9「来訪者」
不意に――――大地が鳴動した。ズン……!と鈍く響き渡る轟音と共に地面がぐらぐらと揺れる。何が起こったのか。また爆発だろうか。しかし、揺れの規模はさほど大きなモノではなく、少なくとも先程のような大規模な爆発による現象ではないようだ。
だとすると、先程少女が爆発したときの衝撃で何処かが崩れ落ちたのかもしれない。そんなことを石和は推測したが、それも間違いであることに次の瞬間に気付いた。その現象はもっと異質なモノ、だった。
周囲の空気が――――青紫色に染まっていた。
サングラスや色つきセロファンを目に当てたときのような感覚だった。視界一面が青紫色の奇妙な空間に変質している。蒼と赤が入り交じったマーブル状の空間が辺り一面に漂っている。
「こ、これは……一体?」
その異質な光景に佐々木が目を大きく目を見開きながら、周囲を見回している。石和も同様だった。不可思議なこの空間にただひたすら困惑する。
異変はそれだけではなかった。少年の周りで飛び交っていた無数の瓦礫が急に動きを止めた。そのまま、床に音を立てて落下してゆき、瓦礫はそれっきり動かなくなる。
少年は周囲を見回し、しばし沈黙した後、目を細めた。少年の周囲にある瓦礫が一斉に浮かぶが、しばらくすると再び地面に落下し、動かなくなってしまう。
それを幾度も繰り返すが、どんなにやっても結果は同じ。瓦礫はこちらに飛んでくることはなし。『念動力』による肉体の束縛も行われることはなかった。
「どういう……ことだ?」
石和は眉根を寄せて、小さく呟いた。少年の『念動力』の能力が弱まっている。EPS領域をきちんと展開できないらしい。こんな現象は今まで一度もなかったというのに。
この奇妙な青紫の空間が関係しているのだろうか。
一体何が起こっているのか。
訳が分からず困惑していると、突如石和達の背後からばんっ、という音が響き渡った。石和が反射的に身体を竦め、振り返ると――――彼の視界に無数の影が広がった。
ヒトだった。廊下の突き当たりから、無数のヒトが幾多もの足音を唱和させながら、姿を現した。無駄のない統率された動きで、彼らは石和達に向けて駆け寄ってくる。灰色の帽子と制服を身に纏った男の集団である。
男たちは両手に黒い光沢を放つ何かを掲げている。全長が340ミリほどある短機関銃だった。
なんなのだろうか、この武装集団は。石和が目を細めて、訝しんだ。この統率された動きは明らかに訓練を受けたことのあるそれだ。しかも、彼らの身に纏う制服にはなにか見覚えがあるような、そんな気がした。視界がぼやけ、思考が霞がかった状態で石和はそれを上手く想い出すことが出来なかったが、右肩と帽子に付けられているワッペンを見て、電流が駆けめぐったようにその集団の正体を想い出した。
「ASH……だと? ど、どうしてここへ?」
石和が擦れた声で叫んだ。ASHは三ツ葉社系列の警備会社の中にある武装組織の名前で、海外のテロリスト対策を目的として組織されたものだ。警備会社という看板を装っているが、その実は世界有数の三ツ葉社を外敵から守護する民間の軍隊である。
三ツ葉社本部ビル第五研究所でもASHの一部隊が配属されており、石和はその存在を知っていた。異世界生命体アルファの細胞を移植する実験では常に後方に彼らが待機していた。アルファ細胞が暴走し、実験体が『成体』になり、害悪を成す獣になってしまったときの為に設けられた処置であった。結局、第五研究所では実験体が『成体』になってしまうこともなかったので、石和がその活躍を目の当たりにする事は一度もなかったのだが。
そのASHが何故、この場にいるのだろうか。石和は考えるが、その理由がまったく分からなかった。そもそも、この廃ビルの出口には電気が通っていないので、完全なる閉鎖空間だったはずだ。そんな場所へどうやって侵入してきたというのか。佐々木が電源を復旧したタイミングを見計らって入り込んできたのだろうか。そのことを佐々木は知っているのだろうか。
数々の疑問を掲げ、石和は佐々木に目を向けた。が、彼の顔もまた、困惑と訝しさに満ちており、この状況を分からないことが見て取れた。
ASHの一部隊が石和達の前にやって来る。石和と佐々木の身体をそれぞれ二人がかり部隊員が両腕で抱え、拘束する。
「え……? ちょっ、ちょっと! 君たちは一体……?」
佐々木が叫び、両腕を動かすが、左右にいる隊員が双方の腕をがっちり掴んでいて動けない。隊員たちは石和達に何も言葉を放つことなく、そのまま『能力者』である少年から、大きく距離を取った位置まで強制的に後退させた。
続いて、別の部隊がやってくる。六名の部隊員が駆け寄り、その内の五名の隊員が石和達の2メートルほど手前横一列に並び、装備している短機関銃を両手で構えた。少年の進行方向を完全に塞ぐ壁の様な配列だった。片膝を床についてしゃがみ込み、短機関銃のセーフティを外すと銃口を少年に向ける。六名のうち一人の隊員がその隊列の後方に位置し、立ちつくしている。石和たちと少年の姿を鋭い双眸で交互に眺めると、小型の無線機を取り出して、口を開いた。
「第一分隊より|本部(アルファ1)。目標と思われる少年を一人補足、それと生存者二名を確保した。一人は肉体の損傷が激しい模様。本部(アルファ1)の指示を問う」
『|本部(アルファ1)より第一分隊。目標はすべてで四つの筈だ。第四分隊を速やかに他のブロックへ急行させ、他の目標の探索を行う』
「了解。少年と生存者への指示を問う」
『目標への無条件発砲を許可する。反EPSは300秒が限界だ。反EPS領域が消失しないうちに目標を確実に沈黙させろ』
「生存者は?」
『第三分隊に身柄を確保させた後、ルートBを使用し、ただちに帰還させる。地上には救護班を準備しておく。速やかに行動を開始せよ。警戒を怠るな』
「了解。通信終わり」
石和達にはその会話の意味がどういう事であるのか。さっぱり分からない。そんな混乱する石和達を余所にASHの隊員たちは行動を開始していた。
前へ並んだ五人の隊員が膝を突いたまま足を開き、身体を固定する。銃から赤いレーザーサイトが走り、少年の身体に赤いポイントが刻まれる。少年を狙い撃つつもりのようだ。
「――――ってぇっ!」
わずかな空白の後、隊列の後方に位置している部隊長らしき男が声を上げ、その声を合図に短機関銃のトリガーが絞られる。
銃弾の連続射出音が響き渡った。薬莢がからからと床に落ちる音色と共に少年へ無数の銃弾が降り注ぐ。
少年は左手を正面に向けて、目を細めた。少年にそういった飛び道具はまったく通用しない。少年は半径2メートル以内のEPS領域を展開することが可能で、その中に入り込んだ物体はすべて少年の意のままに操ることが出来る。それが例
え、視認できないほど高速で移動する物体でも。
少年が眉間に皺を寄せ、右手に力を込めて、小刻みに震わせると、無数の銃弾が少年の元に届かず、次々と落下してゆく。
だが、その光景に違和感を石和は感じた。つい先程までは2メートル近い位置で銃弾を無力化していたのに、現在は1メートルにも満たない位置で銃弾を防いでいる。少年の無表情は相変わらずだったが、心なしか、苦悶の表情を浮かべているように石和には見えた。
「い、石和くん……あれは、ひょっとして」
呆然と呟く佐々木に石和は頷いた。
「あ、ああ……やはり、あの子供の……EPS領域が弱まっているんだ……」
「で、でも、どうして? なんで、急にこんな……」
「…………」
石和は無言でかぶりを振った。いま、一体何が起こっているのか、状況すら全く理解できないのに、そんなことが推測できるわけがない。身体を拘束された石和達は訳が分からないまま、目の前の光景を見守ることしか出来なかった。
定期的な感覚で短機関銃の連続射出音が響き渡り、無数の薬莢が床を埋め尽くす。銃弾が空になると、ロングマガジンを取り替え、銃弾を再装填し、少年に集中砲火を浴びせ続ける。銃声に混じって、隊員同士の叫び声が一緒に聞こえてくる。
「駄目だ、銃弾が届いていない! 反EPSの効果がないのか!?」
「いや、確かにEPS領域を展開しているようだが、こちらが押している。おそらく、地下では反EPS弾の効力が弱いんだろう。もっと強い力で押してやれば――――第二分隊っ、前へっ! 頼むっ!」
分隊長がそう言うと、奥に待機していた隊員が頷き、前面に出る。短機関銃を持った五名の隊員は立ち上がり、牽制の弾幕を張りながら、第二分隊と呼ばれた六名の隊員たちと配置を交換した。第二分隊も先程の部隊と同様、並列に並び、少年に銃口を向けて構えるが、その武器の形が先程と違うことに石和は気付いた。銃の大きさは全長が380ミリぐらいと先程とあまり変わらないが、妙に奇抜な形で色は銀色。銃口の射出口も異様に小さい。奇妙な銃だった。隊員たちは銃のトリガー近くにある小さなレバーを動かした。すると、銃の内部から低い唸りが上がり始めた。銃からレーザー・ポインタが真っ直ぐに伸び、再び少年の身体に赤い光が刻まれる。
「――撃てっ!」
分隊長の発砲の合図と共に銃とトリガーが引かれ――――次の瞬間、銃口から蒼い無数の光が一直線に吐き出され、少年に向けて襲いかかった。
光は電撃の様な速さで駆け抜け、その様は獲物を刈り取る獣に見えた。あの光に石和は見覚えがあった。圧倒的な貫通力を有した光学兵器――レーザー・ビームである。
暴走した実験体を沈めるときに飛び交ったレーザー・ガン、とどめを刺すために石和自らが射出したレーザー砲。あの時のことが石和の脳裏に浮かぶ。アレと同じ性質を持つ兵器をASHは装備しているらしい。実験室のカプセルに付いていたのレーザーガンの威力はさほど強力なものとは思えなかった。が、いま見たレーザーは大型のレーザー砲には及ばないものの、その威力は絶大だった。
今まで絶対不可侵だったEPS領域の防壁が破られたのである。四つのレーザービームはEPS領域によって、ビームの軌道をねじ曲げられ、明後日の方向へ飛んでいったが、一つのビームは直線を走ってEPS領域を突破し そのまま少年の身体を貫いていた。
少年の左肩にぽっかりと円状の穴が空き、真っ直ぐに伸ばしていた左腕ががくん、と落ちた。
「貫通したっ!」
隊員の一人が歓喜の声を上げるが、少年は息絶えていない。身体をよろめかせながらも、それでも足を大きく開き、前進する。少年は顔を歪めながら、周りの床、双方の壁を『念動力』でめくり上げ、そのままそれを第二分隊がいる場所へ投げつけてきた。轟音が響き渡り、床に瓦礫が崩れ落ちるが、第二分隊は全員がとっさに距離を取り、それを避けた。すぐさま隊列を組み直し、レーザーガンを構えた。
「ひるむなっ! レーザーのエネルギーをレベル5まで上げろっ! 最大の貫通力でEPS領域を突破する!」
『了解!』
「――――撃てぇっ!」
と、分隊長の指示が再び飛び、第二射が照射される。先程より一回り太くなったレーザー・ビームが空を切り、少年に向けて疾走する。強力なビームと少年のEPS領域が衝突し、衝突した箇所からプラズマが生じた。双方がせめぎ合う時間はほとんどなかった。
強力な貫通力を持ったレーザー・ビームはいとも簡単に不可視の防壁を粉々に打ち砕き、直進した無数のビームが少年の身体を貫いた。
少年の体の至る場所にぽっかりと無数の穴が開き、動きが止まった。出血はなかった。レーザー・ビームで受けた傷に出血はなく。ただ傷跡が残る。代わりに口からごぼり、と音を立てて大量の血を吐き出し、床にまき散らす。
そのまま膝を落とし、顔面から床に沈み、――――そのまま少年は沈黙した。
「――――」
「――――」
石和と佐々木は声もなく。呆然として、その光景を眺めていた。少年は動かない。あれほど石和が苦戦を強いられた『能力者』をこうもあっけなく殲滅してしまうとは。
ASHの部隊は確かに強力な武装を装備しているようだが、『能力者』の展開するEPS領域はそんなものを平然と弾き返すほどの力を持っていた。それをこうも簡単に覆してしまうとは。一体何がどうなっているのだろうか。
石和は改めて周囲を見回した。相変わらず辺り一面の空間が青紫色に染まっている。先程起きた振動。空間の異変。その直後に突入してきたASHの部隊。
どう考えても、これらは連動した一つの事柄に思える。
あの空間はEPS領域を弱体化させるもので、それを承知でこのASHの部隊は突入してきたのではないだろうか。そう考えれば、この無駄のないASHの動きも納得がいく。
しかし、何のために? それが分からない。
何故、ここに『能力者』がいるのを知っていたのか?
何故、『能力者』のEPS領域を弱体化することが出来たのか?
何故、ASHはこの廃ビルに突入して『能力者』を攻撃したのか?
様々な疑問が石和の中で浮かび上がるが、理由が一つとして浮かばない。あまりにも唐突すぎて、推測することすら出来なかった。
この時、石和はあることを失念していた。目まぐるしく動く事態に対応できず。頭が真っ白になってしまっていた。満身創痍の身で意識が朦朧としていたせいもあるだろう。
だから、ASHの部隊員の一人が少年の生死を確認するために近づいていったのを見ても、なにも反応が出来なかった。間近に近づき、少年の身体をひっくり返そうとした瞬間、『それ』を想い出した。
「だ……めだっ! それに近づいたら……あぶな――――」
石和の忠告は遅すぎた。石和の叫びに何事かと隊員が振り向いた刹那、辺り一面が強烈な光に包まれた。
白い閃光。少年の生体活動が停止し、体内の『爆弾』が作動したのだ。
少年の身体が粉々に吹き飛び、爆風が第二分隊の隊員すべてを飲み込んだ。爆音が響き渡り、再び廃ビルの地下に激しい振動が襲いかかった。