プロローグ
よろしくお願いしますm(_ _)m
いつもならポカポカと暖かさを感じるほど日当たりの良い部屋は、太陽の熱が全く感じられなかった。この日は厚い雲に阻まれ隠れてしまったせいで、薄暗い部屋となっていたからだ。
そんな中、若い女性と頭一個分は背の高い男性が顔を寄せ合いポツポツと会話をしていた。
「ローラ、可愛い可愛い可愛い私の婚約者」
「ひぅっ」
そう直接耳へ吹き込むように、女性への愛を囁いた。蕩けた眼差しで見つめ言外に逃がさないと言うように壁へ軽く押し付けながら。
ローラと呼ばれた当の本人は、その身を離そうにも壁とキラキラしい男性に挟まれて動けずにいる。
「そんなに翡翠の瞳を潤ませて私の理性を試しているのかな?」
「こう、しゃく……さ、ま」
「違うでしょう? 二人の時は名前で呼んで」
「ですが……」
「ローラ」
男性に甘く名前を呼ばれ、離れようと引いた腰をぐっとより一層引き寄せられた。距離が近づき、自身よりも少し高い体温を感じて、近すぎる距離に頰を染める。今まで近くに居た異性と言えるのは父親と兄ぐらいで、男と女の情事を思わせるような、こんな羞恥を感じた事のないローラの心臓は早鐘を打っていた。
「……っ、お離しください」
「頰をこんなに赤く染めて……可愛い。食べてしまいたいよ」
流れる雲間から陽が漏れ、窓から降り注ぐ陽光は公爵と呼ばれた男性を照らし出す。蒼く煌めく碧眼の瞳がトロリと甘く蕩け、光を浴びキラキラ輝く金糸の髪は美しく艶めいていた。男も女も、誰もが美しいと賞賛するであろう整った顔だった。
普段は崩れる事のない表情を崩して目尻を下げ、酔ってしまいそうなほど甘やかな色香を放ちながら自らの婚約者であるローラをその腕へと閉じ込めていたのだ。
ローラは甘く笑む公爵を直視できなかった。けれど、それは許さないと顎を掴まれて上に向けられる。顔へ熱が集まるのをされるがままに感じていた。
「いつになったら私の名前を呼んでくれるの?」
「公爵さま、わたくしは……」
「君のこの可愛らしい唇から放たれる私の名はどんな響きなのだろうね。あぁ、それよりも味わいたい方が先、かな……?」
「こう……っ」
ーーコンコン
あと一センチ、お互いの唇が触れ合うという所で、ローラが「公爵さま」と呼ぶ間に重厚な扉を叩く軽快な音と低い男性の声で遮られた。公爵は先ほどまでの甘やかな表情を一変させ不機嫌そうに顔を顰めると扉の方へ声を投げかける。
「何? 邪魔するなと言ったよね?」
「申し訳ございません。王城より急ぎ取次を、との伝令が参りまして……」
「セバス、ローラを頼んだよ。アイツ……。いつか締めてやる」
公爵が吐き出した物騒な呟きはローラの耳へ届く事なく、額への口付けをひとつ落とすと名残惜しそうに部屋を出て行った。
未だ熱に浮かされているように惚けて、公爵が出て行った後の扉を見つめていたローラはもし呼び出しが無かったら、と考えてしまった。触れそうなほど近づいた公爵の顔や、甘くも鋭い眼差しに射すくめられ、あの形の良い唇に触れられてしまうのはどんな気持ちになるのだろう、と想像してカッと体が熱くなった。
(わたくしったら何を……!)
「フローラルお嬢様、部屋へ戻られますか?」
「……は、はい」
その声でハッと我に返り公爵の唇が触れた場所へ手を当て恥ずかしそうにするローラ。絹と見紛う銀色の髪を軽く結い上げ、翡翠を閉じ込めたかのような深い緑色の瞳を潤ませていた。誰もが愛らしいと思わずにはいられないほどの美貌の持ち主なのだけれど、本人だけは平凡な容姿だと思い込んでいる節があり、どこか無防備な姿が男の庇護欲をくすぐるのだった。
「あの、このまま帰ってもい」
「申し訳ございません。それは許されておりませんのでご了承下さい」
「良いですか」と続こうとしたローラの言葉を遮り、黒の執事服をきっちり着込んだ執事長のセバスが頭を下げる。先ほど、正しくは一時間ほど前に公爵家へ着いたばかりだと言うのに、いつの間にか用意されていたローラの部屋の事を思うと重い溜息が出た。
「こんな筈じゃなかったのに……」
誰にも聞こえないぐらいの声音で呟く。ふと廊下の窓から見えた空を、自由気ままに飛ぶ鳥を羨ましそうに見つめていたーー
誤字、脱字などございましたらお知らせください。