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万華鏡  作者:
2/3

表(side明碕)・下

 小間使いが丹念に髪を梳いていく。その優しい手を感じながら、私は手持ち無沙汰に髪飾りを弄んでいる。


 黒く塗られた針の先端に、二杯の盃を底で繋げたような奇妙な形。芸が細かいというか何というか、この小さな漆器にはご丁寧にも金箔で船の絵が描かれている。垂れ下がる大きな紅珊瑚の玉。そこに絡められた幾筋もの絹の帯。しゃらしゃらと揺れる銀の鎖。

 特筆すべきは珊瑚と共に下がっている薄い小さな布状のものであろう。れえす、というらしいその繊細な白い円は、細い糸を編んだものなのだそうだ。父が仕入れる外つ国の物品の中に偶に混じっていたから存在は知っていたが、これほど見事な透かし模様には滅多にお目にかかれない。


 彼の商会が扱う品はどれもそうだが、様々な土地の物産を、よくもまあこれほど趣味良く組み合わせることが出来るものだと感心してしまう。漆器と鎖、珊瑚と絹を合わせようというその発想がまず見事だ。そして何より凄いのは、一つの品の中に組み込まれたそれぞれの個性が打ち消しあうことなく、寧ろお互いを引き立てあっている点だろう。


 このような品を作り出すことが出来るのは、後にも先にも一人きり。<玉師>の異称を持つ一人の職人が、彼の元で装飾品の意匠の考案を一手に引き受けている。

 界悠の売り込みのおかげもあるのだろう。<玉師>が関わった作品は今、上流階級の若い層が競って手に入れるまでになっている。年輩の婦人方の中にもぽつぽつと、<玉師>が下絵を描いた装飾品を身につける者が出始めている。


 その天才職人が手ずから作り上げた、古今東西の粋を凝縮した逸品中の逸品。これは界悠から私への、最初の贈り物だった。


「お嬢様」

 小間使いの催促に従い、簪を彼女に手渡す。髪が綺麗に結い上げられ、私の用意は完了した。

「お美しいですわ、お嬢様」

 小間使いが誇らしげに笑う。私は鏡の中の自分と視線を合わせた。確かにいつも以上に気合いを入れて選ばれた衣装は私によく似合っていたし、唇に乗せられた紅は私の心を浮き立たせた。


 私は深く息を吸う。簪に触れ、袖の上から貝の腕輪に触れた。立ち上がり、部屋を出る。


 玄関で父が待っていた。目を細め、着飾った私を褒めてくれる。父は笑うと祖父に似ている。

 折角の衣装が皺にならないように気をつけながら、私は迎えに来た箱駕籠に乗り込んだ。掛け声と共に駕籠が持ち上がり、進み始める。


 ――今日、全てが決まるだろう。


 漠然とした予感が緩やかに私を包み込む。既に結末の見えた戦い。私は駕籠の中で目を閉じた。規則的な揺れに応じて、簪の飾りは微かな声で笑いさざめいた。





 彼とは芝居の会場で落ち合うことになっていた。


 駕籠が止まり、ゆっくりと地面に下ろされる。ざわめきが聞こえた。沢山の人が芝居を楽しみに集まっているのだろう。

 貝の腕輪をくるくると回してみる。従僕が飲み物を差し入れてくれた。甘い味を舌の上で転がす。足が少し痺れている。


 こんな風に身を縮めていると、狭い隙間に入り込むのが好きだった幼い頃を思い出す。洗濯籠の中で眠ってしまったこともあったらしい。私は覚えていないのだが、未だに母がからかいの種にしてくるのだ。


 聞き覚えのある声がした。私の意識は過去から引き戻される。まだ駕籠が止まってから幾らも経っていないはずだ。と、いうことは、この声の主は入り口付近でわざわざ私の到着を待ってくれていたのだろうか。


 やや暫くして駕籠の中に光が射した。目を細め、私は外に立つ男を見上げる。差し伸べられた手を取り、私は窮屈な駕籠から降りた。

 凝ってしまった身体を伸ばす私に、男は優雅に礼をする。私はにこりと微笑んだ。


「こんにちは、禪有さん」

「若君がお待ちかねでございますよ、明碕様。僭越ながら私がお席までご案内させて頂きます」

 白家の老執事が茶目っ気たっぷりに片目を閉じて見せる。私は思わず声を立てて笑った。

「まあ、そんな。禪有さんならいつだって大歓迎ですのに」


 彼なんかよりもよっぽど、とこれは心の中だけでつけ加える。そんな私の様子に気づいたのか、老執事はその顔に浮かべる笑みを困ったようなものに変えた。私だけに聞こえるように、小声で囁いてくる。


「そんなお顔をして下さいますな。若君はあれでも、貴女様のことをそれは好いておられるのですよ」


 私は苦笑せずにはいられなかった。全く、禪有さんときたら。流石にこの国屈指の名門・白家で長年執事を務めているだけのことはあり、彼は随分と鋭い。私の心の内などすぐに読まれてしまう。

 それなのにどうしたことか、彼のその慧眼も可愛い若君に関してだけは曇るようなのだ。そういうところも含めて、私はこの老年の執事が大好きだ。


 一旦父と別れ、私は禪有さんの後について歩き出す。建物の中に入り、薄暗い通路を抜けていく。殆ど梯子に近い階段は手すりの位置を確認しながら上った。ほんの少し、気分が悪い。どうやら駕籠の揺れに些か酔ってしまっていたようだ。

 布で仕切られた特別席に足を踏み入れた途端、ぐらりと眩暈がした。舞台に反射した照明の強い光。それが私の目を刺した。


 立ち止まり、目元を押さえる私の肩に触れた手があった。白檀の微かな香り。私ははっと顔を上げようとして――その拍子にまた視界が染まる。


「危ないな。体調でも悪いのですか?」


 気遣わしげな声は振動を伴っていた。先程よりももっと強く白檀が香っている。


「……平気ですから離して頂けません? これでは動けません」

「これは失敬」


 おどけたような声。背に回っていた腕はしかしすぐには解かれなかった。私は聞こえよがしにため息を吐き目を開けた。彼の胸に軽く押しつけられる格好になっていた頭を動かす。相変わらず小憎たらしいほどに整った顔が目の前にあった。


「禪有、ご苦労だった。下がって良い」

「それでは、失礼致します。明碕様も、存分にお楽しみ下さいますよう」

 執事の見本のようなきっちりとした礼をして、禪有さんは踵を返した。衣擦れの音が聞こえなくなった頃を見計らって、私は改めて彼の腕の中、身を捩る。


「もうよろしいでしょう? 人目はないのですから、演技の必要はありませんわ」


 これだから禪有さんも騙されるのだ。私はさっさと身を翻して席に着いた。彼が笑い声を漏らして隣に座る。眩暈はとっくに収まっていた。


 開演までは、まだ間があるようだ。まだ誰もいない檜舞台を確認し、私は隣の彼に目をやった。演目についての予習は済ませてきているが。

「今日のお芝居について説明して頂けます?」

 やはりこれが妥当な話題だろう。別に芝居が始まるまで黙りこくっていても良いのだが、先程無理矢理腕を振り解いたことで少々気分を害したようなので――笑い声が引き攣っていた――少しくらい機嫌を取っておこうかと思ったのだ。

 全く、いつだって主導権を握らなければ気が済まないというのだから、手の掛かるお坊ちゃんだ。


 彼は目を眇めて私を見ていた。不機嫌でも口元だけは笑っている。ここまで来るといっそ天晴れだと言ってやりたくなる。


 彼と顔を合わせる時は、私はいつも彼の鼻辺りを見るようにしている。笑っている時も甘い言葉を囁いている時も、彼の瞳の奥は冷たく凍っている。あの瞳だけは、初めて言葉を交わした時から変わらず恐ろしい。

 それでもこうやって対等に口を聞けるまでになったのだから、私も成長したのかもしれない。


 幸いにも彼は気を取り直してくれたようだ。一旦喋り始めればもう問題ない。好きこそものの上手なれ。彼は語るのが好きだし、人の気分を盛り立てるのも上手い。

 言葉巧みに相手の購買意欲を掻き立てる。商売人は案外彼には天職なのだと、こういう時につくづく思う。


 なまじ貴族などに生まれついてしまったのがいけなかったのかもしれない。いや、貴族にも話術は必要なのだが。


 そう。何かの集まりを開く時、誰もが彼を招待したがるのは何も彼の身分や容姿ばかりが理由なのではない。彼が場を盛り上げることに長けているのも、なかなか見過ごせない重要な要素なのだ。


 ともかく、演目や役者について、興味深い挿話を交えながらの彼のお喋りのおかげで、芝居が始まるまでの時間は和やかに過ごすことが出来た。私はほっとした。彼の機嫌を損ねて良いことがあった試しなどない。このことは経験から分かっている。


 さて、芝居はというと、期待を遙かに上回って面白かった。流石は今最も人気の一座だ。立ち回りは鮮やかだし、しんみりとした場面では思わずじんときた。早め早めの展開も目が回るほどではない。寧ろ客を飽きさせないため、計算され尽くしたものなのだろう。

 絶妙な呼吸で駆け回る役者達。ここぞという時の心憎い演出。私はいつしか、舞台の上で展開する世界に完全に引き込まれていた。


 だから。

 自分が何のためにここにいるのか、何を望まれているのか。――何を言わされに来たのか。

 それを忘れかけていたことは、否定出来ない。


「楽しそうですね」


 彼が耳元でそう囁いてきたのは、休憩を挟んで後編に突入した芝居がそろそろ最後の山場を迎える、丁度その時のことだった。


「誘った甲斐があったようで、良かったです」

 どこかざらりとした男の声が耳の中にわだかまる。


「ええ。誘って下さって有り難うございます。予想以上でしたわ」


 邪魔をされた、という思いが全くなかったとはいえない。自分の口調が些かぞんざいだったことに気がついたのは、反射的に囁き返した後のこと。


 私の隣、彼はちょっと首を傾けた。

 たったそれだけの動作が、何だかやけに。


 ……まずい、だろうか、これは。


「明碕殿」


 彼が私の名を呼んだ。吐息が感じられるほどの距離。私は未だ舞台から視線を外してはいなかった。それでも注意は完全に彼の方に逸れている。


「……何でしょう」

「そろそろ、返事を頂けませんか。もう十分でしょう」


 空気がざわめく。

 彼の指が私の腕に掛かる。次の瞬間、痛いほどの力がそこに込められた。身体が引っ張られる。腕が絡みついてくる。


 私は思わず顔を上げた。舞台からの光を受けて、彼の顔の半分だけが暗がりに浮かび上がっている。彼の瞳の中の闇が、私をしかと見据えていた。


 開演前の比ではない。

 これは。

 かなり、怒っているのではないか――?


「貴女の答えを聞かせて下さい。考える時間が欲しいというのはなしですよ。二年も差し上げたのですから」


 声に苛立ちが透けて見える。先程の不機嫌はどうやら消えてなぞいなかったようだ。まずい、まずいとそればかりが頭の中を駆け巡る。


 彼の手が背を撫でていく。ゆっくりとした動き。背骨を辿り、上へ、下へ。首に触れ、髪に触れ、また下る。

 ぞっとする。こんな感覚は知らない。私は歯を食いしばる。


 私の答え。

 すう、と心が冷えていく。


 予想はしていた、それを問われるだろうこと。いつかは対峙しなければならない問題だった。


 それでも彼からの帰国の連絡を無視してまでそれに触れずにきたのは、答えを口にしたくなかったからだ。あと少しだけ今のままでいたいという、叶えられるはずもない願いのためだ。


「……とりあえず、腕を離して頂けません?」

 やっとの思いで言葉を紡いだ。身体の震えは確実に彼にも伝わっているだろう。


「駄目です」

 彼は必死な私を鼻で笑った。恐れて止まない酷薄な色をその瞳の奥に認めて、私は咄嗟に目を逸らす。


「離して下さい。別に逃げたりしませんから」

「駄目ですよ」


 だから、この体勢はぞくぞくして落ち着かないというのに。

 彼がまた耳元に口を寄せてくる。唇が、耳朶に触れ、首筋に触れ。なっ、と小さく上がった声は明らかに狼狽していた。


「い、今は誰も見てる人なんていませんよ」

「そうですね。皆さん芝居に夢中でしょうし」

「そうですねって……」

「明碕殿」


 彼はきっと笑っている。いつもの笑顔。少なくとも表面上は。


「答えを」


 強制力のある声だった。人を従えることを当然に思っている者の声。傲慢な男の声。


「私は言いましたよね? 貴女との婚姻を望むと。二年前、私がこの国を出る前に」

「……ええ」


 そうだ、彼は確かにそう言った。覚えている。

 あの時の私は彼を心底忌々しく思った。今だって、白々しいことを、という思いを捨てきれないでいる。

 私の承諾など、本当は必要としていないくせに。


「望むようになされば宜しいのでは? もう父に話は通してあるのでしょう」


 旅立ち前の忙しい時期に、彼はわざわざ私達の屋敷を訪ねてきた。父の書斎で何の話をしていたか、知らないとでも思っていたのか。

 前の時と同じだ。私の意志は問題にされない。例えここで私が拒んだところで事態は変わらない。


「それでも、承諾を頂きたいのですよ。分かりませんか?」

「必要ありません」

「明碕殿」


 宥めるような口調。縋るような口調。その裏に隠されているのは、私が折れるのが当然だという傲り。

 思いがけず込み上げてきたのは怒りだった。


 悔しい。

 悔しい。

 悔しくて堪らない。


 一体どこまで私の心を踏みにじれば気が済むのだ、この男は。


 私の承諾が欲しいと言う。

 私自身の口で、結婚に同意して欲しいと。


 悔しい。


 残されたたったひとかけの尊厳すら許してはくれないのか。

 私が拒めないことなど、とうに知っているだろうに。彼はそれを知っていて、知っているのに、言わせるのだ。


 しかし沸々とした怒りを感じる一方で、私は自嘲していた。

 だって、今更だ。怒るのなら、馬鹿にするなと喚きたいなら、最初からそうすべきだったのだ。二年前に、彼から求婚された時に。或いは彼に縁談を潰された時に。


 撫でる。掴む。さする。爪を立てる。感覚が過敏になっている。着物越しに触れる手。睦言めいた、婉曲な脅迫。


 そして私は絶望するのだ。


 どうして。

 憎らしい。

 こんなにも、憎らしいのに。


 彼がくつくつと笑い声を立てた。思い通りにならないことへの苛立ちと、思い通りにならないことへの愉悦と。色々なものが一緒くたになった笑い声。

 それから彼は、砂糖漬けの果実よりも、もっともっと甘い、甘ったるい声音で囁いた。


「貴女の承諾が何よりも重要なのです。貴女に認めて貰えねば意味がない。知っているでしょう? ――だって私は、貴女が好きなのです」


 とびきりの冗談でも口にしたかのように、彼は笑う。


「人目があろうがなかろうが貴女に触れたいし、貴女につれなくされれば悲しい。どんなに自分が辛くとも、貴女の意に添わないことは、したくないのです」


 糖衣にくるまれた言葉が私の目の前に無造作に投げ出される。


 そんな風に笑わないで欲しい。

 そんな声を出さないで欲しい。

 やめて。

 お願いだから。


 彼は話術が巧みだ。人をその気にするのが上手く、容易く心を絡め取ってしまう。


 目を閉じたい。

 目を閉じてしまいたい。


「愛しているんです、貴女のことを」


 切なげな吐息。欲しくて欲しくて堪らなかった言葉。


 知っている。

 貴族の血に誇りを持つ者達が、にこやかに招き入れる裏で私達を蔑んでいること。


 知っている。

 彼が事業の拡大のために輸入のための経路確保を望んでいること。そのためには私との婚姻が一番手っ取り早いこと。


 私は知っている。

 知って、いるのに。


「自分でもどうしようもないくらいに、貴女を愛しています」

「そんな、こと……本当は、思ってもいないくせに。嘘を吐かないで」

「酷いことを仰いますね。私は紛うことなき本心を述べているのですよ」


 耳障りの良い言葉に、騙されてしまいたくなるのだ。


 私だってきっと疑わなかったに違いない。

 彼の瞳を見てさえいなければ。

 瞳の奥が凍えていること。冷たい冷たい色をしていること。それに気づいてさえいなければ。


 ああ、でも。


「ねえ、明碕、殿」


 もう、いっそのこと。


「…明碕……」


 掠れた声がするから。懇願する声がするから。


 ――騙された振りを、してしまおうか。


 唇に息がかかる。

 彼の顔が、すぐ目の前に。


「――界悠様」


 名を呼んだ。何、と幾分弾んだ彼の声。嬉しそうな、楽しそうな笑い顔。


 そうして、私は固く目を瞑る。

 何も見なかったことにする。何も見ないことにする。


 私は一人闇の中。


 遠くで拍手が鳴っている。歓声が上がっている。

 芝居はもう、終わったのだろうか。惜しかったな、と頭の片隅で思う。最後までちゃんと見たかったのに、と。


 ――でも、もう良いのだ。


 私はもう、視界を塞いでしまった。


 それほど言わせたいのなら言ってやろう。聞きたいのなら聞かせてやろう。

 他の誰でもなく、彼がそれを望むのだ。

 私は自ら捕らわれる。

 騙された振りをしてやろう。


 私は唇を湿らせ、ゆっくりと口を開く。

 さあ、彼が答えを待っている。


「界悠様、私の答えは――」


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