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第43話 狼藉

 邸内の光景を目にした宝余達は息を呑んだ。正房の窓の桟という桟は壊れ、扉という扉は外れ、室内といわず庭といわずそこらじゅうに什器や家財道具が散乱している。


「何があったのです?」

 優しげな顔をした撫で肩の、とし四十になろうかという魏兆は力なく首を振った。


「進善党の連中が、かねてより弦朗君げんろうくんさまと親しい私を怪しみ、先週に突然我が邸を捜索し、めぼしいものをみな奪ってしまったのだ。書物だけでも手をつけずに去ってくれれば良かったのに、あやつらはわざと書房に火をつけて行った。爺たちが必死に消し止めてくれたのだが――」


 忠賢達が案内された書房には、炭化した書籍の慣れの果てが、これまた墨の塊と化した書棚に詰まっていた。愛姐がそっと手を伸ばして書架の柱を触り、崩れ落ちるものを掌に感じながら、「可哀相にねえ」と涙をぽろぽろこぼした。

 これはひどい――忠賢も呻くようにつぶやいた。


「しかしお待ちください、なぜここで弦朗君さまの御名が?」

 それは宝余も同じく疑問だった。王族中の王族でありながら、政治から一歩引いているはずの彼がなぜ――。


「ああ、そなた達は知らないのか。進善党の領袖である曹国良が、国君に弓を引く一歩寸前なのだよ。紫霞党の邸を襲ったばかりか、王の御用でたまたま徐州にいた弦朗君様を追い立て人質にしようとしたのだが逃げられ、躍起になって探している。まさしく謀反が起きる寸前といったところで、ただし王もお譲りになるおつもりはないから、このまま膠着状態が続いているが…」


「曹大人は、果たして自らに勝算ありとみて事を起こしたのですか?」

「――忠賢。私が説明しておいて何だが、国を捨て一生を遊芸の世界に生きると定めたのであれば、芸人は芸人らしく。それ以上は聞かぬほうが身のためだ」

 ごく優しい口調だが、きっぱりとしたものだった。おそらく魏兆は、忠賢の出身を知っているに違いない。であればこそ、彼はこの班を毎年雇っているのだろう。宝余は忠賢が顔を赤くして俯くのを見てそう思った。


「そういえば、奥方は?」

 問いかけた大班主も、魏兆とは知己であるらしかった。魏兆は自分の着ている喪服を指し、

「こういうことです。妻は病が篤く、やっと静かに最期のときを迎えたというのに…」

 偕老同穴を誓った連れ合いが前日に亡くなり、悲しみのなか葬儀の支度をしようというところに、この乱暴狼藉だという。

 何ということだ――忠賢がこぶしを握り締め吐き捨てた。班の者はめいめい素朴なやり方で弔意を表したが、一様に顔を曇らせていた。


「失礼ながら、葬儀のお差配は?」

 魏兆は首を振った。

「金目のものはみな持って行かれてしまったし、私は家政のことはからきし駄目で、頼める気丈な親族もなかなか見つからない…。私の親族は抄索騒ぎで及び腰になっているし、妻の親族は遠方で、すぐに駆けつけて来るわけにもいかぬ。第一、召使達もこのありさまを見て半分が逃げ出してしまった。困ったのは、これから弔問客が来るはずなのに、何も支度がなされていないことで…」


 これを聞き、忠賢は胸に手を当てて申し出た。

「でしたら、僭越ながら私どもにお手伝いさせてください」

「どうするのだ?」

「こうした差配に必要なのは、家政を取り仕切ってきた奥方に代わる者と人手です。まずは、爺やを呼んで召使達を集めさせてください。私達も手伝います。一方、班から誰か人を選び、奥方の親族に仕立て上げます。集めてきた召使にもそう言ってください。また、金品のことについてはお気になさらず。長年旦那様のご愛顧を頂いた恩返しを、万分の一でもさせていただきとうございます」

 班の会計を預かる旋一は最後の一節に眼を剥いたが、大班主の一睨みで沈黙した。

 魏兆は頭を横に振り続けていた。

「忠賢、それは良くない。身代わりの差配はともかく、金品のことは……いや、してはならないことだ。そなたをはじめ、班の皆が日々苦労して稼ぎ出したものではないか…」


 だが忠賢は譲らなかった。大班主も

「旦那さま、どうかここは曲げてでも我らが真心をきくしたもう」

 と言いざま一揖したので、魏兆もついに折れざるを得なかった。

「大班主の口添えとあらば、仕方あるまい。では、取り仕切りには誰がなる?」

「旦那さま、このなかで女は六人おりますが、御親族に似た方がいらしたらご指名を。なに、召使達の首実検と最初の指示が肝心で、後は急病と称して床から指示を出させ、余人に面会させずに済ませれば良いことです」

 魏兆はなるほど、と呟きつつしばし逡巡していたが、やがて一人を指した。


「彼女は、妻の歳の離れた妹に雰囲気が良く似ている。どうだろう?」


 宝余は一驚した。まさか自分が指名されるとは!それは班の大多数も同じ気持ちだったようで、特に忠賢は明らかに危ぶんでいる態度だった。

「その妹は滅多に我が家に来なかったから、召使も不審に思わないだろう」

「いや、この者はまだ若年で、しかも役者ではないので演じるのは…」

 忠賢が断りかけたところへ、

「いいじゃないの、やってもらいましょうよ」

 眼をぎらぎらさせ、口角を上げながら言い放ったのは紅鸞であった。


「今はあんな汚いなりをしているけれども、短剣投げをするときのように、身ぎれいにすればお嬢さんには見えるわよ。だって私達は知らないけれども、本当はお嬢さんだったかもしれないし?それにどうせなら、御親族に似ているほうが良いじゃない。まさか女形が化けるわけにもいかないわけで…」

 茶化された藍芝はきっと紅鸞を睨み付けたが、傀儡師はそしらぬ顔で人形を弄っている。


 紅鸞の狙いはわかっている――宝余は唇を噛んだ。彼女はきっと、自分が失敗すると思っているのだ。そして班から追い出し、忠賢にも恥をかかせて面目を潰すつもりなのだ。むろん、十全な自信などない。でも…。


「彼女自身に決めさせなさい」

 大班主はぴしりと忠賢に言った。班主は溜め息をつき、

「…宝余、出来るか?家政の取り仕切りは難しいぞ、特に喪の差配はな。三日間やり抜かねばならぬが」


 宝余も覚悟を決めて頷いた。

「やってみましょう。私も班に対して恩返しをしたいのです」


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