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混沌のアルファ・リニューアル版  作者: 高田ねお
第一段階Dー計画』
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8「水の水晶の恩恵」(第一段階、了)





「みんな知っての通り、よつのは生物研究所は一番最初に異世界生命体アルファの研究が行われていた場所で、現在でも小規模ではあるけど、研究は進められているわ。私たちがよつのは生物研究所に目をつけたのも、第五研究所とは違うα細胞へのアプローチを行っていないか調べる為よ。そしてもし、あるとすれば、それを参考にβ細胞との融合への突破口を開けないか、それを模索する。そのためにわたしと川上くんはよつのは生物研究所で動いていたの」


 よつのは生物研究所は異世界生命体アルファを最初に収容した場所であり、初めてアルファの本格的な研究が行われた機関である。

 アルファの生体構造から、分裂世界の考察、様々な研究グループに分けられ、三ツ葉社の徹底とした支援の元、研究は行われていた。

 αとβの因子が均一に融合された統一体――『(キィ)』が未知の分裂世界の扉を開くことを発見したのもこのよつのは生物研究所である。確かにこの場所なら、この第五研究所と別のアプローチを行っていたかもしれないが――――

    

 「しかし、川原。この第五研究所が設立されたとき、よつのは生物研究所の研究内容もすべてこちらで引き継いだはずだ。あちらの研究内容を調べるだけなら、第五研究所の中でもできたんじゃないのか?」


 石和の言葉に川原はおおきくかぶりを振った。


 「確かに研究内容の引き継ぎはしたけど、それはあくまでもデータだけの引き継ぎでしょう? やっぱり、実際に向こうの研究員の話を聞いて、細かいアプローチの仕方を肌で感じたかったのよ。向こうには向こうのやり方があって、アルファに対する様々な考察を行っていたわ。こっちも第一段階の研究が行き詰まっていて、考えが凝り固まっていたから、いい刺激にもなったしね。石和くんたちも気づかないうちに、視野が狭くなっていたりしたんじゃない?」

 「む……」


 川原にそう言われて、石和は唸った。確かにDー計画の研究は難航し、無意識に視野が狭くなっていたのかもしれない。瞬間物質転送装置(テレポート・ゲート)の実験の成果に託し、考えることを放棄していた部分もある。川原はそういった呪縛から解き放たれるために、よつのは生物研究所と第五研究所を行き来していたのだろう。川原は続けた。


 「まあ、よつのは生物研究所にこだわった理由はそれだけじゃないんだけどね。研究成果はすべて第五研究所に託されたって、石和くんいま言ったけど、甘い、甘い。ヒトは都合の悪いモノを隠そうとする悪癖があるものよ。それはよつのは研究所も例外じゃなかったってわけ」

 「……どういうことだい?」


 と、佐々木が怪訝な面もちで、川原に尋ねる。


 「そのままの意味よ。よつのは生物研究所ではアルファに関する『ある現象』を知りながらも、その情報を隠蔽していたのよ。臭いモノに慌てて、蓋をするかのようにね」


 川原が言ったその言葉に戸木原が大きく目を見開き、


 「バカな! 研究データの隠蔽など、おおきな契約違反ではないか。万が一そんなことが行われていたのならば、よつのは生物研究所のスタッフもただではすまないぞ!」


 と、大きな声で怒鳴る。


 「だけど、これは事実です。そして、そのことを三ツ葉社の上層部は知っている。いえ、上層部がその事実を隠蔽していたんです」


 「成る程」と、石和はうなずいた。


 「よつのは生物研究所でなにか不祥事が起きたわけだな? それが表沙汰になるのを恐れて、その不祥事を上層部が隠蔽した――その結果として、よつのは生物研究所の所員はその研究データを抹消しなくてはならなくなった……違うか?」


 川原が頷き、それでようやく想像がついた。その不祥事とはおそらく――――    


 「……『成体』の暴走じゃないのか?」

 「っ!」


 石和の言葉に川原は大きく目を見開いた。どうやら、図星のようだ。川原は唖然とした面もちで、


 「……すごいわね、どうして分かったの?」


 と、言った。石和は苦笑した。


 「アルファの実験での不祥事では一番ありそうなことだろ。それに前々から第五研究所に設置されている『成体』用の武装が尋常じゃないと思っていたんだ。α細胞が暴走した瞬間、自動で稼働する『自動迎撃システム』に、高出力のレーザー砲に二十㎜のガトリング砲が各二門ずつ。更に三ツ葉社専門の警備会社『ASH』の部隊までもが、後方に待機している。α細胞の暴走が本当の意味で危険だと知っていなければ、ここまで過剰な対策を講じたりしないだろう。だから、ひょっとしてと思ったんだ。よつのは生物研究所ではα細胞の暴走を止めることができず、『成体』となった実験体の姿を目の当たりにしたことがあるんじゃないかってな」


 川原は両手をぱちぱちと叩きながら、感嘆の溜息を吐いた。


 「びっくりしたわ。石和くん。探偵になれるんじゃないかしら。その通りよ。そう、よつのは生物研究所ではα細胞の暴走時に実験体へ止めを刺すことができず、『成体』を完成させてしまったの。そして、死者を出すほどの大惨事に発展してしまった」

 「やっぱりか」


 だとすれば、実験データを隠蔽したのも頷ける。そんなことが公になれば、三ツ葉社の名に傷がつくし、なによりも異世界生命体アルファの存在を世間に知られてしまう可能性がある。そんなことになれば、大騒ぎになるのは火を見るよりも明らかだろう。


 「だけど、驚いたなあ。上層部が隠蔽していた情報だろう? どうやってそんな機密の高い情報を入手することができたんだい」


 感心した口調で言った言葉に川原はくすくすといたずらっぽい笑みを浮かべ、人差し指を口に当てた。


 「ソースは秘密。察してくれると助かるわ」


 川上の方へ目を向けると、石和と視線が絡み合った。川上は無表情のまま、小さくうなずいた。どうやら、まっとうな方法で入手した情報ではないようだ。川上はプログラム関係のエキスパートで、ネット関連の技術にも詳しいと聞いているが、ひょっとしたら、公にできない手段で入手した情報なのかもしれない。詳しく詮索しない方がよさそうだ。黙って、話の続きを聞くことにする。


 「で、よつのは生物研究所で行ったα細胞の移植実験が失敗し、実験体の処分を行うことも失敗。結果、α細胞の書き換えがすべて終わり、『成体』が完成してしまったの。『成体』はこちら側の生物では考えられないほどの身体能力を持っていて、その力をよつのは生物研究所内で発揮した。所内はものすごいことになっていたらしいわよ。装備していた銃火器じゃあまったく歯が立たなかったみたいで、『ASH』の最新兵器を身体に何十発も撃ち込んで、それでようやくしとめたんだって。『成体』による被害は甚大で研究所は半壊滅状態。死傷者も十人以上。まさに最悪ね。この事件が表沙汰にならなかったのが不思議な位だわ」


 川原は肩をすくめながら、言う。先ほどの実験でα細胞が暴走したことを思い出す。紅い眼。元の姿とはあまりにもかけ離れたその容貌。二十㎜のガトリング砲ですら、致命傷を与えられない肉体。一撃で特殊強ガラスにヒビを入れる圧倒的な力。いま思い返しても、ぞっとする。


 あれでもまだ、α細胞の書き換えが済んでいない状態なのだ。あれでもし、α細胞の書き換えが完全に

終了し、『成体』になっていたとしたら……。

 改めて、石和は自分の扱っている生命体が危険極まりないことを実感した。


 「だけど、川原さん。『成体』になった実験体が危険極まりない存在であることは分かったけど……この事件とさっき言っていた『柔らかい細胞』との繋がりはいったいなんだい? イマイチ、ふたつの因果関係がわからないんだけど」


 と、佐々木が両腕を組みながらそう言うと、


 「問題はその『成体』の狩猟方法にある。『成体』は極めて特殊な手段で、捕獲した獲物を食料に変換する。それが先ほど川原博士の持っていた『水の水晶(アクア・クリスタル)』であり、その存在が『柔らかい細胞』の精製に繋がった」


 唐突に川上が口を開き、川原の代わりに佐々木の質問に答えた。川原が目を丸くした。


 「ちょっ……ちょっと川上くん! いきなり話の主導権を持っていかないでよ! いいところだったのに!」

 「川原博士は話が長い。一から順に話をしてゆくのは非効率だし、それではいつまで経っても本題に入れない。最初は主題となるべきことをまとめて語り、その後で、細かい問答を行えばいい」

 「なによ、失礼ね。わたしはみんなに分かりやすく伝えるために、一から順に――――」

 「結論から、言う。『水の水晶(アクア・クリスタル)』の正体は生き物が持つ生体エネルギーを極限にまで圧縮して、結晶化したものだ」

 「あ――――っ! い、いきなり話の核心に!」


 川原が目尻に涙を滲ませて、大声で叫んだ。どうやら、もったいぶった話し方をして、皆を驚かせようと企んでいたようだ。相変わらず、子供っぽい一面を持った女性だった。


 「生体エネルギーを……結晶化したもの? あの石が?」


 佐々木が驚愕のまなざしで川上の言葉を反芻し、川上が淡々とした口調で答える。


 「そう。『成体』となった実験体は研究員を捕獲して、食料としてその身体を蹂躙したそうだが、研究員の身体をそのまま喰らったのではない。研究員の体内にある生体エネルギーを搾り取り、それを物質化させたのだ」


 石和は唖然とした。エネルギーを何の触媒もなしに、物質化させるなど……信じられない。そんなことが可能なのだろうか。いや、万が一、可能としても生体エネルギーを結晶化させることに、何の意味が――――    


 「っ! そ、そうか! 食料の確保か!」


 川上は頷いた。


 「『水の水晶(アクア・クリスタル)』はアルファの体内に入ると物質化されたエネルギーが解放され、身体中にエネルギーが浸透する。それが体内に取り込んだ対象のエネルギーとして、吸収される。つまり、この石は『成体』の食料だ」


 佐々木が「成る程」と納得した面もちでうなずいた。


 「確かに食料としては理想の形態かもしれない。食べ物を食べて、消化し、エネルギー変換して、余分なものを排泄するという段階を踏まないで、それ口にするだけで、エネルギーを取り込むことができるんだから。川上くん、その『水の水晶(アクア・クリスタル)』はどのくらい持つのかな?」

 「年代測定器にかけたが、正式な年数は計測できなかった。だが、少なく見積もっても百年以上は劣化しないと見られている」

 「百年以上か……すごいな」

 「まさに究極の保存食だね。食を味わう楽しみがないのが珠に傷だけどね」


 石和と佐々木が感心の言葉を漏らす。おそらく異世界生命体アルファには元々、そういった能力が備わっていたのだろう。α細胞がβ細胞に浸食し、細胞の書き換えによって、『成体』にもアルファが持っていたその能力が継承されたのだ。


 「し、しかし、それは本当かね? エネルギーを結晶化できるスキルがある生物など、にわかには信じ難いのだが……」


 戸木原が眉根を寄せながら、呟いた言葉に川上はかぶりを振った。


 「分裂世界にはあらゆる可能性が内包されている。どんなスキルを持つ生物が存在したとしても不思議ではない」


 佐々木が頷き、


 「そうだね。一見、突拍子もないスキルに感じるけど、いつでも体内に取り込んで、エネルギーに出来る能力というのは生物としての理には叶っていると思う。なるほどねぇ、改めて自分の行っている研究が非常に興味深いものだと再認識させられたよ」


 妙に感心したような口調で言う。


 「…………」


 石和は改めて、川上の持つ『水の水晶(アクア・クリスタル)』に目を向ける。この青白い炎が『成体』に殺害された研究員の生きる為に宿っていたエネルギー――つまりは命の灯火そのものであるということだ。


 確かに『成体』のその能力は非常に興味深いものだ。だが、これが殺害された研究員のなれの果てだと考えるとぞっとする。


 もし、アルファという生命体がα世界ではなく、我々の住むこのβ世界に存在していたとすれば、ヒトという種は間違いなく絶滅させられていただろう。たった一つの個体で研究所を壊滅状態まで追い込み、そんな特殊な能力までもを身体に宿している。他にもなにか我々の知らない能力があるかもしれない。そんな圧倒的な能力を持った生物に対して、ヒトという生物はあまりにも脆弱だ。かなうはずがない。


 この生物の存在が自分のいる世界の存在ではなく、『一つの可能性』の世界であることに石和は心底安堵した。


 「自分の説明は以上だ。あとは川原博士に任せる」


 川上はそう言って、再び口を閉じた。川原は半眼で川上を睨めつけながら、


 「うう……楽しみにとっておいたショートケーキの苺を横からかっさわられたような気分だわ。川上くん、後で覚えてなさいよ」


 と、恨めしげに呻いた。川上は無表情のまま、何も答えなかった。そんなに『水の水晶(アクア・クリスタル)』の真相を自分で語りたかったのだろうか。「まったくもう……」と、ぶつぶつ愚痴を一人つぶやきつつ、話の続きを語り始める。


 「ま、あとは川上くんのいった通りよ。この『水の水晶(アクア・クリスタル)』の存在が『柔らかい細胞』の開発に繋がるきっかけになったの。みんなもさっきみたでしょう? 『水の水晶(アクア・クリスタル)』はα細胞だけでなく、β細胞にも反応して、吸収し、細胞そのものを活性化させる力がある。そして、もうひとつ。『水の水晶(アクア・クリスタル)』を吸収したβ細胞には新しい利点が生まれていたのよ」

 「細胞が活発になるだけじゃないんだな?」


 石和の問いに川原は髪の毛をかき上げながら頷いた。


 「ええ。正式にはα細胞とβ細胞双方に『水の水晶(アクア・クリスタル)』を浸透させた直後ね。そのときにだけふたつの細胞にある利点が生まれるのよ。『水の水晶(アクア・クリスタル)』と同等のエネルギーを含む細胞が、ひとつになろうとして、細胞の性質を変化させるの。つまり、α細胞がβ細胞に浸食しようとするとβ細胞は『水の水晶(アクア・クリスタル)』から得られた同等のエネルギーと同化しようとする動きが働き、結果、その細胞は『適応』しようとするのよ」

 「それが……『柔らかい細胞』か」

 「そう。だけど、この『柔らかい細胞』の働きは未成熟な生物にしか働きかけなかったのよね。生まれて、一ヶ月前後の生物にしかその適応現象が発生しなかったの」


 佐々木が腕を組んで、唸った。


 「それだと『柔らかい細胞』を使った『鍵』の精製は難しいんじゃないのかな。世界を動かす為にはある程度成熟した素体でないと、莫大なエネルギーの奔流に耐えられない」


 川原はかぶりを振り、


「そんなことないわよ。だから、さっき言ったでしょう?『無ければ、一から造ればいい』って。DNAを操作し、胎芽の状態の頃からの実験体に少量の『水の水晶(アクア・クリスタル)』を定期的に与え続けたのよ。そして、成長加速機にかけて成熟した実験体に育て上げる。あとは見ての通りよ。さっきのβ細胞は成熟した実験体から採取したもの。まあ、少し手こずったけどね。残念ながら、それでもGVHDは何故か発生して、最終的にはα細胞に飲み込まれてしまうのだけどね。でも――――」


 と、川原は途中で言葉を止め、皆の顔を見回して笑った。確かに後は言わなくても分かる。瞬間物質転送装置(テレポート・ゲート)を使えばGVHDは回避できる。そして、佐々木がα細胞の浸食を遅延させるプログラムを組めば、なんとか安定させることが出来るかもしれない。石和は両拳をぎゅっ、と握り、唇を笑みの形に歪めた。ようやく活路が見えてきた。


 胸の奥からなんともいえない嬉しさがこみ上げてくる。これで成功すると決まったわけではない。しかし、今までまったく先が見えなかった研究に光が射し込んできたことは確かな事実だ。その進展は素直に喜んでもいいだろう。石和がそんなことを考えていると、戸木原が天井を仰ぎ、高らかに声を上げた。


 「おおおっ、す、素晴らしい! ここに来て、問題点が一挙に解決したではないか! やはり、私の言ったとおりではないか。今日のこの実験は成功する! 私にはその確信があったのだよ。いける。私が率いるこの五人なら、Dー計画を完遂することができる! みんな、私についくるがいい! 私はこの偉大なる計画をきっと現実のものにしてみせる。それを約束しよう! はっはっはっはっ!」


 胸をそらして大声で笑う。辺りにいる研究員たちが何事かと、ざわめき始めた。両手を広げ、オペラでも歌うかのように、歓喜の言葉を周囲にまき散らす。

 完全に注目の的だった。


 「ま、また始まったわね。いつものが」


 川原は顔を冷や汗を滲ませながら、戸木原に聞こえない程の小さな声で囁いた。川原の顔が赤くなっている。奇妙なことで注目を浴びるのが恥ずかしいのだろう。石和も同様だった。額に手を当て、


 「ったく、なんのパフォーマンスだ。毎回毎回勘弁してほしいもんだ」


 と、言って嘆息する。


 「あ、あははは……まあまあ。戸木原博士は感情が豊かなんだよ。Dー計画の研究が進んだことが本当に嬉しいから、ああやって、声にして表現しているんだよ。確かにちょっと恥ずかしいけれど……」

 「…………」


 四人は一人陶酔している戸木原から距離を取り、話を続ける。


 「で、川原。その『柔らかい細胞』を持った実験体、ニホンザルのサンプルはあるのか? 本格的な統一体を造るにはある程度知能を持った実験体がほしいんだが」

 「いいえ、まだよ。成功したのはウサギだけで、他の実験動物はまだこれから。まあ、若干勝手が違ってくるところもあるでしょうけど、ニホンザルでも『柔らかい細胞』にすることは可能だと思うわ」

 「よし、それなら、俺も手伝おう。遺伝子操作系は専門外だが、元々俺の研究分野は異種の細胞融合だからな。なにか力になれるかもしれない」


 川原は口に手を当て、


 「あらあら、随分と優しいわね。ひょっとして下心あり? そんなにわたしと一緒に仕事したいのかしら」

 「……前言撤回」

 「くすくす。冗談よ。ありがとう、石和くん。お願いしてもいいかしら」

 「ったく……」


 川原の言葉に石和が眉を顰めて舌打ちすると、佐々木が笑った。


 「二人とも仲がいいなあ」

 「佐々木、お前の目は節穴なのか。それともこうやっていじられているのを世間では仲がいいというのか」

 「ひどいわね。別にいじってなんかいないわよ。石和くんの反応が面白いから、楽しんでるだけなのに」

 「知ってるか、川原。それを世間ではいじっているというんだ」

 「あははは。それじゃあ、僕はα細胞の遅延させるナノマシンの開発に全力を尽くすよ。といっても、一週間もあれば、多分用意することが出来ると思うけど。実験体の用意はどのくらいで用意出来そうだい?」

 「そうね。成長加速器を使えばこちらもそれぐらいで完成させられるかもしれないわ。まあ、実際やってみないと分からないけど。川上くん、どう思う?」

 「……いけると、思う」


 石和は戸木原を除く全員の顔を見回しながら、


 「よし。それじゃあ、十日後を目安に再実験と行こう。佐々木はα細胞を遅延させる『NEXT』を、川原、川上は『柔らかい細胞』を持った実験体を。なんとか十日後の実験まで間に合わせてくれ。基本、俺は『柔らかい細胞』のほうのサポートをするが、佐々木もなにか手伝えることがあったら、言ってくれ。出来る限り手伝わせてもらう。瞬間物質転送装置(テレポート・ゲート)の実験申請は俺から出しておく。ようやく行き詰まった研究に活路が見えてきたんだ。気合を入れていこう」

 「うん。わかった」

 「……了解した」


 と、佐々木と川上が頷く。川原がくすくすと笑い、言った。


 「なんだか石和くん。統括主任みたいね。そういう風に私たちに指示を出しているところなんか、随分とそれらしいわよ」

 「む。そうか?」

 「ええ。そのまま戸木原博士に代わって統括主任になったらどうかしら。結構向いていると思うけど」


 石和は苦笑しながら、首を左右に振った。


 「俺はそういうのは向いてない。気まぐれで我が儘だからな」

 「くすくす。わたしの方も了解よ。頑張って、次の実験でいい成果を出しましょう」

 「ああ」

 ――――と、その時だった。実験室の壁に取り付けられたスピーカーから、シンプルなメロディと共に呼び出しの放送が聞こえてきた。


 『第五研究所担当の石和武士主任、第五研究所の石和武士主任。島村専務がお呼びです。至急、専務室までお越し下さい。繰り返します――――』


 石和は眉を顰めた。


 「なんだろう? 特に呼び出されるような用事はなかったと思うが」

 「石和くん、なにかやらかしたんじゃないのかしら」

 「川原じゃあるまいし」

 「む。それちょっとどういう意味よ」

 「なにか心当たりはないのかい。石和くん」

 「いや、特に」


 佐々木にそう言いながらも、石和にはひとつの心当たりがあった。たぶん、『あの話』だろう。しかし、まだ、口外無用の命を受けているので、理由を話すわけにはいかない。


 「ちょっと行ってくる。悪いが、話の続きは後にしよう。今日の実験の報告もしておきたいしな」


 皆にそう告げ石和は四人から離れ、研究室の出口に向かって歩き始めた。ふと、足を止め、後ろをみると、川原達とは少し離れた場所で戸木原が陶酔したように顔を弛め、笑みを浮かべていた。第五研究所の問題児。子供ではないが、言動は子供とさほど変わらないといってもいいだろう。どういった意図で島村専務が彼を統括主任に任命したのか、気になるところである。一度、島村専務にさりげなく訊いてみようかなどと、そんなことを考えながら、再び出口に向かって歩き始めた。

 ――――と。


 「……れでようやく……第一Dー計画の――――駒……(ゲート)……能力者(ネオ・チャイルド)……混沌……」


 石和の耳によく分からない言葉が入り込んできた。戸木原の小さな呟き声だった。振り返り、再び彼の姿を見据える。

 刹那、

 ぞくり、と。

 石和の背筋に悪寒が駆け抜けた。


 「え……?」


 なんなのだろうか。この感覚は。訳が分からない。石和の視線のその先には戸木原がいて、その姿形は変わらない。にも関わらず、彼を見ていると胸の奥底から、よく分からない衝動がせり上がってくる。戸木原の浮かべる、その笑み。それがとてつもなく、奇妙で、得体の知れないものに感じられた。そう。それはまるでヒトではない、まったく異質のものを見たかのような――――    


 「……れでようやく……第一Dー計画の――――駒……(ゲート)……能力者(ネオ・チャイルド)……混沌……」


 再び同じ言葉を繰り返す。駒。(ゲート)能力者(ネオ・チャイルド)。そして、混沌。他は上手く聞き取れない。よく分からない、その単語の羅列。いつもの不可解な言動の一環だ。気にするほどのものではない。そうに決まっている。その筈なのに。


 どうして、自分はその言葉とその吊り上がった唇の歪みに不吉なものを感じてしまうのだろうか。こうしているだけで、冷や汗がじわりとにじみ出て、心臓の脈動が加速してゆく。


 「――――っ!」


 石和は目を強く瞑って、大きくかぶりを振った。三度、戸木原に目を向けると、すべてが元に戻っていた。異質なモノなど何一つない。何気ない光景。戸木原は相変わらず笑みを浮かべていたが、それはいつもよく見かけるものと変わらない。あの不快な感覚は嘘のようにかき消えていた。


 「な、なんだ……いったい?」


目を閉じて、右手でまぶたを揉む。初めての瞬間物質転送装置(テレポート・ゲート)の実験で自分が思っている以上に疲れているのかもしれない。何か腑に落ちない。心の奥底にそんな痼りを残しながら、石和は第二研究室を抜け、専務室へ行くため、エレベーターへ向かって歩き始めた。                                     







                             第一段階『D-計画・了』

第二段階『紅い眼。赤い炎』に続く。

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