魔の探求者編 8
名前は一つを除いて全部あたしが付けた。杖の名前も、魔法の名前も。
【月繋ぎの杖】から引き出せる魔法、【月の光】。
月は太陽の光を受けて、夜の地球を照らしてくれる。
今この世界において、朝と昼を作り出してくれる太陽は存在するけれど、実の所月ってものは存在してない。あたし、月は好きだったから少しだけ寂しい。星はたくさん夜空を照らしてくれているんだけどね。
月は太陽と地球を光で繋いでくれるもので、昼と朝とを光で繋いでくれるもの。
あたしのイメージとしては、太陽の不思議な力を、何もできない地球に届けてくれるお助け役。
だから、【月の光】は不思議な力の象徴である魔法を吸収して、そして反射する魔法なんだろう。
【光渡しの杖】から引き出せる魔法、【記憶複製】。
魔法の名前はそのままずばりで、うん、記憶を移す魔法。よく考えたらこれは凄いことだ。
記憶ってものがどんなものなのか全然知らないのに、にゅるんと出して、ていやっと入れることができちゃうんだから。魔法って不思議。
それと、複製と呼んでいるけど、複製というよりは複写と貼付、今風にはコピーアンドペーストと言った方が魔法のイメージと合致している気がしていて、まぁただなんとなくコピペって聞くと嫌な印象があるから止めた。
光渡しって杖の方も、意味はそのまま。
光は目を開けると見えるもので、記憶は目を閉じると見えるもの。それがあたしの中にあるイメージで、だからそれを誰かに渡すための力が杖には宿っていると思うのです。
そして、最後の一本、【精霊の杖】から引き出せる魔法は、【杖罪】。
まず、精霊って名前、そう、これだけが唯一の例外で、あたしが名付け親じゃない。でも、あたしにとって、とってもとっても大切な名前で、大切な杖で、大切な魔法。
この名前は、こちらの世界に来て右も左も言葉さえもわからなかったあたしを救ってくれた大切な女の子、アリちゃんが考えてくれた。
実は杖自体も、この【精霊の杖】はアリちゃんが作ってくれたもの。
ふふふ、アリちゃん実は可愛いだけでなくて杖職人の道も目指しているのです!
って、アリちゃんのこと誰かに詳しく話したことはまだないんだけどね。誰それ状態よね。
閑話休題します。
閑話休題しまして、杖の罪と書いて杖罪、ちょっぴり怖い文字から連想される通り、少し……ううん、すごく怖い言葉。
杖罪は刑罰とか懲罰の一つで、噛み砕いて言えば、木の枝で背中を殴る罰のこと。
その昔も昔、中国の文化をガンガン日本に取り入れよう(語弊があるかしら)としていた時代に採用されていたとかなんとか。
当時は五刑と呼ばれ、笞罪、杖罪、徒罪、流罪、死罪の順に罪の重さが増していくらしい。
怖いね。
杖罪はそんな順番だけで言えば、二番目に軽い刑なのだけど。
その文字の並びが、あたしにはとっても強烈に、鮮明に、焼き付けられていて。
あたしが初めてその言葉を目にしたとき、勿論その歴史だとかなんだとかを知ってるはずもなくって、単に言葉から想像をしてみたんだ。
五つも並んでるから、人を罰するものだってことは知ってたのにね、あたし、杖罪を最初、「杖の罪」でそのままイメージしたの。
杖の罪ってなんだろう。
杖が犯してしまった罪は、一体なんだろう。
杖と聞いてあたしは、ご老人が歩行の支えのために使う杖と、ファンタジー世界の魔法使いが使う杖(こちらもペン程度のサイズと、身長ほどのサイズと二種類ある気がするけどね)を想起するけど、そのどちらにしたって、杖が犯してしまうならきっと。
その罪は、折れてしまうことだ。
杖は、一本の連続性があるからこそ杖なのであって、使用できるのであって、デザイン以外の外的な理由で折れてしまえば、もう杖を杖として扱えない。
うん、杖の罪は、自分自身を守ることができなかったこと、なんだろうね。
あたしは、この世界で優しさに触れてきた。その代表で象徴がアリちゃんで、あたし、彼女があたしのために三年間の思いを込めて杖まで作ってくれて、今回の旅を応援してくれるだなんて思ってもなかった。
とっても嬉しかった。
だから、あたし、決めたの。
絶対に、折れないって。
どうしてこの世界に来てしまったのか、あたしは知る。
元の世界に帰れるのかどうか、あたしは知る。
その上で、あたしはどちらかを選択する。
それまで、絶対に折れない。
折れてしまっては、途中で諦めてしまったら、きっとあたしのことを心配してるお母さんとお父さん、世話を焼いてくれて事情を真剣に聞いてくれて応援してくれてるアリちゃんやクローツくん、メイヤさんへの裏切りになっちゃう。
そんなこと、あたし、したくない。
あたしの決意から流れるように、【精霊の杖】の魔法をあたしは【杖罪】と名付けた。
絶対に折れないあたしの代わりに。
絶対に、幾重にも折れ曲がってくれる魔法が、この杖には込められていたから。
* * *
空を翔けるワイバーンからワイバーンへと飛び移っていたウェインリーさんに対して、敵の防御魔法【障壁】がぶつけられ、あたしの眼下、ウェインリーさんは空中で為す術なく落下していった。
それを見て、あたしはもう反射的に飛び出す。
つい先ほど隣で気絶していた賊のポーチから取り出した紙をズボンのポケットに突っ込んで、【精霊の杖】を構えながら大きな背中から飛び降りる。
狙いを遠く離れたウェインリーさんに定めて。
紡ぐ。
魔法の詠唱。
「【杖罪】」
さぁ、曲がって。
あたしの、髪。
魔法の発動と同時に、あたしの銀の髪は急速にその容積を増していく。
普段は肩にちょっと届く長さで、最近はあんまり結んだりもしていないあたしの大切な髪は、空中で一気に膨張して、一本一本が意思を持ったかのように、あるいはあたしの指揮の下に連携をとるオーケストラのように弾けていく。
膨れ上がる度に、あたしの髪が受ける空気抵抗も増していく。でも、魔法の影響なのか、あまりに長い髪のおかげで根元から引っ張られることがほぼないからなのか、痛みは感じない。
自分の姿を見たことはないけど、たぶん、結構怖いことになっているんじゃないかしら。
テレビ画面から出てきたら完璧だね。同時に電話も鳴らしてやろう。
「ウェインリーさんっ!」
あたしはどこまでも伸びていく髪の一部を、ウェインリーさんに向けて飛ばす。
本来の髪のイメージって柔らかくてふわふわしているものなのかもしれないし、実際この魔法の始動はそんな感じなんだけど、あたしの命令で駆動するそれらは、ある量のまとまりを作って、まるで鋼鉄のパイプが宙を突き進むように、曲線ではなく折れ線を描いて向かうべき先へと到達する。
試したことはないけれど、きっと硬度は凄いことになっているだろう。それこそ本当に、鋼と呼べるくらいに。
落下速度を遥かに上回るスピードでウェインリーさんの所まで届いたあたしの髪は、そこで硬から柔へと再びその性質を変化させる。
柔らかくなっても、風には負けない。あたしの意思通りに髪は束ねられ、目的を達するために自在に動く。
ウェインリーさんの体を包み込むように、その周囲をぐるぐる、何重にも何重にも巻いて擬似的に球体を作っていく。
これでウェインリーさんのことは大丈夫な、はず。
よく知らないウェインリーさんの魔法は信じられないけど、よく知ってるアリちゃんが作ってくれたよく知ってるこの魔法のことなら信じられる。できることもできないことも把握できてる。
次にあたしは、もう、すぐにでも迫ってきている地面に向けて髪を繰る。
今度は硬さと柔らかさを同時に使う。ばねをイメージして、螺旋を描きながら地面に髪を張り付ける。
もう今あたしがいる空は王都の領域の内に入っていて、だからあたしの直下には、何だかの建物がある。
ごめんなさい。ちょっぴり、壊しちゃうかもしれません。
心の中で謝って、衝撃に備える。
自分の髪の毛の感触が徐々に増していく。その圧力が少しずつあたしの体を押し付けている。
やっぱりちょっと怖くて目を瞑るけど、そうも言っていられないので自分が落ちていく感覚がなくなったと同時にあたしは思い切って、身を起こす。目分量でちょっと多めにクッション用の髪を出しておいたけれど、多すぎたのか、水泳の飛び込み台の上にいる気分くらいには地面、というか建物の屋上からは離れているみたいだった。
あたしから十数メートル離れたところ、別の家屋の上に銀の球体が僅かに振動しているのが見えた。
「も、戻ってきて」
あたしがそう言葉にすると、髪の毛はしゅるしゅると元の長さになろうとあたしの元に戻ってくる。
戻ってくる髪に、何度もあたしは呟く。
ごめんね。痛めつけちゃって。痛かったよね。乱暴にしてごめん。お風呂入ったら丁寧に洗うね。
自分の髪とはいえ、地面激突のクッションとして使ってしまうことには抵抗がある。抵抗というか、申し訳ない。
ゆっくり髪をしまいながら、あたし、久し振りに地に足をつける。や、正確には地面じゃないけど。
「ウェインリーさんっ! 大丈夫ですかっ!?」
あたしが声をかけると、すぐにウェインリーさんが駆けつけてくれた。
まぁ空を移動する生物間を跳躍していたくらいだ、ちょっと家の屋根を伝うくらいなんてことないだろう。
周囲のざわめきも聞こえてくる。それがワイバーンを指差してのことなのか、空から降ってきた恐怖の髪の毛を指差してのことなのかは今は考えないことにします。
「おい、アオイお前な……」
「あっはは、ごめんなさい、驚きましたか?」
「驚きはしたが……髪を伸ばす魔法を使えるならどうしてわざわざあの場所から飛び降りたのだ、危なすぎるだろう」
「うん……うん? はい?」
「空中では制御がしづらいだろ」
「え、あ、はいそうですねごめんなさい」
……どうしてあたし、いきなり叱られてるんだろう。
でも確かに言われてみれば。
「降りる意味はなかったのかもしれないな……でも夢中だったから」
「そうか。いや、実は【加速】が発動した状態ならあの程度問題なかったんだがな」
「ぐぅっ」
「ふ、アオイ、よく助けてくれた。ありがとう」
「い、いえ……」
なんか試合に負けて勝負に負けた気分だ……ただの負けだなそれ。
というか、一瞬考えてはいたけど、ウェインリーさんあの高さから落ちてもやっぱり大丈夫だったのか。凄いな。人のことあんまし言えないけど。
むむむ、と恥ずかしがっているとウェインリーさんがふっと微笑んだ。
ちょっと安心する。
「さて、よもや私の速度に反応する者が混ざっているとは思わなかったが、最後の一人もなるべく早急に片付けねばな」
「あの人、たぶん思ってるより強い」
「あぁ。私も油断していた。驚異的な反応速度で【障壁】を展開しただけではない、私の剣を通さないほどの強度と密度を誇っていた。かなりのやり手だ」
あたしは頭上を見上げる。
四匹のワイバーンがふらふらとしながらこちらへ降りてきているのがわかる。
ふらふらとしているのは、自分を操るべき者がいなくなったから目的を見失ってひとまず速度を落としながら適当な場所に着地しようとしているからだろう。
ただ、今重要なのはすぐには目に映らない、最後の一体。
あれはどこに行ってしまったのだろう。どこへ向かうつもりなのだろう。
王都に入っちゃったからすぐにでも警備隊や、ウェインリーさんの他の聖天騎士団の人とかが駆けつけるかもしれない。
「ウェインリーさん、この場の誰かに【記憶複製】しておきますか?」
眼下、慌しく叫んだり空を仰ぐ人々を見て、あたしは元々の作戦を提示してみる。
でももうこれだと手遅れな気もするなぁ。
「あぁ、そうだな……ん?」
「どうかしましたか?」
あたしの話に頷きかけたウェインリーさんが首を傾げた。
聞き返してみると、ウェインリーさん、あたしの方をじっと見てきた。
な、何かしら。
「それ、なんだ?」
「それ? って……あぁ」
微妙に視線があたしの顔じゃなくて下半身の方に寄っていたので何かと思えば、あたしのジャージなズボンのポケットから紙の端がはみ出ていた。
さっきワイバーンに乗っていたときに賊から拝借したものだ。
確か小さなポーチに山ほど紙が詰め込まれていて、その一枚を取っていたのだ。
そういえば中身を見てないけど、何かヒントになるようなこと、書いてあったりするのかしら。
「あ、これ、さっきの賊が持ってたんです。一枚だけ奪っちゃいまして」
「何か書いてあるか?」
「ええと……」
半分に折り畳まれたそれを開く。
そこにはただ文章が書かれている。見るに、手紙か何か、連絡の形式をとっている、と、思う。
うう、アーツ語の読み書きはまださくさくできるものじゃあない。辞書が欲しいな。メイヤさん特製の辞典が欲しい。
「ええと? ミッカゴ、アカノヒノシキテンニテ、サイゼンレツノモットモカーペットガワノセキニ……」
「っ!? これは!?」
「ウェインリーさん、何て書いてあるんですか!? あたし、長くて読めない!!」
「あいつらっ……まさかこれをばら撒くつもりか!?」
「ちょっとウェインリーさん? ウェインリーさんてば!」
急にウェインリーさんの表情が曇る、ううん、曇るなんてもんじゃなくて、青ざめてる。
一体何が……あたしが解読できたところまでだと、「三日後、赤の日の式典にて、最前列の最もカーペット側の席に」とかなんとかだったかしら。
やっぱり依頼の内容が書かれてるのかな。
しかし、最前列の最もカーペット側ってわかりづらい表現。
割と落ち着いた雰囲気のウェインリーさんがでも、これほどまでに同様を表に出すくらいなのだから、相当にまずい状況になってしまっているんだろう。
「あたしにもわかるように話してください!」
「……だが」
ウェインリーさんは躊躇した。
あたしにはどうしてなのか、わからない。
わからないから、ただじっと、次の言葉を待つしかできない。
こうして待っている間にも、もしかしたら状況はどんどん悪くなっていっているのかもしれない。
実は別にこの紙に書かれたことなんてどうでもいいことで、あたしには関係ないのかもしれない。『竜の落し子』の襲来と関係がないのかもしれない。
でもあたし、ちゃんと待つの。
今すぐにでも動き出したくなる体をぐっとその場に括り付けて、ウェインリーさんの目をじっと見つめる。
「わ、私は……」
それでもなお、躊躇いを見せたウェインリーさんに、あたしが痺れを切らして、もう一つ、言葉を重ねようする。
でも、その言葉は空に散った二つの炎によって阻まれる。
大きな破裂音と共に、綺麗な青空に赤と紫の炎が凄艶な広がりを見せる。いつか見た花火のように、それよりも熱く強く、胸に響く。
あぁ、この炎の煌きを、あたし、知ってる。
色がどうとか、炎の雰囲気がどうとか、そんなことじゃない。そんなことじゃなくて、あの炎だからあたしは知っている。
あの力の在り様はきっと、一度見たら忘れない。
「魔の探求者……」
真紅の炎と向かい合う、闇の炎。
「私はあの場を貴様に任せた、つもりなのだが」
「……奴だけ、焼き尽くすのに少々手間取ってな」
魔の探求者が炎と共にあたしの傍へと降り立った。
ほんの短い時間見なかっただけで、その姿にはかなりの戦闘の跡が残っている。白のコートはだからこそ焦げ目が目立ってしまっている。
顔もやや煤に染まっている。
でも、魔の探求者は、彼らしく立ったまま、それ以上は何も語らない。語らずに、ただ炎が失せた空を見つめている。
「手間取るなどと言い、逃がした挙句、王都にまで侵入されているのだが?」
「ぬ……汝らこそあの五体を喰い止められていないではないか?」
「はい、喧嘩してる場合じゃないから。こっちも一人取り逃がしちゃったの。一緒に止めて欲しい」
どうやら魔の探求者、あたし達と同じように一人だけ逃がしてしまったらしい。
まったくまったく、あたし達は駄目駄目ですなぁ。
そんなことを考えながらあたし、ウェインリーさんに向き直る。
少しだけ、迷って。
迷わないことを選択する。
「ウェインリーさん、これ」
そうして、あたしは、読めない紙きれをウェインリーさんに差し出す。
迷わないことを選択するのは、うん、あたしの得意分野だ。
「要らないです。読めないので。ウェインリーさんに任せます」
「アオイ、だが」
「あたしは! ウェインリーさんのこと、信じてますから!」
無理矢理紙を押し付ける。
腹の探りあいとか、そういうの、苦手なので。
ウェインリーさんが言いづらそうにする理由とか、考えてもわからないので。
わからないものは、じゃあ、任せてしまう。わかる人に任せてしまう。
わからなくても自分でやらなくちゃいけないことも世の中にはたくさんたくさんあるけれど、たぶん今目の前にあるこれは、あたしじゃなくても大丈夫。
「魔の探求者、引き続き賊の長の相手をお願い。ウェインリーさん、ひとまずはさっきの人を追って。二人が本気出したら、すぐに終わるでしょう?」
「む、汝はどうするつもりだ」
「アオイはどうするつもりだ」
あたしの提案に、魔の探求者とウェインリーさんが心配するけれど、決まってる。
「ウェインリーさんさっき、その紙をばらまくつもりか、と言ってた。よくわかんないけど、その紙をばらまくことこそが賊の目的なのかも」
「アオイ、それはしかし」
「なら、それはあたしの役割。それはあたしが全部、回収します」
紙をばら撒くつもりというのなら、そりゃあ空からばら撒くんだろう。なら、ワイバーンという存在は当然、怪しすぎるくらいに怪しい。
けど、ワイバーンなんて大きな的なのだ。
どっか行ったとか、見失ったとか、ありえない。
「あたしが捉えて、捕らえる。場所の特定の後、もしもその紙が空から降ってきたら、あたしが全部拾ってやる」
もっと言えば……地に足つけたあたしから逃げたとか、ありえない。




