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混沌のアルファ・リニューアル版  作者: 高田ねお
第六段階『崩壊』
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5「最後の策」




ぐんっ、と急激に右腕が上に引っ張られる感覚に囚われた。腕が天を刺すように真上にあがり、そのまま動かない。石和は歯がみしながら、手を降ろそうとするが、右腕はびくともしない。その引っ張られる力に逆らえず。発煙筒が手から離れ、宙に舞い上がる。そのまま発煙筒はぐんぐんと上昇し、4メートル近くある高さの天井へごんっ、と鈍い音をたてて張り付いた。


 否。これは落下だ。


 少女は石和の右腕と発煙筒の重力の方向を逆へ――真上に変換したらしい。しかも、Gによる負荷を右腕のみに集中している。右腕のみが上へ向けて落下しようと働き、他の肉体部分は下へ向けて、重力が働いているという、本来ではあり得ない矛盾。石和は苦痛に顔を歪めた。上へ引っ張られる力が段々と強まり、身体が宙へ浮いてゆく。手足をばたつかせいて、地上へ留まろうとするが、束縛された重力の力に逆らうことが出来ない。石和の身体はそのまま天井に向けて、勢いよく落下した。


 天井に叩きつけられた瞬間、右腕にごきん、と鈍い音が鳴り響き、石和の視界が真っ赤に染まった。


「ぐっ! が、あああああああ――――っ!?」


 絶叫する。とてつもない激痛が肩から電流の様に駆け抜ける。どうやら、天井に強打した衝撃で肩の骨が外れてしまったらしい。右腕がじんじん痺れて、まるで力が入らない。


 痛みを堪えるため、左手で右肩を押さえつけたかったが、それすら少女は許さない。


 右腕から全身へ。重力の方向の力が全身に浸透し、完全に天地が逆転する。そのまま全身にGの負荷が強まり、完全に天井に束縛された状態になった。


 四肢を天井に貼り付けられ、まるでピンで身体を縫いつけられた昆虫の標本の様だ。少女は宙から床へふわりと舞い降り、人形の様な無感動な顔で、天を仰ぎ、その様を見つめた。


 そんな完全に身動きが取れない状態へ更に追い打ちがかかる。宙へ浮いた少年が石和の傍らにやってくる。周囲にあった机や機材が一挙に宙へ舞い上がった。少年が右手を開き、石和に向けて突き出すと、浮いた物体が石和の身体に向け、集まってゆく。開いた手のひらが小刻みに震わせながら、少しずつ閉じてゆく。かぎ爪状になったその指はまるで何かを握り潰そうとしているかの様にも見えた。


 その少年の動作に連動して、石和の身体に宙に浮いた物体が次々と吸い付き、その姿を覆い隠してゆく。磁石の様にびっちりとくっついた鉄パイプや80kg以上はありそうなオフィス用デスク、ブレス加工の板金で出来たロッカー、鉄パイプの椅子などがじりじりと圧力を強め、石和の身体を締め付ける。


 この光景には見覚えがある。佐々木が少年に襲われたときに目の当たりにした、『瓦礫の蓑虫』である。あの時と同じように、石和の身体を機材や机で潰そうとしている。


 あの時はEPS領域を封じることにより、佐々木はこの『瓦礫の蓑虫』から抜け出すことが出来た。


 しかし、今度はどうにもならない。この部屋には石和を助けてくれる人間など誰もいないのだから。圧力がぎりぎりと加わってゆき、やがてその力は石和の肉体の限界を超えていた。


 ぐしゃり、と奇妙な感触が石和の右腕に走った。無数の鉄パイプと椅子がひしゃげ、右腕に絡みつき、肉を、骨を押し潰していた。石和の腕があり得ない方向へ曲がる。


 続いて、胸に密着したデスクが身体を圧迫し、石和の肋骨をへし折った。べきべきと音を立てて、折れた肋骨が内臓に突き刺さる。


「あっ……がっ、ああっ! ぐっ……ごぼっ!?」


 身体中の至る場所から、今まで味わったことのない激痛が石和を襲う。石和は擦れた悲鳴を上げながら、口から大量の血を零した。内臓を痛め、ひどく出血している様だ。


 天井が凹み、石和の身体がめり込んでいく。相当頑丈に造ってあるようだが、この圧力の掛かり方ではそのまま天井を突き破ってしまいそうだ。


 絶体絶命だった。二人の『能力者(ネオ・チャイルド)』から同時にEPS領域を展開され、攻撃を受けている。発煙筒は手から離れ、煙で視界を遮断することはもう出来ない。これでどうやって反撃に転じればいいのか。


 もう――どうすることも出来ない。


 恐怖と絶望が石和の精神をじくじくと浸食してゆく。


 視界と意識が薄れ始める。思考することすら億劫になり、死への恐怖心が薄れてゆく。もうなにもかもどうでもいい。すべてを諦め、自分の人生の終焉を受け入れたくなる。


 そうして、意識がブラックアウトしそうになる寸前――――不意に石和の脳裏にある光景が浮かび上がった。それは石和武士が最も大切に想う女性――石和千恵子。彼女の笑顔だった。


「――――っ!」


 次に浮かんでくるのは勝義とことみの笑顔。千恵子と石和の子供。それらはすべて石和の大切な宝物。石和の生き甲斐、だった。


 このまま千恵子と、子供達ともう会えなくなる。幸せにすることが出来なくなる。そう考えた途端、死よりも怖い恐怖が石和の頭を電流のように駆けめぐった。


 それで石和は覚醒した。


(……ま、まだだ。まだ手はある……あるはずだ!)


 胸中でそう呟く。どんな絶望的な状況下でも諦めてなるものか。自分は絶対に生きて、千恵子の元に返る。そう誓ったのだから。石和はそう思いながら、目に強い光を宿し、思考を再開した。


 左手で握りしめたモノの感触を確認する。


 閃光手榴弾(フラッシュ・バン)。まだこれが残っている。これを子供達の間近で使えば、EPS領域を消去することが出来るはずだ。しかし、その為には子供達の至近距離にまで飛び込まなくてはならない。この身体が束縛された状態でそんなことが可能なのだろうか。


 痛みと瓦礫に密着する感覚に気を失いかけながらも、石和はその方法を思いついた。危険きわまりない、一歩間違えれば確実に死ぬ方法だ。


 だが、もうそんなことを言っている場合ではない。このままでは確実な死が待ち受けているのだ。どのみち死ぬのならば一か八かの賭に出るべきだ。


『……さわくん……石和くん! どうしたんだい! 応答してくれ! 石和くん!』


 耳元で聞こえる佐々木の声。先程から、何度もこちらにコールしていたのは気付いていた。右手はすでに使い物にならないが、幸い、左腕は無事だった。鉛のように重い左手を強引に持ち上げ、ぎこちない動きでインカムのスイッチを入れる。


「はあ……はあ……げ、げほっ! さ、佐々木。俺だ……」

『石和くんっ?  い、いったいなにが――――っ! ま、待ってて、今すぐそこの電源を切るから! 準備はもう出来ているんだ!』


 石和のかすれた声と瓦礫が軋む音に状況を察した様だ。把握が早いのはこの状況下ではありがたい。しかし、電源を切るだけではダメだ。この状況を打開するためには、先ほど考えた手ではもう通用しないのだ。


「さ、佐々木。さっきの案は忘れてくれ……はあ、はあ……か、代わりに俺が合図したら一秒だけこの部屋の……で、電源を…………としてく……れ……」

『い、一秒?』

「ああ、詳しいことを話している時間は……な、い。たっ、頼む……が、げほっ……ごほっ!」

『わ、分かった!』


 通信を終えると、石和は左手で握りしめていた閃光手榴弾(フラッシュ・バン)を口に持っていき、導火線が下になるようにして、口にくわえた。そして、手を胸ポケットにつっこみ、ライターを取り出す。せき込みたい衝動に駆られるが、それを必死で押さえ、ライターに火をつけ、導火線をあぶった。


 火花が瞬き、ばちばちと音を立てて、導火線が少しづつ短くなってゆく。


 瓦礫の締め付けはきつくなる一方で、あとわずかな時間で、石和の身体は四散し、原型をとどめないミンチになってしまうことだろう。視界が暗澹とし、意識が飛びそうになる。


 強く唇をかみしめることで、石和はその意識を保つ。そして、導火線が短くなってきたところを見計らい、石和は左手に試験管を持ち変えて叫んだ。


「いまだっ……!」

『――――っ!』


 その合図と同時に。オフィスの電灯が一気に消え失せた。部屋が真っ暗になり、その次の瞬間、石和の肉体を束縛していた感覚がなくなった。 


 視界が遮断され、EPS領域が消失したのだ。EPS領域から開放された瓦礫は何の働きも成さない、ただの物体だ。がらがらと音を立てて、石和の身体に張り付いていた機材やデスクが離れ、従来の重力の法則に従い、地面に向けて落下してゆく。石和は最後の力を振り絞り、落下が始まる前に天井を蹴り上げ、真横に飛んでいた。


 一秒が過ぎ去り、再び電灯が灯る。視界が回復すると床でセミロングの少女が呆然と天井を見上げている。


 『念動力』の力を用いて、浮遊していた少年はEPS領域という名の翼をもがれ、少女の傍らに落下しつつあった。


 上から襲い来るのは大量の瓦礫。重量のある無数のデスクが少女に向けて落ちてくる。それに気付いた少女が目を細めて、EPS領域を展開しようとする。


 その瞬間を狙って。石和は落下した状態のまま、試験管を彼らに向けて、思い切り投げつけた。


 少年と少女の中間の位置で閃光手榴弾(フラッシュ・バン)が炸裂する。


 マグネシウムが化学反応を起こし、試験管から強烈な閃光が溢れだした。不意を突かれ、光の直撃を浴びた少年少女の目は完全に眩んだ。


 子供たちはEPS領域を展開することが出来ない。目の前の脅威よけることも、能力を発動させて、それを防ぐことも叶わない。


 石和が天井から床へ落下し、地面に身体が叩きつけられるのとほぼ同時に。


 轟音を立てて、瓦礫が二人の身体に降り注いだ。


 重量のある無数のデスクの下敷きになり、ぐしゃり、と少女の身体が押しつぶされる音を石和は聞いた。瓦礫の下から鮮血が迸る。


 石和は顔を歪め、思わず目を背けた。天井から地面の間は4mにも満たない高さだが、重量が80kg以上もある業務用デスクが落下すれば、地面に辿り着く衝撃は幾倍にも膨れ上がる。


 他の瓦礫や機材も一斉に落下するので衝突時の衝撃は相当なものだ。子供の肉体ではこれに到底耐えられない筈である。


 天井に張り付いた瓦礫を利用して、EPS領域を無力化した子供達を押しつぶす。これが石和がとっさに考えた策であった。


 1秒間だけ電灯を消したのはみっつ理由がある。


 一つは暗闇にすることによって、EPS領域を無力化すること。

 二つは視界を確保し、瓦礫と共に落下することを防ぐこと。

 三つは『能力者(ネオ・チャイルド)』に二重のかく乱をかけること。


 一つめは当然、天井に張り付いた石和の身体を開放させるための手段だ。そして、無力化した瓦礫を子供達に向けて落下させるためでもある。


 二つめは視界を遮断したままでは石和自身がどうなるか分からないため、どうしても視界を確保する必要があった。だから、わずか一秒という時間に暗闇を限定したのである。ただ、視界が回復したとき、再びEPS領域を造られたら、瓦礫で子供達を押しつぶすという石和の目論見が防がれる可能性がある。


 そこで取った手段が三つめのかく乱である。残った閃光手榴弾(フラッシュ・バン)を使い、子供達の目を眩ませ、完全にEPS領域を封じ込める。そうすれば、子供達に落下する瓦礫を防ぐ手段はない。重量のある机や機材に埋もれ、子供達を一網打尽に出来るという訳だ。


 そして、その作戦は成功した。あの有様では子供たちは致命的な大怪我……いや、下手をすれば死んでいる可能性がある。どちらにしろ、子供たちは行動不能な状態に陥ってる筈だ。石和はそれを確信した。


 もし、天井ではなく地面で同じ事を行われていたら、突破口は見出せなかっただろう。


 子供たちが瓦礫の下敷きになることに警戒心を抱いていなかったところを見ると、やはり精神面は見た目通りの子供だったのかもしれない。


 とっさに思いついたその作戦は、残酷きわまりないものだった。だが、こうしなければ石和自身が死んでいたのだ。仕方のないことであるし、誰もそれで石和を攻めることはないだろう。


 しかし、それでも。生まれて初めて、ヒトを傷つけてしまった。しかも自分の持つ子供と変わらぬ、少年少女を。その事実が嫌悪感と罪悪感を生み、石和の頭の中を駆けずり巡った。自らの行為に恐怖する。石和は歯がみしながら、身体を小刻みに震わせた。


 だが、状況は石和を罪悪感に浸りきることを許さなかった。事態は次の状況に移っていたからだ。


 少女が潰れた瓦礫の中から――――突如、光が走った。


 無論、それは石和が投げつけた閃光手榴弾(フラッシュ・バン)のモノではない。それよりももっと強烈で、異質で、石和に害悪を及ぼす要素を内包した、そんな光、だった。


 光が広がってゆく。その光は石和の視界をすべて包み込み、身体をも飲み込み、広大なオフィスすべてに浸透する。


 ――――そして、炸裂した。


 強烈な振動と衝撃波が少女がいた場所から伝播して広がり、部屋中の窓ガラスが粉々に砕け散り、廊下に飛び散った。

 何が起こったのか。訳が分からないまま石和は絶叫し、その声は凄まじい轟音の中に飲み込まれていった。





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