3-1
これは災難と言うべきなのだろうか。
いや、客観的に見ればそれは羨ましい限りな状況であるのはわかっている。
しかし、それはあくまで客観的にという言葉がなければ意味を為さない。それが主観的に変わったとき、羨望から面倒へと気持ちは転換していくだろう。自分、流行にとってはそうであった。
だからこれは災難なのだ。
ゲリラ豪雨、落雷、突風、地震などなど。そんな災害と同じく思いもよらぬ形でそれは起こってしまうのだから。諦めるしか他はないのだが、出来れば逃れたい。その為に、いま、流行は必死に逃げているのだ。彼女から。
「待ちなさいっ!!」
そう叫びつつ伶子はポケットの中から飴玉を取り出すと投げてくる。食べ物を粗末にするのではありません。そう親に習っていないのだろうか。
しつこい。
昼休み。廊下には今日唯一の長い休み時間を謳歌しようと多くの生徒がおり、その合間々々を縫うように駆ける流行なのだが、そんなことお構いなしといった風に伶子は「邪魔ですわ!」の一言で生徒たちを除けながら一直線に向かってくる。これを見たら、モーゼもビックリだろう。神の使いと崇め奉られてしまうかもしれない。まぁ、黙っていれば女神ぐらいには思ってくれるかもしれないが、今の状況を見るだけでわかる通り、そんなことは起きないことはわかってくれると信じている。
「待てと言われて待つ人はいませんよ! 宮内院さん!」
うわっ!?
後ろに向けた顔に向かって飛んできた砂糖の塊を寸前で掴んで邪魔なのですぐにポケットに突っ込む。憎まれ口も安心して叩いてもいられない。
「執事となったのだから主人の命令は聞くものよ!」
「いや、なった覚えがないですから!」
伶子の言葉に流行は即拒絶する。「わたくしが指名したという事実がもう執事となった証しよ!」などとのたまう始末。選択の余地なしですか。流行の意志などお構いなしのようだ。
ヤバい、追いつかれる。
そうこうしているうちに、真っ直ぐの廊下をくねくねと人を避けながら進む流行に対し、真っ直ぐ突き進む伶子では進む距離に差が出来てしまい、男女の体力をそれがカバーし、その差は縮む一方である。さらに悪いことに廊下を何も考えずに突き進んできたので知らず知らずのうちに昇降口の方へと来てしまっていた。もうその先は外である。隣の棟に移動できるわけでもなく、校門へと繋がるロータリーがあるだけだ。上履きのままで行こうものなら教師に見つかった折にはこっぴどく叱れるのが目に見えている。この前も確か上級生が上履きで外を歩いていたら教師に見つかり、生徒指導室で二時間ほど叱られた上に反省文まで書かされたらしい。翌日提出厳守のおまけ付きで。それならば、靴に履き替えればいいのだろうが、そんなことをしていたらすぐに捕まってしまう。
迷う余地はないか。
このまま行って、もし教師にでも見つかったらという光景がパッと脳裏に浮かんできたが、すぐに伶子に捕まりパシしられるという光景へと変わり、次に起こす行動は決定した。
「追い詰めましたわ」
昇降口まで来ると、伶子はそんな言葉を言いながら得意顔。ここでも投げ
てくると思ったのだが、もう飴玉爆弾は底をついたらしく飛んではこない。
しめた。
まだこちらの考えには気付いていないようだ。
「いえ、お嬢様。わたくしにはまだまだ策がございまして」
と、回りくどい言い方をしながら頭を下げると、パッと後ろを振り向き、上履きのまま再び駆けだし、昇降口を出た。「流行! そのようなしつけをした覚えはありませんわよ!」と叫ぶ伶子はしっかりと自分の下駄箱から靴を取り出し、履き始めていた。
いや、しつけをされた覚えが皆無ですけど。
まるでおいたをしてしまった犬に対するかのような言い方にふと笑みがこぼれてしまった。
「ふぅ……」
ここまで来れば大丈夫だろう。
両足に手をつき、一息入れたところは体育館の裏。学校の敷地内でも裏手にあたり、木や建物に囲まれて日中でも薄暗く湿ったような雰囲気なので誰も寄りつかない場所である。来るとしたら体育館で部活動をする生徒が時折、休憩で使うぐらいだろう。
「ふぅ~」
「はぁ~」
いや、前言撤回である。顔を上げ、伸びをするついでに深呼吸をしたらそこに協和するように溜め息が聞こえてきた。最初は空耳かと思ったが、また「はぁ~」と溜め息が聞こえてきたのでやはり誰かいるようだ。
誰がこんなところに。
と、自分のことは棚に上げてそんなことを思ってみる。
目を凝らし見てみると、体育館から外へと通じるいくつかの扉の前に三段ほどの階段があるのだが、そこの一つに座っている人影があった。
小さいな。
それは随分小柄な人のようで、座っているとさらに縮まって見えて、薄暗がりの中では意識してみないとわからないくらいであった。
「はぁ~」
三度の溜め息。このご時世、声のかけにくいものであるが、こうまで溜め息を連続でつかれてはこちらとしても何かしないといけなくなる気分になってしまう。
「どうしたの?」
近付いて声をかけてみると、そこにいたのは普段ならあどけない表情を浮かべているであろう少女で今は困ったような顔をしている。その顔はまだ発達途中といった雰囲気で、今は元気なく重力に任せて垂れ下がっているツインテールがさらに幼さを演出している。
「はぁ……はっ!?」
数秒の間、気付かなかったようで四度の溜め息をつこうとしたところで流行の存在に気付いたようだ。困った顔が驚きの表情へと変わった。うん、可愛らしい。
「誰ですか!?」
舌っ足らずな話しを少女はする。同時に逃げようとしたのか後方に下がるが階段の途中に座っているのですぐ上の段に背が当たり、上半身だけ勢いで後ろに曲がり、逆エビ反りの格好になってしまう。
「きゃん!?」
小型犬が尻尾でも踏まれたかのような鳴き声を出す。ツインテールも驚きに合わせて跳ねあがる。可愛い。もしかしてツインテールと脳が直結していて感情に合わせて動いているのではないだろうか。
「大丈夫でちゅ……いや、大丈夫?」
あまりの可愛さに言葉を間違えそうになってしまった。さすがにそこまでの年齢ではないだろう。
「はい、大丈……ふぇ!?」
がん、と再び背中を強打する少女。可愛い。というか、どれだけ警戒しているのだろうか。何だか悲しい気分になってきてしまう。そこまで自分は怪しい人間ではないと思う……たぶん。
「いや、何もしないから大丈夫だよ。ホント」
うーん、なぜだろうか。幼女趣味の中年のおっさんのような台詞に感じてしまうのは。いや、決してそんな気持ちはないのだ。ただ子犬を見るような、子猫を愛でるような、そんな気持ちだ。言い訳がましいがわかって欲しい。
「ホントに?」
少女は少し瞳を濡らしながらそう聞いてくる。あぁー、連れて帰りたい。
いや、本当に悪い意味ではない。先程、弁解いや説明したとおり犬猫に対する感情に似たようなものなのだ。
「ホントにホントだよ」
そう流行が言うと、少女は「う~ん」と唸ったあとに「うん、わかった」とまだ少し警戒心を残しながらも軽く頷いた。
どうしたものか。
と、制服のポケットに手を入れると、指の先に何かが当たった。
おっ、そういえば。
先程、伶子が投げつけてきた飴玉を有り難く貰っていたのを思い出した。これでもあげれば少しは態度が軟化してくれるのではなかろうか。
「これあげるよ」
「わぁ! ありがと!」
ぱぁ、と少女の顔に満面の笑みが広がる。心の底から喜んでいるように見える。やはり可愛い。「わぁ~、イチゴ味だぁ! やった!」と言いながらまるでそれが優勝杯かのように飴玉を空に向かって掲げる。少女の脳内ではもしかしたら花吹雪がバズーカで飛ばされ周りを舞っているのかもしれない。
「お名前はなんて言うの?」
考えてみれば聞いていなかった。
「ん?」
口の中で飴玉を転がすのに夢中で人の話を聞いていなかったようだ。もう一度、尋ねると口内を踊っていた飴玉を左頬袋に納めて「ミミ!」と元気よく答えてくれた。
「ミミ?」
「うん! ミミ! 戌居ミミ!」
ほうほう、子犬の方でしたか。
と、妙な納得の仕方を流行はしてしまった。
「ミミちゃんね」
「ん~」
流行の呼び方への同意なのか飴玉の味への感嘆なのかはわからなかったが、前者だと勝手な解釈をすることにした。どうせこの年頃の女の子なんだからそんな呼び方でも許されるだろう。
「それでここで何をしていたの?」
よいしょ、とミミの隣に流行は座る。飴玉作戦が功を奏したのか特に嫌がる素振りも見せず自然と座れた。先程の警戒心が何だったのだろうかと思う。今後本当に見知らぬおじさん、いや決して自分がおじさんだという訳ではないが、そんな人が近寄ってきたらどうなることやらといらぬ心配までしてしまう。それもこれもミミが可愛いからだろう。もう持って帰りたいほど……いや、他意はない。絶対ない。信じて欲しい。まだ犯罪者になるつもりはないし、今後もなるつもりはないのでそこは理解しておいて欲しい。もう認めてしまうが、先程から弁解ばかりでどうしようもないと自分でも思ってしまう。思わず溜め息が出てしまう。「どうしたの?」と逆に心配されてしまう始末だ。
「いや、大丈夫だよ」
と、大袈裟に手を振り否定する。どうにも脳内自爆してしまう。今日はどうにも調子が悪い。遅刻しそうになって全力疾走で登校する羽目になるわ、そのことで二限終わりの休み時間に屋上に顔を出したら都に馬鹿にされるわ、伶子に追いかけ回されるわ、で身体的にも精神的にもやられているのが何となく自分でわかる。しかし、それをミミに言ったってしょうがないので強がりを言う。
「それよりさっきの話に戻るけど、こんなところで何してるの?」
「えっ!」
「何か嫌なことでもあったの?」
と、さらに聞くと大きなくりくりとした瞳をさらに大きく見開いて「えぇっ!?」と啼いた。
「どうして、その、えっと……」
どうにか誤魔化そうといているようだが、バレバレである。それ以前にあれだけ溜め息をつかれれば流行じゃなくても声をかけたくなるはずだ。
「わかったの?」
じっと訳知り顔で流行が見ていると、言っている途中で図星なのがバレてしまったのに気付いたミミは恥ずかしそうにそう聞いてきた。
うぉい!
上目遣いで小首を傾げるなんて反則ではないか。思わず顔を背け、心中で言葉にならない叫びを発してしまった。もう何かの扉をノックしてしまっているのではなかろうか。自分で自分のことが心配で心配で仕方がない。
いやいやそんなことよりミミのことである。このままでは相談にも乗れない。無心だ。無心になるんだ、流行。仏の心を思い出せ。仏の心は慈悲である。あらゆる手立てによって、全ての人々を救う大慈の心である。ちょうど子を想う母のように、しばらくの間も捨て去ることもなく、守り、育て、救い取るのが仏の心である。両手を合わせ、目を閉じる。ちーん、とお鈴の音が脳内に響き渡るような気がした。
「大丈夫?」
と、変な宗教心を掻き立てられていたらまた心配されてしまった。下から覗きこむような形であったが、今度はおかげで惑わされることはなかった。
「うん、大丈夫だよ」
どこか遠くを見つめながらそう応える流行。傍目から見ると、何か悟りを開いたかのようであった。ここまで言っておいてなんだが、流行は別に仏教を崇めているわけでもなく、俗に言う無宗教なので本来の意味を理解しているわけではないのであしからず。
「なにか悩んでいるようだったからね。それにこんなところにこんな時間に一人でいるから何かあったのかと思ったんだよ」
「そうなんだ」
唇を突き出してどこか納得のいってないような様子ではあったが、ミミは流行の言葉に素直に頷いた。
「なにがあったの?」
「う~ん……」
唇を突き出したまま唸る。言おうか言わまいか考えているようだ。何か言い難い話なのだろうか。ここでもし女の子特有の問題だったらどうしようかと急に戸惑いが鎌首をもたげ始めてきた。いや、でもその時はその時だ。ここまで来たら、保健体育やら課外授業、主に本や映像媒体、そちら方面に詳しい連中の話だが、それらの知識でどうにか乗り切るしかない。
「言うのが嫌なら無理して言わなくてもいいんだよ、ミミちゃん」
フォローは入れておく。相談に乗るにしたって無理強いしては元も子もないように思う。今日初めて会った、それも男なんかに簡単に話せるものでもないだろう。まぁ、逆にその方がいい時もあるが、それはそれで今回に当てはまるかはまだ分からない。
「あのね」
唸り始めて二、三分だろうか。決心がついたのかミミはそう切り出してきた。
「クラスで劇をやることになったの」
「うん」
「あっ、やるのは不思議のアリスなの」
とミミは思いだしたかのように言う。
「うんうん」
流行はそれを聞いて優しく頷く。母が子を想うではなく、父が子を想う感じである。まさに仏の心。
「それでこの前、やる役を決めることになってどうやって決めようかってことになって先生がみんなで決めなさいって言ったの。だから、みんな最初は自分がやりたい役がある人は自分で言うってことになったの。でも、みんなもじもじしちゃって自分から言い出さなくて全然決まりそうもなくてどうしよっかってことになって」
大変だな。
ミミの言う場面はよくクラス内ではありがちなものである。みんなで牽制し合うというのかみんな面倒だからというのかいろいろ理由はあるだろうが、普段元気な人物でもこういう時になると空気を読むもので、まぁ、腐っても日本人ということだろうか。
しかし、そんな日本人でもあの伶子ならばどうするだろうか。すぐにでも手を上げ、アリス役を求めるだろうか。あるいは逆に最初は皆の反応をうかがい、誰も言わないところで仕方がないと言わんばかりにご登場というシナリオかもしれない。前者の方は皆の考える宮内院伶子だろうがこの前のことを踏まえると流行としては後者の方が可能性は高く思えた。都は絶対関わり合いになりたくないという人物なのでぶすっと黙って外でも眺めているか、小説か教科書でも読んでいそうだ。もしかしたら出席もせず屋上にいるかもしれない。有り得そうで怖い。
「そのうち先生がこのままだと決まらないからってやって欲しい人とかいたら言ってみなさいって言ったの」
ありがちだな。
自薦が一番いいのだが、先程言ったように空気を読む日本人である。結局、他薦という形に移行し、最悪じゃんけんなどの運任せになる場合もある。ここまで来てしまうと最悪というしかない。やりたくもない役をやらされたり、その役に合ってない、例えば大人びた生徒が少女役、それこそアリス役なんてやった日には本当は怖いグリム童話になってしまう。ハリウッド映画の配役だろう。まぁ、そう考えるとそれはそれでありかもしれないが。しかし、そうなってしまうと劇自体が崩壊しかねない。まだ、他薦で決まった方がいいだろうが、ミミが思い悩んでいるのはたぶんそのことだろう。
「でも、その前に主役は戌居に決定だなって」
「ん?」
「アリス役は私だって言ったの」
「んんっ!?」
思わず二度奇声をあげてしまった。一瞬、意味が理解できなかった。
「誰が言ったって?」
「先生が……」
強めの口調になってしまったが、ミミは少し脅えながらも応えてくれた。「あぁ、ごめんごめん」と謝りつつも驚きは隠せなくて声が裏返ってしまっていた。
まじか。
教師が配役、それも主役を決めるとかどういうことだろうか。ある意味、決定権は一番大きいかもしれないが、生徒にどうするかを委ねたのならそれはもう越権行為ではないだろうか。
「他のみんなはそれで何か文句とかは言わなかったの?」
一番気になるのはそれである。主役である。一番目立つのだから自分からは言わなくともやりたい人はいるだろう。なのに教師が決めてしまっては文句の一つでも出ように。
「ううん、何も。それよりもみんな賛成だって言うの」
まさかの全会一致。なんも言えねぇ。
「わたし以上に合っているのはいないって」
まぁ、そうだろうね。
ミミには申し訳ないが、不覚にもその意見には同意してしまう。しかし、本人は不服そうだ。
「でも、ミミちゃん――」
「あの……」
流行がミミの気持ちを確かめようかと思っていたところで、当の本人が急に流行の言葉を遮ってきた。
「ちょっといいですか?」
おずおずといった感じで尋ねてくる。
「なんだい?」
いきなりで少し驚いたが、悩みを自分から言ってくるのだろうという勝手な思い込みを流行は自分で自分のことを信じて、なぜか嬉しくなってしまった。
「その、ミミちゃんていうのはやめてほしいんだけど……」
「えっ? どうしてさ?」
流行は思ってもみないことを言われたので今度は本当に驚いてしまった。それを証明するかのように普段、四谷や二川に言うような大きめなトーンで聞いてしまった。
「えっと、その、何だか、子供っぽくて……」
流行の声の大きさにびくっと反応するミミだったが、勇気を振り絞るかのようにそう言った。
いやいや子供でしょ。
思わず鼻で笑ってしまったのは本当に申し訳ないと思ったが、それも仕方がないと思って欲しい。なぜなら見た目はまさに子供、女の子なのだから。
背伸びしたがる年頃なのかな。
すぐにそう解釈して微笑みながら「うんうん」と流行は頷く。それを見て、ミミは表情を不服そうなものに戻す。
「勘違いしてると思うんだけど――」
下唇を突き出しながらミミは言葉を呟き紡ぐ。一語一語ちくちくと流行の身体を針のように突き刺すかのような言葉であった。
「わたし、高二なんだけど」
「ふ~ん……へっ?」
三度目の奇声をあげてしまった。
いやいやいやいや。
流行は内心で全力否定をする。
「冗談じゃないの?」
「冗談じゃないよ!」
「小三じゃないの?」
「小三じゃないよ!」
「本当じゃないの?」
「本当じゃな……くないよ!」
うまい具合にハメられそうだったが、うまくいかなかった。残念。
って、そんな悔しがってる場合じゃないよ!
「高二なんですか?」
そんなに低く見られたのは初めてだよ、と肩を落とすミミに再度の確認をしてみる。少しだけ丁寧な言葉遣いになったのは高二だという話が真実味を帯びてきたからだろう。
「正真正銘の高二だよ!」
と言うと、制服のポケットをがさごそとし始めた。よくよく見たら着ているのはうちの制服であった。似たような制服を着た私立の小学校だと思って、意に介してなかった。
「ほら、これ!」
と、差し出してきたのは生徒手帳であった。
うん、間違いない。
そこには写真と戌居ミミという名前と共に下記の者は本校の生徒であることを証明すると書いてあった。写真と名前以外は自分が持っている生徒手帳と何ら変わりはしなかった。いや、もう一つ学年のところが流行とは違い第二学年になっていた。
「あの……すいません」
スッと立ち上がると、流行は間髪入れずに頭を下げた。それはまるで名は体を表したかのような流れるお辞儀であった。なんならそのまま土下座でもしそうな勢いだったかもしれないが、ミミが「もういいからぁ」と止めてくれたのでそこまでいかずに済んだ。
「でも、やっと信じてくれたね」
「いや、だって、いや、ですが……」
言葉遣いがわからなくなってしまった。先輩だとわかったのだが、見た目があれなのでどうにも先程と同じようなフランクな感じになってしまう。
「いいよ、もうさっきの感じで」
言葉に詰まっている流行を見て、ミミは苦笑いを浮かべながらそう言ってくれた。
「ありがとうございます」
とは言ってもやはり先輩だ。うまくはいかないかもしれないが、出来るだけ目上に対する言葉遣いにすることに努めることにする。
「あの、それで」
まぁ、年齢と見た目のギャップの話はこれで一段落と言うことで、本題に入ることにしよう。
がしゃん。
と、いきなり学校の敷地を囲むように敷設してあるフェンスが軋む音が聞こえてきた。
「いました!」
何だろうかと頭を上げた次にはそのフェンスの外からそんな声が聞こえてきた。
「いましたの!?」
うっ、この声は……
嫌な予感しかしなかった。
「はい! 伶子様!」
ですよね~。
外にいたのは伶子の執事である紙子であった。そして、その声に反応してこちらに向かって駆けてくるのはその御主人であった。
「見つけましたわ! 流行!」
「見つけても捕まえてはいませんよ、宮内院さん」
いきなりの展開にきょろきょろとするだけで追いつけないようであるミミを尻目に流行はいつもの適当なことを言った。
「すぐに捕まえるわ!」
ビシッと指でロックオン。あとは飛ばすだけのようだ。
「絶対に捕まりません」
と言うと、ひらひらと伶子に向かって手を振ると駆け出そうとした。
「あっ、そうでした」
忘れるところであった。
「話の途中でこんな状況になっちゃったんでここらで退散しますが、気になるのでもしよければ今日の放課後でも明日の昼休みでもいつでも屋上に来てください」
いつでもいますので、と今度は軽くお辞儀をする。
「う、うん」
未だ状況を飲み込めないミミはそう言って頷くことしか出来ないようだ。
「流行! 年端もいかない女の子相手にしている暇があるのでしたらわたくしのことを世話しなさい!」
「ですから辞退させていただくって言ったではないですか」
と言うと、流行はミミに「では」と言うや否や駆け出した。また鬼ごっこの始まりだ。それを見て伶子は紙子に「追いかけなさい!」と命じ、その通りに紙子は「了解致しました!」と言って外の道を流行に並走する形で駆けていった。
「何もされませんでしたか? 危ないので早くお家にお帰りなさい」
ミミの傍を通る際、伶子はそう言い残すとすぐに流行の後を追いかけ始めた。
そして、あとには腑に落ちない表情を浮かべたミミだけが残ったのであった。