1「消息不明の子供たち」
警視庁捜査一課、警部の役職を務める芳田源五郎は下町の居酒屋に来ていた。繁華街の外れにある何の変哲もない、和食を主体にした小さな店。しかし、本物の日本酒を数多く揃えてある穴場で、昔から幾度となく足を運んでいるお気に入りの場所だ。非番の日などにはよく一人で訪れ、日本酒を堪能していたりする。もっとも、今日は日本酒を味わいに来たわけではないのだが。
店の中に入り、周囲を見回す。すると、座敷席にいる一人の男がこちらにむかって小さく手を振っていた。約束の時間よりだいぶ早く来たつもりだったが、もう到着していたようだ。
「いやあ、どうもこんばんは。先に一杯やらせてもらってますよ」
男はにへら、と笑いながら、ジョッキの中で泡立つビールを煽った。焦げ茶色のサングラスをかけた三十歳くらいの男だった。左耳にはピアス、顎には伸ばした髭、ラフなワイシャツの上に色物のジャケットを羽織っている。見るからに軽薄そうな男である。
AV女優のスカウトなどをやってそうなイメージを彷彿させる。しかし、見た目とは裏腹に彼は芳田が認めるほどの実力者である。
情報屋『ジン』。あらゆるジャンルの情報に精通し、頼めばほぼ確実に望んだ情報を提供してくれる情報屋だ。警察機関の情報ネットワークは日本でも有数のレベルではあるが、それでもどうしても手の届かない情報というものが存在する。決して警察という立場から聞き出せない、裏の情報。それをたやすく彼は引き出し、提供してくれる。
どんな手段で、その情報を入手しているのかは一切教えてはくれない。
情報バンクに強制侵入でもしているのか。裏世界へのコネクションがあるのか。
どちらにしろ、まともな手法ではないだろう。
まあ、野暮なことは聞くまい、と芳田は思う。どんな手段であれ、望みの情報を持ってきてくれることには代わりがないのだから。
芳田はジンの向かい側の席にあぐらを掻いて座り込み、店員に烏龍茶を頼んだ。
「おや。今日は日本酒じゃないんですか?」
笑いながら、ジンは首を傾げた。
「アルコールを入れると思考能力が鈍るからな。話を聞いて、考えをまとめた後にしておく。お前さんもほどほどにしておくんだな」
「平気ですよ。たかがビールの一杯や二杯で、仕事に支障があるほど酔っぱらったりしませんて。ひっく」
……その割には顔がだいぶ赤らんでいるような気がするのだが。いつものことではあるが、不安になる。とっとと仕事の話を進めるとしよう。そう思った芳田は運ばれてきた烏龍茶のジョッキをちびちびと口に流しながら、話を切り出した。
「で、なにかわかったのかの?」
ジンに頼んでいたのは人類進化促進塾に関する情報収集である。
人類進化促進塾。子供達の才能を科学的に引き出す施設。TVなどでも大きく特集されたことのある有名な施設である。才能というあやふやなものを科学を通して、形にし、それを伸ばす手段を造り上げたことは大いに評価する。『才能は努力で引き延ばすモノ』をモットーにしてきた芳田としてはあまり好きになれない手段ではあるが、その技術だけは賞賛に値するものだと思っている。
だが、それとは別問題として。
あの施設はどうにも胡散臭い。いかがわしい臭いがする。
どうにも『子供の才能を助長する』という看板を掲げた裏で、何か行っている気がするのだ。
根拠は全くない。だが、不安を誘い寄せる駒がいくつか存在するのは確かだ。
新井武之博士の失踪。
新井博士の変貌。現在もなお続く猟奇殺人。
――――そして、戸木原淳。
それぞれの駒を繋ぐ線はまだ見つからないが……確実にこの三つの駒には関連性がある。それは確かだ。そして、その中心となっているのが、この人類進化促進塾なのである。
捜査から外され、戸木原を捕まえて、尋問という手段が使えない現在、この施設の情報を集めることが、真実への近道だと思ったからだ。
それに――人類進化促進塾に勤めるコンパニオン――――横川昌美といったか。彼女から得た情報が真実なのか否か確かめる必要があった。それによって、今後の捜査の方向が大きく変わるかも知れない。
そう、芳田はこの事件から外されたからといって、真実の追究を諦めたわけではなかった。どうにも嫌な予感がする。このままだと取り返しのつかない事が起こるような――――そんな気がしてならないのだ。
芳田の言葉にジンはにやりと笑いながら、頷いた。
「わかったから、旦那をお呼びしたんですよ。とりあえず、コレをどうぞ」
そう言って、ジンは鞄の中からA4サイズの紙束を差し出した。芳田はそれを受け取り、ぱらぱらとめくり、中身に目を通す。
「例の養護施設の名簿です。施設の数は全部で二十五。場所は北海道や島根、沖縄、石川県など……まあ、バラバラです。東京や首都に近い施設は一切ありませんでしたけどね。それぞれの養護施設には一切因果関係はなし。名簿の横に書いてある黒丸が引取先が見つかった子供。で、赤丸が――――」
「……行き先不明の子供達、か」
芳田の言葉にジンは無言で頷いた。赤丸がついた子供を見てみる。どの子供も年端のいかぬ少年少女ばかりだった。ほとんどが0歳から三歳。一番年齢が高い子でも六歳くらいだ。十代の子供は一人足りとしていない。
「表向きはすべて引き取った者がいることになっていますがね。調べてみると、それは実在しない人物だったり、実在していても海外に行っていて、連絡が取れない人物だったり、どの子供の行き先も途絶えてしまうんですよ。で、この子達に共通しているのはすべて、親類関係がない、天涯孤独な身であること。肉親はおろか、親戚、親の親しい友人すらいないんです。万が一、いなくなったとしても誰も困らない。そんな子供達です」
淡々と語りながら、ジンはジョッキに残ったビールを一気に飲み干し、大きく溜息を吐いた。そして右手の指を二つ突き出し、芳田に向ける。
「で、二つめ。人類進化促進塾の搬入についてです。人類進化促進塾では教材や資材、研究器具なんかの搬入を週二回、定期的にトラックで搬入しているんですが、調べてみると、どうもおかしい。不定期な搬入があるみたいなんです。その搬入トラックは決まって従業員、講師たちが帰った夜中から明け方にかけてくるそうです。
通常搬入リスト表はどうにか入手することが出来ましたが、その夜中の搬入に関してのリストはどこを探しても見つかりません」
「…………」
芳田はすぅっ、と目を細めた。行く先がまったく分からない子供達。深夜内密に搬入される荷物。この二つの点を結ぶ線はひとつしか出てこない。
「人身売買――か」
「おそらくは」
と、ジンは頷いた。
「まあ、人身売買自体はそんなに珍しい事でもない、裏の世界ならどこにでも転がってる話ですからね。そんなに大したことじゃないんですが……ちょいとこの数は尋常じゃありませんぜ」
「人類進化促進塾は塾の看板を掲げているが、実態は脳をいじくるための研究機関だからの。おそらくは体のいいモルモット……使い捨ての実験道具なのかもしれんの。少なくとも愛玩用や臓器密売に使用しているとは思えん。第一、肉体が未成熟すぎて、そういった用途には不向きだろうしな」
「ま、昔から、ヒトは実験動物なんかより、はるかに優れた実験材料だといいますからねえ。慣れてしまえば、倫理観や良心なんか紙切れ同然ですし。やれやれ、人間は怖いですなあ」
ジンは苦笑いを浮かべて、肩をすくめてみせた。
「しかしまあ、驚きましたわ。いやね、正直半信半疑だったんですが、調べてみれば、彼女の言った情報で黒になりそうな場所はすべてヒットしましたからね。『この二十五の施設と搬入トラックのリストを調べてほしい』って言ってきたときは、何事かと思いましたけどね。間違いなく、彼女はこのことを伝えたかったんでしょうよ」
横川昌美。例の十字路の事件が起きた後、芳田は再び人類進化促進塾に足を運んだのだが、そのときに出会った女性である。
『取引がしたい』
と、彼女は単刀直入にそう言った。正直、驚いた。こうも堂々と警察相手に取引を要求してくる民間人など、芳田の長い刑事生活でも数えるほどしかなかったからだ。
彼女の取引内容はこうだった。
『私はその事件に関するある情報を持っています。それを教える代わりに佐々木という男と私を引き合わせてほしい。それも内密に』
唐突すぎるその物言いに芳田は苦笑した。
『……随分と一方的な取引だな、嬢ちゃん。取引とはもっと対等、あるいは自分が上位に立っているときに持ちかけるものだ。そんな唐突で一方的な物言いでは、子供すら堕とせんぞ』
『警察では今回の事件は絶対に深部まで介入できません。あなたも半年前の新井博士失踪事件で身を持ってそれを知っている筈です』
『…………』
『あなたが人類進化促進塾に何度も足を運ぶ姿を見かけています。捜索も打ち切られたにも関わらず。それはこの事件に仕事以上の感情を抱いているからではないのですか?
そして、昨日の事件。もし、連中が絡んでいるのなら、捜査は打ち切りになり、真相は闇に葬られたままになるでしょう。しかし、私はあなたが前に進める情報を持っている。そして、私はあなたに助けてもらいたい。これでは対等の取引になりませんか?』
『……前言を撤回しよう。いい駆け引きだ、お嬢ちゃん。なかなか興味を引かれる言い方だ。しかし、佐々木というのは一体誰かの? 佐々木という名字の人間はこの世にゴマンといる。いくら警察の情報網でもそれだけじゃ調べようがない』
『いえ、調べられます。新井博士と親友だった方ですから。私もそれしか知らないし、訳あって公式な捜査を頼むわけにはいかなくて……でもどうしても会いたいんです』
『その男と会ってお前さんはどうするつもりかの?』
『……詳しくは言えません。ただ、彼の力を借りたいのです』
『力?』
『はい。そして……その力で助けたい人がいるんです』
凜とした声で。彼女はそう言った。
半信半疑、面白半分でその奇妙な取引に応じた芳田だったが、こうして与えられた情報を調べた結果、切り口になるかもしれない情報を得ることが出来た。彼女の言葉に偽りがないことが証明されたわけだ。
「いやあ、しかし、彼女、ただの塾のコンパニオンでしょう。いわば、動く看板。給料はいいでしょうが、ただの看板がそんな施設の暗部まで知っている筈がないと思うんですがねえ。彼女、いったい何者なんです?」
「ただのコンパニオンだろうが、『女性』であるのなら、情報を得る機会はいくらでもある。助けたい人がいる、とはそういうことなのだろう」
ジンは一瞬困惑した顔をしたが、
「ああ、成る程。そういうことですか」
と、頷いた。
――――と。その時、芳田の胸ポケットに入っている携帯からメロディが流れ出した。メールの着信メロディだった。携帯を取り出し、メールを開くと、芳田は笑った。
「どうやらこれでワシと横川昌美の取引は成立したようだな」
言いながら、芳田は携帯のメールをジンに見せた。『無事、佐々木博士と石和博士に合流できた。感謝します』と書かれていた。
「ははっ、ソイツはよかったですなあ。私も骨を折った甲斐があるってもんでさあ」
「苦情も書かれているぞ。やり方が回りくどかったです、だと」
「それはホラ、こちらにやり方はすべて任すということだったんで。篠塚登喜夫の演技の電話なんか入れて、楽しんだのは否定しませんがね。彼の性格は詳しく知りませんでしたから、破天荒なキャラを造らせて頂きましたよ、ははは」
心の底から愉快そうな声で笑うジン。完全に遊んでいる顔だった。芳田が呆れ顔で溜息を吐くと、ジンはぱたぱたと手を振り、
「いや、でもね。ただ、遊んでああいうシチュエーションにした訳じゃありませんぜ?ただ単純に会わせたたのでは、人類進化促進塾の連中に目をつけられますからね。慎重に慎重を重ねたって訳です」
佐々木の親友である石和という男を餌に彼を呼び出す。確かにやたら遠回しだが、今回の方法はある程度は必要だった。芳田が仲介して直接佐々木と昌美を会わせてしまっては、芳田自身が目をつけられる危険性があったからだ。彼女も人類進化促進塾内では一介のコンパニオンを装っていたし、連中の目から逃れるには今回のやり方は最適だったのかもしれない。篠塚の破天荒な性格はやりすぎだと思ったが。
「……ともかく、これであの嬢ちゃんとの取引は完全に成立したわけだ。上手くいけば、もう少し彼女から情報を引き出せるかもしれないが、お前さんはお前さんで情報収集を続けておいてくれ。今回の情報料はいつもの口座に振り込んでおく」
そう言って、芳田は店員に日本酒の注文をした。話は一区切りついた。あとはゆっくりと酒を楽しむとしよう。注文した酒が置かれ、猪口に注いだ日本酒を口にしようとした瞬間、ジンはそれを手を前に突きだして、それを制した。
「へへっ、旦那。少しばかりそれは早いかもしれませんぜ?」
「……? どういうことだ?」
「私の話にはまだ続きがあるってことです。しかも特ダネ。ちょいとヤバイ橋を渡りましたが、どうにか情報の一端を入手しました。人類進化促進塾が秘密裏に行っている研究内容です。こいつは別料金になりますけど、いかがいたします?」
勿体ぶった話し方をするジン。いつもより値が張る情報だと言いたいのだろう。芳田は迷うことなく、頷き、
「買おう。聞かせてくれ」
と、言った。『どうもまいどありっ!』と、軽快な声を上げると、ジンは手を挙げ、店員を呼ぶとビールの大ジョッキとつまみを五つほど追加した。まだ飲むらしい。芳田は猪口に入った酒を静かにテーブルの上に置いた。どうやらもう少しお預けにしなければならないようだ。こちらの我慢もお構いなしにジンは四杯目となった巨大ジョッキをぐいぐい煽り、心地よさそうな溜息を吐いている。旨そうな飲みっぷりだった。だいぶ酔いが回っているようだが、大丈夫だろうか。
「さて、話の本題に入ります。さっきの人身売買の話をしましたが、おそらくそれに関わる研究だと私は思ってます。この研究の為に子供を購入し、実験材料として使っているのではないかと。ある意味、人類進化促進塾のコンセプト、『才能を見極め、引き出す』、とまったく同義の研究ですよ、ひっく」
真っ赤になった顔を皮肉気に歪め、ジンは言った。
「『能力者計画』――――人外の力を得るための、禁断の研究ですよ」