対面だった。
それでも体を必死に動かして、僕は保健室へと向かう。休み時間の廊下は賑やかで、それで僕が通る時だけはあからさまに僕を避けて静かになる。
ーーモーゼみたいだ。
そう思ってふと笑みがこぼれる。それ程面白いことでもないのに笑えてしまうのは、保健室の前に到着したという安堵からか。
「失礼します」
細い声で引戸を開ける。するとそこには、
「やあ、いらっしゃい。神田くん」
まるで待ち構えていたかのように、机の上に足を組んで座る由良がいた。
由良美園。この学校で彼女を知らない者はいない。というのも彼女は所謂ところの“変わってる”女の子だからだ。急に大声を出したかと思えば走り出したとか、普通見えないものが見えてるとか、実は人間じゃないのではないかとか。色々な噂が彼女にはとりついている。それ程の有名人。
いつからだったか、僕が保健室に来ると何時も由良が先にいて脈絡もなく変な話をする。それが当たり前になっていた。
「おや、具合が悪そうだ」
「保健室に来てるんだから、そうだろ」
「たはは。そりゃそっか。そりゃそうだ」
由良が保健室にいる時、どうしてだか先生はいない。だから僕は勝手にベッドを使わせてもらうことにしている。
「はあ……」
横になって一息吐く。別に寝転がったからって具合が良くなるわけでもない。ただちょっと気分的にらくになるだけだ。それにベッドにはカーテンがあるから誰にもこんな姿を見られなくて済む。
「失礼するよ」
由良以外には。
「ねえ神田くん。ねえねえ神田くん」
「……何でしょう」
「神田くんはさ、人生を花火に例えるのどう思う?」
背中から聞こえてくる由良言葉に、僕はまたかとため息を吐く。またよく分からない話の始まりだ。
「人生は花火のように一瞬だって言う人がいたんだけどさ、でもそれって何かと比べての話じゃん?ていうか人類史とか地球の歴史とかと比べての話じゃん?」
「そうかもね」
「だったら私たちの感覚では全然一瞬じゃないと思うのよね。ね、どう思う?」
つまり由良が言いたいのは人生花火に例えるのは適切かどうか、ということだろう。確かに僕も人生を花火程一瞬に感じたことはない。けれど、
「多分、それは歳を取ってからの考え方だと思うよ」
「ほう。もっと詳しく」
「由良はさ、まだ若くて先の人生が長いから人生は花火っていうのに疑問を持てるんだと思う。けれど、その人生は花火って例えを言うような人は多分、由良よりも歳を取ってて先の人生を短く感じているから、そういう風に人生を一瞬のことに例えるんだと思う」
「なるほどねぇ。でもじゃあさ、私より歳取っててもその人はその分生きてきたわけでしょ。それなら人生一瞬だって思わないんじゃない?」
「それは多分あれだよ。人生って覚えてることの方が少ないから、きっと短く感じるんだよ」
「ほーん」
胸が痛いというに、結構長々と語ってしまった。端から見れば寝転びながら何言ってんだコイツ、みたいな状態でも由良はバカにすることなく聞いてくれる。
「……そして人間は後悔ばかり思い出す」
背中で由良が呟いたのが聞こえた。けれど僕はそれを聞かなかったことにする。聞こえなかったフリをする。きっとそれは僕に向かって放たれた言葉ではないからだ。
そして、その呟きの後少しの少し保健室は静まる。
それからどの位経っただろうか。随分長い時間お互い黙りこんでいた気がするけど、チャイムが鳴らなかったことを考えるに十分も経っていない。けれど、そろそろ授業が始まる頃合いだ。
「神田くん、私そろそろ行くね」
椅子が床にすれる音と同時に、由良がそう言ってカーテンから出ていく。それから引戸がガラガラと音を立てたので、由良が部屋を出ていったのだと分かった。
「後悔ばかり思い出す……」
由良がいなくなってから痛みだした頭で僕は由良の言葉を反芻した。
後悔。
由良は何を思ってそう言ったのか。僕には分からない。
けれど、何故だか僕はそれを知っているような気がした。