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カラミティ・ジェインの分解整備を終え、弾丸を六発詰める。
ジョエルの右手には親指と人差し指がない。辛うじて半分だけ残っている中指と、無傷の薬指と小指が繋がっている。左手に拳銃を持ち、指が二本半しかない右手で器用に弾丸を詰めていく。
ぎしり、と。床の軋む音が聞こえた。足音だ。本人は隠しているつもりかも知れないが、安普請の宿屋ではネズミが這い回っただけでも足音が響く。
ガンベルトを締めて帽子をかぶる。テーブルを横倒しにすると、かがみこんで耳を澄ました。
足音は部屋の前で止まった。
銃声と共に、木製の扉がはじけ飛ぶ。ジョエルはテーブルの後ろに身を伏せて、手当たり次第に打ち込まれる銃弾が止むのを待った。
やがて銃声は止み、あたりに火薬の臭いが漂い始める。穴だらけになった扉がゆっくりと開く。まずは拳銃。次に足。男が顔を覗かせた瞬間、ジョエルは撃った。一発、二発。
顔面に二つの孔を空けられ、男は悲鳴すら上げずに倒れた。男の死体を踏み越えて、ゆっくりと部屋の外に出る。
ジョエルは階段の上で待った。駆け出して来る二人目の襲撃者を蹴り落とし、立ち上がろうともがいている隙に銃弾を食らわせる。
宿屋の一階は食堂になっているはずだが、誰の姿もない。いや……柱の影から銃撃。ジョエルは床に身を投げ出した。柱の影から飛び出して来た男に発砲。これで三人。カウンターに隠れていた四人目の頭蓋を撃ち抜く。さて、あと何人殺せば終わりだ? 空薬莢を弾き出し、リボルバーに新たな弾丸を加える。
宿屋の外に出た。まだ太陽は空に輝いている。宿屋に入った昨日の晩、往来には大勢の人間が居た。賭場のガードマン、娼館の客引き、それらを目当てにやって来た客(ギムリの言葉で言うなら馬鹿共だ)であふれ返っていたはずだが、今はどこにも人の姿がない。よその町なら今頃、発砲音を聞きつけた保安官に取り囲まれているところだろう。だが人が逃げているのは都合が良い。刺客が群衆にまぎれずに済む。
「後ろだ!」
少女の叫ぶ声。
同時に発砲音。弾丸はジョエルの頭上をかすめて後方に飛んだ。振り向いて発砲すると、屋根の上から狙撃拳銃で狙いを定めていた男が、慌てて頭を引っ込めた。
ジョエルの援護でもしているつもりなのか、木箱の後ろに隠れながらニコラが空に向かって発砲している。弾はてんでおかしな方向に飛んで敵にかすりもしない。時々宿屋の壁をえぐるか、そうでなければ空に向かって飛んで行った。
「何してる、クソガキ」
「私が撃たなきゃ撃たれてたな。これで貸し一つだ」
「恩着せがましいにも程があるぜ」
弾丸の一発が帽子の縁をかすめ、ジョエルは柱の影に身を隠した。
「お仲間はどうした? 街中にいるんじゃないのか?」
「いる。だからってコイツらと銃撃戦なんかできるわけないだろ」
ほぼ同時に接近して来る三人のガンマンに向かって、ジョエルは腰だめに構えた拳銃を連射。瞬く間に三人の眉間を撃ちぬく。その間もニコラの弾は見当違いの方向をすっ飛んでいく。
「コイツら、アンソニーの用心棒たちだ。きっとアンタを殺すまで逃げない。逃げたらアンソニーに殺されるから。いくらアンタが強くても――」木箱に弾丸が撃ち込まれる。ニコラは身を伏せて応戦する。「――早いとこ逃げよう。私なら逃げ道もわかる」
「そいつはどうも。だがね、連中を全滅させるのと俺の弾丸が尽きるのと、どっちが先か試してみる価値はあるぜ」
言ったものの、少女の提案が現実的であるのは事実だ。有象無象のチンピラを何人殺したってジョエルにはまるで利益はない。一発でも弾丸を食らえば負けだ。
アンソニー。ニコラの言ったその名前を頭の中で繰り返す。アンソニー・ポーカー。賭場と娼館を乱立して金と暴力で街を支配した男。
一人の男がニコラの木箱に忍び寄った。気付いたニコラが叫びながら引き金を引くが、カチン! 撃鉄は空しく金属音を響かせた。勝ち誇った男の顔面に、ジョエルが発砲。
「リボルバーは六発だ。何発撃ったかは覚えておけ。数が数えられるならな」
「うるさいわかってる!」
「叫び声じゃ敵は殺せないぜ。外したくなきゃ黙って撃て」
ニコラは空薬莢を排出している。もたもたとしたその動作を見るまでもなく、拳銃の扱いに不慣れなことは明白だ。
「どっちだ」
「何が!」
「逃げる方向だろ。邪魔するヤツは俺が殺す。お前はとにかく走れ」
ニコラは少しだけ間を空けて、頷いた。ニコラの後をジョエルが走る。
「逃がすな!」背後から叫び声がする。全力で走るニコラを見失わないようにしながら、時々背後に向かって発砲を繰り返した。
それ以上の追撃はなかった。ジョエルが一筋縄で倒せる手合いではないと悟り観念したのか、あるいは仲間を失って窮地に陥っているのは向こう側だったのかも知れない。
ニコラに先導され、街壁に空いた抜け穴を潜り抜ける。そこには打ち捨てられた廃墟が立ち並んでいた。地平線の彼方まで見渡せる荒野の中にぽつんと、崩れかけの大風車が見えた。
「連中、アンソニー・ポーカーの部下だって言ったな」
ジョエルが言うとニコラは黙って頷いた。
「アンソニーの手下以外が街中で拳銃をぶっ放したら、すぐに殺される。アンソニーは」ニコラは呼吸を整えてから続けた。「イカれてる。秩序が好きだってアイツは言うけど、その秩序は自分の思い通りってことで、邪魔をするヤツは殺さなきゃいけないって思い込んでる」
「ああ」ジョエルが同意する。「昔からそういう男だよ、アイツは」
ニコラは怪訝そうにジョエルを見た。
「これでマクシームの行方がハッキリした」
「どういうことだよ」
「アンソニー・ポーカーがマクシームってことさ……」
ニコラは理解していないように見える。とぼけているようにも思えない。この少女にそれほどの演技力があるようにも見えなかった。
「会ったことはあるか? アンソニーに」
「当たり前だ」その声には隠しきれない怒りが滲んでいた。「私はアンソニーの所で家畜同然に育てられたんだ。あの憎たらしい面、忘れたことなんて一度もない」
「アンソニーの左腕を見た覚えは?」ジョエルが問うと、ニコラは考え込むように首を傾げた。
「でこぼこしてる。昔ケガをした時に、鉄を入れて骨を繋いだとか胡散臭い話があるけど」
「ギムリはお前たちの仲間か」
「はぁ? さっきから何の話だよ。そんなのどうでもいいだろ」
「黙って聞かれたことに答えるのは生き残るコツの一つだぜ。相手が拳銃を持ってる時には、特にな」
ニコラは舌打ちをしたが、それ以上の口答えはしなかった。
「あのじじぃは酒のことしか頭にないんだよ。大義とか正義なんて言葉、モウロクしちまって理解出来ないんだ」
「旅人を追い返すのが大義や正義だってんなら俺にも理解できんね」
「私たちは街の為に戦ってる」ニコラは言った。
争いはどこにだってある。原住民と入植者の戦争とまで言わなくても、金持ちと貧乏人だって対立する。無駄な抵抗を繰り返すレジスタンス組織をジョエルは腐る程知っている。だから彼女の言葉を聞いても、ジョエルは驚きもしなかった。
「アンソニーからウインドスポットを解放するんだ。アイツを倒して」
「ご立派な戦いだな。襲われた連中も災難だ」
「ウインドスポットに人が寄り付かなくなれば娼館にも賭場にも金が回らなくなる。いずれアンソニーの首だって締まるはずだ。私たちのやったことは間違いじゃない」
「本気で言ってるのか?」
ジョエルが言うと、ニコラは赤面した。
「アンソニーがアンタの追ってる敵なら、目的は一緒なはずだ。私たちに力を貸して欲しい」
何も答えず、ジョエルは拳銃に弾を込め直した。
ニコラを無視して、ジョエルは酒場に向かった。つい昨日、ギムリ老人と出会った酒場だ。ニコラはぶつくさと文句を言いながらも、ジョエルの後について離れようとしない。
酒場の様子は昨日と何も変わらない。退屈そうに新聞を読んでいるカウンターの主人と、赤ら顔で酒を煽るギムリ。老人はジョエルの顔を見て、少しだけ顔をしかめた。
「また来たのか」
「ああ」短く答える。「用向きは分かるよな」
ギムリは酒ビンをテーブルに置くと大儀そうに立ち上がった。
もじゃもじゃのヒゲに、やせぎすの身体。右腕はふるふると震えている。昨日と決定的に違うことは、老人の左腰に拳銃が吊るしてあることだ。
二人は黙ったまましばらく睨み合った。
「俺を殺しに来たんだろう」
「少し違うな。返答次第では殺すしかないと思っているが」
それが冗談や悪ふざけでないことは、二人にだけわかっている。
不穏な空気を感じ取ったのか、店の主人は巻き込まれないようにカウンターの奥に隠れた。
「どいてろニコラ。遊びじゃねえぞ」老人が言う。
ギムリの目は酒に呑まれたろくでなしのものではない。かつて荒野を流離った荒くれ者の目をしている。
「何言ってんだよ。アンタら、二人とも……」
「俺ぁこいつを殺さなきゃならねえ。アンソニーの命令でな」ギムリが言った。
半ば予測、というよりは期待していたことだ。それなりの街なら一人や二人、表と裏の情報に詳しい者はいる。そして大概、そういう連中は支配階級も重宝する。表か裏か、あるいは両方か。街を支配する層にマクシームが食い込んでいるなら、必ずジョエルの情報は届くはずだ。
「マクシームはどこかでひっそり生きていけるようなタマじゃねえからな。街に根を下ろすなら、必ず自分が支配しようとするはずだ。何もない小さな街、自分の思い通りに出来る最果ての小さな世界、条件はぴったりだよ」
「わかってて俺の所に来たわけじゃあるめえ」
「確信はなかったさ。だが、こうも早く刺客を差し向けて来るなんて、迂闊すぎるぜ」
「それでもアンソニーに命じられたなら殺すしか道はねえさ。ヤツには誰も逆らえん」
「別にアンタに恨みはない。マクシームのところまで案内しろ。俺がヤツを殺す。そうすりゃアンタだって裏切りの咎めを受けることもない」
「お断りだね。アンソニーの野郎は気に入らねぇが、だからって風見鶏みてぇにぺこぺこ向きを変えるのは俺の流儀じゃねえ」
「頑固なじいさんだ」ジョエルは苦笑する。「その左手、動くんだろうな」
「さてな。もう何年もずっと言うこと聞かないんだ」
奇妙な偶然か必然か、互いに提げた拳銃はカラミティ・ジェイン。
荒くれ者はやがて血と硝煙に嫌気が差し、安定と平穏を求めるようになる。風のエルウッドと呼ばれた賞金稼ぎはジョエルと名を変えて所帯を持った。伝説のビリー・キッドは荒野の果てで、過去を捨てて保安官になった。
不思議な縁だとジョエルは思った。誰もが過去を捨てたがる。だがその結果がどうなった? 過去を捨て未来を求め、手に入れたのは復讐心と血塗れの左手だ。
家族を失い利き手を失い、ジョエルはこうしてまた誰かを殺す為に荒野を流離った。
自らの過去を墓石の下に埋めた老人は酒に埋もれ、やがて墓の下から拳銃を持ち出した。そうしてまた、誰かと殺すか殺されるかの睨み合いを交わしている。
先にギムリが動いた。痩せこけて骨ばった腕が驚くほど素早く、ホルスターから拳銃を引き抜く。
銃声は一発。
硝煙はジョエルの銃口から伸びた。
老人の小さな身体が床に崩れ落ちる。