4「反撃と戦略」
20cm程の長さがある強化ガラスで出来た試験管だった。中にはどろりとした黒い液体が入っており、口は特殊なパテで密閉してある。口の中心から伸びている捻れた紙は導火線代わりに埋め込んだものだ。中に火薬庫と着火剤を混ぜたモノが塗ってある。
先程、倉庫にて造り上げた即席の武器である。
上手く出来たかどうかは使ってみないと分からない。だが、予想通りの効果が現れれば、確実に子供達に一泡吹かすことが出来るだろう。
少しずつ近づいてくる足音に神経を集中させながら、石和は柱の陰に隠れた。この柱の影ならば、完全な死角となり、向こうからは見えないはずだ。
足音の大きさで、大体の目測を計り、石和はズボンのポケットに入っていたライターで、試験管の導火線に火をつける。
(十……九……八……)
かつん、かつん、と。響き渡る足音に合わせ、石和は頭の中でカウントを始めた。定期的な感覚で数を数え、数が少なくなる度に、足音が大きくなり、導火線がじじ……と音を立て、火花と共に短くなっていく。
(七……六……五……)
足音が間近まで迫る。二人の子供は確実にこの部屋に向かってきている。胸の鼓動が高鳴り、焦燥感が込み上げてくる。今すぐに試験管を投げつけたい衝動に駆られるがそれを必死に堪える。
まだ、早い。確かにこれは状況を打開する効果を内包している武器であるが、タイミングが合わなければ、何の効果を表すことなく、終わるだろう。
(四……三……二……)
足音と共に石和の足下に影が差し込んできた。子供たちがこのオフィスに入り込んできたのだ。
(いまだっ……!)
心の中で1のカウントを行うと、ほぼ同時に。石和は柱の影から飛び出した。オフィスの入り口に目を定め、その試験管を入り口に向けて、投げつけ、石和は目を強く瞑った。
瞬間――――光が走った。試験管の中から白い閃光が溢れだし、その光がオフィス中に広がった。
閃光手榴弾。
石和が考え、子供たちに対抗するために簡易で造り上げた武器の名称がそれだ。試験管の中には粉末上のマグネシウムと着火材などをかき混ぜ、密封して入れてある。マグネシウムは火を与えると、化学反応を起こして、強烈な光を発する。
それを狭い領域で爆発させてやると、その威力は倍増し、閃光手榴弾としての効力を発揮する。
『能力者』は目を使わなければ、EPS領域を展開できない。それを防ぐためには視界を遮断してやればいいのだが、電灯を消したり、煙で視界を防ぐのは諸刃の剣だ。
だが、閃光によって、目をくらませてやることが出来れば、こちらは視界を封じられることなく、行動を起こすことが出来る。
石和の造った閃光手榴弾はあくまでも簡易のもので、本物の閃光手榴弾の威力には遠く及ばない。
しかし、少年の目の前で広がった閃光は彼の目を眩ませるには十分な光量だった。強烈な光を直視して、少年が両手を目に当てて、悶える。
これで少年のEPS領域は完全に封じ込めた。今という瞬間が最大の好機だった。石和は両手で折りたたみ式の椅子を強く掴み、少年に向けて、駆け出した。
「う……あああああああっ!」
石和は大きな咆哮を上げる。走る勢いを利用して、椅子を大きく振りかぶり、少年の脳天めがけて振りかぶる。
状況が把握できない少年にこれを防ぐ術はない。がんっ!、と鈍い音が響き、石和の両腕に衝撃が駆け抜けた。
椅子が直撃したのは少年のこめかみと肩だった。本当は脳天を叩き、一撃で昏倒させるつもりだったが、少年が激しく動いていたので、頭をかすめ、そのまま滑り落ち、肩に直撃してしまった。
少年はまだ倒れていない。石和は再び、椅子を持ち上げ、振りかぶった。力を込めて、少年の頭を向けて振り降ろす。
その瞬間――少年のこめかみから、赤い血がだらりと垂れ落ちてくる様が石和の目に入り込んできた。
それと同時に石和の脳裏に自分の子供である勝義の姿がフラッシュバックし、それが目の前にいる少年の姿と重なった。そこにためらいが生まれ、振りおろす両手に力が入り、身体がこわばった。
相手は人間ではない、『能力者』という怪物だ。それでも、自分の息子とほとんど変わらぬ子供を殴りつけるという行為に本能が拒絶したのだ。
「くっ……!」
狙いが大きく外れ、椅子は少年の背中に直撃していた。威力も一撃目ほど効果はなく、呻きながら、ふらついているが、致命打には至らない様だった。
自分の甘さに嫌気が差す。躊躇が、己の身を滅ぼすというのに。必死に沸き上がる罪悪感と嫌悪感を振り払いながら、椅子を振り上げ、三度少年に叩きつけようとする。
――――が、しかし。『能力者』は三度目の好機を石和に与えてはくれなかった。
がくん、と。石和の両手に異様な重みがかかった。真後ろに引っ張られる様な感覚に捕らわれ、椅子が前に振り降ろせない。椅子だけではない。石和の身体そのものが真後ろにぐいぐいと引っ張られる。背後を振り返るが、なにもない。不可思議な力が石和の身体を捕らえていた。その力は段々と威力を増していき、立っているのが困難になる。
バランスを崩し、後ろに倒れ込みそうになるのを堪えるが、引っ張る力が強すぎて、どうにもならない。一度足を滑らせると、踏ん張りが効かなくなり、石和の身体が折り畳み式の椅子と共に宙を飛んでいた。石和はそのまま、オフィスの真横にある壁に叩きつけられた。
「ぐっ……あっ!」
だだんっ!、と、石和の身体が壁でバウンドする。背中に強烈な衝撃が駆け抜け、肺にある空気を根こそぎ搾り取られる。
激痛を堪えるため、歯を強く食いしばり、正面を睨み据えると、入り口付近でセミロングの少女がこちらの姿をとらえていることに、石和は気付いた。どうやら、閃光手榴弾の直撃を受けたのは少年だけで、後ろにいた少女には効果が得られなかったようだ。
冷たい光を宿す双眸を細め、少女は眉間に力を込める。EPS領域を展開しているのだろう。石和の全身にじりじりと重量がかかり、四肢が鉛にでもなったかのように重く動かなくなってゆく。
石和はその感覚に眉を顰めた。あの少女の能力は『重力操作』だった筈だ。少年はまだ目に手を当て、ふらついていることから、EPS領域を展開出来ていないように思える。なのに何故、『念動力』を使われたかのように、自分は壁に張り付いているのか。
「そ、そうか! 方向の変換、か――!」
どんどん強まってゆく自分の身体の重さから、その能力の性質を石和は理解した。
『重力操作』は重量を自在に変換するだけではなく、重力の方向すらも変えることが可能らしい。
壁に叩きつけられたわけではない。あの少女は壁を重力の基点に定め、そこへ向けて自分の身体は落下したのだ。
「くっ……このっ!」
まずい。このままでは完全に身動きが取れなくなってしまう。石和は背中の激痛を必死に堪えながら、ジャケットのポ
ケットをまさぐり、発煙筒を取り出した。着火し、自分の周囲に煙を撒く。目の前が白く染まり、少女の姿が見えなくなると、石和は壁から、本来の重力がある床へうつ伏せに落下した。
「がっ! く、そ……はあ、はあ……」
身体中のあちこちがじん、と痛む。両腕を抱えて、踞りたい衝動に駆られたが、そんなことをしている余裕はない。
身体に無理矢理鞭を打って、石和は起き上がった。腰を低くかがめ、煙と辺りに設置されているデスクに自分の姿を隠しながら、その場から離脱した。
入り口付近に置いてある、机や椅子、鉄パイプなどが一斉に浮き上がった。床から天井まで様々な機材がくるくると回転しながら渦巻き、宙を踊る。
どうやら、少年の目が回復したらしい。
宙に浮いている物体が縦横無尽蔵に飛び交う。四方の壁に叩きつけられ、凄まじい轟音と共に砕け散った機材の破片が至る場所で降り注ぐ。
その様は台風そのものだった。石和はうつ伏せになり、匍匐前進をしながら、奥にある柱の影に隠れ、瓦礫の台風を凌ぐ。
「はあ……はあ……はあ……」
柱を背にして、座り込み、乱れた呼吸を必死に整える。
試みは失敗だった。負傷を負わせることには成功したが、この能力の展開具合からいって、支障を与えるレベルにまで行かなかったようだ。少しの間でも意識を失ってくれれば、相手をする『能力者』が一人になり、負担が減ったのだが。あんな中途半端な攻撃では逆に怒りを煽っただけかもしれない。
石和はジャケットをまさぐり、中にあるものを確認する。発煙筒があるが、残りはあとひとつしか残っていなかった。内ポケットには手作りの閃光手榴弾がひとつ。
このふたつだけで、残りの時間を稼がなければならない。わずかな時間でこれだけのことがあったのだ。この二つだけの武器で、逃げ切るのは不可能に近い。
「はあ、はあ……くそっ……他になにか方法はないか? なにか……」
目に手のひらを当てて、考える。どうすれば、この窮地から脱することが出来るのか?
……いっそのことブレーカーを落として、電灯を消してしまうか。身動きが取れなくなるが、それは相手も同じの筈。時間を稼ぐには最適だし、ある程度安全も確保できる。
「いや……駄目か。やはりそれだけでは防ぎきれない」
石和はかぶりを振って、自分の案を却下した。ブレーカーは入り口付近にあり、現在子供達がいるのもそこだ。そこに辿り着くまで発煙筒と閃光手榴弾、双方を使う必要がある。
こんな作戦ですべての武器をここで使用するのはいささか怖い。成功してもブレーカーを元に戻されれば終わりなのだ。電源を切った後、ブレーカーを破壊してしまえばいいのだが、そんな時間をあの子供達が与えてくれるとは思えない。
先程のようにもたつくことがあれば、どちらかの子供のEPS領域に囚われ、能力の餌食になるのがオチだ。危険すぎる。
しかし、他に道がないようにも思える。完全な手詰まり状態にあるのなら、一か八かでやるしかないのかもしれない。せめて、ブレーカー以外で電源を落とす方法があれば、また状況は変わってくるのだが
「っ! そ、そうか! その手があった!」
石和は小さな声で叫び、一人頷いた。ようやく閃いた。この方法なら、この状況を打開できるかもしれない。石和はインカムのスイッチを入れて、佐々木に通信を繋ぐ。
「佐々木! 俺だ。聞こえるか?」
『石和くん? すまない。もう少し頑張ってくれ。あとちょっとでエレベーターのシステム画面に――――』
石和は佐々木の言葉を強引に遮って、叫んだ。
「聞きたいことがあるんだ! さっき、そこでは各部屋の電源の切り替えが出来るって言ってたな。それは部屋についているブレーカーとは無関係に操作できるのか?」
『え……? う、うん。こちらは電力の供給源だからね。こっちの電源をカットしてしまえば、ブレーカーのスイッチは使えなくなると思うけど……』
思った通りだ。これなら、なんとかなるかもしれない。そう思った石和は佐々木に自分の作戦を説明し始めた。
「いいか、佐々木。よく聞いてくれ。俺は現在Cブロックのオフィスにいる。俺が合図をしたら、オフィスとこの廊下の電源を一気に落としてくれ。それで『能力者』二人をオフィスの中に閉じこめる」
『「能力者」を? で、でも大丈夫なのかい。さっきの実験室は特別な扉で造られていたけど、他は普通の扉だったと思う。閉じこめても、能力を行使されたら、すぐにでてきてしまうんじゃあ……』
「大丈夫だ。さっきも言ったと思うが、『能力者』のEPS領域は視界を遮断することで防ぐことが出来る。ここはさっきの実験室と違い、パネルのランプやモニターの光もない。電灯を消してしまえば、完全な闇になる。そうなれば、『能力者』は能力の使えないただの子供だ。外に出ることは出来なくなるはずだ」
そうすれば、この鬼ごっこも最後まで付き合わなくて済む。安全な状態でこの廃ビルから脱出することが出来るはずだ。
「急いで準備してくれ。俺はこの部屋から抜け出すために、強行突破を図る。上手くいけば、すぐ地上に出られるはずだ。頼んだぞ」
『わ、わかった! すぐ準備する!』
佐々木との通信を終えると、石和は手にある発煙筒のキャップをぐい、と捻った。キャップ部分を取り外し、いつでも着火出来るように準備しておく。石和は周囲を見回し、警戒態勢を取る。『能力者』がどこから来ても、すぐ対処できる様に。
心臓の脈動が加速する。ここが正念場だ。発煙筒、閃光手榴弾、最後の武器をすべて用いて、ここから離脱する。
この瓦礫の暴風雨が止んだタイミングを見計らって、発煙筒で視界を塞ぎ、その隙を見計らって、閃光手榴弾を使い、目を眩ませる。その隙に外に出て、出口を塞ぎ、電源を落とす。それが石和の考えた作戦だ。
ただ、発煙筒によるかく乱はこの短時間で何度も使ってしまっているので、警戒されているかもしれない。
しかし、よくよく考えてみると、『能力者』が発煙筒そのものを消すと言う行為に一度も及んでないことに石和は気付いた。『能力者』にとって、視界が遮られることは能力そのものを封じられることと同意だ。
にも関わらず、自分の付近にある煙を除けても、煙の元凶である発煙筒を一度も排除しようとしなかった。ここに入ってくる時も微塵も周りを警戒していなかった。
あえて放置しているのだろうか。それとも、煙そのものを止めるという行為に考えが及ばないのだろうか。後者だとすると、先程推測したとおり、頭の中身は見た目のまま子供なのかもしれない。もし、その推測が当たっているなら、突破できる可能性は高い。
だが、それはあまりにも都合のいい考えだった。
例え、思考が子供だったとしても。その『能力』の束縛から逃れることは極めて困難であることを石和は身を持って知ることになった。
突然、石和の隠れている柱に黒い影が差した。怪訝に思い、頭上を見上げる。
すると――そこに少女が、いた。
瓦礫の暴風雨が降り注ぐオフィスの中、少女が宙に浮いていた。石和の頭上の1メートルほど上に位置し、ガラスのような無機質な瞳が石和を見下ろしている。
「な……」
石和は大きく目を見開いて、擦れた声を上げた。迂闊だった。少女の能力は『重力操作』なのだ。自らの身体の重力を操作し、宙からやってくることは充分考えられたはずなのに。そこまで考えが行き届かず、床のみに意識を集中していた。
「くっ――こ、このっ!」
石和が慌てて、距離を取り、手にある発煙筒に着火しようとするが、その前に。
『禍なるかな バビロン その諸々の神の像は砕けて地に伏したり』
少女が旧約聖書の一節を口にし――――その言葉を皮切りに石和と子供達の鬼ごっこは終わりを告げた。