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第18話 謡言

 翌日、宝余が目を覚ましたときにはすでに日が昇っていた。前の晩、あれこれ考え過ぎて、眠りに落ちたときはすでに明けの鳥が鳴いていたのである。


 寝台の帳の向こうに立った人影を見ると、洗面の道具を捧げた若い女官だった。絹の寝具がたてる、わずかな音を聞き逃さなかったと見える。女官は宝余に対して非難がましい一瞥をくれてから、棘のある声を出した。

「お目覚めでございますか。王は一刻も早くお起きになり、すでに聴政に赴かれましてございます」

 宝余が王に遅れて起床したことをとがめるかのような口調だった。

 そう、と宝余は口のなかでつぶやいた。金色の輪は、変わらずに彼女の左手にはまっている。


 それからまた淡々と、五日ほどが過ぎた。さすがの宝余も夫に歩み寄ろうと考え、少しばかりの勇気を出して東書房に足を向けた。

 ときはすでに夕刻で、書房の窓には灯りが映じ、外にはなぜか控えの女官がいない。人払いでもしているのだろうかと宝余がいぶかっていると、そこに王と百桃の声が漏れてきた。


「王君、王妃の左のお手をご覧になりましたね?」

「ああ」

 顕錬の、明らかにそのことに関心のなさそうな声が聞こえてくる。

「それが何か問題でも?」

「何が、ではございません。あの戒指はいっかな左の指から動こうとはいたしません。病中でもない王妃が夜伽をこれほど長く断るなど……これで問題とせずして何としましょう」

「とはいえ、あれがあの指にああしてはまっている以上、私もどうしようもないではないか。無理強いしたところで、夫として仁に欠けた振る舞いになるだけだ。違うか?」

 女官長はいらいらした調子で答えた。


「お言葉ですが、それは違います。お妃は御体調も変わったところなどなく、月の障りの最中などでもありません。お妃のすぐお側に侍す私にはわかっております。いったいどういうつもりであのようなお振る舞いをなさるのか、やはり涼王のご威勢をかさに来てのこと、我等を「二字の国」とあなどってのことにちがいありません」


「……」

「あの戒指については、女官達の間でもうわさになり始めているのですよ。早くご処置なさらないと、王の権威を損ない、ひいては後宮の乱れにもつながりかねません」

「…噂、ということは母上もご存じか」

 宝余の心の眼に、顕錬の苦笑する顔がありありと映った。

「太妃もひどくお怒りの由、やはり異国から妃を迎えるのは間違いだったとの仰せにございます」

 王の笑い声に、さらに強い皮肉が混じった。

「やれやれ、誰か忠義者がさっそく慈聖殿に注進申し上げたとみえる。わが母ながら、太妃も困ったお方だ。間違いも何も、あのとき我等には、涼から妃を迎えるほか道はなかったというのに。もうお忘れなのか」

「とにかく、お妃に対して王からもきつくおっしゃってくださいまし。このままお子ができなければ、また新たな騒ぎの火種ともなりかねません」


 そうでなくとも、正妃が異国から来たということで、公論がまだ二つに割れているというのに。しかも、涼との取り決めにより、向こう三年間は後宮に側妃を納れることはできない。その間、万一のことがあればいったいわが王家はどうなるのか――。

 百桃はそんなことをくどくどと言い募っていたが、顕錬は相手にしていない。ただ、宝余が感心したことに、さすがに百桃は歴代の王に仕え、女官達を長年束ねてきたというだけあって、外朝のことは一言も口にしないだけの分別はついていた。そして、王は女官長にきっぱりと最終的な返答をした。


「戒指が左手にある限り、私は妃には触れないだろう」


 そこまで聞くと、宝余は図らずも立ち聞きしてしまった罪悪感にさいなまれつつ、そっと踵を返した。


 宝余にとって穏やかならぬことは他にもあった。ある日、彼女の見るべき諸々の書状のなかに、怪しげな文書が一通交じっていたからである。


 白烏が死ぬとき、紫瞳の国君が立つとき、国君の剣が折れるとき

 そして異国の女が納妃されるとき

 この四つが揃うとき、烏翠は滅びに瀕するだろう   ――箴言しんげんなり


 国婚前後から言いふらされている謡言ようげんらしいが、おそらく、後宮の誰かがわざと彼女の目にとまるように紛れ込ませたのだろう。朱字で書かれた紙を前に、宝余は考えあぐねた。匿名書は取り上げぬ不文律だから一蹴すれば良いのだが、しかし――。


 結局、手桶の火を持ってこさせて焼き捨てたが、宝余の心に苦い思いは熾火おきびのように広がり、なかなか消えなかった。

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