スナックボッタくリス
吾輩は飢えていた。ものすごく飢えていた。
預金通帳を見る、残高は二ケタの数字がぞろ目で可愛らしく並んでいるだけだった。七がそろっていても、あまり幸せな感じはしない。
どうしてかといえば、ちらりと家の隅を見る。わざわざお取り寄せした名水百選、それが引き落とされていた。カード払い、翌月一括、吾輩の払い方の基本だ。そして、今月はちゃんと先月寄稿した原稿代が入る予定だった。
入らなかった。
翌月払いかと思っていたが、そうではなかったらしい。天下のまわり物は来月にならないと入らない。
ぎゅるぎゅると腹の音が鳴る。
財布の中には、アルミニウムと真鍮の硬貨が仲良くペアを組んでいた。駄菓子も買えない。
我が家にあるのはカロリーのないミネラルウォーターだけだ。せめて、家にある小麦粉を溶かして、煮て、それをシグカレの器に入れることで飢えを凌いでいる。シグカレの器、育てておいてよかった、でも、吾輩、カレーあんまり好きじゃないの。
そんなに飢えているならまたカードで食料を購入すればいいという意見もあるだろう。しかし、またまた問題があった。
誰やねん、吾輩のカードスキミングした奴は!
ただでさえ、研究者とか非常勤講師とか少々変わった肩書きの獣の吾輩は、そこでカードが使えなくなるとどうなる?
新たに再発行するにも、審査に何週間かかり、なおかつ作れるかわからないのである。
今あるカードは、以前に会社勤めをしていたときに一枚だけ作っていたもので、通販に使うのに便利だった。
吾輩の手は蹄であるため、車は運転できず、重い荷物はすべて通販で買っていた。
もしかして、通販サイトからナンバーが流出したのだろうか。
早めに気が付いたけど、来月恐ろしい額とか請求されたりしないだろうな、いや、それより来月まで生きているだろうか。
あっ、都内なら炊き出しとかあってないかな。いや、そこまでしなくても、デパ地下の総菜売り場だ、試食だ試食。いや、その前に電車賃がない。
田舎め、すごく田舎め。
ふう、そんなんだったら、あの時、蒸かした芋、残さずに食べておけばよかったぜ。
そんな感じで、吾輩の視界がぼやけてきた。
ああ、このまま吾輩は死んでしまうのだろうか。行く先はちゃんと天国なのだろうか。近くに大きな犬はいないけどいいのだろうか。
そう考えていると、ふと、つぶらな目が見えた。
馬だった。
馬がいた。
ひひんと鳴きながら馬は吾輩の周りをぐるぐる回っている。いて、ときどき、吾輩を踏んだが気にしていないようだ。後ろ脚に蹄鉄のあとがいくつかついた。
馬はなにか馬なりに考えているようで、それがまとまると吾輩の前に止まった。
そして、馬は吾輩の首根っこを噛むとそのままぱかぱかとどこかへと連れ去った。
馬が連れて来たのは、屋台の前だった。屋台の外にはなぜか兵隊スミレが何本かいて、ビール箱の上に座って一服していた。頭、いや花にはハチマキをしていて、スミレの背丈に合わせて屋台を引けるようになっていた。
馬は吾輩を屋台の中へと案内する。雨風を凌げるように強化ビニールで覆われた店内に入ると、そこには一匹のリスがいた。つぶらな目にばしばしとつけまつげをつけ、アイラインをくっきり引き、赤い口紅を引いていた。けだるそうに日本酒の入ったグラスを傾けて、煙草を吸っていたが吾輩を見つけると、さっと身支度を整えた。
リスはしなをつくりながら、吾輩をカウンターへと案内する。なにか見たことがあると思ったら、あの無人島にいたリスだった。どうやらこの屋台でスナックのようなものをして、ママをやっているみたいだ。
さっそく焼酎やビールをすすめてきたが、吾輩がやつれていることに気が付くと、そっと調理場へと向かい、なにか温めて持ってきた。
出来あいで申し訳ないけど、そんな感じで差し出されたのはもつ煮込みだった。吾輩は口の中によだれが溜まっていた。ごくりとのどを鳴らす。出来あいというが、それはぷりぷりとしていてなおかつ歯切れのよいものだった。リスママがどうやってかしらないが、あの小さな手で器用に箸をあつかって小鉢にのせる。箸でたやすく切れるもつなんて、どれだけ手間をかけているだろうか。
しかし、吾輩の全財産は二桁だ。貯金をすべて下ろしたとしても、この小鉢ひとつの代金さえ払えない、その旨を伝えるためいつものタブレットで入力して見せる。しかし、リスママはゆっくりと首を振った。
ツケにしてくれるらしい。吾輩は、泣いた。泣いて、もつ煮込みを貪った。とろとろぷるぷるのもつが餓えた吾輩の腹を満たしてくれた。よくよく考えると、材料はなんだという結論に至るのだが、そんなことは頭から抜け落ちていた。
もつ煮込みを食べ終わると同時に次々と小鉢やごはんが提供される。もぐもぐと咀嚼していると、ぼろんぼろんとギターの音が聞こえてきた。
店内の端っこに小さな椅子があり、そこにウサギがいた。「ウサア、ウサァ」と昔懐かしの名曲を弾き語りしていた。
あのウサギも無人島からでてきたウサギだろうか。そう考えると、よくも丸焼きにしやがったなと思ったが、ウサギは「昔のことさ」と遠い目をした。いや、されたのは吾輩である、加害獣はそんな顔するな。
しかし、しばらくぶりの食事に吾輩はほっこりしていた。
客もちらちらと増え始め、どくどくのほっこり雰囲気になっていた。
そうだ、吾輩をここに連れて来た馬は何をしているだろう、そう思ってきょろきょろする、すると、調理場で水の音がした。
馬はじゃぶじゃぶと洗い物をしていた。蹄で器用に洗い物をしていた、そして、ときどき、店内の隅っこにあるテレビを見ている。鬱になる魔女っ娘アニメだった。距離はかなり離れているのが、馬は目がいいらしくひひん、ひひんと鼻歌を歌いながら皿を洗う。時々、意味不明な動きをするが、本馬は楽しそうなのでよいか。
馬は皿洗いが終わると、リスママからニンジンを貰っていた。しゃりしゃりと食べているが、それでは足りないらしく自前で持ってきた大根を貪っていた。
あこぎのウサギは引き語りから他の客を相手にした立ち回りショーに代わっていた。細長いニンジンを刀に見立て、ばっさばっさと斬っていく。たまに客に致命傷を与えている気がするが、酒の席だから気にするな、とニンジンをおさめていた。散らかったニンジンは馬がキャッチして食べていた。
客たちは満足した様子でお会計をリスママに頼んでいたが、金額を見てびっくりしていた。どうやら、桁が一つ違うらしい。
客の一人が抗議をしているが、リスママは「あらー、そうかしら?」とつけまつげをぱちぱちさせて白を切る。
吾輩はちょっぴり毛皮を逆立てる。
よくない雰囲気なのではないか。
そう思った瞬間だった。
ウサギがニンジンで抜刀した。
けちをつけていた客はぐっと斬られた箇所を押さえ、ばたりと倒れた。周りの客は唖然とする、しかし、その隙にウサギはどんどん斬っていく。
重なった客人たちにリスママは慣れた手つきで財布を抜き取ると、きっちりお代ぶん引き抜いた。
屋台の外から兵隊スミレがわらわらとやってきて、客人たちを外にだしていた。移動店舗である理由がわかった気がした。
吾輩は恐怖に震えていた。吾輩の前には大量の小鉢が積み重なっている。酒の類はないとして、額としてかなりふられるのではないかと思った。ツケといっていたが、そのためには身分証とか見せて、住所とか割られるのではないだろうか。そして、はらえないと内臓で払えとか言われないだろうか。
そう考えると、吾輩がさっき食べたもつ煮込みは吾輩の明日の姿なのではとぶるぶる震えてしまう。
吾輩、おいしいよ、でも食べられたくないよ。
そう考えているうちに、新しいカモ、いや客がやってきた。
そいつは白黒で、横には兵隊スミレよりも大きな女王スミレがいた。パンダだった。
パンダは慣れた様子で、カウンターの端っこに座った。指定席のようで、常連だとわかる。いつものと、熱燗とたのむと、おちょこに入れて飲み干した。
女王スミレは、お酒はほどほどにと、目で訴えているが、パンダは見向きもせず、吾輩の明日、もといもつ煮込みを喰っていた。
なんとなく、兵隊スミレがここにいる理由がわかった。
この野郎、と吾輩は思った。
吾輩は、リスママを呼ぶと、パンダをさした。あれのツケでと頼むと、リスママは了承してくれた。
兵隊スミレには悪いが、もう少し働いてもらおうと思った。
吾輩は屋台をそっとでた。
馬が外で待っていて、「乗れよ」ときりっとした顔をしていた。蹄の生き物が蹄に乗るのは変な感じだが、お言葉に甘えることにした。
馬は大根をかじかじ食べながら、吾輩をおくってくれた。
そうだ、今度は大根を植えよう。芋と一緒に大根を植えよう。変な魔植物よりよっぽど家計を助けるはずだと思った。
家に送り届けてもらうと、吾輩は馬にシグカレの器を一つ渡した。馬は大根をかじりながら帰っていった。
ふと、隣の敷地を見ると、一面に兵隊スミレの苗が並んでいるのを見て、吾輩は遠い目をするのだった。