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混沌のアルファ・リニューアル版  作者: 高田ねお
第二段階『紅い眼、赤い炎』
12/64

3「ささやかな幸せ」


 ことみを両手で抱きかかえたまま、部屋の中に入る。部屋の中を見回すと、食卓にご飯が並べられていることに気づいた。自分の分だけではない、家族全員分の食事が置かれている。石和はことみをベビーベットにそっと置きながら、訊いた。


 「わざわざ待っていてくれたのか?」


 千恵子は頷き、


 「連絡がなかったから、今日はそこまで遅くならないんじゃないかな、って思って」

 「すまないな、わざわざ。でも、無理しないで食べていて、構わないんだぞ。勝義もお腹を空かしてるだろう」

 「あたしは武ちゃんと一緒にご飯食べたいから、少しぐらいなら全然大丈夫だよ。この子もお父さんと一緒に食べるっていって聞かなくって」


 千恵子の傍らにいる勝義がこくこくと頷いた。


 「おとうさんと一緒がいい! おとーさんがいっしょのほうがおいしいもん!」


 石和は笑いながら、勝義の頭を撫でた。


 「ありがとうな、勝義。千恵子も。俺もなるべく早く帰れるように努力するよ」

 「うん。出来る限り待ってるから」


 千恵子は笑顔で頷き、食事の準備を始めた。食卓にはカレイの煮付け、肉じゃが、海草のサラダが置かれている。そこに千恵子がキッチンからご飯をのせたお盆を持ってくる。 よそったばかりのきのこの炊き込みご飯、なめこの味噌汁である。


 「今日は和食攻めだな」

 「うん。武ちゃん、大好物でしょう。きのこの炊き込みご飯」

 「肉じゃがもな」


 人数分のご飯と味噌汁が置かれると、三人の食事が始まった。『いただきます』と、手を合わせると、勝義がすぐさま勢いよくご飯をかき込み始めた。相当お腹が空いていたようだ。千恵子は苦笑いを浮かべながら、


 「もう……そんなに一気に食べたら、喉に詰まるよ。もっとゆっくり噛んで食べなきゃ駄目だよ」


 そう言って、麦茶をコップに注ぎ、勝義の側に置く。勝義は大きくこくこくと頷きながら、ご飯をほおばり続けている。頬が大きく膨らみ、まるでリスのようだ。石和は笑いながら、ご飯を口にする。きのこの香りとこりこりした歯ごたえが口の中に広がる。


 「うん。旨い」


 素直な感想を口にすると、千恵子が両手を合わせて、満面の笑顔を浮かべた。


 「ホント? よかった。お代わりもあるから、たくさん食べてね」

 「おかわり!」


 と、千恵子がそう言った刹那、勝義が空になった茶碗を千恵子に差し出した。


 「もう? だから、ちゃんと噛んで食べないと駄目だっていったでしょう、勝義」

 「だって、おいしいんだもん!」

 「理由になってないでしょう。次はちゃんと噛まないと駄目だからね」


 そんな微笑ましい光景を眺めながら、石和は食を進める。今日の実験のトラブルのこともあり、疲労も空腹も相当なモノだった。自然とご飯をかき込む速さが早くなる。勝義の手前、あからさまにご飯をかき込むような真似は出来ないが、それでも自然、ご飯が減るスピードはいつもよりも早い。あっという間にご飯茶椀は空になっていた。

、ご飯のおかわりを千恵子に頼み、待っている最中ーーふと、今日の夕方、島村専務に呼び出されたことを思い出した。


 「そうだ、千恵子。この前行っていた話、本決まりになりそうな勢いだぞ」


 千恵子はきょとんとして、


 「それって……武ちゃんが統括で行う研究所のこと?」


 と、訊いてくる。石和は頷いた。


 「まだ先の話だけどな。第五研究所での仕事がひと段落したら、本格的に動き始めるそうだ」


 今日、呼び出された用件は予測したとおり、その話だった。島村専務は本社の研究所を始め、様々な研究施設の統括責任者だ。以前、自分が博士号を取得した分野に島村専務は強く興味を持ち、それを主軸とした研究所を造り、そこの所長として働いてもらいたいという提案を出してきたのだ。

 夢のような話だった。


 自分の為にそこまで大きな計画が動くなど、想像すらしたことがなかったからだ。まだ先の話ということもあり、関係者には口外無用という命を受けていた。この話を知っているのは千恵子だけである。あまりにも大きな話なので、石和もまだはっきりとした返事を返していなかった。


 「すごいよね、武ちゃんの若さで研究所の所長なんて。びっくりだよ」


 感心した口調で、炊き込みご飯が盛られたお椀を石和に手渡す。


 「俺はそういうの向いてないと思うんだけどな。気まぐれだし、我がままだし」


 言いながら、ご飯を口にすると、千恵子が大きくかぶりを振った。


 「そんなことないよ。だって武ちゃんだもの。所長さんだって上手くこなせるよ」

 「おいおい、そんなに簡単なものじゃないぞ。現在第五研究所でやっている主任とは訳が違うんだ。それに所長になるってことは同時に大きな責任が背負うことだ。なにかあれば、千恵子や勝義、ことみにも負担がかかることになる。そう楽観的には考えられない」


 千恵子は口に手を当てて、くすくすと笑った。


 「そんなことを言ってたら、なにもできないよ。あたしも子供たちも何があったって、大丈夫だよ。だって、武ちゃんがいるんだもん。他のなにが無くなったって、それだけで充分すぎるくらい幸せなんだよ」


 臆面もなくそう告げる千恵子に石和は赤面した。


 「ち、千恵子。恋は盲目と言うが、つき合って、二年。結婚してもう五年だぞ。もうそろそろ落ち着いてきてもいい頃じゃないか。うちの研究員でも年々妻の待遇が悪くなってきているって、愚痴って    」

 「知らないよ、他の人のことなんて。あたしはずっと武ちゃんに恋している自信があるもの。ずっと、ずっと好き。大好きだよ、武ちゃん」


 目をじっと見つめながら、感情の篭もった声で言う千恵子。顔が熱くなるのを感じながら、視線を逸らし、こほんと咳払いをした。


 「くすくす、まだ落ち着いてないのはお互い様だよね。武ちゃん、顔まっかだよ」

 「ほんとうだ! おとーさん、かおまっか! まっかっか!」

 「だ~、だ~」


 千恵子の指摘に勝義が便乗し、それを見たことみがベビーベットの中で楽しそうにはしゃぐ。


 「うっ、うるさい! 男をからかうもんじゃないぞ、千恵子。勝義も」


 言いながら、炊き込みご飯を口の中にかき込む。千恵子はいたずらっぽい笑みを浮かべながら、べえとピンク色の舌を出した。


 「あははっ、さっきからかわれた仕返しだよ。これでおあいこだね」

 「む……」


 そう言われると、何も言えなくなる。どうやら、千恵子のほうが一枚上手のようだ。


 「でも、そこまで心配する必要もないんじゃないかな。武ちゃんが所長をやるって行っても、営業までやるわけじゃないんでしょう?」


 「ああ」と、石和は頷いた。


  「作り上げた薬品やナノマシンなんかの販売、技術提供なんかの方はまた、別に責任者がいるからな。総務部長ってヤツだ。肩書きはともかく実権はそっちのほうが俺よりも上になるのかな。こういったものを造ってほしい、っていう最低限の指示もそっちからでるらしい。それと平行して独自にやりたい研究を進めてもいいって島村専務は言ってる」

 「なんだ。じゃあ、心配する事なんてなにもないよ。柄じゃないって言っても、やっぱり武ちゃんも自分の研究所を持つことに憧れはあるんでしょう?」

 「ん。まあ……そうだな」


千恵子の言葉に少し考えて、頷いた。確かに不安要素はあるが、自分の研究施設が持てることに憧れはある。研究者なら誰でもそうなのではないだろうか。


 「だったら、武ちゃんの好きなようにすればいいと思うよ。あたしはどんなことだって、武ちゃんの決めたことなら応援するから。頑張って、武ちゃん」


 笑顔でガッツポーズを作った。華奢な身体の千恵子がそういったポーズを取ると妙に違和感があり、それがまた可愛らしい。石和は笑顔で返した。


 「ありがとうな……千恵子」

 「あはは。お礼なんて、いらないよ。だって、あたしは武ちゃんの奥さんだもん。夫の力になるのは当然だよ。あたし達は夫婦なんだから」


 あっけらかんとした口調で、告げる千恵子。どんな逆境でも平気という台詞は熱に浮かされたその場限りのものであることが多いのだが、千恵子は違う。たとえどんな過酷な環境化に身を晒されたとしても、家族がすべて五体満足なら、きっと笑ってる。幸せそうにいつまでも笑い続けていることだろう。千恵子という女性はそういう人物だ。彼女のことを幼い頃から知っている石和にはそれが分かった。


 だからこそ、彼女には幸せな道を歩んでほしい。新しく生まれてきたふたつの命と共に。そして、自分が全力をかけて、その道を造ってやりたい。強く、強くそう思うのだ。


 七年前に犯してしまった過ちはきっと消えることはない。だけど、決して手遅れではない。このいまの幸せを手放さないように、これからも頑張ってゆこう。石和は現在の幸せをかみしめながら、そう思った。


 「え? なあに、武ちゃん。あたしの顔、なんかついてる?」


 ご飯粒でもついているのかと思ったのか、恥ずかしそうに顔をまさぐる。石和はふっ、と笑って、


「いや……なんでもない。悪いが、またお代わりを頼んでいいか?」


 と、言った。


 「ぼくも、ぼくも! おかわり!」


 勝義といっしょに差し出された空の茶碗を受け取りながら、千恵子は笑った。


 「二人ともすごい食欲。ちょっと待ってね。すぐ持ってくるから」


 そう言って千恵子は立ち上がり、炊飯器に向かって歩いてゆく。あまり調子に乗ると、胃もたれになるかもしれないが、自制する気は毛頭無い。胃腸薬が必要になりかももしれないな、と思いつつ、石和は三杯目の御飯の到着を待つのだった。








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