エピローグ
いろいろあったが、文化祭もひと段落し、少し温かみが増えた6月初旬。
もうそろそろ梅雨に入りそうだという感じで、その温かみも湿度の増加を感じさせられるものなのだろうか。
今日も今日とて流行は、足しげく屋上へと通っていた。
ん?
がちゃり、と扉を開けた先にはいつもとは異なる、見慣れぬモノが目に飛び込んできた。
「何だこれ?」
そこにあったのは、イスとテーブル、それにパラソルであった。
「あら、こんにちは」
かちゃり、と手に持っていたティーカップを置くと、流行に気付いた怜子がこちらを振り向いた。
「どうも」
未だ驚きの抜けきらない流行は首だけを少し動かして挨拶を返す。
「というかどうしたんですか?」
「暖かいから日向でお茶会という感じかしらね」
テーブルの上に広がるのはティーカップとポット、それに英国のドラマやら映画でしか見たことのないお菓子ののった段々になったお皿、後で聞いたらティースタンドというらしい、であった。他にも細々としたものが置いてあるが、よくわからない。
「お茶会!? って、あ~、いや、そういうことではなくて……このモノたちっていうのですかね? いま目の前に広がる光景はどうしたといいますか……」
「あぁ、このことですわね。持ってきましたわ」
勘違いしたのを少し恥じらいながらも当然のごとくといった感じで言う。
「持ってきた? これ全部?」
「そうですわ」
驚きである。最近、ご無沙汰だったので文化祭以前にはなかったはずである。
「それにこれら全部、収納する物置も作ったのよ」
怜子が手の平で示す先には3メートル×7メートル×3メートルという大型の物置というかほぼガレージといっていいほどのモノが鎮座ましましていた。
「はっ!?」
驚きで開いた口も塞がらないというのはこういうことを言うのだろうか。顎外れそうだ。
「ど、どうやってこんなものを?」
「普通に持ってきましたわよ。クレーンで吊り上げて、ぽん、と」
「ほぉ~、ぽん、とね……いやいや!? そんな大がかりなことやって気付かれなかったんですか?」
「大丈夫でしたわよ。文化祭の時にやりましたから」
文化祭の出し物か何かと勘違いしたようですわ、とほほ笑みながら何事もなかったかのように話す。
「は、はぁ……」
なんちゅうことを。単刀直入に言うと、文化祭のどさくさに紛れて搬入したということらしい。なぜこうもここの連中は能天気なのだろうか。頭が痛くなってくる。
「凄いわ」
「スゴいでしょ~」
「そうだねぇ~……って、えっ?」
声のした方向を見ると、そこには両頬を膨らました小リス……ではなくミミがいた。
「あれ? なんでまたここに?」
「宮内院さんが来なさいって」
いっぱいのクッキーを持った両手を広げながら嬉しそうに言う。
「そうよ。わたくしが呼んだの。紅茶とクッキーがあるからどうかしらって」
完全にエサに釣られたのだろう。どうやら怜子はミミのことが気に入ったようだ。
「流行もどうかしら?」
「あ、えぇ、いただきます」
階段を上ってきて喉も乾いていたし、お茶会というものに少しの興味があったのでご相伴に預かることにした。
「素直でよろしいわ」
誰かさんは勧めたのにいらないって言っていましたから、とどこか棘のある言い方。その誰かさんが誰かはわかるのだが、あえてそこは突っ込まないことにする。墓穴は掘らない趣味だ。
「美味しいです」
「当然ですわ。わたくしが入れたのですから」
とは言いつつどこか嬉しそうであった。まぁ、褒められれば誰だって嬉しいものであろう。それが流行からであっても。
「それにしてもよくやりましたね」
ティースタンドにのせられたサンドウィッチを頬張る。美味しい。どうやらキュウリのサンドウィッチのようだが、パンがいいのかマーガリンがいいのか、はたまたキュウリ自体がいいのか普段食べるモノより美味しく感じられる。もしかしたら屋上という場所も関係しているのかもしれない。
「何をそんなに驚いているのかしら?」
純粋に聞いてくるところがなんとも言えない。
「いやまぁ、驚かない方が無理ってもので……」
「そうかしら?」
「そうよ」
そこにいつものところからいつもの声が。
「成金趣味というのかしら?」
誰かさんはさらに追い打ちをかける。
「誰が成金趣味ですの、落合さん?」
高いところで足を組んで座る都を怜子がキッと睨む。それを都は冷然と受
ける。
「あなたのことですのよ、宮内院さん」
あれ?
いつもとは違い、怜子の言葉を真似た言い方で返す都に流行は少し引っかかりを覚えた。
「平民が何を仰っているのかしら」
「平民という言葉の意味を知っているの? あなたは成金であっても何かしらの官位を持っているわけではないでしょ?」
「知っていますとも! あなたもしかして僻んでいるのかしら?」
「僻むほどあなたのことを知っているわけではないわ」
「そういうことでしたらわたくしもあなたのことなどこれっぽっちもわからないですわ!」
互いに言葉尻がキツくなってきた。そろそろ止めないと危なそうだ。隣に
いるミミも縮こまって震えていることだし。
「まぁまぁ――」
「あなたは黙って!」
「流行は黙って!」
上から下から左から右から、デュアルディメンションで責められてしまった。
甘く見ていた。両者の気の強さのことを忘れていた。
「黙りたいのは山々なんだけど、ほらお茶が冷めちゃうから」
カップを持ち上げる。
「そうね、そうだわ」
と、自分に言い聞かせるかのように呟くと、怜子はふんと鼻を鳴らしてイスに座った。
「これだから成金は」
「平民が何を――」
「あー、落合さんもどう?」
再び過熱しそうな場に慌てて冷や水をかける。
「いいえ、遠慮しておくわ」
と首を振ると立ち上がり、反対方向へと行ってしまった。
「ふぅ」
持っていたカップをテーブルに置くと、スコーンを二つほど手に持ち、反対側へと回った。それを怜子が何とも言えない目で見ていたのだが、そこまで気付く流行ではなかった。
「ほらよ」
ほい、と手に持ったスコーンの肩割れを上へと放る。
「いいわよ」
と言いつつ既に放られてしまっていたので都は受け取るしかなかった。
「うまいぞ」
手元に残ったもう一つのスコーンをかじる。ジャムを持ってくるんだった。プレーンだったようで味がほとんどない。それは都も思ったらしく「ぼそぼそしてるだけだわ」と漏らしているのが聞こえた。
「なんでこれを持ってきたの?」
「一番投げやすかったから」
「そう」
二人で無言でスコーンをかじる。
「何イライラしてるんだ?」
「別に何でもないわ」
「そうか?」
「えぇ、そうよ」
「そうは思え――」
「流行!」
「みくもくーん」
そこに反対側から二人の声が聞こえてきた。
「お呼びのようよ」
少し表情が硬くなった気がする。
「でも」
気になったのでもう少し話でもしようとしたのだが、彼女はそれを許してくれないようだ。
「お声がかかったのだから行きなさいよ。いつまたそう呼ばれるかわからないのだから」
「意味深だな」
「あなたが深く考え過ぎなだけよ」
「そういう性質なんだよ」
と言うと、流行は怜子とミミのいる側へと回った。
「もう一杯どうかしら?」
「もらいます」
よいしょ、とイスに座るとミミが「おじさんみた~い」と膨らんだ頬をさらに膨らましてほほ笑む。どれだけ食うのだろうか。
「おじさんだけがそう言うわけじゃないよ。若い人たちだって言っている時もあるんだからこれはもう座る時の掛け声と言っても過言ではないよ」
「そうなの?」
「そうだよ。みんなで一つのことに力を合わせようとする時にえいえいおーと言うのや祭りの時に神輿を担いだ人たちがわっしょいというのと同じで座る時によいしょと言うのもまた世の中の理であると言っても過言ではないんだよ」
「そうなんだ!」
信じた。
「そうなのね」
隣にいた怜子も信じた。あれ? 本当なんだ。
「そんなわけないじゃないの」
そこに都が割って入ってきた。数秒の反抗であったようだ。
「そうかな?」
「そうよ。それに今時えいえいおーなんか言わないでしょ」
「いや、絶対とは言い切れない。今日もどこかでえいえいおーってるかもしれないし、よいしょってるかもしれない」
「なによ、そのえいえいおーってるとかよいしょってるって」
「えいえいおーやよいしょをしているといういわゆる動詞さ」
「ちょっとあなたたちだけで話をしていないで下さる?」
唇を尖がらせた怜子が入ってきた。
「あぁ、すいませんです」
「素直でよろしいですわ、流行」
「邪魔ばかりを」
「なんですの落合さん?」
「何でもないわ宮内院さん」
三度の勃発かと思い、再びどう火蓋を下ろさないか考えていると意外なと
ころから火消し役を買って出てくれた者がいた。とは言ってもあとはもう一人しかいないが。
「そ、それにしてもなんだかこうやって集まってると部活みたいだよね」
「そうだね、うん」
火消しの方法が随分な方向へと向かいそうな予感だが、頑張った方だろう。
「イスとテーブルがあって部室みたいだし、四人も人はいるし」
「そうね。それに放課後に集まっていますものね」
怜子が同意する。
「さながら屋上部ってところかな」
「屋上部……なんかいいね」
「なんとなく語呂もいいわ」
と同意する中、一人だけ「安直だわ」とケチをつける。
「あなたは何でも反論したがるのね。天邪鬼じゃないかしら?」
「反論ではないわ。ただ感想を述べただけ」
「ある意味、安直な方が覚えやすいんじゃないかな?」
「覚えやすいってお店の名前だったりするわけじゃないのだからそういうものではないでしょ」
「いやいやうちらが覚えやすいってのと、あと言いやすい?」
「そう言われると言いやすいですわね」
「うんうん」
おくじょうぶぅ~、と楽しそうにミミは言う。
「他に言い方もないだろ?」
「別にこの状況を形のある言い方で言わなくてもいいでしょ。それに望んでこんなことになったわけではないし」
「まぁ、それは成り行きってものでしょ」
「成り行きが随分な速さで駆け抜けて行ったわ」
最初は私だけだったのに、と呟く声が聞こえてきた。
「まぁまぁ、楽しくなってきたんじゃないの? ねぇ?」
「そう言われますとそうですわね」
「うん、楽しい!」
「落合さんは?」
「そんなこと知らないわ」
「照れていますわね」
「照れてるぅ~」
「そうなのかな?」
「五月蠅いわ」
そのまま都は寝転がってしまったようだ。反対側にいても頭だけは見えていたのが、視界から消えたので確かだと思う。
「捻くれたようですわね」
「そうみたいです」
「怒らせちゃったかな?」
心配そうな表情を浮かべるミミ。
「大丈夫だよ。そのうちまた普通になるから」
「随分通じ合っているかのような言い方ですわね」
じっと怜子は見てくる。
「さぁ、どうですかね。なんとなくですよ、なんとなく」
「羨ま――ですわ……」
「えっ?」
何を言ったか流行には聞こえなかった。
「何でもないですわ」
さぁ、ミミちゃんさんも流行ももう一杯どうかしら、と言うのでありがたく頂くことにした。
♢
日が傾いてきた。夕陽が眩しい。
そろそろお茶の飲み過ぎで水っ腹になってきた。
「あら、電話ですわ」
そこに折り良くと言っては語弊があるだろうが、怜子の携帯電話に通話が入ってきたようだ。
「紙子からですわ」
失礼をしますわ、と一言言うと席を立ち、少し離れたところで話しし始める。その場で電話をしないというのは他の人の話の邪魔をしたくないからなのかあるいはただ単に話を聞かれたくないからなのか。おそらく怜子のことだから前者であろう。
「もう眠いかい?」
「う、ううん……だいじょーぶ……」
怜子の着信音にびくっと身体を震わせたミミはどうやらおネムのようだ。お腹がいっぱいになったからだろう。かわいいなぁ、ホントに。
「そろそろお暇いたしますわ」
通話から帰ってきた怜子はそう言うと、ミミも「私も帰るぅ~。ママが心配するからぁ~」と間延びした声で続いた。
「では、片づけますわ」
と言うと、怜子は片づけをし始めた。どこにあったのか大きなトートバッグを取り出し、その中にあったハンカチでカップを軽く拭うとそこに順番に入れ始めた。
「あっ、手伝いますよ」
「ありがとうですわ」
「私も手伝うぅ~」
「大丈夫だからそこに座ってな」
「いえ、大丈夫ですわ」
半分閉じた瞳でそんな間延びした声を出されては片づけを手伝い始めた日には何が起こるか分からないので即座に止めた。怜子も勘付いたようで同じ意見のようだ。
「そしたら流行はポットの中の残ったお茶を……どういたしましょうか?」
少し意識のないミミを座らせたら再び片づけを始めた。
「あぁ、任せてください。うまく処理しますから」
と言うと、流行は片隅まで行き、排水溝へと流してしまった。
「いいのですの!?」
「雨水もお茶も水分ということでは一緒なので大丈夫です」
「そう……なのかしら?」
「考えてもしょうがないです。さぁ、日が暮れる前にさっさと片付けてしまいましょう」
すぐには納得してくれなさそうなので意識を違う方へと向ける作戦をすぐ実行することにした。「そうですわね」と作戦は成功したようだ。
「よしっ! 終わった」
カップやティーポットなど小物類は全部トートバッグに入れ、イスやテーブル、パラソルは知らぬ間に出来ていた物置へとしまった。一番驚いたのがティースタンドが折り畳み式でコンパクトになるというものであった。そんなものあるのだろうか。お茶会を簡易にしていいものか。
「では、帰りますわ。あなたはどうするのかしら?」
むにゃむにゃしているミミに肩を貸しながら怜子が訪ねてくる。
「もう少しいます」
「そう……では、また御機嫌よう」
「じゃぁあねぇ~」
ひらひらと空いている片手を振って扉の奥へと消えて行った。
「また今度」
と言うと、いつもの手摺りまで行くともたれる。
「帰らないのね」
知らぬ間に都がこちら側へと戻っていた。
「いやぁ~寂しいかと思って」
「あなたが?」
「そう、僕が、って違うわ!」
「安いわね」
「五月蠅いわ」
いつもの言葉。いつもの扱い。いつもの流れ。
いつもだったらこれからどんどん変な方向へと話が流れていくはずだ。しかし、今回だけは違った。
沈黙が流れる。
「…………」
「…………」
微かな暖気を含んだ風がそよぐだけである。
沈黙という字は字面だけを見るとどこかネガティブな雰囲気を感じる。その一番の理由はおそらく『沈』という字だろう。しずむ、おちぶれる、しずみこむ、ふけりおぼれるなどと辞書には書いてあるが、他にも落ち着いているや久しいなどという意味もあり、今の沈黙は落ち着いて黙っているだけであると感じられる。簡単に言えば心地よいと言うべきか。
その沈黙がふいに、たん、という音で破られた。
視線を音の方へと移すと都が下へと降りてきていた。
「なんだか疲れたわ」
ゆっくりと流行の隣へとやってきた都は手摺りに両腕を乗せ、そこに顔を埋めるとそう言ってきた。
「今日のこと?」
今まで考えていた沈黙論議をすぐに打ち切り話に乗る。というか途中から都がこちらに向かってきたので頭が回らなかった。
どうしたんだ?
話の途中で隣にやってくるなんて初めてのことなのでいささかどぎまぎしてしまう。チキンだな。
「そうね。それもそうだし、戌居さんの件もそうだし、宮内院さんの件もそうよ」
それにあなたも、と付け加える。
「それは、まぁ、何とも」
言えんですわ。
「全部あなたがここに来てからだわ」
「どうもすいません」
一昔前にそんなことを言ってお茶の間を沸かしていた人がいた気がするが、名前を忘れた。
「でも、まぁ、いいわ。この疲労感、嫌いではないから」
ふっ、と笑った気がした。
「嫌いじゃない? どうして?」
「私、都会の方から来たっていうのは知っているわよね?」
「うん、知ってるよ」
いろいろと噂になりましたから。
「都会って何もかも薄っぺらいの。成績やら見た目やら……全部が全部薄っぺらいのよ」
都の瞳が急に鋭くなった。
「毎日毎日疲れたわ。身体的ではないの。精神的にどっとね」
いろいろなことがあったらしい。
「そんな時に親の仕事の都合でこちらに来たわ。母親は嫌そうだったけど私はいい機会だと思ったわ。都会の、ビルたちに挟まれた息苦しい世界よりも自然に囲まれた開放的な田舎の世界の方がいいんじゃないかって」
元からいるあなたには悪口にしか聞こえないかしら、と口元を緩める。
「でも、違った」
緩んだ口元が再び引き締まる。
「開放的っていうのは妄想だったわ。来たら都会から来たっていうのでいろいろ言われたわ。最初は優しかったけど徐々に厳しくなってきた。たぶん男子にちやほやされていると思われたのかしらね。嫌になったわ。都落ちなんて言われているのも聞いたわ。……ここはビルの代わりに山が世界を狭めているの」
街を囲む連峰に目を向ける都。
「だから私はもう周囲の人と話すことをやめたわ。薄っぺらい人と話すと疲れるから……でも、それもまた間違いだったわ」
小さくなる言葉尻は気持ちの問題かあるいは俯いたせいなのか。
「何が間違いだったのさ?」
「あなたが来た日。最初はホント嫌だった。また薄っぺらい人が来たと思ったわ。でも、徐々に話していくうちに、その、認めたくはなかったけど少し楽しくなってきたの」
「ほうほう」
なんだか嬉しい。
「そして、何回か話すうちに薄っぺらいと思っていた人がしっかりと厚みのある人だと思えたわ。ただ話の内容の方は薄っぺらいものだったけどね」
「五月蠅いわ」
「そのうちに宮内院さんが来て、戌居さんが来て、彼女たちもあなたと同じで厚みがあったわ。それで気付いたの」
「何をさ?」
「実は私の方が薄っぺらかったってことに……私、馬鹿にしていたのよね。都会にいた時もこっちに来てからも。何もかも知っているかのような気分で全てを俯瞰で見ているような傲慢な気持ちでいたのよ。でも、実際は自分の、自分自身で狭めた世界しか見てなかったの。ビルも山も全然世界を狭めていなかった……全部、全部、私のせいね」
そのまま都はぶらつかせていた足を持ち上げると、体育座りのまま顔を埋
めてしまった。
「スゴイな」
反応ない。
「ホントすごいよ、落合さんは」
「馬鹿にしているの?」
反応あり。
「だって疑問を自分で提示して自分で解決しちゃってるんだもん」
「解決はしていないでしょうに」
「だってさっき今日の疲労感は嫌いじゃないって言ったでしょ?」
「えぇ……」
「この世界を受け入れたってことじゃない?」
ぱっと両手を広げる。一応、これで世界を包みこんでいるイメージしている。
「どうしてそうなるのよ」
「今までの疲労感は周囲の落合さんとは異なる世界からの干渉によって無理矢理疲れさせられていたんだと思うんだ。でも、今日の、というか今日に限らず最近の疲労感は互いに話をしたり聞いたりして体験を共有し、自分の世界と周囲の世界を同じようにしたってことさ」
「なびいたとも思えないけど」
「なびけばいいさ。それが嫌じゃなければ」
「適当ね」
「そう、適当さ。みんなそれでいいと自分で納得すればどうだっていいんじゃない? 他人がどうのこうの言ったってしょうがないでしょ」
「それを言ったら今までのあなたの話が嘘に聞こえてくるわね」
「あれ? そうか。なら少しは他人の言葉も信じてみるのもおススメしてみるかな」
「やっぱり調子がいいわ、あなたは」
「ホントはこんなになるとは思ってなかったんだけどね」
「どうして?」
「実は僕も落合さんと同じで変わったのかもしれない」
少し都の毒気にあてられたかもしれない。口が軽くなってくるのがわかる。
「ここに初めてきたとき、どうしてやめた方がいいって言ったのさ?」
「うーん……なぜかしら? わからないけどたぶんあなたの背中に何かどんよりとした暗いモノがのしかかっているかのように思えたからかしら?」
冗談めかしたような言い方だった。しかし、自分にはそうは思えなかった。一瞬、ドキッとしてしまったほどだ。
見えていたのか?
「ま、まぁ、そっか。当たってるっちゃあ当たってるかな?」
「でも、そのモノは押しているというよりは引き留めているという感じに思えたわね」
「はぁ……」
なにかぴんと来たような気がした。
引き留めている……引き留めていたのか?
「どうしたの?」
「あぁ、どうかしたみたいだわ」
「それはもとからではないの?」
「そうでもない。いや、そうだったのか」
「何よ、その変な禅問答は」
睨まれる。
「いや、その黒いモノの正体がわかった気がする」
「何よ? というか本当にいたの?」
訝しげな視線をぶつけてくる。
「あぁ、いたんだよあの時」
「そう。それでその正体っていうのは?」
「あれは『生』だったんだ」
「『生』?」
「僕はたぶん生きることを怖れていたんだ。この退屈な日々を生きることに」
天啓と言うのだろうか。スッと流行の頭の中へ言葉が降りてくる。
「朝起きて、学校に来て、勉強をして、飯を食べて、また勉強をして、帰る。そして、寝たら次の日もまた起きて学校に通う。同じルーティーン。それを繰り返すのかと思うと絶望に近いモノがあった」
頭を抱える流行。何かを思い出したかのように。
「そんな時に空を眺めていたらキミが見えたんだ、ここに。行けるんだと思った。どこか違う場所へ。だけどここに来る階段でその黒いモノに追いかけられた。ものすごく恐ろしかった。飲まれると思った。でも、本当はそれは自分の中にあった『生』への執着だったのかもしれない」
「なぜ?」
「キミと、落合さんと話し始めたらそれが消えたから。いや、もしかしたら内に染み込んでいったのかもしれない。それは落合さんと同じで何度か話して、宮内院さんと会って、戌居さんと会って、どんどん内へ内へと浸透していって身体全体に広がったんだと思う」
そう言うと流行は両手を広げる。
「だって最近なんか楽しいからね」
ほほ笑む流行。それを見て都は怪訝な顔をする。
「なにか宗教染みてきたわね。何か変な薬でも飲んだの?」
「みんな何かしら宗教染みてるもんさ。ただし信じているものが神ではなくて金だったり名誉だったりフィーリングだったり。それはある意味、薬でもあるのかもしれない。会話や出来事、そんなものが影響して気持ちを変えるんだから」
「こじつけ過ぎるわ」
「まぁ、今言ったことは思い付きで言ったけどね」
「でしょうね」
呆れた風に都は肩を竦める。
「まぁ、結局はお互いウィンウィンな関係だったってことだね」
「なんか簡単に締めたわね」
「そろそろ時間切れかなって」
「えぇ、そうね」
二人の視線の先には薄暗闇が迫っていた。
「屋上部ね……」
「屋上部か……」
「面白いこと言ったわね」
「こういう部活があってもいいだろ」
「そうかしら?」
「まぁ、まずは顧問を探さないとか」
ふん、と都の鼻で笑った声が聞こえた。
「な、流行が探しなさいよ」
ぼそっと聞こえた言葉。
「えっ? なに落合さん?」
よく聞こえなかった
「まだまだのようね」
そっぽを向かれてしまった。どういうことだろうか。仕方がないので視線を都から外す。
遠くを見ると未だ日は落ちず、居座り、さらには黄色く光り輝く満月が顔を出していた。
どうやらまだまだ世界は明るいようだ。




