魔の探求者編 7
「まず確認したい。アオイの使った魔法……【記憶複製】といったか、あれはアオイの記憶ではなく、私の記憶を誰かに渡すこともできるのか」
「うーん……やったことはないですけど、その場にいればできると思います」
「わかった、ならばこのまま私と行動を共にして欲しい」
「はい、そのつもりです」
あたしとウェインリーさんは切羽詰った表情で会話を進める。
実の所いまいち状況把握がしきれていないあたしは、けど疑問点を考えるより先に、次の行動を考えてみる。
これまでのことよりも、これからのことを考えていきたい。
「本当なら、君には別行動をしてもらい私の記憶を王宮の者に伝えて欲しいのだが無理ならば仕方がない。私と、あの賊を抑えつつ、近くの民に魔法を使って欲しい」
「近くの、民? えと、要するにその辺の人にウェインリーさんの記憶を渡すってことですか? どうして?」
「こういう時、町の声というものは指数関数的に広がるものだ」
なるほど。
確かに直接王宮の人に伝えることができたらその方がいいんだろうけど、町の誰かに事情が伝われば、噂は風よりも早く駆け抜けることだろう。
うん、そのくらいならあたしにもできそうだ。
問題はそれよりも、ウェインリーさんと一緒に「賊を抑えつつ」の方。
ぞ、賊……抑えれるかなぁ。
ひとまずの行動方針が固まったのであたしはさっきからずっと抱いていた疑問をウェインリーさんに投げかける。
「ウェインリーさん、聞いてもいいですか?」
「もうすぐに王都に着く、いや、奴らに追いつく。簡単にな」
今現在、あたしはウェインリーさんの魔法【加速】によって物凄い速さで地面を疾走している。や、疾走しているだなんて言うけれど、あたしはウェインリーさんの手に引かれて、トテトテやっとこさ走っている程度。
生粋の日本人(嘘)なあたしは、一体加速の魔法で何を加速しているのかがやっぱりどうも気になるんだけど、さすが魔法。
あたしの視界の端に、空を渡るワイバーンが映る。
確かに、のんびりしていられない。
「『竜の落し子』って言ってましたよね。あのワイバーン乗ってる賊のギルド名」
「ああ、その通りだ」
「それで、依頼を受けて暗躍するギルドだ、とも言ってましたね」
「あの一瞬でよく覚えてるな。元は普通のハンターギルドだったそうだ。主に町の依頼から凶暴なモンスターを狩っていたが、一部やりすぎる輩が多くてな、度重なる厳重注意に耐えかねて報復に出るようになったのが始まりらしい」
「逆ギレだ……って、まぁそんなのはいいんです。依頼、受けるんですね?」
「? ……あぁ」
ならやっぱり、ちょっぴり変だよね。
宝玉『ナギ』の行方、ウェインリーさんの知る事情。あたしと魔の探求者の出会い。そして、依頼をこなす悪いギルド、『竜の落し子』。
考えをまとめてみる。
「王宮内の誰かが、宝玉を盗めるように賊と繋がりを持ったって可能性があるって話をしましたけど、その誰かが繋がりどころかギルドに依頼していたんだとしましょう」
「依頼、か」
「この日のこの時間にこの場所に来てくれたら宝玉を盗める、とか。その人が盗んだ宝玉をどこかで手渡す、とか。そんなことをしたとします」
したとする、なんて面倒な表現しなくてもいいかもね。
たぶん、そうなんだろう。
誰かが、何かしらの思惑で、悪い人に、大切な宝玉を、渡した。
そう、売り渡しては、いない。
うん……なんでだろう?
「依頼人は、どうしてそんなことをしたんでしょうか」
「どうして、とは」
宝玉を売って単なる金を得るつもりならわかる。わかるけど、ただの宝石と変わりがないことがわかっている宝玉を狙う必要はない。普通の宝石を宝石店で奪えばいい。
でも、こともあろうに、宝玉を売るどころか、依頼をして、つまり金を払ってまで宝玉を盗ませている。
元から依頼人が『竜の落し子』仲間だっていうならわからなくもないけど、それはそれで、なんてまどろっこしい作戦なんだと思う。この場合は依頼人じゃなくって、もうただの犯人だ。
「何が目的でわざわざ宝玉を持ち出したのか、何が目的で宝玉を賊に渡したのか、何が目的で……」
「奴らを捕らえればそれもわかることだろう」
ウェインリーさんはさも当然と答えた。けど。違うの。
そう、違うんだよ。
何が違うって、あたし、ちゃんとわかってる。
「でも、賊の人達は今、宝玉を取り返すだけでなく、王都にも何かをしようとしている。それってつまり、依頼人との間に何かしらの決裂があったってことなんじゃないですか」
「決裂、とは」
「だって、本当にあたしと魔の探求者に絡んできたときに宝玉を落しただけなら、取り返せばそれで終わり、じゃんか。なんで王都まで戻ってるの? 第一王都にはウェインリーさんみたいに強い人がたくさんいるはずなんですよね、それなのにどうして、あんな目立つ、ワイバーンの編隊なんか組んで……」
「……」
「ウェインリーさん、これ、大変な問題に巻き込まれてないですか?」
一本一本、現状を整理するための糸を手繰り寄せて出来上がったあたしの推論は、残念なことに評価をもらえなかった。
もう眼前にワイバーンの集団、そして王都の入口が見えたからだ。入口、とはいっても明確に「ここからが王都テクサフィリアです」って看板があるわけじゃあないんだけど。
でも、ただ土を固めただけの道から、きちんと石を隙間なく並べたような道に変わる地点が境目としてはちょうどいい感じ。
「詳しい事情は私にもわからん! だが、私は王都を守る聖天騎士団が一人であり、今まさに民の平和を脅かす輩が侵入しようとしている……それを喰い止めることに専念するべきである!」
力強い語り。
あたしの心臓がどくん、って呼応するように高鳴る。
ウェインリーさんの内側から、不思議な力が漲っていくのが、人智を超えた力が溢れ出していくのが手に取るようにわかる。
もしかしたら、ウェインリーさんの魔法の影響下にいるから、魔力の流れがよくわかるのかもしれない。
あるいは、手を握られているから、体に触れているからよくわかるのかもしれない。
でも、あたしの目の前に、強く、大きな力が溢れていく感覚が、ある。
溢れる力が爆発することを確信して、あたし、ウェインリーさんの名を叫ぶ。
「ウェインリーさんっ!!」
「跳ぶぞ!! 手を離すなっ!!」
「はいっ!! ……はい?」
「っはぁっっ!!」
――残念ながら、あたしの気合は空回って終わる。
ウェインリーさんは短く吼えて、跳躍した。
あたし、もの凄い勢いで手を引っ張られる感覚と、そして、重力に抗って風を切る感覚を同時に得る。
発射からすぐに最高速度に到達するジェットコースターとか、逆バンジージャンプとか、元の世界で危険が危ないアトラクションってあたし苦手だったんだけど、そんなもの目じゃないくらいの勢いで、あたしの体は宙に向かって突き進む。
まだ、まだ上る。まだまだ加速しながら上っていく。
怖くて目を瞑ってしまう。
「もう少々我慢してくれ」
「はっ、はいっ……!」
あたしを気遣ってくれる言葉に、必死で頷く。と、いうか頷くことしかできない。
地面に足が着いていないことが怖すぎて、片手じゃ不安で、思わず両手で抱きしめるようにウェインリーさんの腕にしがみつく。
うー、怖いよぉ……。
「さて、まずは一騎を奪うとするか」
「きさ、ま……っ!?」
え、あれ?
今、知らない男の人の声が聞こえた。
ってことは、もしかして、いや、もしかしなくてもワイバーンがすぐ側にいるのかな。
そんな高度までジャンプしたのかしらウェインリーさん。【加速】って確かに身体機能の向上もあったはずだけど、こんなことまで出来るんだっけ? あぁ、ちゃんと基本的な魔法については勉強しとくんだった!
とかとか、謎の反省をしていたら浮遊感が消えて、更に足がなにかごつごつした物の上に乗っかった。
想像が正しければ、あたしは今ワイバーンの背に乗ったんだろう。
足が着いている、ってだけで安心感が全然違う。
「アオイ、手綱を任せたい、目を開けてくれるか」
「えと……」
開けていいぞ、じゃなくて、開けてくれ、と言われた。
そう言われたら、頑張るしかないよね。
こ、怖いんだけど……確かに今すぐ落ちるわけじゃあないし……。
ゆっくりゆっくり、少しずつ目を開けていく。
開けていく視界には、予想通り岩のようにごつごつした体躯が映った。ワイバーンの背中だ。さっき間近で見たときよりも大きく感じる。人がこうして乗れるんだからそりゃあ中々のサイズだよね。
深呼吸をする。息を長く吐き出しながら、ウェインリーさんの腕にかけていた力を緩める。見てみれば、ウェインリーさんが気まずそうにしつつも、あたしがしがみついていた逆の手に細剣を握っていた。
「よし、じゃあゆっくりで構わない、そいつが持っていた手綱を頼む」
「手綱……?」
手綱手綱……と、考えようとするより前に、あたしとウェインリーさんの足元で気絶している男の人。無精髭が生えっぱなしでちょっと不潔なこの人が確かに革のベルトみたいなものを掴んでいた痕跡がある。そのベルトがワイバーンの頭の方に伸びているのも確認できる。
これ、掴んでればいいのかな。
ウェインリーさんと、それに人が乗るために取り付けられている鞍から絶対に手を離さないようにして、あたしはさっき見た賊達のようなポジションに座り、手綱を握る。
相変わらずあたしの体は震えてるけど、どかっと座ってみると多少は余裕ができる。
「よし。では私は残りの殲滅に向かう。こいつ、このまま頼めるか?」
「あ、え、と、はい。はい、大丈夫です」
「私の手が離れるとアオイの感覚は元に戻る。風がぶつかるが気にするな、手だけは絶対に離すな、混乱するかもしれないがどうにか耐えろ」
「は、はいっ。頑張ります善処します」
あたしが答えると、ウェインリーさん、笑って頷いて、そして、手を離した。
瞬間。
「っ!?」
吹き荒れる暴風があたしの全身を真正面から殴りつけた。
ウェインリーさんの声とほんの少しの風切り音が聞こえていたさっきまでとは打って変わって、風によるノイズしか耳に入ってこない。気持ち、耳がキーンとしている気もする。
目もずっと開けていられない。
恐怖じゃなくて、開けていると眼球がぽろっとどっかに飛んでいってしまいそうだ。
「――っ! ――っ!」
「さすがに魔法を解くと……この空の中では声が聞こえんな。まぁ問題もあるまい」
「え、え? ウェインリーさん何か言いましたか?」
「ああ、こうしてはアオイの声も届かんか……いや、さっさと終わらせよう」
何かを言ったウェインリーさんがまた跳躍した。
横に並ぶ残り四人も倒すつもりなんだと思う。
数回間近で見たからか、ウェインリーさんの魔法の残滓があたしの中にあるのか、ウェインリーさんの加速を今は割と目で追える。
空を走る背中から背中へと何の迷いもなく跳んでみせるウェインリーさんは、こう、凄いと表現すべきか無鉄砲と表現すべきか少し悩ましい。
次々に二人目、三人目と気絶させていくのが薄っすら見える。あたしの横で寝ている人も確認してみると、峰打ちを喰らって倒れているだけなのでたぶんあっちでも殺す気はないんだろう。
「っていうかこれ、どうしたらいいんだろ……」
あたし、言われるがまま為されるがままワイバーンに乗っかって、手綱を握ってるんだけど。握ってるんだけど……心なしか……高度が下がっている、ような……。
確認のため、怖いなぁと思いつつも、ちらりと地面を確認。はい、近づいてる。
「待って待って落ちる落ちてるっ!?」
当然だ!
なんたってあたし、ワイバーンの乗り方なんて知らない!
飛行機の操縦方法と同じくらいワイバーンの扱い方知らないよ!
ど、どうしようなんかこう手綱で操作できるものなのかしら。
ぐい、と引いてみる。
「グアアアッ!」
「ごっ、ごめんなさい!」
なんか怒られた!
それで、微妙に速度が上昇してる気がする。
「ちょっ、ほんと駄目だってば。ウェ、ウェインリーさん助けて欲しいですっ!!」
あたし自身にどうすることもできないってことをすぐに確認して、助けを求める。あたしは無理をしないのだ。
とはいえ……。
周囲に目を凝らすと、あたしが乗っているこの子の他に三匹くらいが似たような軌道を描いている。落下、と呼ぶほど速く落ちているわけではないんだけど、少しずつ、ゆっくりと落ちている。
このままだとどこぞの家に墜落しそうだ。
もう少しよくよく見てみると、ちょうどウェインリーさんは残った最後の一人を仕留めるため、またしても跳躍を始めたところだった。
普通に考えてこんな空中で攻撃されることを、正確には、こんな空中にその身一つで飛び込んでくる相手なんて想定してはいないだろう。
たぶんあたしでもワイバーンの群れに飛び込むなら戦闘機か高射砲を持ち込むと思う。
ともかく、奴さんは突然襲い掛かってきたウェインリーさんに何もできていない。
うん、これまでのペースで考えれば、ウェインリーさんが最後の一人を倒してまたこちらに戻ってくるだけの余裕はありそう。
よし、それなら信じて待つとしよう。
変に刺激して加速しながら地面に突っ込むことがないように、あたしはぎゅう、と全力で掴んでいた自分の腕から力を抜く。
「信じれる。うん、大丈夫。信じることは、できる」
呟いて、一応、恐る恐るすぐ側で寝ている賊の方を自分の方に引き寄せた。
ウェインリーさんがそうしたように、あたしだって別にこの人を殺したいわけじゃない。ふとした拍子に落ちてしまわないように、念のため、ね。
よいしょ、と言いながらちょっと体を動かして、それでもやっぱりちょっと怖いので腰につけていた刃物は奪ってしまうことにする。腰のベルトに刺さっていたそれをそっと抜き取る。
抜き取ったとき、この人のベルトにはポーチもついていた。刃物はさすがに入っていないだろうけど、念のため、と思ってそちらもジッパーを開けて中身を確認してみる。
「ん、なんか紙……依頼書かなにかかしら」
ポーチの中には折り畳まれた紙がぎっしりと詰まっていた。
別に武器はなさそう。
特に意味もなく一枚を抜き取って、ポーチの口を閉じた。
その紙に書かれた文字を読むよりも前に、今の一瞬の間にウェインリーさんがことを片付けて戻って来てはいないかと最後に残った敵のいる方向を見てみる。
「――え?」
あたしの目に映ったのは、【障壁】。
透明な空間に靄がかかったような、黒色の壁ができている。サイズはちょうどワイバーンの姿を覆い隠す程度。
そしてその発生源は、ワイバーンに乗った、賊の最後の一人。
【障壁】も比較的シンプルな魔法の一つで、外界から内部への侵入を阻む魔法だ。確か、物理的にも、魔法的にも。
つまりそれは、ウェインリーさんを阻む壁となる。
「っ、どこっ!?」
あたし、身を乗り出してその姿を探す。
この世界において、飛行の魔法はあんまりメジャーではない。その理由は制御が難しいから、必要とする魔力が膨大だから、その割にスピードがでないから、優雅に舞うこともできないから、などなど沢山あるとのこと。
だから、ウェインリーさんが急に空を飛ぶようなことは、たぶんない。
ウェインリーさんは【加速】によって超高速での移動、それに身体能力と感覚機能のブーストをしていた。
それによって空を高速で駆けるワイバーンに追いついてしまうほどで、地面からジャンプして上空に上れるんだから、空から落っこちても大丈夫なのかもしれない。
でも、でも。
普通に普通の世界で普通に生きてきたあたしは、ちょっと三年間魔法に触れ合ったくらいでちょっと目の前で繰り広げられたことのある程度にしかよく知らない魔法を無条件で信じることはできない。
よくわからない人の言葉なら信じれるけど、よくわからない魔法のことは信じてない。
「いたっ!!」
そんなあたしは、迷うことなく立ち上がって、自分の恐怖なんか頭のどこかに追いやって、そのまま勢い良く飛び降りた。
あたしの目は少し遠く、逆さに落下するウェインリーさんの姿を捉えていた。
壁に阻まれてしまい、空中で為す術なく落ちていったのだろう。
――動じるな。
――考えるより先に動かなければならない場面でこそ、よくよく考えろ。
ウェインリーさんを助ける。
自分のことも、大事にする。
王都に住む人達に、悪いことをさせない。
できるよね。
うん、できるよ。
あたし、ワイバーンから飛び降りてすぐに【精霊の杖】を構える。
あたしが持っている杖は三本。
【月繋ぎの杖】。
【光渡しの杖】。
そして、【精霊の杖】。
杖には魔法が宿っている。
あたしに魔力はないけれど、あたしは杖の魔法を引き出せる。
杖に宿っている魔力は膨大で、複雑で、あたしにはまだ、その全部を引き出せているわけではない。
精々が一本の杖に対して一つの魔法くらいしか使えない。いつかできるようになるのかもしれないけれど、本当に今のあたしにはそれだけで精一杯。
【月繋ぎの杖】からは、【月の光】だけ。
【光渡しの杖】からは【記憶複製】だけ。
【精霊の杖】から引き出せる魔法も当然たったの一つだけ――。
「【杖罪】」
重力による自由落下の恐怖を感じながら、あたしはその言葉を紡いだ。