実用的家庭菜園
ここ最近思うことがある。
それは、外は危ないということだ。
フィールドワークのたびに、記憶を無くしたり、変な習性がついたり、烏賊につかまったり、パンダにだまされたり、兎に食われそうになったり、なんということだ。
というわけで、吾輩は引きこもることにした。
我が家近辺は都会とは言いづらいものの、ネット環境は十分だし、通販生活にはそれほど不便はない。土地は余っていて、畑は作り放題だ。芋作ろう、芋、芋。
しかし、引きこもるにしても先立つものが必要だ。どんなに生活を切りつめても、最低限出て行くものは出て行く。
吾輩はそこで考えた。
誰かに養ってもらおうと。
吾輩は、先日、ネトオクで落とした種を見る。種類は選べないが、三種で五百円という値打ちなのか値打ちじゃないのかわからないというものだ。
その中に一つ、目をひく種があった。
ど素人め、と吾輩はほくそ笑んでしまう。なんという幸運だろうか、吾輩にも運が回ってきたと考えた。
というわけで、吾輩は畑を作ることにした。以前、ヤカンを植えていた畑は瘴気が少し残っているので、種のうちの一つを植えることにする。
軽く耕し、ボールペンの先で地面に穴をあけて、種を一か所に五、六粒入れる。軽く土をかぶせると、都内の美味しい水道水をかける。これで大体できた。余りかまい過ぎず、少し離れて見るくらいがちょうどいい。
近くに行くと火傷する、下がって見学しよう。そんな育成方法がいい。
ヤカンよりもずっと育成が簡単なのは、不謹慎ダンビラという。
不謹慎ダンビラを植えたら、次へ行こう。
畑の中で一番日当たりと水はけが良い場所である。少し深く掘ると溝を作る。掘った一番下にカレー粉を撒く。その上に、軽く土をかぶせ、その上に種をまいた。
土をかぶせたら、その上にも軽くカレー粉を撒いておこう。カレー粉はお好みなので、今日はりんごとはちみつの中辛を砕いてまいてみた。本当なら本場のルーがよいのだが、吾輩はそこまで通ではないのでこれでいい。
最後に、本命の種だ。
腐葉土と石灰を混ぜた土に、油かすを少し混ぜる。それを大きめの植木鉢に三分の一ほどいれ、その上に固形肥料を入れておく。そこについでにほんの少しのまごころを置いておくと、育ちがよくなるというので、吾輩は温かい目をしながら優しく優しく固形肥料を一粒ずつ置いた。
次に、その上にまた土をかぶせる。植木鉢の八割ほど土を入れたら、そっと、種をのせる。種は一粒だけ、これが今回の本命である。固形肥料よりもずっと優しく優しくのせて土をかぶせると、名水百選を数種ブレンドした水をかける。
なにごとも愛情をこめて育てることが大事だ、それがこの植物だ。
毎日、ほどよい光が当たる場所へ一日三回移動させる。日が暮れると夜風に当たらぬように室内へと入れ、朝は朝露を毎日地面に染み込ませる。
芽がでたら直接水をかける乱暴な真似はせず、霧吹きで適度に濡らす、表面が乾かないように濡らす。
大きくなってきたら添え木をつけてあげる。添え木は白樺がいいらしい。
農薬など使わず、虫がきたら、箸で一匹一匹掴んでとろう。デリケートな植物なので、化学薬品を使えば驚いて枯れてしまう。もし、大量発生して手が回らなかったら、一角獣の息吹で吹き飛ばすという手があるが、正直、そっちのほうが面倒くさい。ただの馬では駄目だという。
こうして、吾輩は毎日毎日一生懸命育てた。そのあいだ、フィールドワークは取りやめ、家で論文を書いて過ごした。急な通り雨が来たときはずぶぬれになりながらも、植木鉢を死守した。
そうやっていくうちに植木鉢の植物にどんどん愛着がわいてきた。もし実の子が生まれたらこんな風に可愛らしく思えるのだろうか。
吾輩は、つぶらな瞳を潤ませながら、育った蕾をつんと蹄でこづいた。蕾は、「もう、なにするのー」とも言わんばかりに、葉を震わせているが、まんざらでもないようだ。
もうすぐ花が咲く。
今日か、明日か。
吾輩はきらきらした目で花を見つめながら、思った。
これまでの苦労は、その花が咲くことですべて報われる。それが、この特殊な植物だった。
太陽は南中し、吾輩は少し日当たりが強いなと、木陰に植木鉢を置いた。そのときだった。急な尿意が吾輩を駆けめぐった。吾輩は、家に戻ると小用をすますことにした。
それが間違いだった。
すっきりした顔で、また外に出ると、そこにはモノトーンの獣がいた。丸い尻尾がぴくぴく動いていて、木陰で涼んでいた。
植木鉢のすぐ隣に座っていた。なぜかあの無人島のあと、ご近所に引っ越してきた隣のパンダだった。
その瞬間だった。
吾輩の脳は、世界をスローモーションに再生し始めた。鼻歌を歌うパンダの声が低く聞こえ、蝶々が一時停止したような鈍い動きになる。そして、植木鉢といえば、青紫に黄色のアクセントがきいた蕾が今まさに開かんとしていた。
それは、植物としては異例のスピードで花開こうとする。走馬灯のような背景の中で吾輩は、植木鉢へと走る。
しかし、それは叶わなかった。
花びらが開くと、そこにはつぶらな目が二つついていた。その目は、目の前の、吾輩ではなく、白黒の獣を見ていた。
インプリンティング、刷り込み。
その植物は、最初に見たものを親と信じ込む。
その植物の名は軍隊スミレ、そして、その植木鉢の植物はその中でもかなり貴重な女王スミレだった。
女王スミレはぱちぱちと瞬きすると、葉で植木鉢のふちを押さえ、よっこらしょっと地面から抜け出した。二股にわかれた根っこを足代わりにすると、パンダに葉っぱを振って見せた。
パンダはわけがわからないようで首を傾げている。そのまま、家に帰るが、女王スミレもついていった。
数日後、パンダのあとに女王スミレ、その後ろに大量の小さなスミレたちがついていく光景が見えた。小さなスミレは、女王スミレが作った分身たちで、兵隊スミレという。
兵隊スミレは女王スミレを親とする植物であり、繁殖率が異様に高い。女王スミレには絶対服従であり、兵隊スミレたちは女王スミレのためならなんでもする。
そして、女王スミレは刷り込みで親と思い込んだものの命令に絶対服従である。そのため、女王スミレの育成方法はとても難しいのだった。
吾輩は、幼稚園の遠足よろしくと笛をぴっぴっ吹いているパンダを冷めた目で見ながら、灯油を買いに行く決意をするのだった。
ちなみにほかの植物といえば。
不謹慎ダンビラはたわわなダンビラの実をつけた。切れ味がよく包丁として利用しているが、たまにろくでもないことをいって食材をまずくしたり、炎上させて消し炭にしたりした。
どうせなら、お隣を炎上させればいいのにと吾輩は思った。
もう一つは、ちょっと変わったカップのような実をつけた。形もよく、ヤカンに比べると笑ったり、叫んだりしないため便利だったが、用途に気をつけなくてはいけなかった。
まちがえて、プリンをそれで作ったら、カレー味になった。
何をよそってもカレー味になる、シグカレという魔植物だった。