6「佐々木の本性」
今日の夕飯のメニューはすき焼きだった。テーブルの上には電気加熱式の小型コンロがあり、その上で鍋がぐつぐつと音を立てて、煮立っている。鍋の中にはシラタキ、ねぎ、榎茸、白菜、モヤシ、春菊、椎茸、焼き豆腐、そして、主役の牛肉がぎっちりと詰められており、様々な具の香りが食卓に漂い、食欲を刺激する。石和、千恵子、勝義と、食事に招待された佐々木勇二郎が加わり、食卓を囲んでいる。
鍋の中の具がほどよく煮えてきたところで、千恵子が、
「そろそろ大丈夫ですよ。どうぞ召し上がってください」
と、言った。
「はいっ、それでは遠慮なく。いただきます!」
佐々木が甲高い声で返事をすると、勢いよく鍋に箸を突っ込み、溶き卵を入れたお椀の中に具を入れてゆく。最初に口にいれたのはメインの具材である牛肉だった。実験に成功したお祝いと千恵子には言っておいたので、かなりよい牛肉を購入してきたらしい。佐々木は目をぎゅっと瞑って、ぶるぶると身体を震わせた。
「お、おいしい……おいしすぎる……」
他の具も次々と口に放り込み、咀嚼する度に幸せそうな笑顔を浮かべている。石和も続いて、肉を口に運んで、味を見る。確かに上手い。ふわりとした柔らかさと、肉の旨味が口中に広がる。千恵子は相当奮発したようだ。
「う~ん、グレイト! 絶妙な味付け! 石和くんは幸せ者だなあ。毎日こんな料理が食べられるんだから」
千恵子は口に手をあてて、くすくすと笑った。
「どうもありがとうございます。お肉もご飯もたくさんあるので、どんどん食べてくださいね」
「はいっ! がんがん行かせていただきます――あっ、勝義くん、そんなにお肉ばっかり食べてたら駄目じゃないか。野菜もいっぱい食べるんだ!」
言いながら、隣の椅子に座っている勝義のお椀にネギや椎茸をひょいひょいと放り込む。勝義が露骨に眉を顰めた。
「え~、や~、シイタケきらい!」
佐々木が握り拳を掲げて、叫んだ。
「好き嫌いは駄目だぞ、勝義くん。お父さんは椎茸大好きだぞ。椎茸や野菜をちゃんと食べたから、お父さんはあんなに大きく、立派になったんだ。お父さんみたいになりたくないのかい」
勝義はきょとんとした顔で石和の顔をじっと見つめ、
「おとーさん、シイタケ好きなの? 食べればおとーさんみたいになれる?」
と、訊いてくる。石和は微笑んで、頷いた。
「お父さんは椎茸大好きだぞ。食べればお父さんみたいに大きくなれる。本当だぞ」
勝義はしばらく、お椀の中にある椎茸と睨めっこしていたが、意を決したかのように目をぎゅっと瞑ると、椎茸を口の中に放り込んだ。むぐむぐと口を動かし、喉の音を立てて、飲み込む。佐々木が笑顔で、勝義の頭を撫でた。
「うん、偉いぞ、勝義くん! さすが石和くんの子だね。いい子だなあ」
勝義は気持ちよさそうに目を細めて、頬を弛めた。
「えへ~、これでおおきくなれるかな。おとーさんみたいになれる?」
「なれるさ! お父さんよりも大きくなれる。だから、いっぱい食べよう。お肉もたくさん、野菜はもっとたくさんだ!」
「うん、いっぱい食べる! 頑張って、食べる!」
「そうだ、椎茸も、ネギも、シラタキも、お肉もおいしくいただくんだ!」
妙にテンションが高い佐々木に合わせて、勝義もはしゃいでいるので、いつもより食卓が賑やかだった。ベビーベットにいることみも、その空気に当てられたのか、きゃっきゃっ、と嬉しそうにはしゃいでいる。
「むぐむぐ……いやあ、しかし、本当においしいなあ。あ、千恵子さん、すいません。おかわりいいですか?」
空になったご飯茶碗を差し出す。石和は苦笑した。
「ったく、はしゃぎすぎだ。少々、オーバーじゃないのか」
「もぐもぐ……僕、普段は外食ばかりだからね。やっぱり誰かの手料理だと自然にテンションが上がっちゃうんだよね。それがおいしい料理だったら、尚更だね」
千恵子がご飯を盛った茶碗を持ってくると、佐々木はお礼を言って茶碗を受け取り、すかさずご飯をかき込み始めた。満面の笑顔でご飯とすき焼きの具を頬張る。本当に美味しそうなご飯の食べ方をする男である。
「佐々木さんはまだ結婚とかされないんですか? 一人暮らしだと色々大変でしょう」
千恵子の言葉に佐々木は肩を竦めた。
「う~ん……仕事帰りに出迎えて、ご飯を造って、待ってくれる人がいたらいいなあ、とは思うんですけどね。困ったことに相手がいないんですよね」
両手を広げて、あははと笑う。
「お見合いとかどうだ? 佐々木の年齢なら頃合いだろ」
経歴や年収は申し分ないし、お見合いとなれば、飛びついてくる女性はそれなりにいるだろう。
「お見合いはね。どうにも好きになれないんだ。やっぱり、好き合った同士で結婚したいよ」
「そうは言っても、この業界は出会いがないぞ。女が少ないからな。俺も千恵子がいなかったら、独身街道まっしぐらだったかもしれない」
「そんなことないよ。だって、武ちゃんかっこいいもん。あたしが会社員だったら、絶対アタックしてたよ」
そういうことを第三者がいる前で言わないでほしい。妙に気恥ずかしくなる。
「そういや、主任の川原さんが石和くんにご執心な感じだよね。アレは石和くんが結婚していなかったら、狙われていたんじゃないかな。あははは」
「…………」
「いでででででっ! ち、千恵子。腰をつねるな、痣になる。いでででっ!」
「ふんだ。武ちゃんのばか」
「あははは。モテる男は辛いね、石和くん」
石和は千恵子につねられた部分をさすりながら、佐々木を半眼で睨め付けた。佐々木は素知らぬ顔で、すき焼きの肉を頬張っている。絶対わざとやっている。結婚は余計なお世話と言いたいらしい。石和は嘆息した。
「はあ……まあ、佐々木が今のままでいいって言うなら、いいさ。俺がとやかく言うことではないしな。でも、連れがいた方が仕事にハリが出ると思うぞ」
「勿論、憧れはあるけどね。いまは一人が気楽かな。どうしてもほしくなったら、見合いも考えるよ」
佐々木とそんな会話を繰り広げていると、勝義が「ごちそうさまでした」と満足した笑顔を浮かべて、言った。そして、石和の腕にすがりついた。
「ね、ね。おとーさん、あそぼ、あそぼ!」
「こらこら、勝義。お父さんはまだご飯終わってないぞ。また後でな」
「えー。やだ、あとでやだ! あそぼ! あそびたいの!」
「こら、勝義。我が儘いわないの」
と、千恵子は咎めるが、勝義は不服そうな顔を浮かべている。佐々木が微笑みながら、
「勝義くん、この前の誕生日に買ってあげたゲームがあっただろう。あとでおじさんと対戦しよう」
と、言った。勝義の顔がぱあっと明るくなった。
「したい、対戦したい! しよう、しよう!」
「うん。でもおじさんとお父さんはまだご飯食べてるから、あとのお楽しみでいいかな。勝義くんはいい子だから、待っていてくれるよね」
「うん! 待ってる!」
と、快活な声で勝義は頷いた。勝義は「約束だよ、おじさん!」と、言ってリビングを出ていった。石和は目を丸くした。
「驚いたな。どうして、佐々木の言うことは聞くんだ?」
「子供は目先のことしか目に入らないからね。ただ、駄目だよっていう注意するより、待たせた後のご褒美を造ってあげたほうが、言うことを聞いてくれるんだよ」
「へえ……そうなのか、千恵子」
「的を得てると思うよ。あたしも時々、やってるし」
「あと、子供って自分の好きなモノに共感してくれるとすごく喜ぶんだよ。だから、子供が夢中になっているモノとかにご褒美を持ってくると、効果的だよ」
と、佐々木が付け加える。
「勝義の誕生日パーティやってたときから、思っていたけど……佐々木さんって随分と子供に慣れてるんですね。びっくり」
千恵子が感心した口調でそう言うと、佐々木は照れた表情で頭を掻いた。
「年の離れた妹と弟がいたので。昔よく世話をしてあげてたんですよ。その時と同じ風にやってるだけで」
「あははは、武ちゃんより、子供の扱い上手かも。佐々木さんに少し教わったら?」
「む……」
無邪気にそう言う千恵子に石和は眉を顰めた。反論したかったが、図星なので何も言えない。どうにも子供には甘くなってしまい、厳しく叱ったりすることが苦手なのである。悪いことをしたときは強く叱ってやるのが、子供の為になることは分かっているのだが……。佐々木は目を細めた。
「石和くんはそういうの意識してやるのは苦手っぽいから、自分なりのやり方で接していけばいいんじゃないかな。勿論、甘いばかりじゃ駄目だと思うけどね。石和くんなりの考えた方法で、真摯に向かい合えば、勝義くんもそれに答えてくれると思うよ」
「そうだね。勝義もことみも武ちゃんのこと大好きなんだから」
「……む、ど、努力してみる」
二人に返事を返すときに少し声がうわずってしまった。千恵子と佐々木が笑い声を上げた。何故笑うのだろうか。石和は顔を熱くなるのを感じながら、ご飯を口に放り込んだ。
「んしょ、と。それじゃあ、武ちゃん。あたし、ことみを向こうの部屋に寝かしてくるわね」
と、千恵子が椅子から立ち上がり、ベビーベッドの中から、ことみを抱きかかえた。ことみを見ると、目が半分閉じかかっていて、だいぶ眠そうだ。石和は「頼む」と、頷いた。
「お酒少し飲む? 飲むならおつまみも用意するけど」
石和は少し考えて、
「……そうだな。少し飲むかな。佐々木はどうだ」
佐々木が嬉しそうにこくこくと頷く。そういえば、佐々木は酒好きだった。訊くだけ野暮だったようだ。
「あははは。あとで持ってくるね」
千恵子はそう言って、眠たげなことみを連れて、出ていった。
「ん~、すき焼きにお酒。いいねえ。ビールだと最強の組み合わせだね」
「佐々木、今日はほどほどにしておけよ。ただでさえ、酔いやすいんだから」
苦笑しながら、佐々木にそう言うと、ふと、思い出したことがあった。すっかり忘れていた。佐々木に頼まれていたモノを渡さないと。アルコールが入ってからでは忘れるかもしれないので、今のうちに渡しておくとしよう。石和は壁に立て掛けている鞄の中から、A4サイズの封筒を取り出し、佐々木に手渡した。佐々木はきょとんとし、
「これは?」
「頼まれていた書類……『新井博士』に関する報告書だ」
「っ!」
その瞬間、佐々木の弛んでいた顔が引き締まった。受け取った封筒を開き、真剣な眼差しで中身に目を通す。
佐々木は行方不明となった新井武之博士を失踪当時からずっと、独自のルートで調査してきた。興信所や島根にいる三ツ葉社の知り合いなどに頼んだり、失踪した日にいく予定だった島根県などに足を運んで、彼の行方を追いかけ続けてきたのだ。
今回、石和の高校時代の友人の一人が島根の探偵事務所で働いているのを知って、佐々木博士の行方について調査してもらったのである。
随分と実績のある探偵事務所と聞いて、期待していたのだが、残念ながらめぼしい情報はなにも得ることはできなかった。佐々木が落胆した表情で嘆息した。
「やっぱり手がかりなし、かあ……」
警察機関での調査も十の昔に打ち切られている位だ。そう簡単に情報を掴むことはできないだろう。
「力になれなくて、すまないな。一応、調査は続行するように頼んでおいたが……あまり期待はしないでくれ、と言っていた」
佐々木は笑い顔を造って、手をぱたぱたと振った。
「いや、わざわざ、ありがとう。石和くんには感謝しているんだ、本当に。またなにか情報が入ったら、教えてくれるかな」
無理して笑顔を造っているのが、丸わかりだった。石和はテーブルに肘をつき、顎に乗せながら、神妙な面もちで言った。
「……なあ、佐々木。新井博士は本当に島根で失踪したのかな?」
「え? どういうことだい?」
「確かに警察の公式発表は出張先である島根での失踪という話だったが……向こうでは目撃情報はおろか、新井博士が島根に着いたという情報も皆無だ。こうまで目撃情報がないのはあまりにも不自然だと思うんだが」
佐々木が俯きながら、両腕を組んだ。
「確かに……そうかもしれないね。でも、東京でも新井さんの足取りはまったく掴めないのに、そうなると新井さんは一体どこへ?」
石和は眉根を寄せて、かぶりを振った。
「わからない。しかし、これだけ調べても島根で情報を得られないということは、公式発表の情報が間違っている可能性がある。もう一度、最後に目撃された情報を洗いなおして、そこから調査しなおしていったほうがいい気がする」
それでも正直、情報を得るのは難しいとは思うが、まったく情報が得られない島根を探るよりは、はるかにましだろう。佐々木はしばしの間黙考し、首を縦に振った。
「……そうだね。島根での調査はいったん打ち切ろう。もう一回、興信所の方に調査を頼んでみることにするよ。ありがとう、石和くん」
「いや、俺も新井博士の行方は気になるからな。手伝えることがあったら、手伝いたい」
新井博士は半年前、第五研究所が設立された当初に失踪している。その失踪直前、第五研究所に瞬間物質転送装置の導入について、反対を唱え、上層部に抗議している。
その瞬間物質転送装置の導入を提案したのは他でもない、自分なのだ。もし、新井博士がそのことを気に病んで失踪したとすれば、自分にも責任はある――――
「……違うよ、石和くん。それは間違いだよ」
こちらの表情で考えていることを見透かされたらしい。佐々木は微笑みながら、石和の考えを否定した。
「石和くんも新井博士と一度あったことがあるだろう? あの人がそんな繊細で弱そうな人物に見えたかい?」
言われて、新井博士の姿を頭の中に思い浮かべる。佐々木の言うとおり、新井武之博士とは一度だけ会って、話す機会があった。筋骨隆々な身体。豪快で大雑把、曲がったことが嫌いな直情的な性格。石和はそのときのことを思い出して、吹き出した。
「確かにな。最初、会ったとき、びっくりした覚えがある。こう言っちゃ失礼だが、とても瞬間物質転送装置を生み出した科学者とは思えなかった」
「それは長年つきあってきた僕でもそう思うから仕方がないよ。大雑把な性格と繊細で独創的な思考を合わせ持つ不思議なひとだったからね。本当、科学者であの人ほど白衣が似合わない人も珍しいよ」
そう言って、佐々木はあはは、と笑った。
「確かに新井博士は瞬間物質転送装置の導入には強い反対意見を持っていた。だけど、それが原因で失踪するようなひとじゃないよ、絶対に。それだけのことでくじけたり、家族を捨ててやけになるような人じゃないことは僕がよく知っている。だから、石和くんが気に病む必要なんて、どこにもないんだ」
「…………」
佐々木と新井博士のつき合いは随分と古いらしい。出会いは佐々木が大学生の時で、新井博士は当時工学の授業を行っていたらしい。当時行っていた新井博士の研究に興味を持ち、その時をきっかけに親しくなったそうだ。佐々木が一人前になるまで、親身になって面倒を見てくれた、大事な大事な『恩師』なのだ。
しかし、新井博士は少し変わった性格で『恩師』と呼ばれるのを非常に嫌ったらしい。
『恩師というと偉そうだし、上下関係があるようで、なんか調子が狂うわい。佐々木はもう立派な科学者だし、ワシとは対等じゃろ? だったら『恩師』なんて堅苦しい呼び方は止めて、『親友』でいいじゃろ、わっはっはっはっ!』
歳も十以上離れていた佐々木に対して、新井博士はそう言った。だから、新井博士は『恩師』ではなく、『親友』なのだと、佐々木は以前、そう言っていた。
年の離れた、それでも対等と呼べる親友。そんな二人の絆は自分が思っているよりも、相当深いのだろう。
石和は無言で深々と頷き、佐々木の言葉を受け入れた。佐々木の言うとおり、そういった懸念は持たないことにしよう。
リビングのドアから、ノック音が聞こえてきた。石和が立ち上がり、ドアを開けると、お盆を持った千恵子が立っていた。
「お待ちどうさま、武ちゃん」
千恵子がそう言って、にこりと微笑んだ。どうやら、待望の酒とつまみの料理が来たようだ。
「簡単なものばっかりだけど」
テーブルに二本のビール瓶と料理を乗せた皿を並べていく。冷や奴、枝豆、軟骨の唐揚げ、にんにくの串焼きが少しづつ、更にもってある。量が少ないのは、すき焼きというメインがあるから、そこまで食べられないと思った千恵子の配慮だろう。
酒の肴としては最適のメニューだった。ビール瓶の栓を抜いて、一緒に持ってきた二つのコップに注ぐ。佐々木の目がきらきらと輝いた。先ほど、すき焼きにはビールが最適と言っていたので、お目当てのものが来て嬉しいらしい。
「悪いな、千恵子」
「すいません、千恵子さん。おいしいすき焼きをごちそうになったのに、こんなものまで」
「あはは。気にしないでください。本当にたいしたものじゃないですから。それじゃあ、武ちゃん、あたしあっちの部屋にいるから、何かあったら呼んでね」
「ああ、ありがとう」
手をひらひらと振りながら、千恵子は出ていった。佐々木と石和はビールの入ったコップを手に取り、目線の高さにまで掲げた。
「それじゃあ、改めて。今日の実験の成功を祝って」
「うん。乾杯!」
二つのコップがかちん、と重なり合い、二人はそのまま一気にビールを飲み干した。口元についた泡を手で拭いながら、石和はふう、とため息をついた。
「仕事が終わった後の一杯は本当にうまいな。今日の実験の成功もあったから、尚更だな」
「ははは。本当、仕事の後の最初の一杯はたまらなくおいしいよね。どうしてだろう」
二人は再びコップにビールを注ぎ、二杯目となるビールを喉の奥にそそぎ込む。石和は心地よい感覚に身を委ねた。
「しかし、あれだけ煮詰まっていたDー計画がこうも順調に進んでいくなんて、なんか、嘘みたいだね」
「ああ。瞬間物質転送装置と『柔らかい細胞』様様だな。ようやく光明が見えてきたと思う」
「それに今日は意外なこともあったしね。まさかあの戸木原博士がああも的確な案を出してくるとは、本当びっくりだよ。今までは……その、ちょっと首を傾げるようなところがあったけど、今日でちょっと見方が変わったかもしれない。統括主任の名は伊達じゃなかったということだね。あははは」
「――――」
佐々木の言葉に。石和は眉を顰めて、目を細めた。
「……石和くん?」
佐々木がそれを見て首を傾げる。
「今日、会議室でもなんか妙に考え込んでいたけど、なにか気になることでもあるのかい?」
「いや、戸木原博士のことが、ちょっと気になってな……」
「あっ、ひょっとして、石和くんは戸木原博士のこと、だいぶ敵対視していたから、今日のことが気に食わなかったのかな。気持ちは分からないんでもないけど」
佐々木が笑いながら言った言葉に、石和は大きくかぶりを振った。
「いや、確かに戸木原博士の言動には目に余るものがあったから、正直引いていた部分があるが――優れた発案を認めないほど、俺は子供じゃない。第二段階の発案については俺たちより、戸木原博士のほうが一段上で、考え方も的確だった。それは素直に感心したよ」
「まあ、相変わらずあの偉そうな口調はどうかと思うがな」と、付け加えると、佐々木は苦笑いを浮かべた。はっきりと口にはしないが、彼の中にも似た想いが渦巻いている筈だ。
「まあ、それはいいんだ。俺が気になったのはそこじゃない」
石和はコップに残っていたビールを一気に飲み干し、
「なんで戸木原博士はわざわざA班に限定して、第二段階の研究を依頼したんだ?」
と、言った。
「うん? 僕らは『鍵』の安定作業で、手が離せないからだろう? A班はあくまでもその繋ぎだし、別に変なおとはないんじゃないかな……もぐもぐ」
佐々木は千恵子の造ってくれたつまみを食べながら、淡々と答える。石和はかぶりを振った。
「Dー計画はそこまで急ぐ研究じゃない。そりゃあα絶対世界線とβ絶対世界線はいつまでも隣接した位置にいるわけではないが、まだ研究が本格的に始まってから半年しか経っていない計画だ。A班に専攻させてまで、第二段階の研究を急ぐ必要性なんて、どこにもないはずだ」
「そう言われれば、確かに……でも戸木原博士のことだから、深い考えはあんまりないんじゃないかな。みんなに対して一本取ったから、更に調子に乗って、みんなが本格的に第二段階の研究に入る前に、もっと驚いてもらおうと。戸木原博士によくある自尊心の暴走じゃないかな……もぐもぐ……この枝豆おいしいね。スーパーのお総菜コーナーにあるのとは比較にならないよ、うん」
佐々木にしては随分と毒のある発言だった。食べるのに夢中で、オブラートに包むのを忘れているようだ。
「そう言われれば、その通りかもしれないが――いや、実は大した根拠なんてないんだ。この前、第二実験室で戸木原博士の姿を見たとき、なにか得体のしれないものを感じたというか……イヤな予感がしたんだ」
「…………」
佐々木が枝豆を食べるのをやめて、ぽかんとした表情でこちらを見つめている。
「な、なんだ?」
「いや、『嫌な予感』って、石和くんらしくない発言だなあって、ちょっと驚いた」
佐々木の言葉に石和は顔が熱くなるのを感じた。
「そう感じてしまうのだから、仕方がないだろ。まあ、自分でも考えすぎだって、分かっているんだ。ちょっと神経が過敏になりすぎているのかもしれない」
なんだか自分の言ったことが、妙に恥ずかしいことに感じて、石和はそれをごまかすために、冷や奴を取り皿に置き、口の中にかき込み始めた。
「…………」
しかし、佐々木は笑わなかった。顎に手を当て、真剣な表情で黙考した後、
「よし、それなら調べてみよう」
と、言った。
「え? 調べるって、なにを?」
「勿論、第二段階についての情報だよ。これからA班のメンバーで、どういった過程で研究を行うか、戸木原博士は一切言わなかっただろう? その情報を引き出して、調べてみよう。そうだなあ……川上くんに協力を頼んでみよう。ひょっとしたら、協力してくれるかもしれない」
「川上?」
石和は眉を顰めた。何故、ここで川上の名前が出てくるのか、分からない。佐々木はにやりと笑った。
「石和くんも不思議に思っていたんじゃないかな。あの二人はよつのは生物研究所の不祥事――『成体』が暴走した情報をどうやって、知ったのか」
「――――」
確かにその情報を入手できなければ、『水の水晶』はおろか、『柔らかい細胞』の生成もできなかっただろう。しかし、鉄の情報管制を敷いている三ツ葉社がそう簡単に情報を漏らすとは思えない。となると、情報を入手するにはかなり特殊な手段を用いなければならない。そう……例えば、社会では違法とされる手段――――
こちらの考えを見透かしたように、佐々木は深々と頷いた。
「そう。三つ葉社の情報バンクである多目的型人工衛星『ヨハネ』に強制進入したんだよ」
「……っ!」
その言葉に石和は大きく目を見開いた。
「川上くんはコンピュータープログラムのエキスパートなのは知っているだろう? どうやら、そういった裏の技術にも優れているらしいよ。僕も『柔らかい細胞』の経緯が気になって、川上くんに問いつめたんだ。最初は口を割ってくれなかったんだけど、鎌を掛けたら、ひっかかってくれて、教えてくれた」
「渋々だけどね」と、無邪気に笑いながら、付け加える。
「まさか……戸木原博士が管理するコンピューターの中に侵入するつもりか」
その質問には答えず、佐々木は目を細めた。
「これから戸木原博士がどういった過程を経て、研究を進めていくのか。僕たちにはそれを知る権利はあると思うよ。僕たちはDー計画の担当責任者なんだからね。万が一大した情報がないなら、石和くんも安心できるし、いい考えだと思うけどな」
佐々木の悪巧みに石和は唖然とした。佐々木は温厚で毒のない人柄だと思っていたが、どうやらそれは表だけだったようだ。石和は苦笑した。
「……この狸め」
「ひどいな、その言い方は。これは石和くんの為にやることだよ。まあ、ちょっと面白いなあって思ったけど」
言いながら、子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
「ったく……まあ、いい。じゃあ、すまないが、頼む。別に気のせいなら、それでいいんだ。佐々木の言うとおり、安心感がほしいだけかもしれないしな」
「了解、任せて」
佐々木は頷き、空になった石和のコップにビールを注いだ。そして、自分のコップにもビールを注ぎ、
「さて。それじゃあ、勝義君も待っていることだし、そろそろ終わらせて、二次会といこう。石和くんも参加だよ、勿論」
と、言った。
「対戦ゲームか? 俺はああいうの弱いんだがな」
「いいんだよ、勝義くんが喜んでくれれば。こういうのはノリが大事なんだから」
石和は頷き、三杯目となったビールを掲げた。
「それじゃあ、もう一度。Dー計画の成功を祈って」
「乾杯!」
石和と佐々木は再び互いのコップをかちんと合わせて、最後となったビールを一気に飲み干した。