第12話
「真っ赤になった……。あぁ、可愛い。可愛い可愛い可愛いっ。もう食べてしまいたい」
「っ、……お離しください」
「早く大きくなって。ね、ローラ?」
「ひゃぅっ」
小声で囁いているのにしっかりとわたくしの耳に残る声と、甘く蕩けているはずの瞳の奥にチリチリと燃え盛る熱を感じてしまい背筋がゾクッとしました。
体から体温が抜け落ちていくように、手足が冷たくなっていきます。今すぐこの場から逃げ出したいと思っても、肩をガッチリ抱き寄せられているので動けません。
仲睦まじくて羨ましいわとご婦人方の声が聞こえました。ですが、わたくしはあの方が恐ろしくてならないのに周りから見ると仲が良いと思われてしまうのは何か腑に落ちないのです。
「……ローラ、顔色が悪い。具合でも悪くなったか?」
「お兄さま!」
いつもは下ろしている髪を後ろに撫で付け、ゆったりとした足取りでこちらへ向かってきました。歩くたびに煌びやかな服の装飾が揺れてシャラシャラと軽やかな音を立てています。
「真っ青じゃないか。今日はもう家に帰ろう」
「では私が送りましょう」
「妹をお離し下さい。婚約したとはいえ次期公爵となる御方がわざわざ手を煩わせなくとも、妹の事は兄である私にお任せ下さい」
笑顔であるのにお兄さまの声がいつもより低くなっていて敵意丸出しの様子に驚き、穏和なお兄さまの意外な一面を見ました。
見つめ合う二人の間にバチバチと火花が散っているような重い空気を感じました。わたくしの気のせいだと思いたいです。
「あ、の。わたくしは家族と帰りますので……」
「……分かったよ。気をつけて帰るんだよ?」
「っ!」
端正な顔が近づき「これで我慢しておくね」と耳元で聞こえた後、頰に柔らかな物が押し付けられました。それが唇だと理解した頃には離れており、セリシアさまは自分の唇を舐め微笑みます。ガンガン耳鳴りがして周りの音が奪われ、音が消えてしまったようでした。
呆然と佇むわたくしへ「ご馳走さま」と口が動いた気がします。
小さな悲鳴とざわざわ騒めく声にハッと我に返って、まだ教会の出口で遠目からこちらを伺う目があると現実に引き戻されました。
「行こうか」
「はい、お兄さま。……それでは失礼いたします」
恥ずかしいと羞恥で真っ赤になったわたくしは、お兄さまに促され挨拶をしてから両親の元へと向かいました。
妹の欲目かもしれませんが、わたくしの手を取ってエスコートするお兄さまは着飾った姿と相俟って王子さまのように素敵です。セリシアさまとは違うタイプの王子さまですね。あの方は王子さまよりも天使さまの方がピッタリですが。
馬車に揺られながらこれから成人するまでに六年。どうすれば婚約が無効になるのか、はたまた逃げられるのかと考える事に頭がいっぱいで、無意識のうちに溜め息を零すわたくしをお兄さまが心配そうに見ていました。
それに気付いたわたくしは「少し疲れただけなので、大丈夫ですわ」と笑顔で言っておきました。
「大丈夫ならいいんだ」
「お、お兄さま」
「うん?」
「痛い、です……」
「……後でちゃんと洗うんだよ?」
裾でゴシゴシ頰を擦られて、少しヒリヒリします。そんなわたくし達の様子をお父さまが不思議そうに見ていたのでお兄さまが先程の話をすれば、同じようにゴシゴシ擦り、お母さまに怒られていました。
そんな様子が可笑しくて、久しぶりに声を出して笑ってしまいました。
* * *
「ふぅ……」
婚約式が終わってからあっという間に数日が過ぎました、わたくしは一人になりたくて街が見下ろせる丘へきています。この場所でボーッと眺めているのが好きな事は皆知っているのと、行き先はベルにきちんと言ってあるので心配はありません。
鬱ぎ込む前にこの場所へ足を運んでいたら、よほど気に入ったのだろうと放っておいてくれました。
ゆったりと流れる時間に身を任せて、街を歩く人の営みを眺めます。
わたくしが前世の記憶を思い出してから五年。あっという間に過ぎていきました。苦しい事や悲しい事よりも、楽しい事や嬉しい事の方が多い五年でした。
そう思えるのもきっと、家族がたくさんの愛情を注いでくれたからだとわたくしは思います。
(でも……)
自身の指に収まる銀色の指輪を指でそっと撫でました。後六年経てば公爵家に嫁いで行かなければならないから、全てから離されてしまうのでしょう。この場所でこうしてゆっくり街を眺める事もできなくなってしまうと思うと気が重くなってしまいます。
「はぁ……」
「ずいぶん重い溜め息ね」
「!?」
後ろから聞こえた声に驚いて振り返ると、ふわりと優しい香りに包まれました。わたくしの大好きな香り。ここには居るはずのない人の、暖かなお日様の香りでした。
「お姉さま!?」
「久しぶりね、ローラ。三年前より綺麗になったわ。お姉様によく見せて?」
「どうして……? 婚約式には来れないって」
「式には間に合わなかったけれど、お祝いはしたいってお願いしたのよ。ふふ、私がローラに会いたかったのもあるけれど」
クスクス笑っている笑顔のお姉さまは、三年前よりも少女のそれから大人の女性へと移り変わり艶かさが増したように思います。わたくしの目にはキラキラと光りを纏ったように見え、とても眩しく映りました。
ローラちゃんはまだ家族愛の方が大切なようです。
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