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混沌のアルファ・リニューアル版  作者: 高田ねお
第二段階『紅い眼、赤い炎』
18/64

9『第二の切り裂きジャックの噂』





 その頃、石和武士は中央研究フロアにて、『(キィ)』のデータ収集を行っていた。α細胞とβ細胞の融合は順調で、完全融合は目前だ。しかし、最後の最後まで気は抜けない。万が一の事態に備え、取れるだけのデータは取っておく。そうすれば、不測の事態に対処しやすい。少なくとも、何もしないよりはマシである。


 実験体のカプセルに直結した大型コンピューターのコンソールパネルを手慣れた手つきで、叩く。グラフの動きは一定。特になんの異常も見あたらない。


「順調過ぎるほど順調ってワケだ。今までの難航が嘘のようだな……こうなると逆に不安になってくる。なんか、取り返しのつかない不備が出るんじゃないかと……」


 椅子に寄りかかりながら、独りごちていると、


「そんな心配しているのはあなただけよ」


 と、声がした。振り向くとコーヒーの入った紙コップを両手に持った川原奈々恵がいた。


「川原博士、なんでここに? あっちで、実験体のグラフの観測途中のはずだろ」

「オートにしてあるから、AIが観測してくれてるわよ。特になんの問題もないんだもの、あんなのずっと見てたら、眠くなっちゃう。はい、コレ」


 そう言って、手元にあるコーヒーの入ったカップを一つ手渡した。


「悪いな。いくらだ?」

「おごりよ。ま、とはいっても、そこで買った百二十円の安物だけどね」

「サンキュ、安物には安物の良さがあるさ。ん……あちち」


熱い。ふーふーと息を吹きかけ、少しづつ、コーヒーを口に含む。


「しかしまあ、石和くんも相当な心配性ね『(キィ)』の完成はもう誰の目にも明らかなのに。ここまで来て、不安を抱えてるヒトはメンバーの中であなたぐらいのものよ。なにか心当たりでもあるの?」

「そういうわけじゃないけどな。事に万全を期したいだけだ。石橋は叩いて渡る性格でね、臆病なんだ」

「べつにそんなに慎重になる必要もないでしょう。いくら『(キィ)』が完成したからといって、それはあくまでもプロトタイプに過ぎないんだしね。大量の生体エネルギーを備蓄出来るように改良も加えないといけないし、生体エネルギーを入れる器もまだまだ完成に時間がかかるはず。やることはまだ山ほどあるのよ。そもそもDー計画の研究には期限は存在しないんだし、焦る必要もないわ。じっくり研究に取り込めばいいのよ」

「べつに焦ってるつもりはないさ。ただ、研究が先に進むのは楽しいからな。計器と睨めっこするのも嫌いじゃない」

「ふぅん……本当かしら?」


 川原が悪戯っぽい笑みを浮かべ、


「本当は――――早く独立したいから、じゃないかしら?」


 と、言った。


「……え?」

「ここの研究が一段落したら、石和くん、自分の研究所を持つんでしょう? しかも、スポンサーは三ツ葉社。すごいわよね。石和くんの若さで三ツ葉社系列研究所の所長なんて。ものすごい大出世じゃない」

「……何故、その話を? 誰にも話をしていないはずだが」


 訝しげな表情で石和が訊くと、川原はくすくすと笑った。


「壁に目あり、障子に耳ありってね。情報なんて、どこかしら漏れるものよ。あ、でも誤解しないでね。別に調べた訳じゃなく、たまたま耳に入ってきたのよ。いいじゃない、めでたい情報なんだし、いずれみんなにばれるんだから。メンバーのみんなにも話したら? 祝福してくれるわよ、きっと。戸木原博士には妬まれるかもしれないけど」

「まだ完全な決定じゃないし、口外は現時点で厳禁とされてるんだ。どこから話を聞いたかは知らないが、口外はしないでくれ」

「くすくす、さて。どうしようかしらね」


 川原は悪戯心を含んだ笑みを浮かべ、口に手を当てている。石和は眉を顰めた。


「ヒトの弱みにつけ込んで、脅迫でもする気か?お前、ぜったい子供の頃、いじめっ子だっただろ」

「失礼ね、そんなことしないわよ。ただ、黙ってる代わりにひとつお願いがあるんだけど」

「知ってるか、川原。そんな条件付けのお願いを脅迫と言うんだぞ」

「大丈夫だって。そんな大したことじゃないわよ。仕事の帰り道を家まで送っていってほしいだけだから」

「……は?」


 石和は露骨に眉間に皺を寄せて、川原を睨め付けた。川原は涼しい顔をして。石和の視線を受け流し、人差し指を自分の口にちょんとつけた。


「女性の話は最後まで聞くものよ、石和くん。あのね、いま、あたしの住んでいる辺りって、すごい危険なのよ」

「……危険? なにが」


 川原は石和の右端にある椅子に腰掛け、コーヒーを一口啜り、話し始めた。


「実は今、私の住んでる街で、通り魔殺人が相次いでるのよ。ここ一週間で五人……くらいかしら。殺されてるの。被害者同士の繋がりは特になくて、唯一の共通点はみんな若い女性ってこと。犯人の目星はまったくついてなくて、今日にも次の被害者がでるかもしれない危険な状態、らしいわ」

「ひょっとして……またクラック・ボール絡みの事件か?」

「例の覚醒剤騒動? う~ん、どうかしらね。まだ詳しいことは分からないみたいだけど、可能性はあるんじゃないかしら」


 クラック・ボールはPCPと特殊なLSDをカクテルした新種のドラッグである。三年ほど前から米国から日本へと流出してきている。


 昔のPCPはバッドトリップを起こす確率が高く、不人気のクスリだった。しかし、今回、世間に出回っている、このクラック・ボールは少量の摂取で、強い脳内のセニトロンを過剰放出し、多幸感、他者との共有感が得られる。しかもその効用はコカインよりも強いらしい。学生の小遣いでも買えるほど手頃な価格で裁かれており、若者の中毒者(ジャンキー)の間で人気の代物だ。


 しかし、このクラック・ボールは過剰投与すると、幻覚、錯乱の症状が現れ、凶暴性が増す効用がある。それだけではない。アドレナリンの爆発的な分泌と筋力の増加が対象の肉体を超人にしてしまうのだ。麻酔効果もあるらしく、筋肉の筋を痛めようが、断裂しようが、構わず肉体を本能のままに酷使し続ける。その力は拳でコンクリートをぶち抜くほどの威力があるらしい。


 人格が崩壊し、凶暴性が増した中毒者(ジャンキー)がその力を使って、暴れ回るのだ。その様はまさに『怪物』そのもの。手のつけようがない。


 最近ではその超常能力を目的に暴走族、ヤグザの抗争などで使われている。その他、錯乱した中毒者(ジャンキー)が無差別猟奇殺人を犯したりと、クラック・ボールの被害者は年々拡大の傾向にあった。おそらく、いま川原の言った事件もその類であろう。


 しかし、最近そんな猟奇殺人の話を耳にしただろうか。ここ最近のニュースを反芻してみるが、そんな事件の話は聞いたこと無いような気が――――   


「あ、ちなみにこの情報、まだ公式発表されてないから、思い出そうとしても無駄だと思うわ。あたしの仲の良い親戚で刑事やってるおじさんがいて、私に注意呼びかけてくれたのよ。情報管制されている話を人にいっちゃまずいと思うんだけど、おじさんには感謝かしらね。私のこと心配して、規律を破ってくれたんだから。

 で、そんな話を聞いたら、家に帰るのが怖くて怖くて仕方がないのよ。私の住んでるマンション駅からそこそこ歩くし、一通りのない道も歩かなきゃいけないわけでしょ?」

「……なるほどな。それで車で研究所に往復している俺に送ってほしいと。そういうことか」

「ええ。石和くんなら家に帰る途中、私の街も通りかかるし、ついでに送ってもらえると助かるかなあって」


 あははと笑いながら、川原が両手を合わせる。石和は大きくため息を吐いて、頭をがりがりと掻いた。


「ったく、何かと思えばそんなことか。いいよ、べつに」

「……え?」


 石和の言葉を聞いて、川原は両手を合わせたまま、大きく目を見開く。


「だから、送ってやる。なんでそこで驚いた顔をするんだ。変なヤツだな」

「え? あの、だって断られるかなあ、って思って。本当に?」

「いや、だってその話、本当だろ? 冗談ぽくお願いしてるが、お前の目を見れば分かる。本当に怯えてる。怖いんだろ?」

「――――」

「だったら、別にそんな秘密を口外しない条件とか、そんなことを言わないで、直接頼めばいい。本気で困ってる同僚の頼みを無下に断るほど、俺は腐ってない」


 川原は頬を赤く染めながら、視線を逸らし、嘆息した。


「……まったく。どうして私は石和くんと早く出会わなかったのかしらね……」

「は?」

「なんでもないわ。ありがと、石和くん。恩に着るわ」


 そう言って、川原は笑った。


「どうせ通り道のついでだ。さほど手間じゃない。しかし、物騒な話だな。一週間に五人か。そんなわずかな間にそれだけ被害者が出ていて、報道管制が敷かれているのも妙な話だな。逆に派手に情報公開して、周囲に注意を呼びかけた方がいいんじゃないか?」

「私もそう思うけど、それは警察機関が決めることだからねえ。相当残虐な殺り口らしいから、パニックになるのおそれてるのかしら」

「どんなやり口なんだ、それ?」

「もうすぐ昼時、話聞いたら食欲無くすわよ、石和くん。正に猟奇殺人、私も詳細聞いたときは気分が悪くなったわ」


 手を口に当てながら、くすくすと笑う川原。いつものいたずらっぽい笑み。嫌な予感がして、石和は手を振った。


「そうか、じゃあ、やめとこう」

「それで、その殺し方なんだけどね」

「おい……」

「くすくす。石和くんにも同じ気持ちを味わってもらおうと思って。こういうのは分かち合わないとね」

 そんなものは分かち合いたくない。それに普通、分かち合うのは喜びの方じゃないのだろうか。

「まあまあ、石和くんも興味ある話だと思うから。切り裂きジャックって知ってるわよね。19世紀末、イギリスで起きた『連続殺事件の起源』、『劇場型犯罪の始まり』とも言われている事件。五人もの女性を鋭利な刃物で喉をかききり、内蔵を摘出なんかを行った残虐な異常者よ。今回の事件は手口が似ていることから、署内では『第二の切り裂きジャック』とか言われて騒がれてるみたい。まあ、当時殺害されたのはほとんどが四十代の中年女性だったのに対し、今回起きてる事件はみんな若い女性みたいだけど。それがまた、現代の切り裂き魔って感じがするわね」

「…………」


 気のせいだろうか。川原の表情が妙に生き生きとしているような気がする。こういった生々しい話が好きなのだろうか。それとも嫌がらせの類として、好きなのか。


 おそらくは両方だろう。


「犯行は夜人気のない、路地で単独の女性を狙って行われてるわ。武器は鋭利な刃物で首と腹を切断。傷の切り口から見て、相当切れ味の鋭い刃物らしいわ。首の頸動脈を一撃で切断。その後に腹部を切り裂いて、その遺体を死ぬまでもてあそぶ。まさに猟奇殺人ね。しかも未だに犯人のめどが全く立っていない。第二のジャック・ザ・リッパーと呼ばれるのも、頷けるわよね」

「しかし、あれは指紋鑑定、DNA鑑定などが存在しなかったからこそ、犯人を割り出せなかったのであって、現在はそうじゃないだろう。殺人現場には多くの証拠が残っていて、現在の科学技術ではそれを細かく検証出来るはずだ。特に日本はこういった現場検証から犯人を割り出すエキスパートが揃っているのに。それでも犯人は見つからないのか?」

「見つからないみたいね。場所もあたしの住む街以外では起きていない。範囲が限られているのにも関わらず、未だ犯人が捕まらないってのは相当な曲者よね」

「手慣れているってことか」


 それだと、麻薬絡みの話ではないのかもしれない。クラック・ボールを投与した人間がそんな冷静な判断が出来るとは思えない。


「おじさんの見解だと医者か、それに似た技術を持つモノじゃないかって言ってたわ。被害者の傷の断面が綺麗すぎるんだって」


 川原の言葉に石和は首を傾げた。


「? それは鋭い刃物を使ったんだから、当然のことじゃないのか」

「切れ味と傷は別なのよ。例え快楽を目的とした殺人者でも、ナイフの使いに長けているとは限らないでしょう? 普通は傷に感情がある。刺すことを躊躇したことが分かる『ためらい傷』や、急所以外の所にも精神的に追い込むために傷を造ったり。被害者も動かない人形じゃないんだし、抵抗もするでしょう?

 だけど、この殺人犯にはそういった無駄な感情がなくて、ヒトを殺すために最低限の手順で、被害者を死に追い込んでいるんだって。……特殊訓練でも受けた人か、あるいは肉体の解体に熟知した外科医か、それに準ずるなにかか。そんなことをおじさんは言っていたわ」

「……いずれにしろ、それだけ手慣れた快楽殺人者なら次の被害者が出る可能性が高いな。本気で気をつけたほうがいい、川原」

「そのつもりよ。だから石和くんに頼んだわけ。よろしくね!」

「…………」


 そうお願いする川原の瞳はすでに怯えの色はなく、いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべていた。


 しかし、人助けする代わりに得られるモノが、気分が悪くなりそうな殺人鬼の話とは随分と割の合わない。川原らしいといえば、川原らしいのだが。ともかく、しばらくは賑やかな帰宅が続きそうだな、と石和は苦笑した。








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