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混沌のアルファ・リニューアル版  作者: 高田ねお
第三段階『人類進化促進塾』
28/64

8「佐々木と川上」


 


 十字路の惨劇から五日後。仕事帰りの夜、佐々木勇二郎は川上弘幸と共に飲み屋へ来ていた。数日前、情報提供をしてくれたお礼として、川上に御馳走するためである。佐々木は自分がボトルキープのしてある、いきつけのバーへ招待するつもりだったが、川上が「行きたい場所がある」と言って、連れてこられたのが、この飲み屋だった。


 周囲を見回してみる。客層はサラリーマンや若者などがほとんどだった。和風の雰囲気で固めてあるが、それを除けば特徴らしきモノは何もない。普通の飲み屋だった。佐々木は困惑しながら、


「か、川上くん。本当にここでいいのかい?」


 と、訊いた。川上は無表情のまま、小さく頷く。


「いい。ここで問題ない」

「で、でも、せっかくのお礼なのに。こんな普通の所なんて。もっと贅沢して構わないんだよ?」


 佐々木がそう言うが、川上はかぶりを振った。


「変に豪華な場所は自分には落ち着かない。こういう場所が気楽で好きだ」

「そ、そうかい? まあ、川上くんがそう言うなら、いいけど……」


 張り切って、豪華な酒とつまみを川上に披露しようとしていた身としては、少々物足りない気がしたが、本人がそういうのでは仕方がない。今夜はここで楽しむとしよう。


 店員に座敷へ誘導され、テーブルmp向かい合わせに二人はあぐらをかいて座る。

 端に立て掛けてあるメニューを二人はめくり、品をみる。

 和食をメインにした料理と酒の名前が記してある。最初は無難にビールと枝豆でも頼もうか。佐々木がそんなことを考えていると、


「佐々木博士は酒好きと聞いた。どんなのを飲むのか」


 と、川上がメニューをじっと眺めたまま、聞いてきた。


「え? 僕かい? そうだね、ウィスキー、ウォッカ、ワイン辺りは結構いろいろ飲んでると思うけど。ビールもモノによって色々味が違うから好きだよ」

「日本酒は?」


 佐々木は苦笑しながら、かぶりを振った。


「あの辺はちょっと、ね。何度か飲んだことがあるけど、正直、おいしくないというか……魅力がわからなかったなあ」

「ならここのを試してみてほしい」


 川上はそう言うと、店員を呼びだし、いくつかのつまみと日本酒を二つ注文した。佐々木は困惑した。


「え? で、でも……」

「大丈夫。きっとおいしい」


 本当はビールが飲みたかったのだが、こう強く勧められると、なにも言えなくなる。仕方がないので、川上に従うとする。今夜は川上をもてなす気でいたのだが、どうにも立場が逆になっているような気がし、佐々木は苦笑した。


 しばらくすると、いくつかのつまみととっくりを二つ、店員が持ってくる。川上が佐々木の手前にあるお猪口に日本酒を注ぎ、そのままじっ、とこちらを見ている。早く飲めということだろうか。


「そ、それじゃいただきます」


 と、おそるおそるした動きでお猪口を持ち、佐々木はそれを口にした。すると、


「――――あ。おいしい……」


 と、思わず感想を口にしていた。お世辞ではない。以前飲んだ人工物の固まりのような味ではなく。佐々木が今まで味わったことのない感覚が口に広がった。


「ここは一見、ただの居酒屋だが、日本中の有名な日本酒を取りそろえている穴場。だから、よく来る」


 そう言いながら、再び佐々木の猪口に日本酒を注ぐ。淡々とした表情は相変わらずだが、心なしか嬉しそうな表情に佐々木は見えた。自分のお勧めを誉められたからだろうか。


「いや、驚いた。勉強不足だったなあ。日本酒がこんなにおいしかったなんて! これからは日本酒のことも勉強して、色々飲んでみないとね、あははは」


 一気に上機嫌になり、互いのお猪口に日本酒をそそぎ込み、飲む。飲み終わると、すぐに川上は別の日本酒を注文し、

様々な味わいを佐々木に堪能させた。どれもとびきり旨い酒ばかりなので、佐々木はたちまちのうちにご機嫌になった。


「……少しは元気出た様に見える」


 川上はいつもの無表情の顔でそんなことを言った。


「え?」

「新井博士の一件以来、落ち込んでいるように見えた。だから、安心した」

「川上くん……」


 佐々木は大きく目を見開き、川上をみた。一見、無愛想で人付き合いが悪そうに見えるこの男は自分の想像以上に気を使われていたらしい。


「まいったなあ……本当、これじゃどっちがもてなしているか、わからないな」


 図星だった。精一杯、何事もないように振る舞っていたつもりだったが、完全に見透かされていた。大事な人が亡くなったショックはそう簡単に切り替えられるモノではない。


 頭ではこのまま嘆いてばかりいてばかりじゃいけない。そう自分で言い聞かせていても、なかなか感情は思うとおりに動いてはくれなかった。


 大事なヒトがいなくなるというのはそういうことだ。自分が自覚しているよりも更に重い感情だ。負の感情は自身を歪ませ、肥大化した負の心は判断力を大きく鈍らせる。危うく佐々木は負の心に支配され、道を違えるところだった。


 それではいけないと石和に強く叱責された。

 そして、その残留した気持ちを見透かされ、川上の不器用な慰めをいま受けている。

 こんな情けなく、流されやすい自分の事を叱って、心配してくれる人間が二人もいる。それが佐々木には非常に嬉しくて、仕方がなかった。


「佐々木博士」

「はは……み、みっともないな。ごめん、すぐ治まるから……」


 目頭が熱くなり、自然と涙がぼろぼろとこぼれ落ちてくる。両手で涙を必死に拭いながら、佐々木は苦笑した。


 きっと自分はもう大丈夫だ。新井博士という親友を失った悲しみはこれからも続くだろうし、いくらでも泣くことになるだろう。だが、石和と川上のおかげでこれからは冷静な自分とのスイッチの切り替えが出来るようになった。そう思えた。


「ホント、川上くんにはお世話になりっぱなしだなあ。情報収集にまで巻き込んでしまって。危ない橋を渡らせてしまってすまないと思ってるよ」


 川上は小さくかぶりを振った。


「別に気にしてない。これは石和博士と佐々木博士だけではない。第五研究所の責任者全員の問題。他人事ではない」

「まあ、確かにね。もし、戸木原博士がα細胞を持ち出したことを上層部に知れれば、僕らもただじゃすまないと思うしね。でも、それでも、頼み込んだ時は僕らはそれを知らなかった。だから、そのときリスクを背負わせてしまったことは素直に感謝したい」

「別にいい」


 相変わらず淡々とした表情で答えるので、佐々木は思わず笑ってしまった。


「本当に不思議な人だなあ、川上くんは。自分で頼み込んでおいてなんだけど、どうして僕の無謀なお願いを受けてくれる気になったんだい?」


 川上はもぐもぐと刺身を口にしながら、佐々木からふい、と視線を逸らしながら、小さな声で答えた。


「前にも言った。自分は佐々木博士のことを尊敬している。そんなひとの頼みは断れない。そう思ったからだ」


 佐々木はなんともむずがゆい気持ちになり、頭を掻いた。面と向かって、そう誉められると照れてしまう。


「どうもありがとう。嬉しいよ。川上くんの口振りだと『NEXT』の存在を詳しく知っているみたいだね。学会での論文発表で知ったのかい?」


 川上は頭をふるふると振り、


「昔、ネットで話題になったときに知った」


 と、言った。佐々木は自嘲した笑みを浮かべた。


「僕がバッシング受けていたときだね。いまとなっては懐かしいなあ。メディアに散々叩かれたっけなあ」

「…………」

「あの頃の僕はね。新井博士の瞬間物質転送装置(テレポート・ゲート)の開発と一緒で、どうしても改善できない欠点に苦しんでいたんだよ。理論はきっちり確立しているつもりだった。だけど、実際にナノマシンを展開すると複製した細胞に狂いが生じて、生物の生態情報を従来とは大きく離れたものに書き換えてしまうエラーが出てしまったんだ。α細胞とβ生物の融合に失敗したのとよく似ている」


 言いながら、佐々木はお猪口に入った日本酒を一気に煽る。佐々木の顔はすでに真っ赤に染まっていた。佐々木は続けた。


「その失敗の詳細が僕の助手の一人から漏れてね。そこからだよ。バッシングが始まったのは。僕の行っている研究は禁忌に触れるものだと。自然から生まれた生物を悪魔のような姿に変えてしまう道徳心に欠ける研究だってね。失敗して醜く変態した実験動物の写真まで流出して、もう手が付けられなかった。正直、あのときは気が滅入ったなあ」

「どんな研究にも動物実験や臨床実験は必要不可欠だ。まして、ナノマシンと生物の掛け合わせはまだ発展途上の分野。失敗が続くのは仕方がない」


 川上の言葉に佐々木は「ありがとう」と、言って目を細めた。


「だけどね、実験動物が何匹も、何十匹も、何百匹も、本来の生態情報とはかけ離れた醜い姿形に変貌し、死んでいき、それを僕がこの手で行ってきたのは確かなんだ。そして、そのことに何の感傷も抱かなくなっている自分に気付いたとき、すごく怖くなった。自分は神をも冒涜する行為に手を触れてるんじゃないかってね。初めはなんとしても志を貫くつもりだった。だけど、そんな不安を抱き始めると、もう止まらなくてね。しばらく研究を放りだして、家に閉じこもっていた時期もあった位だよ」


 佐々木は自分の手のひらを見つめ、拳を造った。


「だけど、それでも。どうしても『NEXT』を完成させたくてね。僕はどんなバッシングや不安にも押しつぶされる訳にはいかなかったんだ。だから、僕は研究を頓挫させなかったし、研究を続けるために第五研究所に来たんだ」


 元々、佐々木がこの第五研究所に来た理由は『NEXT』開発の資金繰りの為だった。成果をなかなか示さない『NEXT』の研究、加えて世間のバッシングにスポンサーが手を引くことになり、研究を思うように続けられなくなったのである。八方ふさがりとなった状態の時に舞い込んできたのが、『Dー計画』の担当研究員としての話だった。


 目標が完遂しなくてもいい、『Dー計画』に参加し、わずかでも功績を示せば、三ツ葉社が『NEXT』の研究を全面的にバックアップする。そんな条件を三ツ葉社に提示され、佐々木は迷うことなく、第五研究所に来ることを選んだ。『NEXT』の研究は一時凍結をせざるをえないが、それでもそうすることによって、研究を続けられるのなら。それが一番いい選択肢だと思えたのだ。


 『Dー計画』の研究に何年かかるかは分からないが、いつか必ず『NEXT』の研究に戻り、このナノマシンを実用化まで持って行く。それが佐々木が掲げた人生での最終目標だった。


 川上はじっと、佐々木の顔を見据え、


「佐々木博士はどうして、それほどまでに『NEXT』の開発に固執するのか。訊いていいだろうか」


 と、言った。佐々木はとっくりを傾け、川上のお猪口に日本酒をとくとくと注ぎ込みながら、小さく呟いた。


「そうだね……僕の生きる意味――だからかな」

「生きる……意味?」

「うん。僕の両親はね。父も母もそれぞれ働いていて、忙しかったけど、仲のいい家族だった。ヒトに自慢できるくらいのね。それが僕の高校生の時、状況が一変したんだ。それが……原因かもしれない」


 翳りのある表情を浮かべ、佐々木は言った。


「母親が交通事故にあったんだ。それで大怪我してね」

「――――っ!」


 佐々木がそう言うと、川上が大きく目を見開いた。普段、まるきり表情を変えない川上にしては珍しい反応だった。佐々木は俯いていたため、その反応に気付くことなく、話を続けた。


 かろうじて、一命は取り留めたが、佐々木の母親は下半身不随で二度と立てない身体になってしまった。片目も事故の影響で見えなくなり、もう二度と普通の生活は出来ないと医師に告げられた。それが原因で佐々木の母親は鬱病にかかってしまった。


 そこからはもうボロボロだった。莫大な入院費を請求されて、父は副業に手を付け、苛酷な労働を強いられる毎日。見舞いに行くと、母は『こんな身体じゃ生きている意味はない。死にたい。お願い。あたしを殺して』と、嘆きの言葉を連呼する。


 そんな日々が続き、次第に佐々木の父は焦燥し、精神的に追い詰められていった。


 そして、それが限界に達した。

 ある日、佐々木が学校から帰ると、書き置きだけを残し、佐々木の父親は家から消え去ってしまった。

 すべてを投げ捨てての失踪だった。


 そして、それを知った母はショックを受け、その数日後、入院している病院で――――自殺した。看護師が目を離した、ほんの僅かの隙に廊下の窓から飛び降りたのだ。


 そうして、佐々木は両親を失い、天涯孤独の身となった。そんな中、自分を慕っていてくれた親戚が自分を養子にしたいと手を差し伸べてくれた。それが絶望に包まれていた佐々木を救い出してくれた。


 佐々木の新しい両親は可愛がられ、高校、大学の費用、必要経費もすべて捻出してくれた。両親に捨てられた悲劇があったにも関わらず、まっとうな生活を送れたのは新しい家族のおかげだ。二人にはいくら感謝しても、し過ぎると言うことはない。


 ただ、それでも。両親を失った過去は精神的外傷として残留し。佐々木の心の苦悩は癒されることなく、続いた。

 どんな幸せと思う生活が続いても、寝ているとき、悪夢となって、忌まわしい過去が蘇り、その度に絶望を想い出すのだ。


 あれだけ幸せと思っていた家族が。どうして、こんな無惨な形で崩壊してしまったのか。悪夢に悩まされる毎日を送るうちに、佐々木はそんなことを考えるようになった。


 得られた結論は一つ。母の事故がすべての崩壊の始まりだったのだ。


 人の心は脆い。たった一人の大事な人間が負の要素を持つだけで、すべてを飲み込み、関わるすべてのヒトを不幸にする。あの時、母が事故に遭っていなければ。いや、事故にあっても、もっと進んだ治療法が確立されていれば、母は下半身不随になどならず、家族は崩壊しなかったのではないだろうか。


 だが、現在の医学では限界がある。医学はどんどん発達しているが、それでも限度がある。その限界を超えるには画期的な技術が必要なのではないか。


 そこで、佐々木が目をつけたのが『生体ナノマシン』だった。破損した肉体を自然治癒や補助器具に頼ることなく、ナノロボットで補うことが出来れば、医学は劇的に変わる。


 佐々木はそう確信した。

 それから、佐々木は『生体ナノマシン』に関する勉強を死にものぐるいで勉強し、三十に満たない若さで『ナノマシン』に関する博士号をも取得し、この手の分野の第一人者となった。


 これ以上、自分のような人間を生み出さないため。

 少しでも多くの人間を救う為に。


 ――――と。そこまで語って。佐々木は我に返った。少々話し過ぎてしまった。ヒトに話すには少々重い過去だ。


「ごめん、変な話しちゃったね。ちょっと飲み過ぎたみたいだ……」


 佐々木は苦笑しながら、すっかり熱くなった自分の頬を手でぴたぴたと叩いた。口当たりがいいので、調子に乗って飲んでいたら、だいぶ酔いが回ってしまったようだ。


「『NEXT』を造ることによって、多くの人を救いたい。その行為によって僕の様な人間を造ることを阻止したい。そう思っている。でもそれは善為じゃないんだ。僕が出会いたかった奇跡を人を救うことによって、母を救ったという疑似体験したい。僕が救われた感覚を味わいたい。それだけなんだ。川上くんは『NEXT』を造り、多くのヒトを救うことを考えている僕を尊敬するって、言ってたけど、その実態はそんなものなんだよ。結構、エゴイストなのさ、僕は。幻滅させちゃったかな?」


 佐々木はそう言って、肩を竦め、両手を広げて、おどけて見せた。川上は大きくかぶりを振った。


「そんなことはない。自分は佐々木博士のことを心の底から尊敬する。その気持ちは変わらない」


 淡々とした口調でそう答える。愛想でいってるのかと思ったが、川上の瞳は真剣そのものであることに佐々木は気付いた。随分と熱心に応援してくれるものだ。それはとてもありがたいことだし、嬉しいことだと思うのだが……。


「ひょっとして……なにか理由でもあるのかい?」

「む。理由?」

「うん。例えば……『NEXT』を使うことで、誰か助けたいヒトがいるとか」

「…………」


 川上は小さく頷いた。それで佐々木はようやく納得がいった。だからこそ、自分の研究に川上は食いつき、応援してくれるのだろう。


「そっか。大事なヒトなんだね?」


 佐々木がそう訊くと、川上は無言で視線を逸らした。顔がわずかに赤く染まっているのは酒に酔ったせいではなさそうだ。佐々木は笑った。


「それじゃあ、約束だ。僕の『NEXT』の開発が成功したら、最初に君の大事なヒトに使わせてさせてほしい。いいかな?」


 川上は大きく目を見開いた。


「……本当に?」

「うん。お金もいらない。川上くんが『NEXT』の利用者第一号だね」

「それは困る。佐々木博士が『NEXT』を造り、心待ちにしている人はたくさんいる。『NEXT』を最初に使わせてもらうばかりか、お金まで払わないというのは度を超えた待遇だ」


 わずかに眉を顰め、かぶりを振る川上に佐々木は人差し指をちっちっ、と左右に振った。


「別に優遇している訳じゃないよ。お金はいらないってだけで、ちゃんと報酬はいただくよ。その為に必要な条件もある」

「条件?」


 佐々木は川上の反芻した言葉に、深々頷いた。


「完成した『NEXT』のアンプルは君に渡すのでなく、僕自身が患者の元に持っていき、僕の手で打たせてほしい。そして、僕の手で川上くんの大事なヒトを救ってあげたという実感を僕に持たせてほしい。それが……僕の出す条件だ」

「…………」

「言っただろ。僕はエゴイストなんだ。僕の手で母親を救えなかった無念を川上くんの大事なヒトを救うという行為で、晴らさせてほしい。川上くんの大事なヒトなら……きっと、僕も救われる想いを味わうことができる。そう思うんだ」

「どうかな?」と、佐々木の出した提案に川上はしばしの間を空けた後、

「……感謝する」


 と、小さな声で言った。そして、川上は無表情の仮面を崩し、ほんの僅かだったが、佐々木に向けて、微笑んだ。彼が笑う顔をみるのは第五研究所に配属してから、見るのは初めてだった。佐々木はなんだかとてもくすぐったい気分になり、笑った。もしかしたら、本当に川上の大事なヒトを救うことで、心の隙間を埋めることが出来るのかもしれない。


 ならば、その日を夢見て。前に進んでいこう。まずは新井博士の無念を晴らし、そして『Dー計画』を完遂する。

 そこから始めれば、いつか必ず目標に辿り着くはずだ。母親も父親も自分は救い出すことが出来なかった。


 だから、せめて。過去の自分だけでも助け出そう。悪夢の囚われた自分を開放するのだ。強く強く、佐々木はそう思った。


「それじゃ、約束の杯、ということで」


 言いながら、日本酒の入ったお猪口を川上に向けて差し出した。川上は頷き、自分のお猪口を差し出すと、互いに猪口をちん、と重ね合わせた。そのまま日本酒を口に運び、心地よい感覚が広がる。それと同時に石和の視界がぐにゃりと歪んだ。


「あ、あれ?」

「……佐々木博士?」

「だ、大丈夫。らいじょう……は、はれ?」


 顔は耳まで真っ赤に染め上がり、呂律がまわっていない。調子に乗って飲み過ぎたらしい。佐々木は自分の顔をぺちぺちと叩きながら、笑った。


「ははは……これはまら、まいっはなあ……はははは」

「さ、佐々木博士」


 二日酔いのクスリを飲んでいるとはいえ、ちょっとまずいな、と思いつつ、佐々木はがしゃん、と、テーベルの上に突っ伏した。川上が驚きの声を上げているが、何を言っているかは分からない。


 そのまま心地の良い感覚に身を委ね、佐々木は夢の世界へ旅立っていった。









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