6「GVHDと拒絶反応」
石和、佐々木、戸木原はミーティングルームに戻ってきていた。
二十人分の椅子と中央に設置された巨大なテーブルが置いてあり、正面には百二十インチのメインモニターが壁に取り付けられている。モニターの見やすい中央の席に石和、佐々木の順に座り、その反対側には戸木原がいる。ここへ来たのは二時間前に行われた瞬間物質転送装置の実験について、話し合いをする為であるが、三人とも椅子に座り込んだまま、口を開かない。完全に沈黙していた。
先程の緊急事態を回避するため、精神力を極限まで消耗していたこともあり、今後の研究について、話し合う余力がなかった。なによりも、瞬間物質転送装置の実験が完全に失敗したことが石和の気力を奪い、思考を停止させていた。
無論、戸木原のようにこの実験が成功するとは思ってはいなかった。しかし、この実験を行うことにより、なんらかの活路、もしくはいつもと違った結果を見せてくれるのではないかと、わずかな期待感があった。
その期待は粉々に打ち砕かれ、何の収穫も得ることは出来なかった。これから、どうしればいいのか。何の対策も方針も浮かびはしない。辺りを見回すと、他の二人も自分と似たような心境の様だ。気だるげな表情で、俯いている。
「やはり、瞬間物質転送装置を使った手法でも統一体を造ることは難しいのか……失敗に失敗を重ね、すでに半年。細胞の移植も失敗、体液注入も失敗。他になにがあるというのか。これ以上、実験を続けるのは無駄なのかもしれんな……」
戸木原がテーブルの上で両手を組んで、落胆を含んだ口調で呟く。流石の彼でもこの状況では楽観的にはなれないようだ。
しかし、いつまでもこうしてても仕方がない。無駄でも何でも、新しい方針を立てなければならない。どうにかして、α細胞を制御し、『鍵』という名の統一体を造る。
それが自分達の仕事なのだから。石和は額に手をあてながら首を左右に振って、けだるさを振り払い、口を開いた。
「……ともかく、今回の実験について、もう少し詳しく検証してみよう。失敗には終わったが、奇妙な点もあった。そこを一つ一つ分析していけば、何か活路が開けるかもしれない」
佐々木と戸木原は頷いた。異論はないようだ。
「それじゃあ、佐々木。今回の実験データを中央のモニターに回してくれ。それと今まで行った細胞移植実験のデータも総合の平均として表示してくれ。比較して、見てみよう」
「うん。分かった」
佐々木が目の前にあるノート型パソコンを叩くと、中央のモニターにグラフが表示された。今回の実験の生体データと以前行った実験の生体データ。三人でそれを見比べる。
「……こうしてみると、意外に細胞移植実験のときとデータが違うよね。この差はどこからでたんだろう?」
と、佐々木が顎に指をあてて、呟く。
「詳しく分析してみないと分からないが……これは『成分が分離したジュース』と『かき混ぜたジュース』の違いじゃないか?」
石和の言葉に首を傾げ、
「どういうこと?」
と、言った。
「細胞を取り込んだ質の差だよ。細胞移植した実験体は当然のことだが、移植したその部分からα細胞の浸食が始まっている。つまりは成分が全域に行き渡っていない分離したジュースだ。対して、今回の実験は瞬間物質転送装置が分解と再構築を行い、α細胞は実験体の全体に行き渡った状態で融合している。それがかき混ぜて、成分が互いに上手く溶け合ったジュースってことだ。同じ種類のジュースではあるが、微妙に味が違う」
佐々木がなるほど、と頷いた。
「今回の実験でα細胞がほんのわずかな時間、安定したのはそのせいかもね。でも、そうなるとどうして、α細胞は暴走したんだろう。『混ぜ合わせたジュース』状態でも、α細胞はβ細胞を受け入れられないってことかな」
「だろうな。だからこそ、α細胞が暴走したんだ。それに今回は『混ぜ合わせたジュース』状態が裏目に出た。実験体の隅々まで行き渡ったα細胞が一斉にGVHDを起こして、浸食してしまったんだから――――」
と。そこまで、語って。石和はモニターに表示されている生体データを見つめながら、眉を顰めた。なにか、妙な違和感が、ある。佐々木はきょとんとした表情を浮かべ、
「? どうしたんだい、石和くん」
と、訊いてくる。石和はノート型パソコンに指を滑らせ、改めて生体データを検証してみる。石和は大きく目を見開いて、言った。
「これは……GVHDじゃないぞ。拒絶反応だ!」
「え……?」
「ど、どういうことだね?」
と、佐々木と戸木原が声を上げる。石和は生体データのグラフの一部をピックアップして、正面のモニターに映した。
「これがα細胞時における双方のデータだ。知っての通り、α細胞が暴走するトリガーとなるのがGVHD(合併症)が原因だ。α細胞を実験体の身体に移植すると、α細胞がβ細胞との共存を受け付けず、合併症を起こし、α細胞がβ細胞を滅茶苦茶な情報に書き換えてしまう。
しかし、よく見てくれ。瞬間物質転送装置を使った今回の実験、α細胞は合併症を起こしていない。逆だ。実験動物であるβ細胞のほうがα細胞を攻撃している。つまりは拒絶反応だ」
GVHDと拒絶反応は混合されがちであるが、攻撃する対象と攻撃される対象が全くの逆である。臓器移植で例えるとするなら、臓器を移植し、その臓器を肉体が受け付けないのが拒絶反応と呼び、GVHDはその逆、臓器の方が受け付けないのがGVHDと呼ばれる。
α細胞が実験体の身体になじむのを拒絶するのが、GVHD。
実験体の細胞がα細胞を拒絶するのが拒絶反応という訳だ。
戸木原は腕を組み、
「しかし、石和くん。最終的にα細胞は暴走し、実験体の身体に浸食したのだ。この違いに何か大きな差があるのかね?」
石和は頷いた。
「勿論、ある……あります。今回の実験、α細胞が暴走を始めるまで若干のタイムラグがありましたよね? これは最初『暴走による浸食』ではなかったんです。忘れがちですが、元々、α細胞には他の細胞に干渉すると浸食する特性が備わっています。GVHDを引き起こすことによって、暴走し、浸食に拍車をかけていたんです。しかし、今回のこの実験、データを見ると分かりますが、GVHDは当初、起きていない。
単純にα細胞は自分の細胞を増やすため、浸食している。
量子分解されたα細胞が実験体の身体にくまなく浸透し、結果、暴走したわけでもないのに関わらず、この浸食スピードが今回の実験ではもの凄い速さに加速した。そして、実験体であるβ細胞が耐えられず、拒絶反応を起こし、それがトリガーとなって、いつもの暴走が始まった、というわけです」
佐々木が納得した表情を浮かべた。
「そういうことなら、少し活路が見えてきたかもしれないね。原因がα細胞の浸食なら、浸食するスピードを遅めることが出来れば、拒絶反応は起こらないってことなんだから」
戸木原が椅子からがたんと音を立てて、立ち上がった。
「おおおっ、す、素晴らしい! 光明が見えてきたではないか。となれば、やることは一つだな。α細胞に負けないβ細胞を造り出せばいいのだ。そうすれば、拒絶反応も起きないし、上手く適合するに違いない!」
声高らかに、そんな事を言い出す戸木原。
この男はどこまで楽観的なのだろうか。
石和は嘆息した。
「口で言うのは簡単です。しかし、現実問題として、どうやってそんなβ細胞を造り出せばいいのですか? α細胞はガン細胞以上の強い浸食力を持っています。そんな細胞を簡単に押さえることができる技術があるなら、ヒトはガンをとっくに克服しているはずです」
「ぬ……」
戸木原が石和の言葉に口ごもる。
「それ以前にどうやったらα細胞の浸食力を押さえ、拒絶反応を起こさないようにするか。それが問題です。今までも浸食を弱体化させる研究は続けてきたのに、未だ実現できていないのです。そう簡単に事が進められるとは思えないのですが」
「で、では、どうすればいいというのだ! このままでは埒が明かないではないか! なんとかしたまえ!」
戸木原は眉間に皺を刻んで、テーブルを両手で強く叩いた。戸木原の理不尽さに石和は舌打ちをした。無理難題を楽観的に要求し、それを否定したら、怒鳴り散らし、ヒトに当たる。そして、自分ではその解決案を一つとして出さない。どうして、この男が統括主任に任命されたのか。石和には理解できない。黙殺して、戸木原を睨み付ける。
険悪な空気が流れ始めると、佐々木は笑いながら、
「まあまあ。その難題を解決するために僕らは集まっているんだろう? ひとつひとつ、どうするべきか、考えていこうよ」
と、言って、両手をひらひらさせた。
「まず、α細胞の浸食するスピードを遅めることについてだけど……僕にひとつ考えがある」
「え……?」
「ほ、本当かね?」
佐々木の言葉に、石和と戸木原が大きく目を見開いた。
「石和くん、以前僕の論文を読んでくれたよね? 中身を覚えているかな」
石和は少し考えて、
「ああ。生体ナノマシンの同化と増殖……たしか『NEXT』だったか」
と、言った。
医療用ナノマシン『NEXT』。極小で知られるナノ単位(ウィルスサイズの大きさ)で作られた生体ナノロボットを利用した技術である。ナノロボットの細胞の生産と同時に代謝機能を活性化させ、治癒能力のスピードを通常時の三倍にも四倍にも上げる技術である。
佐々木勇二郎が理論を構築し、とある大学の研究機関で開発を進めてられていた。動物実験も成功していて、残るは臨床実験のみ。最終的には大怪我でも数日で完治させるモノを目指して、研究中とのことだ。
現在はこのDー計画の責任者として駆り出されたため、『NEXT』の研究は凍結中らしいが。
佐々木は頷いて、答えた。
「そう。この『NEXT』は破損した細胞情報を読み取って、ナノロボットがその細胞に同化する。そして、それが次々と増殖して、欠けた肉体を再生してゆくものなんだけど……これを実現するために『細胞の浸食と同化』について、研究していたことがあるんだ。
僕の場合はどれだけ速くナノロボットを細胞に溶けこませて、広げるかが課題だったんだけどね。このナノロボットの特性を逆転させれば、逆に細胞の浸食するスピードを抑えることも可能だと思うんだ」
「ははあ、ナノマシンを同化させて、浸食する特性を遅めるのか。なるほど……面白いな。確かにそういったアプローチは今までやったことがなかったな。どうして今まで、やろうとしなかったんだ?」
首を傾げた石和の問いに佐々木は苦笑いを浮かべた。
「勿論、考えたことはあったよ。でも、GVHDが起こると、ナノマシンにプログラムを与えても、上手く作動しないからね。する意味がなかったんだ。でも瞬間物質転送装置を使ったこの実験ではGVHDは起きなかったんだから、多分いけると思う。遅延プログラムを入力したナノマシン、作ってみせるよ」
佐々木が先程まで浮かべたいた気だるげな表情はすでになく。瞳に活力が溢れていた。完全に失敗だと思っていた実験にわずかな活路が見えたからだろう。石和は微笑んで、言った。
「この分野じゃ、佐々木の右に出るものはいないだろうし、任せるか。頼んだぞ」
「了解」と、言って佐々木は頷いた。
佐々木がこうして自信がありそうな口調で話すときは、いつも期待できる。実現できる確信があるのだ。任せて問題はないだろう。
「そうなると、残るはあとひとつ、だね。β細胞をα細胞に負けない細胞にしなければならない」
佐々木の言葉に石和は両腕を組みながら、唸った。
「……β細胞の強化、か。正直、こっちの方が難題だろうな。α細胞はβ世界にあるどの生物の細胞よりも強い。いくら手を加えたところで、たかがしれている。そういった研究は今までもしてきたが、いい結果が出た試しがない」
「そうだね。なにか別のアプローチを考えないとね……戸木原博士、なにかありますか?」
と、佐々木が話を戸木原に振る。
「む。そ、そうだな……β細胞にもナノマシンを組み込めばいいのではないか。α細胞と同様、β細胞にもα細胞の浸食に負けないものを入力すればいいのだよ!」
戸木原の言葉に石和は眉を顰めた。
それが出来ればとっくにやっている。
佐々木は手を小さく左右に振って、
「さ、さすがにそれは無理かと。α細胞がβ細胞に浸食するシステムはまだ解明できていないのです。解明できていないものに対抗するナノマシンは造れません」
「しかし、佐々木くんはα細胞にナノマシンを組み込もうとしているではないか」
「それはあくまでも遅延を遅らせるシンプルな命令ですからね。未知の生物とはいえ、細胞の増殖の仕方はβ世界のものとあまり変わりませんので。しかし、これがどういう形で浸食し、細胞の構成情報を書き換えるかは、未だに解明できていません。万が一、解明できていたとしても、そこまで複雑な動作をナノマシンでは行えないんです。少なくとも、現在のナノテク技術では」
「むむむ、では、どうすればいいのかね?」
質問を質問で返してくる戸木原。
その活路が見えないからこそ、佐々木は話を振ったというのに。
やはり、駄目だ。この男は。
今日のこれ以上の論議は無駄かもしれない。悔しいが、自分には何も思いつかない。佐々木もこれ以上の打開策はなさそうだ。もう一度実験のデータを洗い直して、それからもう一度話し合った方がよさそうだ。
――――と。そんなことを考えていると、
「そうなると、答えはひとつよ。α細胞に合わせたβ細胞を一から作ればいいのよ」
と、奥の入り口の方から女性の声が聞こえて来た。石和が声の方へ視線を向けると、入り口の扉に冬用のコートを羽織った女性の姿があった。肩までかかるくらいのミディアムヘアーで、かすかにウエーブがかった柔らかそうな髪の毛が肩にかかった。
川原はそれを右手で掻き上げながら、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
背丈は162㎝ほどで、女性としては平均的な身長だろうか。顔は人並み以上に整っているが、千恵子の様なあどけなさはない、どちらかといえば、美人に分類される容姿だろう。
川原奈々恵。Dー計画担当者の一人であり、五人の担当責任者の紅一点でもある。
「ただいま。いま帰ったわ。は~どうやら間に合ったみたいね」
羽織っていたコートを脱ぎながら、川原は石和の左隣の椅子に座り込んだ。石和は驚いた表情で言った。
「川原たちが戻ってくるのって今日だったのか。言えば、会議の時間も伸ばしたのに」
「まあ、今日中に蹴りが付くのは分かってたんだけど、会議には間に合わないと思ったのよね。でも、向こうで今日の実験結果のデータみたら、今日中に会議に参加したくなっちゃって。急いで帰って来ちゃったわ」
「実験って……今日の実験結果のデータか?」
川原は頷き、「勿論」と、言った。
「よつのは生物研究所でもアルファに関する実験データは未だ送られてきているみたいよ。向こうでもまだアルファに関する研究は続いているからね。勿論、関係者以外閲覧禁止だけど、その辺はわたしもDー計画の担当者だから権限行使して、見せてもらっちゃったわ」
言いながら、くすくすと笑う。
Dー計画の担当責任者である川原奈々恵と川上弘幸は三ヶ月ほど前から、八王子の高尾にあるよつのは生物研究所の調査を行っていた。瞬間物質転送装置を使った融合実験とは、異なるアプローチ方法を探すためである。
よつのは研究所は異世界生命体アルファを最初に収容した研究所であり、第五研究所とは違う資料や研究も行っていたので、何か手がかりになるものがないか、探っていたのだろう。そして、川原と川上はよつのは研究所である発見をしたらしい。
『上手くいけば、Dー計画に貢献できるかもしれない』
川原はそう言って、一ヶ月ほど前から、よつのは研究所に入り浸るようになった。
その発見とは何なのか。
石和は川原に訊いたが、『ぬか喜びになるかもしれないから、まだ言えない。きっちり成果が出せたら、教える』と言って、詳細をまるっきり教えてくれなかった。
他のメンバーにも訊いたが、皆、首を横に振った。二人は誰にも詳細を教えていなかったようだ。今日、戻ってきたと言うことはなんらかの成果が出た、ということだろうか。
「……で、会議はどんな感じで進んでいるのかしら? どれどれ」
髪の毛を掻き上げながら、石和が使っているノート型パソコンを覗き込む川原。距離が近い。女性特有の甘い香りと掻き上げた髪の毛の合間から覗くうなじに、どきりとさせられる。警戒心がないのだろうか、この女は。石和は川原から目を逸らしながら、低い声で呟いた。
「川原……何故わざわざ俺のパソコンを覗く? 中央のモニターに情報は出ているだろう」
「いいじゃないの。わたしはこっちで見た方が分かりやすいのよ」
「訳が分からないんだが」
川原は軽く眉を顰めて、
「もう、石和くんは冷たいわね。せっかく久しぶりに帰ってきたんだから、もう少し、再会のスキンシップがあってもいいと思うのに。ホラ、こんな風に」
言いながら、川原は石和の左腕に両腕ぎゅっ、と抱きついた。
「あ、あのなあ、川原!」
「ん~、石和くんの身体あったかいわね。外寒かったから、丁度いい暖房器具だわ。ふふふ、ぬくい、ぬくい」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、腕に密着し、頬をすりすりとする川原。川原の大きな胸の感触が服越しに伝わる。佐々木は愉快そうに笑い声を上げた。
「あははは。いいなあ、石和くん。モテモテだね」
「佐々木も笑ってないで止めてくれ。いまは会議中だぞ」
そう言うが、佐々木は笑うだけで止めようとしない。戸木原も訝しげな表情を浮かべ、「妻子持ち……愛人……不倫……?」と、見当違いな台詞を一人ぶつぶつと呟きながら、両腕を組んでこちらを見据えている。石和は舌打ちをし、強引に川原の腕をふりほどいた。
「ヒトをからかうのもいい加減にしろ、川原。大体、白々しいぞ。入ってきた時の台詞といい、入ってくるタイミングといい、俺たちの会話を聞いていたとしか思えないぞ。外で立ち聞きして、わざわざタイミングを合わせたな?」
「あ、ばれてた? 割と自然を装ったつもりだったのに」
悪びれた様子もなしに川原は軽く舌を出して、笑った。どうにもこの女性はヒトの困った反応を見て、楽しむ節がある。
「困難な状況に陥っている中、突如入ってきた人物が状況を打破する提案をして、解決する……! ってなかなかワクワクするシュチエーションだと思わない? なんか活躍する主人公みたいでかっこいいじゃない」
石和は小さく溜息を吐いた。
「……そんなドラマや映画みたいな展開は現実ではいらないだろ。いいから本題に入れ、本題に。どういう意味なんだ、さっきの言葉は」
川原はきょとんとした表情を作って、
「? さっきの言葉って?」
と、訊いてくる。わざとやっているのだろうか。石和は眉間に皺を寄せて、言った。
「とぼけるな。自分で言ったんだろ。『α細胞に合わせたβ細胞を一から造ればいい』って」
「ああ。それなら言葉通りの意味よ。α細胞に適応するβ細胞が見つからないなら、作ればいいのよ。人工的にね」
石和はがくりと肩を落とした。今更そんなことを言われるまでもない。
「あのなあ、川原……口で言うだけなら簡単だ。今までいくら実験体の細胞に手を加えようが、αの細胞の浸食を防ぐことは出来なかったんだ。どうやって、そんな都合のいい細胞を造り出すつもりだ」
川原は右の人差し指を立てて、かぶりを振った。
「石和くん、一つの物事に固執すると、大きなものの見方が出来なくなるわよ。もっと柔軟に考えるのよ。従来の生物の細胞に手を加えるのが難しいなら、最初からこちらの都合の良い細胞を持った生物を生み出せばいいのよ」
石和は大きく目を見開いて、はっ、とした。
「っ! 遺伝子操作か!」
「ぴんぽ~ん。大正解。そう、わたしは元々の研究分野が遺伝子操作でしょう? なんとかα細胞に適応できるβ細胞を作れないか模索していたのよ。で、川上くんと一緒に色々研究して、考えついた結論は これよ」
そう言って、川原は懐から、なにやら取り出した。石だった。蒼い色をした直径が二センチほどの水晶。どういう仕掛けか、水晶の中で蒼白い炎のようなものが揺らめき、輝いている。
「な、なんだい、それは……?」
佐々木が目を大きく見開いて、まじまじとその水晶を見つめている。
「『水の水晶』。正式名称はなかったから、わたしが勝手に命名したの。いい名前でしょう?」
「いったいなんなんだ、これは……まるで中で炎が燃えているみたいだ」
「『みたい』じゃなくて、燃えているのよ、実際に。まあ、あたし達が知っている炎とはちょっと性質が違うものなんだけどね。ちょっと、手を出して石和くん」
石和が手を出すと、川原がその手のひらに水晶を落とした。石和が手のひらを見つめながら、
「これ……触っても大丈夫なのか?」
と、言った。川原はくすくすと笑いながら、頷いた。
「別に触るくらいなら、大丈夫よ。強く叩いたり、握りつぶしたりはしない限りね」
人差し指で突いたり、軽く握ったりしてみる。心なしか、生暖かいような気がする。中の炎のようなもののせいだろう
か。
「なんか、これ一見固そうな水晶だが、妙に柔らかいな」
ぷよぷよした弾力がある。本当に奇妙な石である。いや、本当にこれは石なのだろうか。
「……で、この石はいったい何なんだ? 確かに珍しい水晶であることは認めるが、これがDー計画となんの関係があるんだ。因果関係がさっぱり読めないんだが」
川原はあっけらかんとした面持ちで、告げた。
「あ、ごめんなさい。珍しい石だから、ちょっと自慢したくなっちゃっただけ。Dー計画とは何の関連もないの」
石和は脱力して、テーブルの上に突っ伏した。川原はおかしそうな表情を浮かべて、石和の肩をぽんぽんと叩いた。
「くすくす。冗談よ、冗談。石和くんをちょっと和ませてあげようと思って」
「お、お前なあ」
「だって石和くんって、いつも不機嫌そうな顔浮かべてるんだもの。もう少し、笑わないと身体に良くないわよ」
「余計なお世話だ。別に不機嫌な訳じゃない」
「笑った方が研究所内の女の子にもてると思うのに。せっかく顔がいいんだし」
「川原、いい加減にしろ」
川原は両手をひらひらと振った。
「まあまあ、この水晶にある特性を知ったら、きっと石和くんの不機嫌顔も満面の笑顔になるわよ。このDー計画第一段階においての救世主的存在になるかもしれないわ」
自信の篭もった口調でそう告げると、川原は立ち上がった。
「みんな、悪いけど第二研究室まで来てくれるかしら。面白いものを見せてあげるわ。川上くんが準備して待ってるわよ」
川原の言葉に大きく目を見開いて、困惑の表情を浮かべる石和達。川原はその反応に満足したのか、心底楽しそうな笑顔を浮かべ、片目を瞑って見せた。
続く!