烏賊 後編
船長は雄々しかった。隆々の筋肉を見せつけ、右手には大きな銛を持っている。素晴らしい体躯だが、ふんどしにグローブとなれば、ビキニアーマーより守備力無視としかいえない。
他の船員たちもそれぞれ麻酔銃らしきものを抱えていた。さすがに裸ではない。熊だけ、鍋とお玉を抱えていた。うん、動くな、肋骨が折れる。
調査船と言うとサンプルをとったりするように思えるが、対象物を狩る場合もある。
今回は、調査とは言い難いだろう。どう見ても駆除だった。
烏賊印の瘴気水の訴訟問題は有名な話である。瘴気水の原料は、実はこの辺近海に生息する魔烏賊を使っている。発売元は老舗メーカーであり、ロングセラーの商品だったが、ここ数年、品質の低下が著しい。
製造コストの削減によるものと、テレビで報道されていたが実は違うらしい。
大王烏賊がでた。
魔烏賊が瘴気を吸い過ぎた結果、巨大化する。それが大王烏賊、ときに魔王烏賊とも呼ばれる。
魔王烏賊が現れると、瘴気の濃度が濃くなり、それは他の魔烏賊にも影響を及ぼす。
本来、魔烏賊は一定のサイズ以上になれば駆除される。しかし、どうしてもその網の目をかいくぐって大きくなる個体はでてくる。
今回は、それが特に大きかったということだ。
大変ね、と他人事のようにウカ氏が言う。
吾輩は、自分が戦力外であることと同時に、一般獣なのでさっさと陸へ返せとの内容を婉曲に端末に打ち込んで見せようとしたが、愛用のペンタブがなかった。蹄で打ち込もうにもタッチパネルが反応しない。どうにか伝えようと鼻で押してみたが、スタンプが表面について汚れただけだった。
ジェスチャーで伝えようとしたが、「愉快な豚だ」と笑われた。豚じゃない。
というわけで、烏賊狩りに参加することになった。
船長は日本酒が入った一升瓶と、水のようなものを入れたペットボトルを取り出した。それを甲板から海へと流していく。
ウカ氏が成分を聞くと、魔王烏賊は酒と褐色美少女のだし汁に目がないという。合法だろうか。
そして、何やら水槽のようなものを甲板に出した。
中には獣のようなものが入っていた。
魔狸類の一種だろうか、小さな個体が三匹いた。
表面は強化ガラスで覆われており、空気穴はない。代わりに、フィルターらしきものが付いている。
厳重な警戒は頷けた。
その魔狸たちはうっすら苔色をしていた。そして、頭の頂点になにやら小さな突起が見える。
緑狸の幼体だった。
緑狸の危険性は、世界中に知られている。しかし、その一方で有用性もある。魔狸類は瘴気への反応が他の魔生物よりも敏感だ。特に緑狸はその頭の頂点に生える茸によって瘴気濃度を測ることができる。
現在の技術では、機械化もすすめられている瘴気メーターだが、その性能はやはり魔生物たちには劣る。今回、こうして危険生物である緑狸を持ってきたのも、魔王烏賊退治がそれだけ危険であることを示している。
なぜ、巻き込んだ。何の都合だ。
緑狸を見ているとなぜか頭の頂点が痒くなってきた。どうしたものだろうか。
緑狸は三匹身を寄せ合っている。少し心が痛む光景だ。有害魔生物とはいえ、それは人が勝手に決めた定義に過ぎない。本来、こんなガラス張りの檻に閉じ込めておくものじゃない。幼体なら、親元が心細いだろう――。
――と、思ったが撤回しよう。
子狸たちは目元をぐんにゃり曲げてひそひそと話していた。その視線の先には、船長がいた。むきむきの筋肉を食い入るように見て、時折、口をへにゃりとさせている。
緑狸は緑狸だった。
魔王烏賊は推定五メートルほどと船長がウカ氏と私に見せてくれた資料に明記されていた。
これまで見つかってきた魔烏賊の最大サイズが三メートル級と聞いている。たしかに、環境に影響を及ぼすレベルなのだろうと納得する。
五メートルと言えば大きいが、この船に搭載されている武器を見ると無理はないだろうと吾輩は思った。船底には大量の聖水が置いてあり、あれを振りかけてしまえば魔王烏賊も蛞蝓のように縮んでいくだろう。
作戦は、先ほど流した酒とだし汁で魔王烏賊をおびき寄せ、緑狸で感知し先制攻撃を仕掛ける。銛で固定したところで聖水を振りかけて弱らせて捕獲するというものだ。
瘴気にあてられる可能性もあるので、それぞれウエットスーツに似た防護服を着て、ガスマスクを簡易化したものを身に着ける。救命具は吾輩のサイズはなかったが、防護服はなぜかぴったりしたものがあった。
相手は生き物であるし、もしかしたら出くわさない可能性もある。その可能性を信じながら、ペンタブの代わりに使えるものをこそこそ作っていた。
なんとなくわかっていた。
世の中、そんなに甘くないって。
ぴぎーーっという鳴き声が響き渡った。皆が一斉に外にでる。
外に配置された緑狸たちが騒いでいる。
同時に、どんっという大きな音と揺れに驚かされた。
船が揺れ体勢を崩してしまう。防護服に、背中にリュック、浮き輪を腹に巻いた姿ではころころと転がるしかない。
海に落ちる寸前、甲板から投げ出されたその瞬間、身体がふわりと浮いた。
誰か支えてくれたようで、海に落ちることはなかった。
もうしわけないと、頭を下げようとしたが、身体が完全にフリーズする。なんか生臭く、ぐにゃんとした感触がする。
毛皮が逆立つ。
鼻が一気に乾いてしまう。
視線の先には、吸盤が付いた足があった。そして、その根元をたどると魔王どころか大魔王サイズの烏賊がいた。
二等辺三角形の赤黒いとも半透明ともいえないものが海面に浮いていた。その現れた部分だけでもゆうに三メートルを超えている。なにが五メートルだろうか、どう見積もってもその三倍以上の大きさはあった。
吾輩は、見せびらかすかのように掲げられている。下には、船長と船員たちが銛や火炎放射器で攻撃するがきかない。想定と大きさがあまりにも違い過ぎる。
思わず「URYYYYYY!」と叫んでしまうくらい動揺した。
甲板の上にウカ氏はいない。もしかして、ウカ氏も捕まったのかと思ったが、他の足にもいない。
いないと思ったが、窓からウカ氏が見えた。テーブルには、暇つぶし用に持ってきていたボードゲームを置いてある。なんだかカードを眺め、デッキを作っているようだ。
まず気づいていない。
そうだ、ウカ氏はそういう奴だ。
安心したような脱力したような気分で、どうしようかと考えるがどうしようもない。このままでは食われる。食われるのは嫌だから、船長がんばってくれとひたすら祈る。しかし、船長の格好がふんどしのままなのは実に解せぬ。
弾力ある大魔王烏賊に鋭い銛も突き刺さらず、聖水をかけるにも焼石に水だった。
船員が烏賊足によって、一人、また一人倒れていく。最期に残るのは、船長が一人だった。船長は酒瓶を口に含んでは、それに火をつけて烏賊足をはらっていく。
烏賊の動きを熟知した船長だが、それでもやはり相手が悪い。
このまま、烏賊の餌になるのは嫌だ、と吾輩は無駄なあがきをする。じたばたと四肢を動かそうとするが烏賊足はびくともしない。かわりにぎゅっと烏賊足に力が入り締め上げられる。ぐっと胃袋から内容物が逆流する。ぷしゅっと浮き輪の空気が抜け一瞬、拘束が弱まった。
暴れたせいだろうか、吾輩の背中からなにかがころんと落ちた。ガラス製の試料瓶が転がり、烏賊の足にぶつかって蓋が取れる。そして、中の茸が烏賊の頭に落ちた。正確には違う部位だが、わかりやすく頭といっておく。
その瞬間だった。まるで、強酸でもこぼしたかのように烏賊の頭がただれた。ちょうど茸が落ちた部分だ。
一体、何が。
吾輩は、ふと昔読んだ論文を思い出した。トンデモ仮説として扱われるものであったが、書いてあることは大変興味深かった。
瘴気にも種類がある。特に魔生物が自分から生み出す瘴気は、その個体によって違うものであり、時に同じ瘴気でも正反対の性質を持つものがある。
その正反対のものを混ぜ合わせるとどうなるのか。
それは――。
落ちた茸、あれはなんだったのか。思い出すと頭が痛いが、吾輩はあれがなんだか知っていた。
ずきずきする頭をおさえて甲板を見る。まだ一人で戦っている船長、倒れた船員たち、そしてガラスの檻の緑狸たちが興奮した様子で船長を見ていた。度重なる烏賊との接触でふんどしがかなり危ないことになっていた。もういろいろとやばい。
ウカ氏はいま携帯をあつかっている。助けを呼べ。
緑狸たちの檻に緑色の空気が充満している。
吾輩は、背中に手を伸ばす。
これだけは使いたくなかった。使いたくなかったが仕方なかった。この現状を打開するためには、背に腹はかえられない。
身体をねじってリュックの中から紙袋を取り出す。そして、それを思い切り放り投げた。
紙袋が途中で千切れる。その中から数冊の本が出てきた。
肌色の多い薄い本だった。
ぱりーんとガラスが割れたような音が聞こえた。ガラスは割れていた。薄い窓ガラスではない、二重構造になった強化ガラスが。
充満した瘴気に耐えきれなく破裂した。
緑色の空気が漂う。烏賊色に染め上げられた生臭い空気に胞子の風が通る。
緑狸三匹の頭には、えのき茸に似たものが生えていた。そう、先ほど吾輩が落とした茸と同じものだ。
緑狸と大魔王烏賊、ともに環境に影響を与える魔生物だ。
陸と海、住み分けがはっきりしたこの魔生物たちは本来出会わないはずだった。その方が、幸せだったかもしれない。
しかし、何の因果か出会ってしまった。
それが間違いだった。
小柄な緑狸からどんどん瘴気があふれ出す。目がらんらんと輝き、その視線の先は烏賊の頭の上に向けられていた。
先ほどの薄い本が大魔王烏賊の頭にのっている。緑狸はそれにロックオンすると、三方へとちりぢりになった。
大魔王烏賊のあふれ出す瘴気、それは緑狸には届かない。緑狸から排出される瘴気によって対消滅していく。
大きさでは圧倒的に有利な大魔王烏賊だが、緑狸の瘴気は濃い。しかも、どんどんあふれ出していく。それが三体いることによって、大魔王烏賊は処理しきれないのだろう。
短い足をしゅたたたっと動かし、ぬるぬるする触手のような足を駆け抜ける。頭頂へと向かうが、大魔王烏賊もそれほど甘くない。空いた足を振り回し、緑狸を薙ぎ払う。しかし、緑狸は何度でも立ち上がる。そこにあるのは、まだ見ぬ理想郷へと走り出す情熱だろうか、そんな情熱いらない。
緑狸のフォーメーションに大魔王烏賊は疲弊しているように見えた。吾輩を持つ足が緩んだ。もう一度じたばたしていると、力強い腕がそっと吾輩を支えてくれた。
「大丈夫か?」
赤いグローブをつけた船長がそっと吾輩を持ち上げると、甲板へと飛び降りた。
とても船長がイケメンに見えてここは恋に落ちなくてはいけないところではと思ったが、ふんどしがもう下着としての役割をはたしていなかったので、やめておくことにした。
大魔王烏賊はだんだん小さくなっているように見えた。このままいくと、そのうち聖水でも浄化できるサイズになるだろう。
どれだけすごいのだろうか、緑狸の執着は。
「本来の大魔王烏賊はあんなものじゃない」
ぐっと拳を握りしめ船長がつぶやく。
「あいつは分裂期だった。ちょうど、力の大半を新しい個体に移し終えたあとだ。新しい綺麗な個体はまだのうのうと生きて、戦力を温存している。そのうち本性をあらわすだろうが、それはそのとき考えるか」
何を言っているのだろう、この船長は。ただの調査船の船長ではないのだろうか。
「緑狸を放つとは、お前さんもしかして、あの論文を呼んでくれたのか?」
そっと、船長は手に付けていた星形のグローブを外す。その両手の甲には杭のようなもので穿たれた痕があった。
「深追いしないほうがいいぜ、こんな風に二度とペンが持てない身体になってしまう。いや、アンタの場合」
ふと、あの論文を書いた研究者の名前を思い出そうとしたがでてこない。近影の写真も思い出せない。
もしかしてと、瞬きをする。
船長は吾輩の頭の頂点をじっと見た。
「すでに制裁はくだっているみたいだな」
そういって船長は、グローブをはめ直すと聖水をとりに船の中に入っていった。
何が言いたかったのか。
いや、それよりペンは持てなくてもポリタンクや銛は持てるのかと思った。
その後、烏賊は聖水にて浄化され研究所に引き渡された。
代わりにぶくぶくと大きくなった緑狸たちをどうするかという問題に発展したが、意外と簡単に片付いた。
どこからともなく現れた熊猫型の人が薄い本に灯油をかけて燃やしたら、簡単にしぼんで小さくなった。
あと、船長は陸につくなり通報され、ウカ氏はルアーを忘れていった。
吾輩は二度と烏賊釣りにはいかないと決めた。