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第9話 閑話

 



 


 うららかなとある日の午後。いつものようにお茶を楽しんで、家族で笑い合って終わるはずだった。


「お父さま、お母さま。旅に出るには何を用意したら良いのかしら?」


 ガーベル家の二人目の娘が爆弾を投下するまでは。


「は?」

「え?」

「お嬢様?」

「まずはお姉さまのいらっしゃる隣国に行って、色々見て回りたいのです。それにはわたくしは何を持って行けばよろしいのでしょう?」


 呆気にとられる両親と乳母に気付かないまま、ローラは話を進め思いを馳せていった。

 子爵は昔から娘が建物の造形や自然が好きだと思っていたが、まさか十歳でこんな事を言い出すとは思わなかったのだ。


「ローラ、ちょっと待とう。どうしてそんな話になったんだい?」

「お姉さまへのお手紙を書くのに読み返していたら、隣国へ行きたくなりましたの!」


 子爵自身の色を受け継いだ翡翠の瞳をキラキラ輝かせ、興奮した頰は薄っすら赤く上気していた。その姿は若かりし頃の己の妻を思い出させ、ついだらしなく口元が緩んでしまった。


「あなた?」

「んん、……ローラ。ローラはまだ十歳だから一人では国を出るどころか、この街すら出る事はできないよ」

「そんな!? でもお兄さまは王都へ、学園へ行くのに出て行ったわ! わたくしも王城へ行ったではありませんか!?」


 じわりと滲んだ涙をその瞳にいっぱい溜めて見上げられ、ついには困り果ててしまう。


「お兄様は学園に行ったからね。この間は私と一緒だったろう?」

「では……わたくしは旅に出れませんの……?」

「ローラちゃんが成人できたらできるわ」

「!」


 子爵はローラの頭をゆっくりと撫で、彼の妻は言い聞かせるように優しい口調で話しかけた。ローラは成人になればと聞いた所で、先ほどまでの哀愁を一変させ喜びにうち震えていた。


「わたくし、成人したらぜーったい旅に出ますわ! 今から何が必要か調べなくっちゃ!」

「お嬢様!  走ってはいけません!」

「ベルー、少しくらい大目にみてー!」

「お嬢様〜!」


 バタバタと走り去っていく娘を見送ると二人は頭を抱え、六年後ローラが成人した時の対策を練るために夫婦会議を開いたのだった。




 * * *




 同じ頃、とある公爵家の一室。

 窓一つない薄暗い部屋の中で、一枚の姿絵を眺める男がいた。うっそりと微笑む様は慈愛に満ちた女神のようであり、祝福をもたらす天使のようであった。ただ、その瞳だけは獲物を狙う獣の如くギラギラとした熱を孕んでいたのだが。


「……やっと、やっと見つけたよ。あの流れるような銀糸の髪……。間違いない」


 薔薇園で出逢った愛くるしい少女は眩しいほど美しかった。白く陶器のような肌も絹のように艶やかな髪も、極上の翡翠さえ彼女の瞳の前では霞んでしまうほどだと男は思う。

 十歳であれなのだ。成人を迎える頃には国中の男を魅了してしまうに違いない。そう思えば、言いようもない苛立ちが胸を締め付けた。


 姿絵に手を伸ばし、描かれている少女(・・)の髪をソッと指先で撫でる。反対の手には先ほど部下が持ってきた報告書が握られていた。興奮のあまり力が入り、持っていた箇所は皺を作っていた。そんな事にも気付かず絵の中の少女を熱心に見つめている。


「フローラル・ガーベル嬢。君のその愛らしい口から名前を教えて……。あの日、僅かに浮かべた笑顔を私へ向けて」


 男は愛おしそうに少女の唇へ口付けを落とすと、ゆらゆら揺らめく蝋燭の灯りを消して部屋を出た。姿絵の少女は微笑みを浮かべ静かに出て行く男を見上げていた。



「セリシア様」

「準備はできた?」

「はい。そちらの方は抜かりなく。旦那様への報告は如何なされますか?」

「父上は書斎?」

「はい。本日はゆっくりしたい、と」


 男に忠実な執事は長年公爵家へ仕えている一族であった。男……セリシアが幼い頃からの教育係として、また政務の右腕として共にある時間はとても長い。ここ数年で幾ばくかの白髪も増えてきたのだが、貫禄が増してきたようにも見える。


「これから伺うと伝えてくれ」

「畏まりました」


 主人へ向けて隙のない完璧なお辞儀をすると、音もなく部屋を出ていった。


「ふふ、さぁて。私の花嫁を迎え(捕まえ)に行こうか」


 誰もが振り返るであろう美貌の持ち主は不穏な笑みを浮かべ、ジッと先ほどの姿絵が隠された扉を見つめる。


「早く……早く私の所へきて」


 “愛しい人”と、セリシアは呟いた。




 




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