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運命という言葉を教えてくれたのか誰だったか。ジョエルはもう覚えていなかった。
ニコラが盗み出したウォー・パーソンはマリアが使っていたものだ。グリップに刻まれたイニシャルを見つけるまでは忘れていた。
少しでも威力の高い拳銃が欲しい。彼女はそう言って、ジョエルからウォー・パーソンを半ば強引に奪い取った。殺されたマリアのホルスターは空っぽだった。遺品の中に拳銃があったかどうかまでは覚えていない。
ウォー・パーソンを手にしたマリアはマクシームに殺された。同じウォー・パーソンを手にしたニコラがマクシームに殺されかけている。
カラミティ・ジェインに持ち主の手首を吹き飛ばす運命があるように、マリアのウォー・パーソンにも運命があるのかも知れない。持ち主を不幸においやるような。
「自分の身は自分で守れと教えたはずだがな」ジョエルは呟いた。誰かに向かって言ったわけではない。聞く者は誰もいない。ここには死体しかないのだから。
ニコラがさらわれたと聞いて、ジョエルはすぐに隠れていた宿を引き払い、行動を開始した。彼女を助け出す為ではない。元々マクシームの野郎は今日中に殺すつもりだ。ついでにニコラを助けてやる分には、構わない。
賭場の用心棒をブチのめし、マクシームの屋敷まで案内させた。門番を殺し、護衛を殺し、中庭に大柄な男を見つけた時、ジョエルは心の底から歓喜した。岩石のような巨躯も変形したその左腕も、十三年前から何も変わっていない。ジョエルは生まれて初めて神様に感謝した。マクシームが無事で居てくれたことを感謝した。おかげで何の気兼ねなく奴をブチ殺すことが出来る。
風はなく、中庭にはまとわりつくような熱気が漂っていた。芝生を踏み、丁寧に作られた花壇を蹴飛ばし、ジョエルはゆっくりとマクシームに近付いた。マクシームはジョエルの姿を認めると、歯をむき出しにして獣のように唸った。
「いつかこんな時が来るんじゃねえかと思ってたぜ、エルウッド。あの日、結局テメェの死体は見つからなかったからな」
互いに必殺の距離。この距離で撃てば銃弾は相手の皮膚を引き裂き、肉を食い破り、骨を砕き、内臓を貫いて命を奪う。それで全ての片が付く。
「お前に会ったら、聞こうと思っていたことが二つある」ジョエルは右手で帽子を深くかぶり直した。「どうして俺を裏切った? あの日、何故俺を撃った。マリアと娘を殺して」
十三年前に失った右手が、痛みに疼いた。マクシームに撃たれて拳銃を握れなくなり、胸に四発の銃弾を食らった。それでも死ななかったのは奇跡だ。地獄の苦しみを味わうことを奇跡と呼べるかは疑問だが、少なくとも生き残ったおかげで復讐は果たせる。
「エルウッド……俺は安心したいだけなんだ。安心して生きたいんだよ。わかるよな? 俺たちは強かった。無敵のコンビだった。けどよ、どれだけ強かろうが人間には限界がある。腕自慢の賞金稼ぎとは戦えても、軍隊と戦争は出来ない。俺たちの強さなんてそんなもんだ。だから俺は安心したい。誰も俺の首を狙わない。日が沈んだら寝て、朝になれば起きる。夜明けを心配する必要はない、目が覚めずに殺されるんじゃないかと不安になることもない……足を洗いたかったんだよ。過去を捨ててやり直したかった」
「だったら、黙って消えりゃ良かった。俺はマリアと生きると決めた時、お前とは二度と会わないと言ったはずだ」
「仕方なかったのさ。俺ぁお前が怖かった。いくら俺が平穏に暮らそうと、俺の過去を知る人間が居る限り真の平和は訪れねえ……平和ってのは過去の足音に脅かされるようなものじゃねんだ。そうだろ? だから過去は完全に消さなきゃならねえ。鋼鉄のマクシームは死んだ。俺の過去を知る人間も生きてちゃいけねんだよ」
ジョエルは笑った。臆病者の与太話に、思わず笑いがこぼれた。
「それじゃ二つ目の質問だ。お前、ブタと魚ならどっちが好きだ?」
マクシームが怪訝そうに眉根を寄せた。瞬間、ジョエルは拳銃を引き抜いて発砲した。
「選べよ。テメェの死体はどっちでも好きな方のエサにしてやる」
二発、三発、四発。胴体を狙った銃弾は全て、マクシームの左腕に防がれた。
「エルウッドォッ!」
マクシームが拳銃を撃つ。ジョエルは咄嗟に身体を投げ出して転がり、渡り廊下の壁に背中を預けた。
「その腕、臆病者のお前にはぴったりだな」カラミティ・ジェインの弾倉を露出させて弾丸を素早く装填する。「だったらお前の顔面がミンチになるまで弾丸を食らわせてやるぜ」
マクシームが拳銃を乱発する中へ、ジョエルは飛び出した。右肩に銃弾が突き刺さるが構わず発砲する。銃弾はマクシームの右手に命中し、手にした拳銃を弾き飛ばした。右足、左膝を打ち抜き、顔面を狙った一発は左手の鉄板に防がれた。足を撃たれたマクシームは跪くように倒れた。マクシームの顔に焦りが浮かぶ。
「ま……待て、待ってくれ!」
「地獄へ落ちろ、マクシーム」
後ずさるマクシームに銃口を向ける。
撃鉄を起こす。引き金を――
「お前の娘は生きてるぞ!」
――ジョエルの手が止まった。
引き金に力をこめた。十三年、追い続けた仇がここにいる。これで終わりだ。何をしている。撃て! 殺せ!
獣じみた殺意が全身を支配している。なのに、指が凍りついたように動かない。
何を言いやがった、今、こいつは。
「本当だ、ウソじゃねえ! マリアは俺が殺した。その時に娘も殺すつもりだった! だけど、出来なかった。俺にだって良心はある。産まれたばかりの子供は殺せなかった。あの娘は泣いてたんだ……」
「十三年前の言葉、一字一句違わずに覚えてるぜ。マリアは殺した。ガキは喉引き裂いて川へ放り込んだ。そう言ったのはお前じゃねえのかマクシームッ!」
「お前を怒らせる為に言ったんだ! そうすりゃお前だって冷静じゃいられないだろうって、そういうことなんだよ……い、いるんだこの街に! 俺を殺せばもう会えないぞ! 頼む、エルウッド償いをさせてくれ! 俺が間違ってた! お前たち親子が幸せに居られるように、俺が取り計らってやる! この街でも、どの街でもいい! お前たちが望む生活をさせてやる、だから見逃してくれ」
「俺が騙されると思うか? おめでたいヤツだ」
左手が震えている。ジョエルは再び狙いを定め直した。
「あの子にはまだ、名前だってなかった。マリアと楽しみにしてたのさ。どんな名前をあげようかって、それを……てめぇが……!」
引き金を引いた。何度も、何度も。銃弾は全てマクシームの胸に命中した。
「地獄へ落ちろマクシームッ! 俺から全部奪いやがって! 死ね、死にやがれ! 食い散らかされたブタみてぇにずたぼろに引き裂いてやる! 俺が死んだ後に地獄でもう一度殺してやるッ!」
無我夢中で引き金を引いた。銃声も自分が叫んでいる言葉も、何一つ聞こえなくなっていた。ぶるぶると震える指で引き金を引き続け、やがて自らの咆哮が途切れた後に、カチン、カチンと撃鉄が音を立てているのに気が付いた。
呼吸するのすら忘れていた。口の中に血の味がした。心臓は胸を飛び出しかねない程に鼓動し、全身にぐっしょりと汗をかいている。
リボルバーに弾をこめるのに、これだけてこずったのは生まれて初めてかも知れない。指が震えて、何度も弾丸を落とした.やっとの思いで再装填を終え、ジョエルは拳銃をホルスターに戻した。
目の前に、マクシームが倒れている。
これで終わった。何もかも。
十三年間、復讐することだけを考えて生きてきた。これから何をすれば良いのか、突然ジョエルは裸で荒野に放り出されたような気分になった。もう何も残されていない。復讐を終えて、ジョエルは空っぽになった。
だが、時間はいくらでもある。あとはただ死んで行くだけなのだから。どこかに農場を立てて一人で死を待つのも悪くない。犬を一匹だけ飼って……だけどまずはマリアの所へ報告に戻らなきゃならない。それから酒を一本買って、乾杯しよう。
空を見た。薄闇に暮れて行く空を。そして、視線を戻した時。中庭の先にある廊下に女が立っていた。ドレスを着て、ウォー・パーソンを構えた――マリアだ。
ジョエルは言葉を失った。違う。マリアが生きているはずがない。どうして見間違えた。女の恰好をしていたから、化粧をしていたからか? 誰だかわからなかった。あれはニコラじゃないか。
瞬間、ジョエルはヘソの辺りに衝撃を感じた。眩暈がする。抑えた手の下から、何か熱いものがが溢れて来る。地面が揺れ、思わず膝を着いた。揺れているのは自分の身体だ。掌にべったりとこびりついたこれは、血じゃないか?
やれやれ、本当に頭がどうかしちまったのか。
ようやくジョエルは自分が撃たれたのだと気が付いた。
「はははは、馬鹿がッ! これが俺とお前の違いだッ!」
倒れたジョエルを見下しながら、血走った目でマクシームが叫んでいる。マクシームの胸には何発も弾痕が空いている。いや……焼け焦げたスーツ、血がこびりついた皮膚の下にかすかな、金属の光沢が見える。
左腕に鉄板を仕込んだのと同じように、胴体にも埋めていたのだろう。見た目にはわからないように。
迂闊だった。十三年前ですらマクシームは臆病者だった。それがあの時以上に襲撃に対する備えを強化したとしても何も不思議はない……
「死ねクソ野郎ッ! テメェは俺の過去と一緒に墓石に埋めてやる! はははッ! 今度こそ風のエルウッドの最後だ! 無様に這いつくばって血反吐はきやがれ!」
力が入らない。左手で拳銃を掴むが、ほとんど持ち上げることが出来なかった。かすかに持ち上がったカラミティ・ジェインをマクシームが掴み、無理矢理にジョエルの手から奪い取った。
「結局こうなる運命だったな、エルウッド。遅かれ早かれお前は俺に殺されることになってたんだよ」
マクシームは満身創痍だが、生き延びるだろう。こんな結末で終わらせて良いはずがない。せめてこいつを道連れにしてやる。
だが身体に力がない。拳銃を奪われ、武器と呼べるものは何もない。立ち上がることが出来ない。
もはや打つ手がなかった。
「良かったじゃないかエルウッド。天国でマリアが待ってるぜ。夫婦仲良く暮らすことだな」
マクシームが血塗れのカラミティ・ジェインをホルスターに差した。
立ち去りかけ、思い出したように振り返った。瀕死で立ち上がろうとしているジョエルに、自らの拳銃でもう一度発砲した。
「しっかりしろ。今助けてやるから」
途切れそうな意識の中で、その声が聞こえた。視界が霞み、揺れている。真っ赤なドレスを着た、マリア――違う、誰だ?
意識が朦朧としている。どこかで聞き覚えがある声だが、もう誰だかわからなかった。
暖かい手の感触。腹に空いた孔に手が添えられている。心地よい感触だった。痛みが薄れて行く。
ジョエルは口を開いたが、もう声が出せなかった。言葉の代わりにこみ上げて来た血の塊を吐き出した。
ああ、死ぬのか。
ジョエルは感慨もなく思った。不思議なことに、怒りも悲しみもなかった。マリアが殺された時に似ている。何も感じない。ただ事実だけがそこにある。死んだという事実、死ぬという事実が。
誰かがジョエルの手を掴んだ。
「復讐は私が遂げる。アンタの分まで、仇を取ってやる。だから安心して休め。あとは私がやる」
そうか――本当に、生きてたのか。
目の前に、マリアの姿が見えた。マリアに生き写しの少女の姿が。
ジョエルは笑った。少なくとも、笑おうと自分ではしたつもりだった。
命が尽きる瞬間、ジョエルは自分が泣いていることに気が付いた。